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第1章 修学旅行編

第10話 天ケ瀬真冬という完璧才女

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「ちょっとセンパイ」

 不意に背中をポンと叩かれる。

「センパイさっき犬派って言いましたよね」

 ふと我に返れば。
 怪訝な視線で俺を見る葉月が。

「なに見入っちゃってるんですか」

「ああ、何というか、可愛いなと」

 俺が言うと、葉月は不満そうに口を曲げた。

「センパイ、実は猫派なんでしょ」

「だから俺は犬派だっての」

「えぇー、ホントですかー?」

 そこまで言われると自信はないが。
 俺は俺のことを犬派だと認識している。

 とはいえだ。
 天ケ瀬の猫は非常にキュートだった。
 それは紛れもない事実である。

「でもまあ、案外猫も悪かないな」

 正直に言えば、葉月はムスッと顔を顰めた。
 そして耳に響くような甲高い声で。

「てことはやっぱり猫派じゃないですか!」

 と、『猫派絶対許すマジ』的な一言を。

 一言褒めただけで猫派になるって。
 こいつの脳内CPUどうなってんだよ。

「センパイはいつも優柔不断すぎるんですよ」

「なんだよいきなり」

「さっきサーティーフォーでアイス買った時だって、二段目何にするかずっと悩んでましたし」

「仕方ねぇだろ。バニラもチョコクッキーも好きなんだからよ」

「ならその二つにすればよかったじゃないですか」

「それは無理だ。なぜならチョコミントは外せないからな」

「じゃあトリプルにすればよかったでしょ」

「え、何、あの店三段にもできんの?」

「できますよ。前に並んでたカップルがしてたでしょ」

 マジかよ……全然気づかなかった。

「てか、知ってんなら先に教えろよ」

「知りませんよそんなの」

 まるで説教されている気分だった。
 やがて葉月は、ふんっ、とそっぽを向く。

「聞かなかったセンパイが悪いです」

 え、何この子、マジムカつくんですけど?
 ちなみにさっきのアイス代出したの俺だからね?

「ふふっ」

 と、突然すぐ隣で笑い声がした。
 そちらを見れば、天ケ瀬はハッとして。

「ごめんなさい。何だか微笑ましくて」

 と、よくわからないことを。
 微笑ましい? 一体絶対どの辺りが?

「二人は凄く仲がいいんだね」

「べ、別に、んなことは」

 でもなぜだろう。
 天ケ瀬の言葉は妙にむず痒く感じられた。

 いつも通りのプロレスのつもりだったが。
 流石に天ケ瀬の前でこのノリはまずかったか。

「てかさ、なんでお前まで照れてんの」

「べ、別に照れてないです。変な勘違いやめてください」

 俺が言えば、葉月は明後日の方を向いた。
 照れてないという割には、お顔が赤いですけどね。

「もしかして二人は恋人同士だったりする?」

「こいつと俺が? いやいやないない……グホッッ!!」

 予告なしの鈍痛。
 俺のわき腹に強烈な拳がねじ込まれた。

「てめぇ……いきなり何しやがる……」

「ふんっ」

 睨めばすぐにそっぽを向いた暴力女。
 人殴っておいてなんで不機嫌なのこの人?

「だ、大丈夫……?」

「あ、ああ。いつものことだから」

 ほら、天ケ瀬が困ってるだろ。
 これでもし変な勘違いされたらどうすんだよ。

「二人は本当に仲良しなんだね」

「んなことは……」

 んなことはない、と言いかけて。
 隣から殺気を感じ、俺は即座に軌道修正する。

「……あるかもしれないです、はい」

「うんうん。なんかそんな感じする」

 すると天ケ瀬は微笑み混じりに頷いた。

「でもよかった。井口くんクラスではあまり話してるとこ見ないから」

「ま、まあ……俺ってほら、影に好かれてるってか、もはや透明人間っていうか」

 いきなり何言ってんだよ俺。
 このタイミングの自虐はキモいにも程があるだろ。

「そうですね。存在を消すのがセンパイの特技みたいなものですからね」

「そういうお前はもっと存在を自重しろ。あと口」

 他人からの悪口は許さない俺である。

「私委員長だけど力不足なところあるから」

 そう言うと天ケ瀬は、葉月にそっと微笑みかけた。

「葉月さん、これからも井口くんのことよろしくね」

「ま、まあ。一応善処はしますけど」

 流石の葉月も、天ケ瀬に頼まれては頷くしかないらしい。
 こいつのこんなしおらしい姿、初めて見たよ。

「それじゃ私はそろそろ行くね」

「お、おう。またな」

 ひらひらと手を振って店の奥へと消えていく。
 そんな天ケ瀬の去り姿を見て、葉月はポツリと呟いた。

「いい人ですね」

「ああ、そうだな」

 どっかの誰かさんと違ってね。

「センパイってああいう感じの人好きそう」

「は、何だよいきなり」

「実際のところセンパイは、天ケ瀬先輩のことをどう思ってるですか?」

 どうって、そんなの。

「ただのクラスメイトだろ」

「ホントにそれだけですか?」

 しつこいなこいつ。

「まあそうだな。強いて言うなら胸が……グゴッッ!!」

 さっきより強烈な拳が俺の溝内にヒット。
 わき腹ならともかく……溝内はダメでしょ!?

「せ、背が高くてスタイルがいいなぁーと」

「そうですよね。学校中の憧れですよ、天ケ瀬先輩は」

 痛みを堪えながら言うと、葉月はうんと頷いた。

 顔も良し、スタイルも良し、おまけに性格も人当たりも良し。バレー部では二年生ながらエースで、成績だって常に学年上位。

 まさに非の打ち所の無い完璧才女。

 俺も人生で一度くらいは、あんな女性とお近づきに……なんて思わないこともないが。

「まあハッキリ言えるのは、俺とは住む世界が違う人間ということだな」

「そりゃあセンパイと比べたらそうですよ」

 完璧すぎて隣を歩くことすらはばかられる、というのが脇役モブとしての正直な感想だった。

「こうしてみると、なんだかんだお前くらいが丁度いいのかもな」

「何ですかそれ。ぜんぜん褒められてる感じしないんですけど」

 そりゃ半分は皮肉だからね。

「ていうかセンパイ。私お腹すいちゃいました」

「そういや昼飯まだだったな。ぼちぼちどっか食い行くか」

「ちなみにわたしはラーメンが食べたいです」

 ラーメンね。
 まあ悪くない案なのではないでしょうか。

「センパイの奢りで」

「はっ!? 奢り!?」

 しれっと出たその言葉に、驚愕の俺。

「なんですかその反応」

 いやいや。
 なんですかはこっちのセリフなんだが。

「一応さっきのアイス代、俺が全部出したんだけど」

「はい、なのでその流れでお昼もご馳走してもらおうかと」

 お前の辞書に遠慮という概念は載ってないわけ?

「ラーメンなんて千円もあれば食えるだろ。そんくらい自分で払えよ」

「千円で済むなら、一人分多く払うくらい変わりませんよね?」

 んなわけあるか。
 コンビニバイトの時給舐めんな。

「俺は絶対奢らねぇからな」

「わたしだって、ぜーったい財布開いてあげませんから」

 こうして運命のじゃんけんが勃発。
 その結果、結局俺がラーメンを奢る羽目に。

 じゃんけんに勝ったのをいいことに、トッピングのバター、追加で餃子、おまけにデザートの杏仁豆腐まで注文した『たかり魔』葉月。

「あのさ、時々思うんだけど、お前ってもしかして人の心ないの?」

「敗者は黙っててください。さもなくばクリームソーダも追加しますよ」

「黙るのでこれ以上は勘弁してください」

 やはりこいつは悪魔だと確信する俺であった。
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