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9.閑話 その1 ラモンの事情
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※子供の亡くなる描写があります。苦手な方はご自衛ください。
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ラモンは籠の中のクッキーを無言で食べ進める。
(さっきのレーズンクッキーも上手かったが、この塩味が利いたのが一番いいな)
時折お茶を飲み喉を潤す。
「ラモン様。お菓子ばかり食べていないで書類の確認をお願いします。こちらにサインを」
無表情で書類を差し出すオリスにラモンは心の中で憐れんだ。
(こいつきっと何かやらかしたんだろうな)
このクッキーをエルシャがオリスのために作ってきたものだと知ったら、食べることが出来なかったことをさぞ悔しがるだろう。昨日のうちにエルシャの父、ロアルド・ボンノ伯爵から「明日うちの娘がクッキーを持ってオリス君を訪ねるからよろしく」と手紙が来ていた。
ラモンにとってもエルシャの顔を見るのは癒しになるので楽しみにして来るのを待っていたが、エルシャは部屋を訪ねることなく帰ってしまった。ちなみに宰相室と補佐室は続き部屋になっていて、エルシャが来たら自分に知らせるように伝えてある。
エルシャはクッキーの入った籠を渡さずに置いていった。エルシャを見知っている従者が忘れ物に気付きラモンのところへ持ってきた。エルシャがオリスに渡せなかったということは何かがあって声をかけられなかったということだ。先ほどマイヤー子爵令嬢が来ていて付き纏われていたからきっと何か誤解したに違いない。オリスは仕事は出来るが女性に関しては鈍感なところがある。
エルシャには幸せになって欲しい――――。ラモンの心からの願いだ。
ラモンとその妻ダニエラには特別な思いがあった。
二人にはベティーナという娘がいた。
この国では三歳になる娘には両親が幸福を願って小鳥の形をした何かを贈るしきたりがある。ダニエラは娘のために幸せを明るく導いてくれるようにと願いを込めて黄色い小鳥の縫いぐるみを作った。娘の誕生日を心待ちにして過ごしていたのだが、三歳を目前にベティーナは高熱を出しそのままあっけなく亡くなってしまった。ダニエラは信じないと半狂乱になりながら娘を抱きしめ離さなかった。
「ベティは生きているわ。ほら、あなたも触ってみて。体だって温かいのよ。きっとすぐに目を覚ますはず。もうすぐベティのお誕生日だからみんなでお祝いをしましょうね。……ねえ、ベティ。お母様がずっと一緒にいるから大丈夫よ。すぐに病気なんて治るわ。大丈夫……。だから……早く目を覚ましてちょうだい」
ダニエラは涙を浮かべながらベティーナが目を覚ますことを諦めようとしない。ベティーナの髪を幾度も優しく梳いて、愛おしそうに頬ずりをする。ラモンだって娘が死んでしまったことを信じたくない。このまま側にいられたらどんなにいいか……。ラモンはダニエラの背を撫でながら小さく囁いた。
「ダニエラ。残念だが……ベティはもう……。ベティが温かいのは君が抱きしめ続けているからだ。君だって本当は分かっているはずだ。このままではベティが天国に行けずに迷子になってしまう。だから、もう眠らせてあげよう?」
「いやよ……。信じない。ベティは生きているわ。神様、この子を連れて逝かないで。この子を離したくない……。私の可愛いベティ……お願いよ……お母様の側にいて……」
ラモンは根気よく妻を説得した。泣きながらようやく受け入れたダニエラは棺を閉じる最後に、誕生日のお祝いに贈るはずだった黄色い小鳥の縫いぐるみをベティの手の上に乗せた。それが目を閉じたままのあどけない顔をした愛しい娘との最後の別れだった。
その後ラモンは仕事に忙殺され悲しみを紛らわすことが出来たが、ダニエラには昨日の出来事のように悲しみが薄れることはなかった。ドムス家は喪が明けても笑顔が戻ることはなかった。笑わなくなったダニエラにラモンは寄り添い続けた。
ロアルド・ボンノとは学生時代からの付き合いでロアルドの妻であるメリアとも家族ぐるみで仲が良かった。メリアもダニエラを心配して度々様子を見に来てくれたが、ほどなくメリアが娘を出産した。それがエルシャだ。誕生して間もなくエルシャの顔を見に行ったが、ダニエラはベティーナを亡くしたことを思い出しエルシャを見るのが辛いとボンノ家とも距離を置いた。メリアも無理には会おうとせずダニエラをそっとしておいてくれた。
エルシャが三歳になる頃、ダニエラが青色の小鳥の縫いぐるみを作りあげた。ラモンは妻の急な行動に困惑を隠せない。
「ダニエラ。それは……どうしたんだい?」
ダニエラの瞳には少しだが生気が宿っていた。妻は首を傾げ小さく微笑む。それさえも久しぶりに見た笑みだった。
「ベティの夢を見たのよ。楽しそうに笑っていて……。きっと今穏やかにしているのね。私がいつまでも泣いていたら、おかあさまげんきをだしてって……。手に黄色い小鳥の縫いぐるみを持っていてくれた。私ったらいつまでもベティに心配をかけてしまって、情けない母親だわ。それでね。メリアの娘のエルシャがもうすぐ三歳のお祝いでしょう? だから小鳥を贈ってあげたくて。ベティの分もエルシャには幸せになって欲しい……今更、余計なお世話かもしれないけど……。メリアにも心配をかけてしまっていたわ。彼女は私がこの小鳥をエルシャに渡すことを許してくれるかしら?」
ラモンの目にも涙が滲む。そうかベティはダニエラを励ましに夢に会いに来てくれたのか。残念ながら自分の夢には現れなかったが、ダニエラが少しでも元気を取り戻したならそれでいい。
「ああ、大丈夫だ。きっと喜んでくれるさ。エルシャには青い小鳥にしたんだね?」
メリアもロアルドもずっと定期的にダニエラの様子を案じて手紙を寄越してくれていた。エルシャの誕生日に訪ねると言えば優しい彼らはきっと受け入れてくれるだろう。
「ええ。ベティには道を照らしてくれるようにと明るい黄色の小鳥にしたのだけど、エルシャには幸せの道案内の願いを込めて青色の小鳥にしたの」
「そうか。青い小鳥……。きっとエルシャを幸せに導く手伝いをしてくれる。二人でお祝いに行こう」
ラモンはダニエラと二人、エルシャの誕生日を祝うためにボンノ伯爵邸を訪れた。
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ラモンは籠の中のクッキーを無言で食べ進める。
(さっきのレーズンクッキーも上手かったが、この塩味が利いたのが一番いいな)
時折お茶を飲み喉を潤す。
「ラモン様。お菓子ばかり食べていないで書類の確認をお願いします。こちらにサインを」
無表情で書類を差し出すオリスにラモンは心の中で憐れんだ。
(こいつきっと何かやらかしたんだろうな)
このクッキーをエルシャがオリスのために作ってきたものだと知ったら、食べることが出来なかったことをさぞ悔しがるだろう。昨日のうちにエルシャの父、ロアルド・ボンノ伯爵から「明日うちの娘がクッキーを持ってオリス君を訪ねるからよろしく」と手紙が来ていた。
ラモンにとってもエルシャの顔を見るのは癒しになるので楽しみにして来るのを待っていたが、エルシャは部屋を訪ねることなく帰ってしまった。ちなみに宰相室と補佐室は続き部屋になっていて、エルシャが来たら自分に知らせるように伝えてある。
エルシャはクッキーの入った籠を渡さずに置いていった。エルシャを見知っている従者が忘れ物に気付きラモンのところへ持ってきた。エルシャがオリスに渡せなかったということは何かがあって声をかけられなかったということだ。先ほどマイヤー子爵令嬢が来ていて付き纏われていたからきっと何か誤解したに違いない。オリスは仕事は出来るが女性に関しては鈍感なところがある。
エルシャには幸せになって欲しい――――。ラモンの心からの願いだ。
ラモンとその妻ダニエラには特別な思いがあった。
二人にはベティーナという娘がいた。
この国では三歳になる娘には両親が幸福を願って小鳥の形をした何かを贈るしきたりがある。ダニエラは娘のために幸せを明るく導いてくれるようにと願いを込めて黄色い小鳥の縫いぐるみを作った。娘の誕生日を心待ちにして過ごしていたのだが、三歳を目前にベティーナは高熱を出しそのままあっけなく亡くなってしまった。ダニエラは信じないと半狂乱になりながら娘を抱きしめ離さなかった。
「ベティは生きているわ。ほら、あなたも触ってみて。体だって温かいのよ。きっとすぐに目を覚ますはず。もうすぐベティのお誕生日だからみんなでお祝いをしましょうね。……ねえ、ベティ。お母様がずっと一緒にいるから大丈夫よ。すぐに病気なんて治るわ。大丈夫……。だから……早く目を覚ましてちょうだい」
ダニエラは涙を浮かべながらベティーナが目を覚ますことを諦めようとしない。ベティーナの髪を幾度も優しく梳いて、愛おしそうに頬ずりをする。ラモンだって娘が死んでしまったことを信じたくない。このまま側にいられたらどんなにいいか……。ラモンはダニエラの背を撫でながら小さく囁いた。
「ダニエラ。残念だが……ベティはもう……。ベティが温かいのは君が抱きしめ続けているからだ。君だって本当は分かっているはずだ。このままではベティが天国に行けずに迷子になってしまう。だから、もう眠らせてあげよう?」
「いやよ……。信じない。ベティは生きているわ。神様、この子を連れて逝かないで。この子を離したくない……。私の可愛いベティ……お願いよ……お母様の側にいて……」
ラモンは根気よく妻を説得した。泣きながらようやく受け入れたダニエラは棺を閉じる最後に、誕生日のお祝いに贈るはずだった黄色い小鳥の縫いぐるみをベティの手の上に乗せた。それが目を閉じたままのあどけない顔をした愛しい娘との最後の別れだった。
その後ラモンは仕事に忙殺され悲しみを紛らわすことが出来たが、ダニエラには昨日の出来事のように悲しみが薄れることはなかった。ドムス家は喪が明けても笑顔が戻ることはなかった。笑わなくなったダニエラにラモンは寄り添い続けた。
ロアルド・ボンノとは学生時代からの付き合いでロアルドの妻であるメリアとも家族ぐるみで仲が良かった。メリアもダニエラを心配して度々様子を見に来てくれたが、ほどなくメリアが娘を出産した。それがエルシャだ。誕生して間もなくエルシャの顔を見に行ったが、ダニエラはベティーナを亡くしたことを思い出しエルシャを見るのが辛いとボンノ家とも距離を置いた。メリアも無理には会おうとせずダニエラをそっとしておいてくれた。
エルシャが三歳になる頃、ダニエラが青色の小鳥の縫いぐるみを作りあげた。ラモンは妻の急な行動に困惑を隠せない。
「ダニエラ。それは……どうしたんだい?」
ダニエラの瞳には少しだが生気が宿っていた。妻は首を傾げ小さく微笑む。それさえも久しぶりに見た笑みだった。
「ベティの夢を見たのよ。楽しそうに笑っていて……。きっと今穏やかにしているのね。私がいつまでも泣いていたら、おかあさまげんきをだしてって……。手に黄色い小鳥の縫いぐるみを持っていてくれた。私ったらいつまでもベティに心配をかけてしまって、情けない母親だわ。それでね。メリアの娘のエルシャがもうすぐ三歳のお祝いでしょう? だから小鳥を贈ってあげたくて。ベティの分もエルシャには幸せになって欲しい……今更、余計なお世話かもしれないけど……。メリアにも心配をかけてしまっていたわ。彼女は私がこの小鳥をエルシャに渡すことを許してくれるかしら?」
ラモンの目にも涙が滲む。そうかベティはダニエラを励ましに夢に会いに来てくれたのか。残念ながら自分の夢には現れなかったが、ダニエラが少しでも元気を取り戻したならそれでいい。
「ああ、大丈夫だ。きっと喜んでくれるさ。エルシャには青い小鳥にしたんだね?」
メリアもロアルドもずっと定期的にダニエラの様子を案じて手紙を寄越してくれていた。エルシャの誕生日に訪ねると言えば優しい彼らはきっと受け入れてくれるだろう。
「ええ。ベティには道を照らしてくれるようにと明るい黄色の小鳥にしたのだけど、エルシャには幸せの道案内の願いを込めて青色の小鳥にしたの」
「そうか。青い小鳥……。きっとエルシャを幸せに導く手伝いをしてくれる。二人でお祝いに行こう」
ラモンはダニエラと二人、エルシャの誕生日を祝うためにボンノ伯爵邸を訪れた。
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