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第1章 修学旅行編

第13話 小悪魔に見送られモブは旅立つ

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「いってらっしゃい」

「おう、行ってくる」

 翌朝。
 俺は陽葵に見送られて家を出た。

 右手にはやたらとデカいキャリーバッグ。背中には陽葵に貰ったお菓子やジュースでパンパンに膨らんだリュックサックを背負い、よたよた歩きで学校へと向かう。

 あまりに大荷物だと思った。
 これではまるで、上京して一人暮らしを始める大学生だ。

 3泊4日なんだよなぁ……とか思いつつも、きっとこれは陽葵なりの気遣いなのだろう。形はどうであれ、俺を心配してくれるその気持ちは素直に嬉しかった。

「お土産、奮発しないとな」

 そんなことを考えながら通学路を辿る。

 家を出てから僅か数分。

「センパイ」

 やがて俺は、背後から飛んできたその声で立ち止まった。

「え、どしたん、お前」

「おはようございます、センパイ」

 振り返ればそこには、ラフな格好の葉月が。

「こんな朝早くに散歩?」

「み、見送りに来たんですよ」

 葉月はそう言うと、バツが悪そうに視線を下げた。
 見送りとか、こいつにしては珍しく律儀だな。

「思ったより荷物あるんですね」

「そりゃどっかの誰かさんが余計なものばかり買わせるからな」

 まあ大半は陽葵からの献上品ですが。

「おかげでお土産用の隙間がない」

「ダメですよ。ちゃんとお土産は買って来てもらいますからね」

「へいへい。わかっとるわかっとる」

 まったく、どこまでがめつい奴なんだ。
 まさかこれを言いに来たわけじゃあるまいな。

「でもよかったです」

 やがて葉月はうんと頷いた。

「センパイが修学旅行いく気になってくれて」

「一応高校生活最大のイベントではあるしな」

「そのビッグイベントを欠席する気満々だったのは、どこの誰なんですかね?」

「仕方ないだろ。最初はマジで行きたくなかったんだから」

 正直に言うと今もなお行きたくはない。
 俺はただ、俺の中にある義務感に従っているまでだ。

「その冷めた気持ちを変えたのは、わたしの熱意だったり?」

「ちげぇよ。ただの恐怖心だ、恐怖心」

 プラスで立花先生のこともある。
 もし俺が修学旅行を欠席でもしたら……きっとあのババアは、死刑と同義のとんでもない罰を与えてくるだろう。考えただけでも怖すぎる。

「そういえば、晴れてよかったですね」

 葉月は隣で空を見上げながら言った。

「今週はずっと晴れっぽいですよ」

「なんだ、台風直撃しないのかよ」

「どういう意味で言ってますそれ?」

 台風が直撃して修学旅行は中止。
 とかなったら、マジ最高だったんだけど。

「晴れちまったもんは行くしかないわな」

「晴れてなくても普通は行きますよ……」

 ここで目の前の信号が赤に。
 俺たちの間をつかの間の沈黙が漂う。

「そういやお前、珍しい恰好してんのな」

「そうですかね? 別に普通だと思いますけど」

 俺が指摘すると、葉月は両手を広げて恰好を見せた。

 何というか、随分と薄着だなと思った。
 一応上着は羽織っているが、それでも下は、太もも中間までのショートパンツのみ。ガードが堅いで有名な葉月が、こんな格好で外出するのは少し意外だ。

「なんですか、センパイ」

 やがて葉月はニヤニヤ顔で俺を見た。

「もしかして今、わたしの部屋着姿に欲情してます?」

「してねぇよ、バカか……」

 何を言い出すかと思えば……ガキが思い上がりやがって。

「そんな細っこい身体に欲情するわけあるか」

「えぇー? 絶対今欲情してましたよねー?」

「うぜぇぇ……」

 うりうりと肘を押し付けてくる葉月。
 朝っぱらからこのノリ……マジで腹立つ。

「いい加減にしろ」

 俺は開いていた手でその肘を祓い除けた。
 そして今だ緩んだ顔の葉月に包み隠さずこう言う。

「あいにくと俺は、つるぺたに欲情するほど夢を捨ててはいない」

「つ、つるぺた……?」

 すると葉月は目を丸くしてピタリと静止。
 攻撃力皆無な自分の胸部を絶望顔で見下ろしていた。

「それとお前、その頭どうした」

 俺は追加で奴の後頭部を指さす。

「うしろ、凄いことになってんぞ」

「……っっ!?」

 そこにはまるでコ〇ン君のような寝ぐせが。
 それを自覚した瞬間、葉月はぽっと顔を赤くした。

「こ、これはその……急いでたのでつい」

「いつも遅刻ギリギリなくせに、無理に早起きするからそうなるんだ」

「べ、別にいいじゃないですか、近所なんですから」

 寝ぐせを両手で整えながら葉月は続ける。

「それに今日はたまたま早く起きちゃっただけですので」

「たまたまねぇ……」

 そう言うけど君、たまたま早起き出来るタイプじゃないよね。どうせ土産を催促するために、頑張って早起きしたんだよね。

「そういうセンパイこそいいんですかね」

「何が」

「こうしてわたしが来てあげなかったら、見送りゼロになるところでしたよ?」

「ついさっき陽葵に見送られたからゼロじゃないし」

 俺が言えば、葉月は露骨に顔を顰めた。

「また妹ですか。ほんとシスコンですね、センパイは」

 そして、はぁ、とため息を溢す。
 この流れで罵倒されるのかと思いきや。

「とにかくあれです。怪我と事故にはくれぐれも注意ですからね」

「お気遣いどうも」

 急にまともなことを言いやがる。
 意外と気遣いとか出来るのな、こいつ。

 まもなくして。
 目の前の信号が青に変わった。

「それじゃわたしはこのへんで」

「おう。見送りご苦労さん」

 ひょいと手を上げ、俺は独り横断歩道を渡る。一度止まって休んだからか、右手のキャリーがやけに重く感じられた。

「センパイ」

 と、数歩進んだところで呼び止められる。

 まだ何かあるのかよ。
 なんて思いながら振り返れば。
 視界の中の葉月は妙に穏やかだった。

「なんだよ」

 折り返したが言葉はない。
 葉月は神妙な面持ちで、俺の足元ばかりをじっと見ている。

「用がないなら行くぞ」

 しびれを切らし葉月に背を向けた俺。
 信号が赤になるのと同時に横断歩道を渡り切った。

 丁度その時。

「楽しんできてくださいね!」

 後ろから活気に満ちた声が飛んできた。
 俺は再び足を止め、向こう岸の葉月を見やる。

「お土産も忘れちゃダメですよ!」

 そこにはいつも通りの奴がいた。
 一瞬みせた神妙なそれとは違う。
 俺が見慣れた、奴らしい快活で眩しい笑み。

「ぬいぐるみ、期待してますからねー!」

 ひらひらと手を振るその幼気いたいけな姿は、寝不足+修学旅行でテンションが低めの俺とは、全くの真逆であると言えた。

 しつこい奴を前に俺は嘆息する。
 そして「ふっ」と小さく鼻を鳴らし。

「いいからお前は帰って学校行く準備しろ」

 それだけ言い残して、俺はまた歩き出した。

 この時、右手のキャリーは不思議と軽かった。
 歩道の凸凹が少ないからか、それとも別な理由か。

「仕方ねぇ。土産買って来てやるか」

 こうして俺の修学旅行は幕を開けるのだった。
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