漁村

ジョン・グレイディー

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最終章

物語は夕陽に輝く

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 いつもは静かな漁村の朝に救急車のサイレンが鳴り響いた。

 救急車には、亜由子が武の掌を握りしめ付き添っていた。

 救急車は小浜市の市民病院へと向かった。

 武の指には心電図のコードスナップが挟まれていたが、その数値を表すモニターの線は浮上することなく底を示していた。

 亜由子は無表情で何も喋らなかった。

 消防士に問われても、コクリと頷くだけであった。

「心肺停止、死亡推定は午前5時頃」と助手席の消防士が無線で話していた。

 病院に到着し、武を乗せた担架は急ぐことなく、集中治療室に運ばれた。

 亜由子が待合室で待機していると正栄が駆け込んで来た。

「亜由!福永はん、どうや!」と正栄は息を切らしながら亜由子に問うた。

 亜由子は下を向き、首を振るだけであった。

 30分も経たないうちに医師が集中治療室から出て来て、遺族であろうと思われる亜由子と正栄にこう言った。

「心不全かと。原因は解剖してみないと分かりませんが…、福永さんは持病をお持ちでしたか?」と

 亜由子は何も応えず、下を向いたままであった。

 正栄が代わりに、

「昨日まで元気でした。漁にも出てました。」と答えた。

「そうですか。突然死ですね。

 お気の毒様です。」と医者は言い、戻って行った。

 正栄は知人として死亡診断書に署名し、武の遺族の捜索のため漁協に向かうことになった。

「亜由、福永はんの側に居てくれ。また、迎えに来るから。」と正栄が亜由子に言うと、亜由子はコクリと頷くだけであった。

 正栄は田烏の漁協に行き、事務長にこう言った。

「福永はんが、亡くなった。九州の遺族に連絡せなあかん。

 あんた、遺族の連絡先、分かるか?」と

 事務長は驚き、

「福永さんが死んだ!昨日、マグロを釣ったと聞いたばかりやないか!

 急死ですか?」

「そうや。今朝、亡くなった。医者は心不全と言っとる。」

「分かりました。あの人、滋賀の役所におった頃から、よく電話して来て、『漁師になるための手続き』を聞いていました…

 滋賀の役所に問い合わせてみます。」

「おおきに。頼むな!」

 正栄は遺族の手掛かりを事務長に任せ、漁協を後にした。

 正栄は折り返し病院に着くと、玄関に亜由子が立っていた。

 亜由子が言うには、武は安置室に運ばれたそうであった。

 正栄は亜由子を漁村まで送り、

「亜由、荷物の整理しとき!夕方には、ここを出よう。」と言い残し、漁村を後にした。

 亜由子はバラック小屋に入って行った。

 そして、土間の階段に座り込み、泣き崩れた。

 いつしか亜由子は眠っていた。

 そして夢を見た。

「どうして先に逝っちゃうのよ!

一緒に逝くって言ってたのに。

 どうして…」

 と亜由子は武を責めるよう泣き叫んでいた。

 すると、バラック小屋の外から武の声がした。

「違うよ。亜由をちゃんと迎えるために先に行っただけだよ。」

「武さん」

 亜由子は目を覚ました。

 亜由子は気付いた。

 亜由子の顔が笑顔になった。

 亜由子はバラック小屋を出ると、あの夕陽が白灯台の左前方に橙色に輝いていた。

 亜由子は走った。

 白灯台まで急いで走って行った。

「やっぱり、ここに居たんだ!」

 息を切らしながら白灯台の袂を見遣ると、そこに武がいつものように背もたれて座っていた。

「おいで、待ってたよ。」と武は亜由子に優しく言った。

「うん!」と亜由子は言い、3段の階段を登り、武の隣に座った。

 そして、武の肩に頬を載せてこう言った。

「私もお迎えが来たのね。」と

 武は言った。

「そうだよ。亜由を迎えるのは、俺の役目と決まっていたんだ。」

「私の夢…、私が見た夢の中、最期に誰かがこう言うの、

『寂しくないよ。俺が一緒に行くから』と

 その人が武さんだったんだね。」

「そうだよ。亜由は頑張り過ぎたんだよ。

 1人で何もかも頑張り過ぎたんだよ。

 亜由は決して1人じゃないんだよ。

 亜由には相棒が居るのさ。

 運命の人

 それが俺だ。

 一緒に休もう。

 ゆっくり、ゆっくり

 海に抱かれながら、誰にも邪魔されず、

 2人で海の中で眠ろう。

 あの夕陽みたいに。」

「うん!ゆっくりしたい。

 武さんと2人だけで、ゆっくり眠りたい。」

 亜由子は白灯台の壁に優しくキスをした。

 正栄が亜由子を迎えに来た。

 バラック小屋には亜由子の姿はなかった。

 正栄は亜由子は白灯台に居ると思い、そちらの方向を見遣った。

 やはり、亜由子は1人、白灯台の袂に座り、海を眺めていた。

「亜由、そうやわなぁ、そこから離れたくはないわな。

 そこはあんた達の居場所やさかい、離れたくはないよな…」と

 正栄はそう心で思いながらも、明日には武の妻が此方に来ることから、

 早く亜由子を実家に戻す必要があると思っていた。

 これ以上、亜由子に心労を掛けさせたくはないと思っていた。

 意を決して、正栄は亜由子に声を掛けた。

「亜由!帰るぞ!」と

 亜由子は尚も海を眺めている。

「亜由、今日はもう、えぇって!

 お前は舞鶴に帰った方がええんや!」と

 ぶつぶつ言いながら、正栄は白灯台の袂に近づき、3段階段の下から亜由子を間近に見遣った。

 潮風に揺れる前髪の隙間から亜由子の閉じた瞼が見えた。

「そりゃ、疲れたわな。昨日から天国と地獄やさかい…

 疲れたやろう」と

 正栄は亜由子を起こそうと、亜由子に近づき、肩を優しく揺すった。

「亜由、そろそろ帰ろ。」と

 亜由子の瞼は閉じたまま、開くことはなかった。

 1年後

【阿能の漁村から一隻のイカ釣り漁船が出港しようとしていた。

 今日の客は大阪から来た若い釣り客であった。

 漁船がまだ灯ってない白灯台の脇を通り過ぎようとした。

 釣り客の1人が言った。

「おい!あそこやで、あの灯台に幽霊が出るんや」

「幽霊?」

「そうや!夕暮れ時になると、若い女の幽霊が灯台の前に座り、海を眺めているや!」

「嫌ぁ~、やめて!私、その手の話、苦手!」

「ほんでなぁ、通る船に「にっこり」と微笑むらしいでぇ!」

「怖わぁ~、何だか寒気がして来たよぉ~」

 その時、船頭が会話に入って来た。

「お客さん、そんな怖い話と違いまんねん。

 全然、怖い話じゃ、ないんですよ。」と

「船頭さんも見た事あるん?」

「いつもいつも見てます。」

「怖わぁ~、ほんまやったんやなぁ!」

「お客さん、怖い話とちゃいます。

 美しい話なんやわ。」

「美しい?」

「そうや。とっても綺麗で美しく、儚い話なんですわ…

 仲が良かったんですわ…

 あんなに…

 あんなに仲の良い人間、居らんですよ。

 いつもね、2人一緒で…

 いつもいつも、肩を寄せ合って…

 綺麗な心を持った2人で…

   何よりも海が好きな2人で…

 2人一緒に微笑んで、海に沈む夕陽を優しく見てるだけんなんや…

   何にも怖い話と違うんですわ。

 綺麗な美しい話なんですわ。

 飼い猫のように主人が死んだら、直ぐ後を追って逝ってしまったんや。

 ワシだけ残して…」

 そう物語る老人の窪んだ眼は、夕陽に照らされた涙がキラリと光っていた。】
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