深き血の村

だんぞう

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#6 盗難

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「聞いていい? 無糖ブラック、温かいの。どうしてそれを選んだのか」
 正直言うと俺がそれを好きだからだ。
 要らないと言われたら俺が二本飲めばいいし、熱いのいやなら冷ましてから飲めばっつってワンチャンあるかなと。
 だが池袋鮫はそんなカッコ悪い回答はしねぇ。
「冷えたのかなって思ってさ。ブラックは香りがいいからで、無糖にしたのはお子様扱いはしてねぇぜってことさ」
「まあ、合格かな。依頼人を車に閉じ込めてナンパしてた件は不問に付したげる」
「だからナンパじゃねぇって」
「どうだか?」
 ニヤニヤする紀子。
 うーん。
 これは少し釘刺しておくかな。
「紀子」
「なーに? お兄ちゃん」
「マジな話で聞いてくれ。俺がお願いしたことは守ってくれ。俺は紀子が約束を守ってくれている前提で動く。いざというとき、勝手なことをされていると守りきれねぇ恐れがある」
 紀子の表情から笑顔が消える。
「マジな話?」
「ああ。金が絡むと人間は少しだけ大胆になる。奥様はもちろん紀子を傷つけるつもりなんて毛頭ないだろうさ。だが、過去の事例から見て、自分の雇う人間を完全にコントロールできてねぇ甘さがある。そのつもりがなくとも強引な手段を取る恐れはあるし、往々にしてそういうときは事故が起きる可能性もあるんだ」
 紀子が不安そうな目で俺を見つめる。
「脅すつもりはない。だが、最悪の場合ってのを考えておくのと考えておかないのとでは、とっさに動けるかどうかにも影響がある。俺は紀子のことを守り抜く。それは誓っていい。だから協力してほしいんだ」
「……わかった」
 紀子は俺の袖をつかむ。
「頼りにしているよ、お兄ちゃん」
「まかせておけ」
 依頼人と一緒に行動するのって地味に疲れるな。
 俺は缶珈琲を一気に飲み干した。
 鼻腔の奥に残った香りが運転疲れを飛ばしてくれる。
 やっぱり珈琲は最高だな。
 本来ブラックって何も入れないことなのにわざわざ無糖ってつけちゃうセンス以外は。

 俺もトイレと一服を済ませて車へと戻ると、紀子は助手席で地図を広げていた。
陶蝶とうてふの資料をもとにすると、この街の近くだと思うの」
 特に耳馴染みも無い小さな街。
 だがとりあえずはそこへ向かおうと車を発進させる。
「旅館はなさげだが」
「何言ってんの。せっかくミニバンにしたんだから車でいいじゃない!」
「おいおい。依頼人をそんな目には合わせられないって」
 実はタバコを吸いたいからというのもある。
 紀子を乗せてからずっと車内では吸っていない。
「じゃあ、旅館で一緒の部屋に泊まってくれるの、お兄ちゃん?」
 わざとらしい媚売りな表情の紀子。
「そういうわけにもいかない。何もしなくとも、男と一緒に泊まったという事実は紀子の経歴に傷をつけかねない」
 依頼内容的にも、未成年という意味でも手を出したりはしないのだが、世間は実際に出さなかったかどうかでは判断しないからな。
「じゃあ……例えばあのお姉さんが追手で、女風呂で強引に私が拉致されたとして、ちゃんと助けにきてくれる?」
「ま、まぁな」
 ハードボイルドを目指している俺の声に動揺が出てしまった。
 確かに命がけで守るみたいなことは言ったが、社会的に死ぬのは可能な限り避けたい。
「ほーら。リスクを考えると車がいいじゃない」
「だがこの辺ではキャンプ用品も手に入らないだろ?」
「寝袋ぐらいはあるよ?」
「準備いいな」
 トランクが重たいだけのことはある。
 ぐぅ、と紀子は腹の虫で応える。
「街に着いたら、まずは昼飯でも食おう」



 件の街へと着き、街に唯一ではないかと思われるパーキングへ車を停めた。
 紀子の希望でバス停近くのレトロな喫茶店へと移動する。
 いや、レトロは褒め過ぎか。
 オンボロな喫茶店。
 古臭いドアベル付きの扉をカランコロンカランと開けると、奥の席へと案内された。
「うわー。このピザトーストって、パンじゃない?」
 アルバムみたいに分厚いメニューを眺める紀子のテンションが上がっている。
「ピザトーストなんて、そんなもんだろ」
「パンに乗ったピザなんて初めて! それに、ナポリタンあるなんて!」
「紀子……もう大学生なんだから、少し落ち着けよ」
「んー。お兄ちゃんこそ。いまだにパスタのことスパゲッティなんて呼ぶなんてあり得ないし」
「メニューに書いてあるだろ。郷に入りては郷に従えって言ってな。百軒店では『カレー』じゃなく『ムルギー』って言うんだぞ」
「あー。それ、大槻ケンヂやオザケンの好きな伝説のカレー屋でしょ?」
「知ってるのか? けっこう昔のネタだぞ?」
 あなどれん。さすがインターネット世代。
 年齢フィルターを超えた情報を平気で持ってやがる。
「お客様、ご注文は」
「ナポリタン!」
「俺は海鮮丼と珈琲」
「あ、私、ソーダーフロートも飲みたい!」
「ご注文はナポリタン一つ、海鮮丼一つ、ソーダーフロート一つ、珈琲はホットですか、アイスですか?」
「ホットで。食事と一緒で構わない」
「かしこまりました」
 戻ってゆくマスターの背中を眺めつつ、さり気なく他の客の様子を観察する。
 すると放っておかれたと思ったのか紀子が俺の腕をツンツンし始めた。
「お兄ちゃん。今度、連れて行ってよ」
「どこに?」
「ムルギー」
「なんで俺に頼むんだよ」
「お金いっぱい入るんでしょ? いいじゃない」
 ミンクちゃんと同じこと言うんだよな、自分の方がたくさん金持っているくせに。
「それにお兄ちゃんなら安心だし」
 そいつはありがたいが。
「じゃあ、さっさと帰って食いに行こうか」
「だめ」
 紀子の表情が一変して硬くなる。
「ここまで来て、仲間も居て、チャンスなんだから」
 手下ではなく仲間と表現するあたり、紀子はいい子だよな。
「そんなに大事なものか? その都市伝説」
「謎を解き明かすってのがどんなに素敵なことかわかってる? いーい? 紙媒体では確実に痕跡が残っているのに、ネットでは不自然なくらい情報が削除されまくっているの。ということは絶対に何かあるってことよ」
「面白おかしく書いた捏造記事の嘘がバレて、現在では誰も気にしていない、みたいな可能性は?」
 紀子は黙った。
「嘘なら嘘でいい。でも、それをちゃんと暴けば、この世から嘘を一つ消せるのよ」
「紀子は嘘が嫌いなんだな」
 無理もないか。
 多感な年頃だというのに両親揃っての不倫を知っている。両親の行為を家族への嘘ととらえたら、嘘に対するヘイトは溜めていてもおかしくない。
「お兄ちゃんはロマンが分からないのね」
 でもその言葉は見逃せない。
 ハードボイルドってのはロマンがなきゃできねぇものさ。
「ロマンってのはなそんなに安っぽいもんじゃないんだ」
「じゃあ、どんなのが、よ!」
 紀子の声が少し大きくなる。
「そうだな……失うものもなしに何かを得ようだなんてのは、ロマンじゃない、ってとこかな」
 危険だって心構えを、もう一度させておいたほうがいいか。
「……でも、いざとなったら、お兄ちゃんが守ってくれるんでしょ?」
「そりゃぁな。紀子の歩く歩道に突っ込んできた車からは守るし、紀子が車道へ自分から突っ込もうとしたらそれを止める。今は後者の守るを発動中だ」
 それに『ないこと』を証明するのはロマンじゃない。『あること』を証明することこそが、ロマンなんだ。
 ないことの証明ってのは簡単だ。途中で逃げ出しても「なかった」と言い張れる。
 逃げても成し遂げたとイコールになるなんておかしい話だからな。
 紀子は納得がいかない様子で唇を歪めた。
「でも、この街の近くにあるはずだもん。海辺の工場が」
「海辺の工場?」
 海辺の工場。
 なんだろう。この嫌な感じは。
 思い出せないということ自体もまた嫌な感じだ。
 そのとき紀子の「あ、」という声が聞こえた。
 目を上げた先に一人の男が走っていくのが見える。
 反射的に追いかける。
 そいつが抱えているのが紀子のリュックサックだからだ。
 後ろから「パソコン壊れないように!」と紀子の声。
 タックルする分けにもいかないか。
 とりあえずカバン優先――集中する――周囲の景色がゆっくりと流れてゆく気さえする。
 入り口まであと三秒。
 二秒。
 伸ばした俺の手の先、そいつは、突然バランスを崩したように、俺の方へ倒れてきた。
 まるで何かに弾き飛ばされでもしたかのように。
 慌ててその手からリュックを取り戻す。
 それから改めて前を見ると、喫茶店の入り口を大きな壁が塞いでいた。
「だいじょぶッスか?」
 壁と思ったのは一人の巨漢だった。
 下駄に着物、そしてマゲ。
 どう見ても相撲取りだ。
「ああ、助かりました。こいつひったくりでしてね」
 倒れた男に目をやる。
 無精ひげを蓄えているものの思ってたよりも若い――だが目は虚ろでどこか遠くを見ている。
 『奥様側』の追手――にしては、常軌を逸し過ぎている?
 すぐに人が集まってきた。
 中には警官らしき姿も見える。
「大丈夫ですか?」
 警官の声に反応して相撲取りが振り返った時、その一瞬のスキをついてその男は飛び起きて駆け出した。
 驚くようなスピード――しかも、時折飛び跳ねるような不自然な走り方。
「すまんス。取り逃がしてしまったッス」
「いや助かりました。このリュックがなくなったら、妹になんて怒られることか」
 喫茶店のマスターも話に加わる。
「今、お料理をお持ちしようとしたところで手がふさがっておりまして、すみません。お怪我や被害はございませんか?」
「はい、何事もなく」
 料理は紀子の待つテーブルへ運ぶよう、マスターへうながす。
「なんか尋常ではない目をしていましたね。この町の人じゃないと思います」
 警官と野次馬はあの男を追いかけて行ってしまったようだ。
「力士さん、ひょっとしてお忘れモノですか?」
 この力士はさっきまでこの店で食事していたということか――口のまわりにケチャップがついているし。
「福乃海ッス。ナポリタンのテイクアウトをお願いしたいッスが、できるッスか?」
「もちろんです!」
「あ、マスター、フクノウミさんのナポリタン、こっちにつけておいてください」
「かしこまりました! 大盛りはお店からサービスさせてください!」
 いそいそとカウンターの向こうへ戻るマスター。
 俺も紀子のもとへ戻らなくてはと、踵を返したその背中に。
「たいした活躍もできんかったのに申し訳ないッス」
 いい人だな。
「いえ、そんなことありませんよ。こちらこそたいしたお礼もできませんで」
 紀子のリュックを戦利品のように相撲取りに見せ、席へと戻る。
 紀子はすぐに俺の袖をぎゅっと握りしめる。
「私を一人にしないで……変なのがもう一人いたら、怖いじゃない」
 やけに小さな声。
「すまん」
 確かにその通りだ。今後は気をつけなくてはな。
「でも、ありがとう」
「守るって言っただろ」
「さ、さー! 冷めないうちに早く食べよっ!」
 紀子の声のボリュームが元に戻ったので、俺も安心して海鮮丼をかきこんだ。
「お兄ちゃん、何言っても怒らないし、いっつも一生懸命守ってくれようとするよね」
「仕事だからな。とはいえ今のは俺のミスだ」
「そんなことないよ。取り戻すことができればミスじゃなくなるんだから。雨降って地固まるって言うでしょ?」
「さんきゅ」
「頼りにしているから」
 嬉しそうな紀子の笑顔のせいで、妙に海鮮丼が進んだ。

「ごっつぁんッス!」
 ちょうど食べ終えた頃、フクノウミが手提げビニール袋を持って狭い通路をこちらへ向かってきた。
「この人がごちそうしてくれたッス」
 その声の直後、フクノウミの体の影から一人、ひょこんと顔を出した。
 目が合って、同時に「あっ」と声が漏れる。
 あのバイク美女だった。





● 主な登場人物

笹目ささめ洋介ようすけ
 笹目探偵事務所の所長。二十七歳。三島建設代表取締役の次女紀子のりこ捜索依頼を引き受けた。現在紀子と行動を共にしている。

・三島紀子
 三島建設代表取締役三島行男ゆきおの次女。伊豆の人肉腸詰工場の噂を追っている。

綯洗ないあら陶蝶とうてふ
 作家。伊豆の名家の生まれ。代表作は『魔女狩られ』と『海の王』。一作目は実際の事件を元にしたと言われ、二作目は遺作で断筆。

・福乃海
 喫茶店で紀子のリュックを持ち去ろうとした男を足止めしてくれた幕内力士。

・バイクの女
 美人でスタイルもいい。洋介に対し「どこかで会わなかった?」と尋ねてきた。福乃海の知り合いのようである。
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