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5.婚約者(エーリク)
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『エーリク。あなたにとっての真実の愛とはなに?』
『一生、一緒にいたいと思える相手、支え合える人への愛』
私は躊躇うことなくブランカにそう答えた。
ボルク侯爵家の長子として産まれた私は子供の頃、勉強も運動もずば抜けて優れていた。大人たちが神童だともてはやすほど。一を聞けば十を理解する、そんな子供だった。婚約者となったブランカとは気が合いすぐに仲良くなった。
「エーリクはすごいね。私も勉強頑張るね!」
「僕が頑張るからブランカはゆっくりでいいよ!」
一緒に学ぶようになるが、いつだって私はブランカの先を行く。そして彼女をサポートしてきた。それがいつのまにか逆転していた。身の内にあった優越感が劣等感へ転換したことに心が追いつかない。
年齢を重ねブランカが無邪気な笑顔を見せなくなると、それはまるで私の不出来を侮蔑しているように感じた。もちろん勝手な想像で被害妄想だったと今なら分かる。ブランカの変化は淑女としての慎みを身に付けた姿だった。
私たちはいつの間にかすれ違いそして婚約を解消した。そして今、私の隣にはフリーデがいる。
フリーデはアルホフ伯爵が愛人に産ませた子供でブランカの異母妹になる。二年前にブランカの母親が亡くなってからアルホフ伯爵家に入った。当初、私はフリーデがブランカに冷たく当たるのではないかと警戒した。
だがブランカを心配し声をかけても「大丈夫」というだけで私を頼ることはない。私はそんなに頼りにならないと情けなくなったが、きっと上手くいっているのだと思うことにした。
ある時、フリーデが私に近づいて来た。もちろん警戒したが涙ながらに助けを求められ振り払うことができなかった。
「お姉様は私を受け入れてくれないのです。私は仲良くしたいのに……平民の血が入っていると見下しているのです。お茶を飲んでいるだけで怒られてしまいました。私、どうすればいいのか……」
「理由があるのでは? ブランカは理不尽に怒ったりしないはずだ」
「でもお気に入りのドレスでお茶会に行こうとしたらそのドレスは駄目だと。綺麗な青い素敵なドレスだったのです。私、初めて招かれたお茶会で楽しみにしていたのに……置いて行かれてしまって……」
苦しそうに顔を歪め瞳に涙を浮かべる姿は庇護欲をそそられる。
だがそれだけで同情はできない。フリーデは裕福な平民として生きてきた。貴族としての生活に慣れていない。ブランカはフリーデの行動に問題があるから注意をしたはずだ。
でも、もし愛人の子供を憎んでいたら? 母親を亡くした途端愛人と子供たちを伯爵家に入れた父親に逆らえず、鬱憤をフリーデに向けた可能性もある。ブランカだって人間だ。常に感情を殺し、物分かりのいい振りをしていられない。そう考えるとフリーデの言葉が本当のような気がした。
――私は最近ブランカと話をしていない。
『一緒に頑張りましょう。今までエーリクは私を助けてくれていた。今度は私があなたを助ける。もし二人で悩んでも一緒に力を合わせれば解決できるわ』
『偉そうに言わないでくれ!』
上から目線に聞こえ苛立った。
ブランカと最後に一緒に勉強した時、私は理解できないところがあり頭を悩ませた。ブランカがそれを説明してくれたがそのことが悔しかった。慰めるような言葉が私のプライドを傷つけた。出来の悪い生徒を諭すような態度も気に入らない。
次第にブランカを避けフリーデと過ごすことが多くなった。周りから噂をされていることは知っている。ブランカにはフリーデとの距離が近すぎると注意されたが、気にし過ぎだと取り合わなかった。
「他に頼れる人がいないのです。エーリク様はいずれお義兄様になるのですよね? お願いします」
未来の義妹の相談に乗って何が悪い。私は悪くないと心で言い訳をした。
フリーデは母親が平民であり、長く平民として生活してきたことで周りの貴族たちに見下されると悩んでいた。自分が発言するとくすくすと小馬鹿にするように笑われる。もし産まれた時から伯爵令嬢として生活していたら馬鹿にされなかったはずだと泣いて訴える。
「私一生懸命頑張っているのに……誰も認めてくれないの。それじゃ足りない、もっと頑張れって、これ以上頑張れないわ」
フリーデの気持ちをエーリクは理解できた。エーリクは成長とともに勉強が理解できなくなった。それでも必死に努力した。家庭教師はもっと効率のいい学び方があるとエーリクの勉強方法を否定し矯正した。そのせいで全くついていけなくなってしまった。
「幼い頃はお出来になられたのに、成長とともに凡人になられたようですね。エーリク様はこれから人より何倍も努力しなければなりませんよ」
家庭教師の言葉にエーリクは俯いて膝の上の両手を強く握りしめた。「凡人」という言葉はエーリクの心を折った。自分は落ちこぼれだと宣言されたのだ。ブランカが励ましてくれても素直に受け取れない。きっと家庭教師のように呆れている。今のブランカはエーリクよりよほど優秀になったのだから、私の気持ちを理解できるはずがない。
目の前のフリーデはあの時のエーリクだった。必死に努力しても認めてもらえない可哀想な自分に重なった。
「フリーデはまだ貴族の習慣に馴染んでいないだけだ。時間が解決する。きっと大丈夫だよ」
優しく包み込むように慰めた。
「ありがとう。エーリク様」
「私も同じなんだ。一生懸命やっても足りないと追い立てられる」
「まあ! エーリク様でも? こんなに頭が良くて素敵なのに?」
フリーデはエーリクを尊敬の眼差しで見る。それは幼い頃にいつも周りから向けられていたもので、そしてずっと自分が欲しかったものだった。
「そんなことないよ」
「いいえ! エーリク様はすごい人です。だって平民の血が入っている私にも優しくしてくれるのですもの」
フリーデは会う度に私の素晴らしさと感謝の言葉をくれる。心が満たされ穏やかになった。ずっとフリーデといられたらいいのに――。
もちろん夜会などではブランカをエスコートしてダンスを踊る。でも心は冷えておざなりな態度になってしまう。そうそうにそばを離れフリーデとの会話を楽しむ。それからも私はフリーデに困ったことがあれば相談に乗った。フリーデを救うことで自分を救っていたのだ。
「お姉様はズルい……私がエーリク様と結婚したかったです……優しいエーリク様を好きになってしまいました」
「……」
私もだと言いそうになった。そして自分もそうなればいいと心の底で望んでいる。楽しい会話、尊敬の眼差し、フリーデとの時間はエーリクを満たした。このままブランカと結婚すれば、再び自信を失うだろう。
「エーリク様は私が嫌いですか?」
「嫌いなど……」
「では好き?」
「ああ、好きだ」
とうとう口にしてしまった。もう戻れない。そんな気がした。
「それなら婚約者をお姉様から私に代えてください。好き合う者同士が一緒になるべきだわ」
「それは簡単なことではないんだ」
「でも真実の愛の前にはすべてが許されるはずです!」
フリーデは強気だ。
「真実の愛……」
私は苦笑した。流行りのロマンス小説によく出てくる単語だが、実際に聞くと滑稽に思える。でも悪くない。形に見えないそれこそがブランカとの婚約を解消する正当な理由に思えた。
私はブランカと一緒にいることが息苦しかった。いつも追われているようで居場所がない。でもフリーデといると安心できる。これこそ真実の愛だと認識すれば違和感なく受け入れられた。
私はさっそく父に相談した。我が家とアルホフ伯爵家は共同事業を行っている。その関係で私とブランカは婚約した。ブランカとフリーデは姉妹、それなら交代しても問題ない。父は表情を消した。
「ブランカはこの家に嫁ぐために学び相応しい能力を有している。フリーデは? 見たところ貴族としてのマナーも危うい。駄目だ」
「ですが愛のない結婚など私には耐えられない。どうか、お願いします」
「エーリク。よく考えろ。必ず後悔するぞ」
「もちろん考えた上でお願いしているのです」
「そうか……。考えは変わらないのか?」
「はい!」
「はあ……。分かった。アルホフ伯爵が受け入れるのなら認めてもいい」
「父上! ありがとうございます」
私は逸る気持ちでアルホフ伯爵宛てにブランカとの婚約を解消したい旨をしたためた手紙を送った。翌日、問い合わせの手紙が父のところに届き激怒された。
「エーリク。物事には手順がある。勝手なことをするな!」
「ですが、父上は認めると……」
「……」
父は冷ややかな目で私を見ると黙って出て行った。執事によるとすぐにアルホフ伯爵に説明をしに行ってくれたようだ。そして正式にブランカとの婚約は解消され、フリーデと婚約した。
私とフリーデの結婚式は、もともとブランカと結婚する予定だった一年後に行うことになった。アルホフ伯爵も夫人もフリーデが嫁ぐことになってそれは喜んでいた。祝福される結婚に満足していたが雲行きが怪しくなったのは半年経った頃か。フリーデが我が家に嫁ぐにあたり、必要な勉強をさせていたのだが全く進まない。とうとう家庭教師が匙を投げた。
「フリーデ。これは必要なことなんだ。頑張って欲しい」
「だって……本当に必要なの? 侯爵家は伯爵家よりも偉いのにどうして勉強の内容がもっと厳しくなるの?」
「それは身分が高ければ責任が重くなるからだ」
「えっ? 変よ。身分が高いほど自由に振る舞えるはずよ」
「……どうしてそう思うんだ?」
私は愕然とした。貴族であれば身分に相応しい教養と振る舞いが求められる。それが平民より豊かな生活をする貴族の義務だ。フリーデはそれをまったく理解しようとしない。
「だって伯爵家に入る前に平民として生活していた時に街で見た貴族は、ものすごく我儘放題だったわ。平民を見下して暴言を吐いたりしていたもの。馬車で人に怪我をさせても心配するどころか腹を立て見捨てたのよ。暴力を振るう貴族だっていた」
確かに選民意識に強い上に傲慢な振る舞いをする貴族はいる。でもまともな貴族の方が多い。フリーデは誤解をしている。
「それは一部の貴族だ。本来そんな振る舞いは恥ずかしいことなんだ。身分の高い貴族は見本となるべき行動を取らなければならない」
「私が昔見た貴族は好き勝手にしていた。それなら私だって好きにしていいはずよ。今は貴族なのですもの!」
この国は身分制度がある。貴族と平民では存在の尊さが天と地の差ほどあると考える貴族が多い。だから平民をあからさまに見下す。平民として生きてきた時間が長いフリーデは平民か貴族でしか考えていない。貴族を一括りに悪だと考えいるようでは侯爵夫人としてやっていけない。フリーデは平民として生活していた時に見た貴族の振る舞いが貴族の基準だった。本気で「貴族は何をしても許される」と思い込んでいる。今の自分の振る舞いは平民の時に見た貴族たちよりもよほど上品だと言い張った。
フリーデは貴族に対して根本的に偏見がある。すべてが偏見とは言えないがこれを正さなければ貴族としての知識は理解できない。
私はふと気になり問いかけた。
「以前ブランカにお茶を飲んでいた時に怒られたと言っていたが、何を言われたんだ?」
「お姉様ったらティーカップをソーサ―に置いたときにちょっと音を立てただけで、音は立てない方がいいのよ、なんていうのよ。食器を置けば音がするのは当たり前なのに酷いでしょう?」
「……」
それは淑女マナーで学ぶはずだ。確かにフリーデは食事中に小さいけれど音を立てていることが多い。でも私の前で気兼ねなく過ごしているからで、人前ではきちんとしていると思っていた。これを社交場でされたら口さがない貴族たちに貶められるだろう。ぞっとした。
「……他にもドレスを注意されたのだったね?」
「ええ。あつらえたばかりの青いドレスを着たら着替えなさいって注意されたの。どうしてもこのドレスで行きたいっていったら置いて行かれてしまったの。酷いでしょう? アレンス公爵夫人に会うのをとても楽しみにしていたのに」
「アレンス公爵夫人……」
それはブランカの対応が正しい。頬を膨らませ愛らしく怒るフリーデを私は信じられないものを見るような目で見た。フリーデは招待してくれた家の情報を確認していないのか?
アレンス公爵夫人が青いドレスを好んでいるのは有名だ。夫人主催のお茶会に青いドレスを着ていくのはタブーとされているのは暗黙の了解で、私ですら知っている。
フリーデが出席していれば夫人の機嫌を間違いなく損なっていた。夫人は先代の王女で気位が高い。権力もあり不興を買うわけにはいかないのに……。ブランカが止めなければ大変なことになっていただろう。私は急に不安になった。
(これでやっていけるのか……)
『一生、一緒にいたいと思える相手、支え合える人への愛』
私は躊躇うことなくブランカにそう答えた。
ボルク侯爵家の長子として産まれた私は子供の頃、勉強も運動もずば抜けて優れていた。大人たちが神童だともてはやすほど。一を聞けば十を理解する、そんな子供だった。婚約者となったブランカとは気が合いすぐに仲良くなった。
「エーリクはすごいね。私も勉強頑張るね!」
「僕が頑張るからブランカはゆっくりでいいよ!」
一緒に学ぶようになるが、いつだって私はブランカの先を行く。そして彼女をサポートしてきた。それがいつのまにか逆転していた。身の内にあった優越感が劣等感へ転換したことに心が追いつかない。
年齢を重ねブランカが無邪気な笑顔を見せなくなると、それはまるで私の不出来を侮蔑しているように感じた。もちろん勝手な想像で被害妄想だったと今なら分かる。ブランカの変化は淑女としての慎みを身に付けた姿だった。
私たちはいつの間にかすれ違いそして婚約を解消した。そして今、私の隣にはフリーデがいる。
フリーデはアルホフ伯爵が愛人に産ませた子供でブランカの異母妹になる。二年前にブランカの母親が亡くなってからアルホフ伯爵家に入った。当初、私はフリーデがブランカに冷たく当たるのではないかと警戒した。
だがブランカを心配し声をかけても「大丈夫」というだけで私を頼ることはない。私はそんなに頼りにならないと情けなくなったが、きっと上手くいっているのだと思うことにした。
ある時、フリーデが私に近づいて来た。もちろん警戒したが涙ながらに助けを求められ振り払うことができなかった。
「お姉様は私を受け入れてくれないのです。私は仲良くしたいのに……平民の血が入っていると見下しているのです。お茶を飲んでいるだけで怒られてしまいました。私、どうすればいいのか……」
「理由があるのでは? ブランカは理不尽に怒ったりしないはずだ」
「でもお気に入りのドレスでお茶会に行こうとしたらそのドレスは駄目だと。綺麗な青い素敵なドレスだったのです。私、初めて招かれたお茶会で楽しみにしていたのに……置いて行かれてしまって……」
苦しそうに顔を歪め瞳に涙を浮かべる姿は庇護欲をそそられる。
だがそれだけで同情はできない。フリーデは裕福な平民として生きてきた。貴族としての生活に慣れていない。ブランカはフリーデの行動に問題があるから注意をしたはずだ。
でも、もし愛人の子供を憎んでいたら? 母親を亡くした途端愛人と子供たちを伯爵家に入れた父親に逆らえず、鬱憤をフリーデに向けた可能性もある。ブランカだって人間だ。常に感情を殺し、物分かりのいい振りをしていられない。そう考えるとフリーデの言葉が本当のような気がした。
――私は最近ブランカと話をしていない。
『一緒に頑張りましょう。今までエーリクは私を助けてくれていた。今度は私があなたを助ける。もし二人で悩んでも一緒に力を合わせれば解決できるわ』
『偉そうに言わないでくれ!』
上から目線に聞こえ苛立った。
ブランカと最後に一緒に勉強した時、私は理解できないところがあり頭を悩ませた。ブランカがそれを説明してくれたがそのことが悔しかった。慰めるような言葉が私のプライドを傷つけた。出来の悪い生徒を諭すような態度も気に入らない。
次第にブランカを避けフリーデと過ごすことが多くなった。周りから噂をされていることは知っている。ブランカにはフリーデとの距離が近すぎると注意されたが、気にし過ぎだと取り合わなかった。
「他に頼れる人がいないのです。エーリク様はいずれお義兄様になるのですよね? お願いします」
未来の義妹の相談に乗って何が悪い。私は悪くないと心で言い訳をした。
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「幼い頃はお出来になられたのに、成長とともに凡人になられたようですね。エーリク様はこれから人より何倍も努力しなければなりませんよ」
家庭教師の言葉にエーリクは俯いて膝の上の両手を強く握りしめた。「凡人」という言葉はエーリクの心を折った。自分は落ちこぼれだと宣言されたのだ。ブランカが励ましてくれても素直に受け取れない。きっと家庭教師のように呆れている。今のブランカはエーリクよりよほど優秀になったのだから、私の気持ちを理解できるはずがない。
目の前のフリーデはあの時のエーリクだった。必死に努力しても認めてもらえない可哀想な自分に重なった。
「フリーデはまだ貴族の習慣に馴染んでいないだけだ。時間が解決する。きっと大丈夫だよ」
優しく包み込むように慰めた。
「ありがとう。エーリク様」
「私も同じなんだ。一生懸命やっても足りないと追い立てられる」
「まあ! エーリク様でも? こんなに頭が良くて素敵なのに?」
フリーデはエーリクを尊敬の眼差しで見る。それは幼い頃にいつも周りから向けられていたもので、そしてずっと自分が欲しかったものだった。
「そんなことないよ」
「いいえ! エーリク様はすごい人です。だって平民の血が入っている私にも優しくしてくれるのですもの」
フリーデは会う度に私の素晴らしさと感謝の言葉をくれる。心が満たされ穏やかになった。ずっとフリーデといられたらいいのに――。
もちろん夜会などではブランカをエスコートしてダンスを踊る。でも心は冷えておざなりな態度になってしまう。そうそうにそばを離れフリーデとの会話を楽しむ。それからも私はフリーデに困ったことがあれば相談に乗った。フリーデを救うことで自分を救っていたのだ。
「お姉様はズルい……私がエーリク様と結婚したかったです……優しいエーリク様を好きになってしまいました」
「……」
私もだと言いそうになった。そして自分もそうなればいいと心の底で望んでいる。楽しい会話、尊敬の眼差し、フリーデとの時間はエーリクを満たした。このままブランカと結婚すれば、再び自信を失うだろう。
「エーリク様は私が嫌いですか?」
「嫌いなど……」
「では好き?」
「ああ、好きだ」
とうとう口にしてしまった。もう戻れない。そんな気がした。
「それなら婚約者をお姉様から私に代えてください。好き合う者同士が一緒になるべきだわ」
「それは簡単なことではないんだ」
「でも真実の愛の前にはすべてが許されるはずです!」
フリーデは強気だ。
「真実の愛……」
私は苦笑した。流行りのロマンス小説によく出てくる単語だが、実際に聞くと滑稽に思える。でも悪くない。形に見えないそれこそがブランカとの婚約を解消する正当な理由に思えた。
私はブランカと一緒にいることが息苦しかった。いつも追われているようで居場所がない。でもフリーデといると安心できる。これこそ真実の愛だと認識すれば違和感なく受け入れられた。
私はさっそく父に相談した。我が家とアルホフ伯爵家は共同事業を行っている。その関係で私とブランカは婚約した。ブランカとフリーデは姉妹、それなら交代しても問題ない。父は表情を消した。
「ブランカはこの家に嫁ぐために学び相応しい能力を有している。フリーデは? 見たところ貴族としてのマナーも危うい。駄目だ」
「ですが愛のない結婚など私には耐えられない。どうか、お願いします」
「エーリク。よく考えろ。必ず後悔するぞ」
「もちろん考えた上でお願いしているのです」
「そうか……。考えは変わらないのか?」
「はい!」
「はあ……。分かった。アルホフ伯爵が受け入れるのなら認めてもいい」
「父上! ありがとうございます」
私は逸る気持ちでアルホフ伯爵宛てにブランカとの婚約を解消したい旨をしたためた手紙を送った。翌日、問い合わせの手紙が父のところに届き激怒された。
「エーリク。物事には手順がある。勝手なことをするな!」
「ですが、父上は認めると……」
「……」
父は冷ややかな目で私を見ると黙って出て行った。執事によるとすぐにアルホフ伯爵に説明をしに行ってくれたようだ。そして正式にブランカとの婚約は解消され、フリーデと婚約した。
私とフリーデの結婚式は、もともとブランカと結婚する予定だった一年後に行うことになった。アルホフ伯爵も夫人もフリーデが嫁ぐことになってそれは喜んでいた。祝福される結婚に満足していたが雲行きが怪しくなったのは半年経った頃か。フリーデが我が家に嫁ぐにあたり、必要な勉強をさせていたのだが全く進まない。とうとう家庭教師が匙を投げた。
「フリーデ。これは必要なことなんだ。頑張って欲しい」
「だって……本当に必要なの? 侯爵家は伯爵家よりも偉いのにどうして勉強の内容がもっと厳しくなるの?」
「それは身分が高ければ責任が重くなるからだ」
「えっ? 変よ。身分が高いほど自由に振る舞えるはずよ」
「……どうしてそう思うんだ?」
私は愕然とした。貴族であれば身分に相応しい教養と振る舞いが求められる。それが平民より豊かな生活をする貴族の義務だ。フリーデはそれをまったく理解しようとしない。
「だって伯爵家に入る前に平民として生活していた時に街で見た貴族は、ものすごく我儘放題だったわ。平民を見下して暴言を吐いたりしていたもの。馬車で人に怪我をさせても心配するどころか腹を立て見捨てたのよ。暴力を振るう貴族だっていた」
確かに選民意識に強い上に傲慢な振る舞いをする貴族はいる。でもまともな貴族の方が多い。フリーデは誤解をしている。
「それは一部の貴族だ。本来そんな振る舞いは恥ずかしいことなんだ。身分の高い貴族は見本となるべき行動を取らなければならない」
「私が昔見た貴族は好き勝手にしていた。それなら私だって好きにしていいはずよ。今は貴族なのですもの!」
この国は身分制度がある。貴族と平民では存在の尊さが天と地の差ほどあると考える貴族が多い。だから平民をあからさまに見下す。平民として生きてきた時間が長いフリーデは平民か貴族でしか考えていない。貴族を一括りに悪だと考えいるようでは侯爵夫人としてやっていけない。フリーデは平民として生活していた時に見た貴族の振る舞いが貴族の基準だった。本気で「貴族は何をしても許される」と思い込んでいる。今の自分の振る舞いは平民の時に見た貴族たちよりもよほど上品だと言い張った。
フリーデは貴族に対して根本的に偏見がある。すべてが偏見とは言えないがこれを正さなければ貴族としての知識は理解できない。
私はふと気になり問いかけた。
「以前ブランカにお茶を飲んでいた時に怒られたと言っていたが、何を言われたんだ?」
「お姉様ったらティーカップをソーサ―に置いたときにちょっと音を立てただけで、音は立てない方がいいのよ、なんていうのよ。食器を置けば音がするのは当たり前なのに酷いでしょう?」
「……」
それは淑女マナーで学ぶはずだ。確かにフリーデは食事中に小さいけれど音を立てていることが多い。でも私の前で気兼ねなく過ごしているからで、人前ではきちんとしていると思っていた。これを社交場でされたら口さがない貴族たちに貶められるだろう。ぞっとした。
「……他にもドレスを注意されたのだったね?」
「ええ。あつらえたばかりの青いドレスを着たら着替えなさいって注意されたの。どうしてもこのドレスで行きたいっていったら置いて行かれてしまったの。酷いでしょう? アレンス公爵夫人に会うのをとても楽しみにしていたのに」
「アレンス公爵夫人……」
それはブランカの対応が正しい。頬を膨らませ愛らしく怒るフリーデを私は信じられないものを見るような目で見た。フリーデは招待してくれた家の情報を確認していないのか?
アレンス公爵夫人が青いドレスを好んでいるのは有名だ。夫人主催のお茶会に青いドレスを着ていくのはタブーとされているのは暗黙の了解で、私ですら知っている。
フリーデが出席していれば夫人の機嫌を間違いなく損なっていた。夫人は先代の王女で気位が高い。権力もあり不興を買うわけにはいかないのに……。ブランカが止めなければ大変なことになっていただろう。私は急に不安になった。
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