公爵令嬢は悪役令嬢未満

四折 柊

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5.王太子殿下の初恋

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 私は少なからずショックを受けた。
 愛してやまない婚約者にこの婚約が政略的なものだと思われていた。

「殿下。もしも……もしも好きな人が出来たら教えてくださいませ。私、身を引く覚悟はありますから」

 そんな覚悟などしないでくれ!!

 私たちが五歳の時イザベルと初めて会った。イザベルは騎士団長である父親と登城していた。訓練場を見学しに来ていたようだが、あれは公爵が娘に自分のいいところを見せようと連れて来ていたに違いない。クアドラ公爵は逞しい体でその剣の実力も国内一だ。イザベルは尊敬の眼差しでキラキラと父親の訓練を眺めていた。そして訓練後に「私の娘は世界一可愛い!」と自慢しながら歩くクアドラ公爵に肩車をされ、はしゃいで笑っている姿をたまたまそこを歩いていたカルリトスが見た。そしてその瞬間に恋に落ちた。(可愛い!!)

 イザベルの母親は結婚前は女騎士をしていた。長身で可愛いと言うより凛々しい雰囲気の女性だ。イザベルは両親には似ておらずとにかく愛らしい。どうやら祖母似らしい。

 その夜、父にどうしてもイザベルと婚約したい、将来のお嫁さんにしたいと懇願した。父や母は将来国を担う負担の大きさから息子に好いた相手と結婚させてやりたいと思ってくれていた。幸い国内外も平和で政略的な婚姻も必要ないことから一年後、無事に婚約が結ばれた。

「たとえどのような困難があっても、私の全身全霊でイザベルを愛し守ると誓う」

 婚約当時六歳。幼くてもこの決意は本物だった。初恋の少女を幸せにしたい。いや、ともに幸せになりたい。この言葉は婚約する前に愛する娘を手放したくないと歯噛みし私を射殺しそうな目つきで睨むクアドラ公爵の前で誓い、婚約時にイザベルに誓った。今でも忘れることなく胸の真ん中の深い所にしっかりと刻んである。彼女には忘れられていたが……。

 普段はイザベルに好ましく思われたいと品行方正な婚約者として、また理想的な王太子として振る舞って来た。だが今回のことでこのままでは私の気持ちは届かないことが分かった。どうやら私には言葉が足らなかったようだ。結婚して気持ちがすれ違うことがないように、今からこの想いを言葉と態度で示すことにした。それにイザベルを甘やかすことは密かな願望でもあった。

 彼女は婚約した時「立派な王太子妃になってみせます!」と宣言しそして何年にも渡って言葉通り努力をしてくれた。とにかく勤勉で成績も優秀だ。心根も優しくクラスメイトにも気配りが出来ている。ただ、あまり砕けた態度を取ることはなく(立場を重く考えているのだろう)普段は毅然として表情を変えないのだが、そんなイザベルを甘やかすのは存外楽しいことに気付いた。時折見せるふにゃりと蕩けた表情は私だけが知っている顔だ。

 お茶菓子を口に運べば恥ずかしそうに口に入れ、でも「美味しい」と顔を綻ばせる。膝に乗せてもお姫様抱っこをしても顔を真っ赤にして「降ろして欲しい」と訴える。駄目だと言えば消えそうな声で「はい……」といって受け入れてくれる。耳や首まで赤くなるのがさらに愛おしい。やり過ぎて嫌悪されてしまうと困るが照れているだけなら数をこなして慣れてもらおう。
 ああ、幸せだ。きっとこれが本来の婚約者としての正しい距離だったのだ。今まで遠慮し過ぎたことを反省し、日々愛を囁く。

 距離を縮めているその間に、事の発端となった小説を模倣しようとした女子生徒たちについて調べた。みんな同じような境遇だった。ほとんどが裕福ではない貴族や爵位の低い貴族だ。そして自分の美貌に自信がある。成績はいまいち……かなりよろしくない。本人は夢見がちで両親のどちらかが野心を持っている。父親は「無理だ」と言うが母親が陰で「あなたなら王子様の寵愛を受けることが出来るわ」と煽るといったような感じだ。お金に目が眩んだのだろう。どうしようもないな。

 そして肝心のノンフィクションと言われている小説だが……。まさかの実話だった。
 イザベルを不安にさせないように「あの小説は作り物だ」と伝えたが、あんな愚かな話が実際にあったとは私も俄かに信じがたかった。詳しい調査の結果、我が国とは国交のない海を遠く隔てた国で実際にあった出来事だと分かった。

 そこの王太子の頭は大丈夫なのか。側近や王や王妃は止めなかったのかと疑問が尽きないが、本当に婚約者の公爵令嬢を冤罪で断罪し、男爵令嬢と結婚したそうだ。王妃となった男爵令嬢は浮かれ本を三冊出版しベストセラーになった。結婚当時は民衆に人気があったことで売れた。それが数年を経て我が国にもたらされた。

 一冊目の本「私の真実の愛」は自分がどれほど健気で美しく優しい女性かという自画自賛に始まり王太子との出会いまでが書かれている。臆面もなくよく書けたなと思う。
 
 二冊目「私はこうして王太子妃になった」は公爵令嬢に虐げられても耐える私健気的な内容で涙を誘い(私はまったく涙を誘われていない)結婚するまでが書かれていた。

 そして問題は三冊目の「あなたが愛を手に入れる方法を教えます」だ。これがなければくだらないイザベルを貶める噂などなかっただろうし、愚かな行動をする女子生徒もいなかったのではと思う。まあ、結果的に行動をおこした女子生徒はしていいこととそうでないことを判断できなかったのだから己が悪い。きっかけが本であっても自己責任だ。三冊目には同じような状況を作れば必ず愛が芽生える、必ずあなたも幸せになれると書かれている。(なぜ信じた?)
 文末は『言葉を交わさなくても目が合えば、もう彼はあなたの虜よ』で締めくくられている。実際、私は四人の女子生徒と懇意になるどころかまともに会話すらしていない。私には彼女たちの存在自体の記憶がないのだが、相手が一方的に目が合ったもしくは自分を見つめていたと思い込んでいた。
 
 そして本にはお金と権力を手に入れて宝石や高価なドレス、多くの使用人に傅かれる生活、好きなものをいっぱい食べることが出来ると、どれだけ幸せになれるかが書かれている。そして女子生徒たちは本の通りの状況作りのためにイザベルを悪役令嬢に仕立てたようだ。何人もの女子生徒が噂を流すのでなかなか消えなかったのだ。

 自分はヒロインになるべく髪色と化粧を小説の男爵令嬢のようにそっくりにまねたらしい。プラチナピンクって……。そして話すときは必ず目を潤ませ愛らしく振る舞う。もう、打算塗れで吐き気がする。こんな女を好きになる男が果たしているのだろうか。いるかもしれないが私は絶対にならないと断言できる。私には愛するイザベルがいるのだから。

 さて、愚かな模倣犯は四人も出た。詰めが甘く、いかにも夢見がちな少女の真似事だ。
 尤もこんなことを綿密に企てられては迷惑だ。そうなれば政治的な思惑を孕んだ大事になってしまう。お金や権力を持つ家の生徒たちは理性的で今回のことを冷めた目で見ていた。そしてさりげなくイザベルのサポートをしてくれていたようだ。心配して護衛騎士を増やしていたが自発的にイザベルを守るべく付近を警戒してくれていた生徒もいた。私がタイミングよくその場に居合わせることが出来たのも彼らの協力のおかげだ。

 私は彼らに礼をした。これもイザベルの日ごろの行いの結果だろう。婚約者が生徒たちに慕われていると思うと鼻が高い。私も彼女に相応しくあろうと再度奮起した。

 ただ、これ以上模倣犯が現れイザベルに何かがあっては困るので、穏便にすませたいというイザベルを説得して事を公にした。そして女子生徒の末路を伝えれば、これから同じことをしようと考えていたであろうプラチナピンクの女子生徒数名が翌日には黒髪に戻っていた。髪の傷みがパッと見でも著しいがこれも反省の一環になるだろう。彼女らが冷静になったことは喜ばしい。これで、もう大丈夫だろう。

 ところで小説の主人公の男爵令嬢から王太子妃になった女のその後だが、めでたしめでたしとはいかなかった。人を踏み躙り捻じ曲げた上に築いた幸せは砂の城だ。脆くあっという間に崩れ去った。

 普通の生活から王族の一員となり最高の贅沢を手にしチヤホヤされ、生活が一変すれば図に乗るのは当然だ。贅沢三昧で使用人には辛く当たる、友人だった人間を下僕のように扱い見下し自分は特別な存在だと振る舞う。王太子妃教育は満足に受けなかったのに、公務には出席する。利益だけを手にし責務を怠る。その結果、外交で大きな失敗を繰り返す。戦争目前になるほど友好国を怒らせとうとう王太子も愛情だけでは庇えなくなり離婚が成立した。

 結婚生活は僅か一年半。この時すでに王太子妃は貴族だけではなく、そのシンデレラストーリーに羨望を寄せていた平民からも憎まれるようになっていた。目に余るほどの散財が原因だ。そのせいで税金を上げる事態にまで及んだ。財務大臣は手をこまねいていたのか? 結局、王太子は妻を諫められなかった責任を問われその地位を弟に譲り臣籍に下り、生涯独身で国の為に働いたそうだ。ここまで事態が悪化したのは無能なのかそれとも誰かの思惑があったのか……。
 王太子妃から平民となった女は厳格な修道院に送られる途中で賊に襲われ命を落とした。あっけない幕切れだ。
 ちなみにこの内容は取材した記者が「天国から地獄~悪女の果て~」というタイトルで出版したが、まだわが国には入ってきていなかった。

 今のところ娯楽本の輸入規制は考えていないが、たった数冊の本から想定外のことが起こるという教訓になった。



 さて、もうすぐイザベルが来る。今日のお茶菓子はレモンと蜂蜜のレアチーズケーキだ。彼女の好物はリサーチ済である。
 私はイザベルにお菓子を食べさせることに病みつきになってしまった。美味しさに蕩けて可愛いくなる表情はいつまでも眺めていたい。
 準備のために侍女に視線を送れば心得ていると頷く。彼女はイザベルに心酔している。以前母親が病で倒れた時にその悲しみを隠し職務をこなしていた。様子がおかしいと気付いたイザベルが有名な薬師を手配し母親は無事に回復した。それ以降イザベルに心から尽くしている。結婚後はぜひイザベル付きにして欲しいと希望を出しているほどだ。

 私は結婚後も彼女を甘やかすつもりだが、とりあえず今は婚約者または恋人としての時間を楽しみたい。
 約束の時間が待ち遠しく何度も時計を見てしまう。暫くすると従者がイザベルの来訪を告げる。私は思わず笑みをこぼしイザベルを出迎えるために立ち上がる。

「ようこそ、イザベル」

「こんにちは。カルリトス様」

 彼女の頬がほんのり染まっている。イザベルも私と同じような気持ちを抱いてくれているのだろうか。そうであれば嬉しい。
 

 そして二人の甘い幸せなお茶の時間が始まる。







(おわり)

 お読みくださりありがとうございました。



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