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7.身分差
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侯爵邸に戻ると顔を合わせた侍女長がエリーゼの顔色が悪いと心配してくれた。
取り繕うことも出来ない程自分が動揺している事は分かっているが、クラウスとの事を話す訳にはいかないので誤魔化し自室へ籠った。
部屋に入りドレッサーの椅子に座る。鏡に映る今にも泣きそうで青ざめた自分の情けない顔を見て自嘲した。
「ふふふ……なんて顔をしているのかしら……ふ……うっ……」
気付けば涙が頬を濡らす。次から次へと溢れ出し止まりそうもない。エリーゼは両手で顔を覆い流れ続ける涙をその手で隠した。そして今までの自分の愚かな考えと態度を激しく後悔する。
アデリアの言葉で目が覚めた。彼の態度に自分への好意を感じたのはきっとエリーゼの願望だ。クラウスとエリーゼは友人でも恋人でもない。初めから自分はただの使用人に過ぎない……。
クラウスは高位貴族だ。とても寛大で優しい。彼は公爵邸の使用人にも等しく優しかったではないか。何か言葉をもらったわけではないのに身の程も弁えずエリーゼは自分が特別かもしれないと思い上がってしまった。
クラウスは紳士として優しく接していてくれたのを勝手にのぼせ上って叶う筈のない甘くて愚かな夢を見たのだ。
もし気持ちが通じ合えたらなど杞憂したことがあまりにも滑稽だ。
今のエリーゼは平民だ。例えクラウスが許しても友人のように振る舞ってはいけなかった。どこか貴族であったときの感覚が残っていて許されると思っていたのかもしれない。
図書室の整理の間だけ親しくしても許されるなど何故思ったのだろう。初めから近づいてはいけない人だったのに隣にいる心地よさに自分の立場を忘れていた。アデリアに主従の関係だと指摘されて全身を氷水に沈められたように心が凍りついた。
クラウスが好きだ。エリーゼの話を真剣に聞いてくれている時の包み込むような優しい眼差しも、当たり前のようにエスコートの為に差し出してくれる手の温かさも、一緒に過ごす楽しい食事の時間も全てがエリーゼの初恋となった。
きっとこの思いは本の中の主人公のように恋をして素敵な思い出になると考えていた。純粋に今だけ好きでいたいと、だけど……できない……立場を突きつけられて、もうそんな風には思えないことに気付いた。
仕事が終わり公爵邸に行く理由を失い会えなくなる事に恐怖すら感じるほどエリーゼの心はクラウスでいっぱいになってしまっていた。クラウスと過ごす時間が楽しい程、終わった後の悲しみは大きくて押しつぶされてしまうかもしれない……。
もし自分が貴族のままだったらと考えたことがある。それでも子爵令嬢では公爵家のクラウスの隣にいる為の身分としては釣り合わない。結局は貴族であったとしても高すぎる身分差がそこにはあるのにましてや今は平民だ。
エリーゼは貴族であっても自身の爵位が高くないこともあり平民との隔たりを意識したことはなかった。ガラス工房のアレックスに対しても対等に接していた。だが、いざ爵位を返上し自分が平民になると貴族と平民の間にある絶対に越えられない壁を思い知らされる。
今まで買い物に行っていたお店でも平民になった途端入店を断られることもあったし、買いたい物も平民には売らないと見せてもらえない事すらあった。爵位を持たないものに対して人間扱いすらしないという高位貴族もいた。
実際に平民となってみれば馬鹿馬鹿しいでは済まされない現実がそこにはあるのだ。まるで生きる世界が違うと突き付けられた。
今日だってお昼を食べたお店の対応はクラウスだからこそだ。それを目の当たりにして驚きと……衝撃を受けた。
身分差を知っていたはずなのに、このまま側に居られることをどこかで期待していたのかもしれない。アデリアの言う通り勘違いして後戻りできないほど今エリーゼは傷ついていた。これほど愛おしい気持ちをクラウスに抱く前に距離を取り諦めるべきだった。
顔を上げれば目を真っ赤にした自分が鏡に映る。ふと思い出してクラウスから贈られた髪飾りを外し両手で包み込むように持った。
改めて見ればその髪飾りの澄んだ水色のガラスがクラウスのアイスブルーの瞳を思わせて無意識に手に取ってしまったのだと気づく。中の小さな花はクラウスの瞳の光彩のように綺麗だ。
それを贈られた自分は有頂天になっていたのではないだろうか。きっとクラウスには他意はなく純粋なお礼だったのに彼の瞳の色だと心のどこかで浮かれていた自分が哀れに思える。
髪飾りをドレッサーにそっと置いて涙を拭う。顔を洗ってそして……自分を取り戻さなければいけない。こんな顔をしていたらお屋敷の人に心配をかけてしまう。
目を閉じ深呼吸をする。これほど泣いたのだから今晩ぐっすり眠ればきっと気持ちも落ち着くはず。次に公爵邸に行くのは3日後だ。それまでにクラウスへの気持ちに鍵をかけ、本来取るべきだった距離で向かい合おうと心に決めた。それを想像しただけで再び涙が溢れ出す。
恋はドキドキして楽しいものだと思っていた。こんなに胸が苦しくなるなんて知らなかった。
エリーゼは未練を断ち切るように髪飾りをハンカチで丁寧に包むとそっと引き出しの奥にしまった。
取り繕うことも出来ない程自分が動揺している事は分かっているが、クラウスとの事を話す訳にはいかないので誤魔化し自室へ籠った。
部屋に入りドレッサーの椅子に座る。鏡に映る今にも泣きそうで青ざめた自分の情けない顔を見て自嘲した。
「ふふふ……なんて顔をしているのかしら……ふ……うっ……」
気付けば涙が頬を濡らす。次から次へと溢れ出し止まりそうもない。エリーゼは両手で顔を覆い流れ続ける涙をその手で隠した。そして今までの自分の愚かな考えと態度を激しく後悔する。
アデリアの言葉で目が覚めた。彼の態度に自分への好意を感じたのはきっとエリーゼの願望だ。クラウスとエリーゼは友人でも恋人でもない。初めから自分はただの使用人に過ぎない……。
クラウスは高位貴族だ。とても寛大で優しい。彼は公爵邸の使用人にも等しく優しかったではないか。何か言葉をもらったわけではないのに身の程も弁えずエリーゼは自分が特別かもしれないと思い上がってしまった。
クラウスは紳士として優しく接していてくれたのを勝手にのぼせ上って叶う筈のない甘くて愚かな夢を見たのだ。
もし気持ちが通じ合えたらなど杞憂したことがあまりにも滑稽だ。
今のエリーゼは平民だ。例えクラウスが許しても友人のように振る舞ってはいけなかった。どこか貴族であったときの感覚が残っていて許されると思っていたのかもしれない。
図書室の整理の間だけ親しくしても許されるなど何故思ったのだろう。初めから近づいてはいけない人だったのに隣にいる心地よさに自分の立場を忘れていた。アデリアに主従の関係だと指摘されて全身を氷水に沈められたように心が凍りついた。
クラウスが好きだ。エリーゼの話を真剣に聞いてくれている時の包み込むような優しい眼差しも、当たり前のようにエスコートの為に差し出してくれる手の温かさも、一緒に過ごす楽しい食事の時間も全てがエリーゼの初恋となった。
きっとこの思いは本の中の主人公のように恋をして素敵な思い出になると考えていた。純粋に今だけ好きでいたいと、だけど……できない……立場を突きつけられて、もうそんな風には思えないことに気付いた。
仕事が終わり公爵邸に行く理由を失い会えなくなる事に恐怖すら感じるほどエリーゼの心はクラウスでいっぱいになってしまっていた。クラウスと過ごす時間が楽しい程、終わった後の悲しみは大きくて押しつぶされてしまうかもしれない……。
もし自分が貴族のままだったらと考えたことがある。それでも子爵令嬢では公爵家のクラウスの隣にいる為の身分としては釣り合わない。結局は貴族であったとしても高すぎる身分差がそこにはあるのにましてや今は平民だ。
エリーゼは貴族であっても自身の爵位が高くないこともあり平民との隔たりを意識したことはなかった。ガラス工房のアレックスに対しても対等に接していた。だが、いざ爵位を返上し自分が平民になると貴族と平民の間にある絶対に越えられない壁を思い知らされる。
今まで買い物に行っていたお店でも平民になった途端入店を断られることもあったし、買いたい物も平民には売らないと見せてもらえない事すらあった。爵位を持たないものに対して人間扱いすらしないという高位貴族もいた。
実際に平民となってみれば馬鹿馬鹿しいでは済まされない現実がそこにはあるのだ。まるで生きる世界が違うと突き付けられた。
今日だってお昼を食べたお店の対応はクラウスだからこそだ。それを目の当たりにして驚きと……衝撃を受けた。
身分差を知っていたはずなのに、このまま側に居られることをどこかで期待していたのかもしれない。アデリアの言う通り勘違いして後戻りできないほど今エリーゼは傷ついていた。これほど愛おしい気持ちをクラウスに抱く前に距離を取り諦めるべきだった。
顔を上げれば目を真っ赤にした自分が鏡に映る。ふと思い出してクラウスから贈られた髪飾りを外し両手で包み込むように持った。
改めて見ればその髪飾りの澄んだ水色のガラスがクラウスのアイスブルーの瞳を思わせて無意識に手に取ってしまったのだと気づく。中の小さな花はクラウスの瞳の光彩のように綺麗だ。
それを贈られた自分は有頂天になっていたのではないだろうか。きっとクラウスには他意はなく純粋なお礼だったのに彼の瞳の色だと心のどこかで浮かれていた自分が哀れに思える。
髪飾りをドレッサーにそっと置いて涙を拭う。顔を洗ってそして……自分を取り戻さなければいけない。こんな顔をしていたらお屋敷の人に心配をかけてしまう。
目を閉じ深呼吸をする。これほど泣いたのだから今晩ぐっすり眠ればきっと気持ちも落ち着くはず。次に公爵邸に行くのは3日後だ。それまでにクラウスへの気持ちに鍵をかけ、本来取るべきだった距離で向かい合おうと心に決めた。それを想像しただけで再び涙が溢れ出す。
恋はドキドキして楽しいものだと思っていた。こんなに胸が苦しくなるなんて知らなかった。
エリーゼは未練を断ち切るように髪飾りをハンカチで丁寧に包むとそっと引き出しの奥にしまった。
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