二人が一緒にいる理由

四折 柊

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3.新しい名前

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 こんなはずじゃなかった。
 流行の歌劇を見て、そのあとはカフェに入って告白するつもりでいた。
 個室のあるおしゃれなカフェはデイジーから教えてもらっていた。そこで勇気を出して「好きです」とヴィクターに伝えるはずだった。すべてが台無しになってしまった。
 私は帰宅すると涙目になってベッドの上で膝を抱えた。

 ジェシカ様はとっても可愛らしい女性だ。話し上手で男子生徒たちからの人気もある。ヴィクターが好きになってもおかしくない。そういえばヴィクターはたくさんの女性から告白されていたが、どう返事をしたか聞いていない。
 ヴィクターの変わらない雰囲気にみんな断っていると思い込んでいた。けれど受けていた可能性もある。私に言わなかったのは照れ臭かったのか、もしくは今日打ち明けるつもりだったのかもしれない。
 あのあと、二人でお茶に行ったのかな。嫌だな。逃げなければよかった。

「もしかして、私……告白する前に失恋しちゃったのかな……」

 でもこのまま終わりたくない。ヴィクターから恋人ができたという報告を受けていない以上、ダメもとで打ち明けよう。(報告の義務はないが教えてくれると信じている)明日会ったらまずは先に帰ったことを謝って、それから告白してみる! 振られたらきっぱり諦め……られるかわからないけど、とにかくすっきりはすると思う。

 翌日、私は学校へ早めに行った。まだヴィクターは来ていないけれど早く謝りたかったのだ。でも告白は放課後にする。朝一番に振られたら授業を受けられなくなってしまう。

「ヴィクター、おはよう。昨日は先に帰ってごめんね。ちょっと体調が悪くて」
「キティ。おはよう。それはいいけど、具合はもういいのか?」
「うん。元気になった。えっと放課後話があるのだけど、いい?」
「ああ。わかった」

 ヴィクターは昨日のことを気にしていなさそう。いつもの柔らかい雰囲気のヴィクターに戻っていて安心した。
 側でデイジーが私たちを観察しながらニヤニヤしているのは思い過ごしだろう……。

 私の新しい計画は、昨日行くはずだったカフェに誘ってそこで告白する。ジェシカ様のこととか、ごちゃごちゃ考えずに自分の気持ちをぶつけるのだ。
 今日の授業は午前中だけ。そわそわしながら過ごして、ようやく放課後になった。

「ヴィクター。行きたいカフェがあるの。そこで話がしたのだけどいい?」
「ああ、いいよ」

 二人で教室に出ようとしたらヘイデン様に呼び止められた。

「キャサリン様。昨日は本当にありがとうございました。それで今日これから時間はありませんか? ぜひお礼をしたいのです」
「ヘイデン様。お気になさらないでください。それと今日はこれから約束があるので、ごめんなさい」

 そんなに気にしなくていいのに。丁寧な人だなあと感心した。ヘイデン様は側にいるヴィクターを無視したまま私ににこりと笑う。

「そうですか。それなら明日は? 明後日は?」
「え? あの……」

 ヘイデン様の執拗な誘いにさすがに困惑する。

「私はキャサリン様と親しくなりたいと思っています。委員会での真面目な姿も素敵でしたが、ミリーを助けてくれたことで、ますますあなたに好意を抱きました」
「え? 好意?」

 私は間抜けな声を出した。ヘイデン様の躊躇いのない言葉に驚きもあるが、それ以上に困惑が強い。まさか、これは私のことを好きだと言っているのだろうか? そんなはずないわよね? だって私はいまだかつて異性にアプローチを受けたことがないもの。

「そうだ。私もキャサリン様のことをキティと呼んでもいいですか?」
「それは嫌!」
「駄目だ!」

 間髪入れずに私とヴィクターの声が重なった。
 私はヘイデン様の提案に考えるよりも先に返事をした。「キティ」という愛称は両親とヴィクターしか呼ばない。それ以外の誰にも呼ばれたくない。それがたとえ親友のデイジーであっても。だからヘイデン様に許せるはずがない。
 ヘイデン様は私たちの揃った声と圧に背をのけ反らせた。そして肩を竦めると苦笑いを浮かべた。

「残念です。保護者殿がすごい顔で睨んでいるので、諦めて退散しますよ。ですがミリーのことは本当に感謝しています。ありがとうございました」
「は、はい。どういたしまして」

 ヘイデン様は踵を返すとそのまま去っていった。
 それより保護者殿とは何のことだろう? 不思議に思いながらヴィクターを見るとムッとした顔をしている。

「あの、ヴィクター。どうしたの?」
「……何でもない。行こう」
「う、うん」

 ヴィクターは私の手をぎゅっと握るとすたすたと歩きだした。手を繋ぐのは子供の頃以来でドキドキする。
 ヴィクターもヘイデン様が「キティ」と呼ぶのを断ってくれた。これは幼馴染としてではなく、私を特別に思ってくれていると受け止めてもいいのだろうか。胸の中に淡い……ではなく強い期待が込み上げる。

 お目当てのカフェはちょうど個室が空いていて入ることができた。
 まずはメニューを開く。不思議な名前のケーキやアイスが載っている。どんなものが出てくるのか楽しみだ。
 話は注文して食べて落ち着いたところで切りだそう。うん、うん。これは逃避ではなく、告白をするための心の準備なのだ。

(さて、何を食べようかな。なになに……えっと、月の王子様のお勧めチーズケーキ? どんな味かしら。海からの贈り物の爽やかアイス? これ、頼んで大丈夫かしら……) 

 私が眉間に皺を寄せ悩んでいるとヴィクターがメニューを閉じた。もう決まったのかとヴィクターを見ると真剣な顔で私をまっすぐに見ている。
 私はつられて居住まいを正す。ヴィクターは私と目が合うとゆっくりと口を開いた。

「キティ」
「はい」
「好きだ。私と結婚してほしい」
「……はい?」

 私は首を傾げた。ヴィクターを好き過ぎて幻聴が聞こえたのかも? 

「キティが好きだ。私と結婚してほしい」

 聞き違いじゃないし、幻聴でもないみたい。嬉しい。夢みたい。いや、現実でお願いします。

「はい。私もヴィクターが好きです。お願いします!」
「よかったあ」

 ヴィクターが相好を崩した。その表情を懐かしく感じた。だって初めて会った時の幼いヴィクターを彷彿とさせる笑顔だったから。思わず私も顔が緩んだ。というかにやけているのかもしれない。

 私たちはお互いの気持ちを知り、一安心すると注文をした。急に甘い雰囲気になるのではなく、いつも通りでいられることが嬉しい。

 私が注文したのは、女神さまの微笑みケーキ。きっとすごいデコレーションがされているに違いないと期待をしたが……それは普通のイチゴのケーキだった。ヴィクターが頼んだのは月の王子様のお勧めチーズケーキでこれもまた普通のチーズケーキだった。うん、名前負けで紛らわしいと思う。味は美味しいけれど……。不満を心にしまい、食べながらヴィクターにいくつかの質問をした。

 まずはジェシカ様のチケットについて。

「実はあの日の歌劇のチケット、私も買っていたんだ。それでキティを誘おうとしたら先に誘われてしまって、格好悪くて言えなかった。チケットがもったいないから友人に譲ったら、それが巡ってテイラー男爵令嬢の手に渡ったみたいだ。私が彼女にあげたわけではない。それとテイラー男爵令嬢から交際を申し込まれたが、その場で断っている。誤解しないでほしい」
「そうだったのね。わかったわ。あと公園でヘイデン様と話している時、どうして怒っていたの?」
「それは……キティがすごく楽しそうに笑っていたから嫉妬した」

 ヴィクターがむくれている。なんだかこそばゆい。でも私は楽しそうに笑っていたかしら? ヴィクターのことしか記憶にないわ。

「ヴィクターは私にプロポーズをしてくれたけど、我が家に婿入りしてくれるということでいいの?」

 これはとっても大事なことなので確認しないと。

「もちろん。クレイ子爵様にはキティがプロポーズを受け入れるならいいと許可をもらってある」
「ええっ!? いつの間に?」
「……それは内緒だ」

 少し照れた顔が可愛いから追及をするのは止めた。
 この日、私の片思いという恋の名前が、両想いという素敵な名前に昇格した。

 私は帰宅するとお父様とお母様に報告をした。二人とも「わかっていた」と言った。わかったではなくわかっていた? 首を傾げるとお母様が呆れ顔になる。

「キティは昔からヴィクター様が大好きだったでしょう? 会えた日は次に会えるのはいつなの? って毎日聞いてきたし、学園から帰宅してもヴィクター様の話しかしないじゃない。お父様はいじけていたわよ?」
「え……そうだった?」
「無自覚か。まあ、ヴィクター様はちゃんと筋を通す人だから、キティを託すことを心配していない。婿入りについてはアルバーン伯爵様も異存はないそうだから、キティにとってもいい話だろう」

 お父様は微妙に不本意そうだけれど納得した顔をしている。両親にヴィクターとの婚約を認めてもらえて安堵した。よかった~。
 驚いたことに私自身がヴィクターのことを好きだと気付く前から、両親には知られていたようだ。そうか、私昔からヴィクターのことが好きだったのね。ん? もしかして私、鈍いのかな……。
 しかも私はすでに外堀を埋められていた。すなわちヴィクターもずっと前から私を好きでいてくれたということだ! そうなると片思いだ、失恋だと悩んだ時間は一体……。まあ、いいか。幸せになってしまえば、それもいい思い出になる。

 翌朝、私はデイジーに報告した。

「やっとかあ。ヴィクター様も想い人が鈍感だと大変よね」
「私、鈍感?」

 やっぱりそうなのか……。

「そうよ。ヴィクター様は最初からキャサリンを特別に大切にしていたわよ? 悪い虫がつかないようにとガードを堅くして。そのせいで陰で『キャサリンの保護者』って呼ばれているし」
「そうだったのね……。でもそれなら教えてくれればよかったのに」
「キャサリンは人伝に告白を聞きたいの?」
「あ、ごめんなさい。嫌かも」

 確かに直接聞きたいし、直接伝えたい。
 気になっていたヘイデン様の保護者殿の言葉の意味も、ようやく知ることができてすっきりした。私は今までヴィクターに守られていたらしい。

「とにかく、おめでとう。結婚式には招待してね」
「ありがとう。もちろんよ」

 私とヴィクターの結婚式については、卒業後に詳しいことを決めることになっている。すごーく待ち遠しい。

「キティ。帰ろう」
「うん。デイジー、また明日ね」
「はいはい。また明日」

 デイジーに手を振るとヴィクターのもとに小走りで向かった。
 私が隣に並ぶとヴィクターが目を細め口元を綻ばせる。

 その顔を見て私の胸の中に、お日様のような温かい幸せが広がった。





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