37 / 51
雨桜
しおりを挟む
「女将、ここいらで傘を買えるところはあるかい?」
「旅館名の入った傘でよろしければお貸しできますが」
「いや、折り畳みのが欲しいんだ。軽いやつがいい。これから先もこういうことがあるだろうからね」
そういえばお客様は、桜前線と共に花見旅行をしているのだとおっしゃっていた。
ふと思い立って仕事を休んで九州を縦断中で、明日は大分、明後日には本州へ渡るとも。
そういうことならばと折り畳み傘の買える店をご紹介した。
「助かるよ。こんな天気だからね、昨晩も結局窓を開けようって気にはならなかったし、やっぱりあの部屋でも大丈夫だったよ」
こんな天気、という言葉に引っかかった。
昨日も今日も快晴で、天気予報でもここしばらく晴れ続き。降水確率もずっとゼロパーセントだから。
お客様のお名前をお聞きした際、念のためにと御札守りのお部屋へご案内したのも、思い過ごしではなく正解だったのかもしれない。
「失礼ですが鍋島様、こんなお天気というのはどのような……」
「遠雷だよ。昨晩、こっちに着いてからずっとゴロゴロ響いてる。見た感じよく晴れてはいるが、いつ降り出すかわかったもんじゃない。何なら今も聞こえているんだ。今日は唐津城の桜を見に行こうと思っててね、まあ雨と桜というのも風流だろうけどさ」
耳を澄ましてみる。
しかし私の耳には穏やかな春の朝の音しか聞こえない。雷めいた音など欠片も。
「あの、鍋島様……お話しは変わりますが、鍋島というご苗字ということは、もしやご出身はこの近くでございますか?」
「そう……らしいね。父方を辿ればこのあたり、というのは聞いたことがある。もっとも祖父が小さい頃に何かあったらしくてね、今の実家は北海道なんだ。曾祖父以前のお墓はこっちにあるらしいが、ご先祖様のお墓参りをしたくとも場所を教えてもらえなくてね」
これは間違いない。
「あの、鍋島様。悪いことは申しません。本日は外出をお控えなさるか、さもなくば次の目的地へと早々に立たれることをオススメいたします」
「変なことを言いだすね。遠いご先祖様の見た唐津城の桜はこの旅でも特に楽しみにしていたんだ」
鍋島様は眉をしかめるでもなくお笑いになる。
ご気分を害されなかったのは何よりだけど、冗談だと取られてしまったようだ。
私だって冗談で済ませられるのであればそれに越したことはない――けれども。
なぜ当旅館に「御札守りのお部屋」があるのかと言えば、遠い昔にも似たようなことがあったと聞いているから。
鍋島という名の客は必ずそこへ泊めろと、他にも障りを抱えていそうな客もそこへと。
部屋に御札と言えば「何か出るから」と気にされるお客様は少なくない。
でもここは「何も出ないように」と作られた部屋。
はめ殺しの小さな窓、壁は防音――実は二重で、間の壁に御札を貼ってある、いわば結界に守られた部屋。
「いえ、」
と言いかけた言葉を思わず呑み込んだ。
私にもゴロゴロが聞こえたから。
遠い昔に、鍋島のお殿様がかつて仕えていた主君を理不尽に亡き者にして領地を奪った事件――あの騒動にアレが絡む話は今では創作とされているが、地元では違う。
それに言及すると、それに絡むと、巻き込まれる――だから、なかったものとしているだけ。
心の中で唱える。先代女将より伝えられた呪い言葉を――かつぶし、かつぶし、私は関係ありません。
「では、いってらっしゃいませ」
精一杯の笑顔でお客様を見送り、目立たぬ場所に盛り塩ならぬ盛り削り節を用意する。
きっとあのお客様の所にだけ雨が降るのだろう。
その雨に濡れた桜は赤みを増してとても綺麗だとも伝わるけれど、私は絶対に見に行かない。
<終>
化け猫
「旅館名の入った傘でよろしければお貸しできますが」
「いや、折り畳みのが欲しいんだ。軽いやつがいい。これから先もこういうことがあるだろうからね」
そういえばお客様は、桜前線と共に花見旅行をしているのだとおっしゃっていた。
ふと思い立って仕事を休んで九州を縦断中で、明日は大分、明後日には本州へ渡るとも。
そういうことならばと折り畳み傘の買える店をご紹介した。
「助かるよ。こんな天気だからね、昨晩も結局窓を開けようって気にはならなかったし、やっぱりあの部屋でも大丈夫だったよ」
こんな天気、という言葉に引っかかった。
昨日も今日も快晴で、天気予報でもここしばらく晴れ続き。降水確率もずっとゼロパーセントだから。
お客様のお名前をお聞きした際、念のためにと御札守りのお部屋へご案内したのも、思い過ごしではなく正解だったのかもしれない。
「失礼ですが鍋島様、こんなお天気というのはどのような……」
「遠雷だよ。昨晩、こっちに着いてからずっとゴロゴロ響いてる。見た感じよく晴れてはいるが、いつ降り出すかわかったもんじゃない。何なら今も聞こえているんだ。今日は唐津城の桜を見に行こうと思っててね、まあ雨と桜というのも風流だろうけどさ」
耳を澄ましてみる。
しかし私の耳には穏やかな春の朝の音しか聞こえない。雷めいた音など欠片も。
「あの、鍋島様……お話しは変わりますが、鍋島というご苗字ということは、もしやご出身はこの近くでございますか?」
「そう……らしいね。父方を辿ればこのあたり、というのは聞いたことがある。もっとも祖父が小さい頃に何かあったらしくてね、今の実家は北海道なんだ。曾祖父以前のお墓はこっちにあるらしいが、ご先祖様のお墓参りをしたくとも場所を教えてもらえなくてね」
これは間違いない。
「あの、鍋島様。悪いことは申しません。本日は外出をお控えなさるか、さもなくば次の目的地へと早々に立たれることをオススメいたします」
「変なことを言いだすね。遠いご先祖様の見た唐津城の桜はこの旅でも特に楽しみにしていたんだ」
鍋島様は眉をしかめるでもなくお笑いになる。
ご気分を害されなかったのは何よりだけど、冗談だと取られてしまったようだ。
私だって冗談で済ませられるのであればそれに越したことはない――けれども。
なぜ当旅館に「御札守りのお部屋」があるのかと言えば、遠い昔にも似たようなことがあったと聞いているから。
鍋島という名の客は必ずそこへ泊めろと、他にも障りを抱えていそうな客もそこへと。
部屋に御札と言えば「何か出るから」と気にされるお客様は少なくない。
でもここは「何も出ないように」と作られた部屋。
はめ殺しの小さな窓、壁は防音――実は二重で、間の壁に御札を貼ってある、いわば結界に守られた部屋。
「いえ、」
と言いかけた言葉を思わず呑み込んだ。
私にもゴロゴロが聞こえたから。
遠い昔に、鍋島のお殿様がかつて仕えていた主君を理不尽に亡き者にして領地を奪った事件――あの騒動にアレが絡む話は今では創作とされているが、地元では違う。
それに言及すると、それに絡むと、巻き込まれる――だから、なかったものとしているだけ。
心の中で唱える。先代女将より伝えられた呪い言葉を――かつぶし、かつぶし、私は関係ありません。
「では、いってらっしゃいませ」
精一杯の笑顔でお客様を見送り、目立たぬ場所に盛り塩ならぬ盛り削り節を用意する。
きっとあのお客様の所にだけ雨が降るのだろう。
その雨に濡れた桜は赤みを増してとても綺麗だとも伝わるけれど、私は絶対に見に行かない。
<終>
化け猫
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる