最後のリゾート

ジョン・グレイディー

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第六章

奇跡の手紙

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 彼女は彼より2歳年下であった。
 彼と彼女は同じ中学校に通う、先輩と後輩の関係であり、彼は彼女の初恋の先輩であった。

 彼女が彼を意識し始めたのは、彼女が中学1年生の夏、県の中学体育大会の野球部の試合の応援に行った時であった。

 彼は母校野球部のキャプテンであり、チームの主軸であった。
 
 まだ、幼い中1の彼女にとって、2歳年上の彼の姿は大人の男性のように映り、彼のプレーする白いユニホーム姿が、彼女の黒く大きな瞳に神々しく輝いて見えた。

 それは、単なる一目惚れといった類いのものではなく、瞬時に感じた、スピリチュアル的なものであり、
 彼女は、正に神のお告げのように彼を感じ入ってしまった。

 その日から、毎日、野球部の練習を観て下校することが彼女の日課となった。

 彼女の特等席はグランドの横にある鉄棒の砂場であった。
 そこからは、彼が守るサードの位置がよく観れるからである。

 また、彼女は少し普通の少女とは違っていた。
 中学1年生の少女がアイドル歌手や俳優に似た先輩に憧れることは、決して珍しいことではない。

 しかし、彼女の場合は、普通の少女の抱くそのような憧れとは違い、既に彼に対して深い愛情を抱いた。

 彼女の家族は敬虔なクリスチャンであり、毎週日曜日、欠かさず、カトリック教会のミサに家族揃ってお祈りに行くのが最大の家族行事であったが、
 彼にときめいたその日から、彼女は、彼の永遠の伴侶になることを、毎週、神に誓った。

 彼女は彼が卒業しても寂しくはなかった。
 なぜならば、彼女の夢は彼の伴侶になることであり、彼が卒業してからの彼女の目標は、自ずと彼と同じ高校に進学することになった。
 
 彼が進学した高校は県下一の進学校であったことから、彼女には寂しさに耽る暇はなく、彼女はひたすら勉学に励んだ。
 
 2年後、彼女は彼の高校に入学した。
 
 その頃、彼は既に野球部を辞めていたことから、中学時代のように彼のユニホーム姿を観れることはできなかったが、
 彼女の彼に対する愛情には、何の影響も与えなかった。

 高校に入ってからの彼女の日課は、彼が昼食を摂る学食に行くことになった。
 
 彼女は、午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、彼がいつも座る学食のテーブル近くを目指し、全速力でダッシュし、男子でも構わず押し退け、席をキープし、
 それから彼が食べているのと同じメニューを注文した。

 そのような彼女の彼に対する健気な愛情は、彼女の成長と共に、大人の持つ愛情へと次第に変化することとなる。

 彼にこの愛を告白したいと、彼女は強く想うようになってしまった。

 そして、彼女の新たな目標は、2月14日のバレンタインデーとなった。

 バレンタインデーの前日、彼女は一生懸命に手作りのハート型のチョコレートを作った。

 しかし、バレンタインデーの当日、彼女は朝から異常なほどの強いストレスを感じ、体温は38度ほどまで上がっていた。
 
 バレンタインデーの愛の告白とは、彼女のような真剣な愛を伝えようとする少女にとっては、とても過酷な作業と言えた。

 いつも、いつも、彼のことを、一瞬さえも忘れることなく、想い続けてきた。
 
 毎日、鉄棒の下に行き、毎日、学食に走って行き、毎週、神に聖なる愛を誓い続けてきた。

 彼女の夢は彼の永遠の伴侶になることである。今日の結果は、彼女にとってその人生を大きく左右する結果となる。
 
 それほどまでに彼女は今日の行事を重く受け止めていた。

 また、彼女自身は、いつも彼がすぐ側に居てくれているといったスピリチュアル的な神秘的な感覚に包まれていたが、

 現実問題としては、彼を初めて観てから今日までの4年間、彼と喋ったことはないどころか、目が合ったと感じたことさえなかった。

 流石の彼女も、今日ばかりは同級生の女子に付き添いを頼んだ。

 彼への告白の場所は、彼がいつも止める自転車置き場と決めていた。

 彼は友達と群れるタイプではなく、下校する時は、いつも1人であることを彼女は調べ上げていた。

 その時が来た。

 彼女は彼の自転車の前で同級生の背後に隠れ、彼を待った。彼女の顔は強ばり、足が震えていた。

 彼の自転車の方へ、彼らしき男子が1人近づいて来た。彼であった。

 彼からは彼女らが居る方角が丁度西陽が当たり、彼女らの顔がはっきりと見えなかったのか、眩しかったのか、
 彼女から見えた彼の顔は、その目つきは、非常に険しく映り、更に彼女の恐怖感は高まっていた。

 彼女は目を瞑り、勇気を振り絞り、同級生の背後から彼の前に思い切って跳ねるように飛び出した。

 そして、強ばった作り笑顔をしながら、彼にこう言った。

 あの~、これ、貰ってください。と声を震わせながら、
 綺麗に包装したチョコレートの入った箱を、顔がお腹に付くまで深々と下げ、真っ直ぐに両手を伸ばし差し出した。

 彼女の差し出した両手は震えていた。
 その震えに伴い、中のチョコレートが箱に当たり、カタカタと音を出していた。

 彼は立ち止まり、眩しそうに顔に手を翳しながら、彼女を見つめた。
 
 そして、すぐにその箱が何を意味するものかを理解し、片手でその箱をゆっくりと受け取り、
 彼女に対して「ありがとう」の一言も言わず、
 
 素知らぬ顔で自分の自転車を探し当て、自転車の籠に鞄を入れ、チョコレートの入った箱は片手で握ったまま、サドルを跨ぎ、彼女らを一瞥も振り返ることもせずに帰って行った。

 彼女は思った。駄目だったと。

 彼女の受けたショックは尋常ではないほど大きなものであった。
 
 彼女が一生をかけた、今日一日の行動記憶は、全て飛んでしまった。
 
 彼女にあるのは絶望と後悔だけであった。
 
 何故、どうして、バレンタインデーの告白を敢行してしまったのか、
 
 そんな悔悟の念にかられるばかりであった。

 その日から彼女は変わってしまった。
 
 学校も休みがちになった。もともと彼女は病気がちであり、身体は弱く、時に貧血や原因不明の高熱を発症していた。

 特に突然の高熱は、幼少期から度々見られ、その度、医者に診てもらうが、原因は不明であった。

 そんな彼女の持病、病魔に対抗すべき免疫力として、彼の存在自体が医学、医療を凌駕していたが、
 
 今となっては、その最大の免疫力は彼女の体内からみるみるうちに消え去ってしまった。

 その後、彼女の高校生活の大半は、持病の治療のため、病院のベットの上で、ステロイドの点滴を受けることになった。

 あの絶望の日から2年が経とうとしていた。彼女は大学受験を迎えた。
 
 彼女の身体を心配した両親は、彼女に地元の大学に進学することを強く求めた。

 でも彼女はそれに応じようとはしなかった。

 彼に振られた絶望感の縁でも、彼女は自身のスピリチュアル的な感覚を僅かではあるが何とか堅持していた。

 彼は二浪の身であった。
 彼女は、敢えて彼が自分を待っていてくれているように感じた。

 彼女は、自分は必ず彼と同じ大学に入学できる、そして、彼と同級生になれると、気概にも信じ込んでいた。

 しかし、無常にも神はこの時、彼女の願いを無視した。
 
 結果、彼は三度目の共通一次試験の前日、高熱をだし、又もや受験に失敗し、何校か滑り止めで受けた九州の私立大学に辛うじて合格した。

 彼女も彼と同じく、前日、原因不明の高熱が出てしまった。
 そのため実力の半分も出すことができず、
 いろいろな「つて」を通して知り得た、彼が狙うと踏んだ九州の国立大学は不合格となり、
 結局、彼の受かった大学とは違う、隣県の国立大学に入学することとなった。

 その現実は、彼女の心を木っ端微塵に破壊した。

 彼が浪人していた2年間、彼は彼女と同じ県内の予備校に通っていたため、彼女は、辛うじて彼との共有感を保てていた。

 しかし、来春は、2人とも地元を離れ、それぞれ異なる他県で生活することになり、
 彼女の藁をも掴む、僅かばかり残っていた希望という光は完全に消えてしまった。

 彼女は、失意の中、隣県の大学に入学したものの、僅か3か月で精神を患い、やむを得ず、休学し、実家に戻ることになった。

 そんな状態で持病の病気も悪化し、彼女は実家に戻ったものの、家に引きこもり、感情は失せ、いつも自室のベットで寝て過ごす生活を送っていた。

 そのような中、この年の夏の初め、彼女の家に一枚の手紙が届いた。

 差出人は、何と彼からであった。

 手紙を見た彼女の母親は、彼女の彼に対する想いを痛いほど承知していたので、急いで彼女の部屋に手紙を渡した行った。
 
 母親にはこの手紙が神からの救いの手のように思えたのだ。

 その手紙を見て、彼女は驚いた。

 そして、神の奇跡に感謝した。

 母親から手紙を受け取ると、彼女の心から不安が少しずつ消えて無くなるのを彼女は感じた。

 彼女は、ゆっくりとカッターナイフで封を切った。
 
 彼からの彼女に宛てた手紙の内容は次のとおりであった。

 「風の便りで貴女が体調を崩していると聞きました。大丈夫ですか。心配しています。

 高校3年のバレンタインデーの時、貴女から貰ったチョコレート、とても嬉しかった。 

 あの時は、西陽が当たり、ハッキリと貴女の瞳を見ることができず、
 まさか、貴女から貰えるなど、夢にも思ってなく、嬉しくて何も言えなかった。 

 でも、帰りながら、
 俺にチョコレートをくれたのは、あの子だ。
 
 俺はあの子から確かに貰った。   
 
 今、この手でしっかり握っているじゃないか!
 
 現実だ、夢ではないと、
 
 何度も何度も自分に言い聞かせ、絶対に落とさぬよう、急いで家に帰ったことを
 今でも鮮明に覚えています。

 本当に嬉しかった。

 俺はあまり女性のこと分からないので、貰うことが告白をOKした証だと思い込んでいた。
 
 本当にお礼も言わずごめんなさい。

 家に帰り、まじまじとチョコレート眺めていました。
 嬉しすぎてなかなかチョコレートに手をつけることができませんでした。

 俺は直ぐにホワイトデーのことを考え、街のデパートのクッキーが良いかとか、
 チョコレートのお返しが良いかなとか、いろいろな雑誌を見て調べました。

 そして、明日からは、
 俺は貴女の彼氏となり、恋人として付き合えると思い、
 嬉しくて仕方ありませんでした。

 でも、次の日、学校に行くと、友達から、俺が、昨日、貴女からチョコレートを貰ったことを
 何故か知っていて冷やかされました。

 そんなこともあり、俺はなかなか貴女に逢いに行けなかった。

 いや、それは言い訳になるかな。

 本当は、これから、どう動いてよいのか全く分からなかったのが正直なところで、
 貴女からの連絡待ちの状態でした。

 だが、数日経っても、貴女から何も連絡がない。毎日、学食で俺の側に陣取る貴女の姿もない。

 悪友は義理チョコだよと冷やかす。

 結局、俺はホワイトデーまで待ち続けました。

 今更ながら、あの時の俺は情けない男だと、しみじみ思う。

 ホワイトデーの日、俺は勇気を出し、貴女のいる東校舎の1年10組の教室に貴女に逢いに行きました。    

 するとあの時、貴女と一緒にいた友達から、貴女が体調を崩し、何週間も学校を休んでいると聞かされました。

 俺は貴女の家に行こうかと考えましたが、その頃、俺も受験に失敗し、自暴自棄で心が荒れており、
 結局、行けませんでした。

 言い訳ばかり言ってごめんね。

 貴女が中学の時、いつも砂場から俺だけを見ていてくれたのをよーく覚えています。

 高校の時も、学食、俺のテーブルの側、男ばかりの中、女子1人で座っている貴女が可愛くて仕方ありませんでした。

 いつもいつも側に居てくれて、嬉しかった。

 俺は勉強ができないから、二浪もしましたが、やっと大学生に成れることができました。

 ちゃんと大学に合格して、ちゃんとした男として、
 改めて、バレンタインデーのお礼を貴女に言いたいと、
 ずっと思ってました。

 夏休みに入りました。実家に帰る予定です。

 もし、今でも俺のことを嫌いでなければ、
 貴女の体調が良ければ、

 〇月○日の午前10時に駅前のレコード屋の中で待っています。」

 そんな内容の手紙であった。

 彼女はこの奇跡に、改めて神に感謝し、
 そして自然と流れ出す嬉し涙を拭こうともしなかった。

 彼女は思った。
 その日まであと1か月ある。必ず体調を戻し、彼に逢いに行こうと決意した。

 そして、神様にこう祈った。 

 神様お願いです、今度こそ、私に微笑んでくださいと、
 
 そして、彼女は、胸に光るネックレスの十字架を強く強く握りしめた。

 
 
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