婚約者に捨てられたので殺される前に言葉も交わしたことのない人と逃げることにしました。

四折 柊

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贈られた花

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 私はこの国の王太子殿下の婚約者だ。

 地位も家柄も美しさも教養も婚約者に相応しいと皆が言う。
 家族は私を褒め、よくやったとなんでも買い与える。
 執事を通して宝石もドレスも十分すぎるほどに渡される。それらをほしいと言ったことなど一度もないのに。
 食事すら共にしたことが無い人々をこの家では家族と言う。
 その日の部屋の窓には一輪のヒヤシンスが置かれていた。

 友人達は笑顔で私に話しかける。我先にとご機嫌を取る。
 流行の話、恋の話、誰かの醜聞の話、どこかの家の不祥事、不愉快な話ばかりを皆が楽しそうに話す。
 私も同じように笑う。そんな話聞きたくなくても。
 その日の部屋の窓には一輪のチューリップが置かれていた。

 毎日たくさんの教育が課される。それは当然のことで努力は苦ではない。
 だが、成果を当然のこととして誰にも認めてもらえないことは心を虚ろにする。
 何のために学ぶのか、なんのために生きるのか、私は答えを知っているし、もしかしたら知らないのかもしれない。
 その日の部屋の窓には一輪のラナンキュラスが置かれていた。

 婚約者が言う。君の事は好きにはなれない。
 これは政治だから結婚はする。結婚するまで自由にさせてくれと。
 そしたらその後は我慢して結婚する。
 彼は私の心を踏み潰す。私はどれだけ我慢しても自由を夢見る事さえできないのに。
 我慢して結婚したその後はどうなるのか。私は皆が幸せだと言う牢獄に捕らわれるだけなのに。
 その日の部屋の窓には一輪のネモフィラが置かれていた。

 毎日、私の部屋の窓辺に、心を慰めるように一輪の花が置かれている。
 そっと手に取り香りを楽しむ。それが私の唯一の安らぎ。

 ある日、久ぶり両親が会いに来た。
 その顔は醜悪に歪んでいた。
 殿下がお前を見限った。出来損ないがと罵倒された。
 お前のせいで何もかも台無しだと。

 殿下は男爵令嬢と恋をした。強く結婚を望んだ。
 婚約破棄は殿下の醜聞になる。彼女を娶るための筋書きが必要だ。
 私が病に倒れ、看病する殿下を支えた彼女の献身に心打たれて結ばれるそうだ。
 男爵令嬢は娘を持たない公爵家の養女になるらしい。
 利を得たのはいったい誰なのか。
 我が家は負けた。没落を免れるための取引の為に私に病になれと言う。

 両親からはじめて手ずから贈られたのは毒杯だった。
 私に否はない。
 飲み干せばとても苦いものだった。

 次に目を覚ましたのは知らない部屋だった。
 建前では療養の為の場所だ。見張られて暫くしたら死ななくてはならない。
 窓を見る。この部屋の窓辺には花は置かれていなかった。

 あれからどのくらい経ったのか。思いの外、体調がいい。
 それならば次に飲まされる毒はきっと強いものになるのだろう。

 夜、土の匂いを感じて目を覚ます。
 ベッドの傍らに男が立っている。
 恐怖はない。私はこの男を知っている。
 屋敷の庭を整えている姿を時折目にした。
 私が庭を見ると必ず男は振り返り、ただ離れた窓越しに二人は見つめ合った。
 お互いの声すら聴いたことが無い。名前も知らない。それが私と男の距離だった。
 いつも私の部屋に一輪の花を届けてくれた人。ただ一人私を見てくれた人。
 この人の手に掛かるならそれもまたいいかもしれない。

「殺しに来たの?」

 低く笑う声がする。

「殺すくらいなら攫います。お嬢さま、どうか私と逃げて下さい」

 私はその男の手を取った。
 結局、周りが与えてくれるものの中には幸せはなかった。だから私は自分に与えられていた役割を捨てることにした。
 自分で選べる最後の機会だった。

 平民に成りすまし逃げる日々は、令嬢としてしか生きてこなかった私には過酷であった。
 地味で飾り気のない綿の服、見たことがない程の粗雑な家、味の薄い食事、埃っぽい布団、髪も手も荒れ、慣れない家事をする。
 それでも、毎日楽しかった。上手くできなくても男は褒めて労わってくれる。
 夜は、寄り添い体温を分かち合う。
 男はいつも早起きで、朝になると私に一輪の花を贈ってくれる。

 二人でいろいろな所へ行きいろいろな物を見た。
 初めてみる野草、自生する花々は可憐で強く、咲き誇る姿は美しかった。
 青空の下、二人手を繋いで歩く。どこまでも自由だ。
 生きる意味など探さなくていい。ただ男と一緒に生きる、それだけでいい。

 追手に見つかった。
 男は私を逃がそうと戦った。ほとんど返り討ちにしたが、私の体を掠めた刃には毒が塗られていた。

 呼吸が苦しい、徐々に視界が暗くなっていく。
 男が私を抱きしめて冷たくなっていくその手を握る。

「しっかりしろ。今助ける。フラン、愛しているんだ。頼むから死なないでくれ……」

 男の必死な声が聞こえる。いつも飄々としているのになんだか可笑しかった。

「私も愛しているわ。アレン……」

 最後の力で彼の手を握り返す。私がはじめて自分で選んだ私の人生、後悔はない。この手の中には彼のぬくもりと幸せがあるのだから。
 ポタポタと水滴が落ちてくる。私の為に流れる涙がある。生きてきた意味と幸せがここにある。


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