捻くれ者

藤堂Máquina

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ひねくれもの9

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セマナサンタの後、社長は私が殆ど外に出なかったことを叱咤した。
私の休日だ。
私の好きにさせてほしい。
まさかプライベートにまで口を出されるとは思っていなかった。
そもそも今は雨季だ
配車アプリも使えない状況だったために雨の中外に出たいとは思わなかったのだ。
それからしばらくそのことを社長に言われ続け、理不尽に叱られ続けた。
「携帯電話を持っていない人は外出できないのか」ともっともらしく言われたが、私にはまだこのあたりの地図やバスの路線図も頭に入っておらず、治安的な意味での外での振舞い方も理解していなかったために、何かあった場合はどうするのかと思った。
実際後に来た日本人の教師は、家の門からたった20メートルほどしか離れていない場所で携帯電話をひったくられているため安全とは言い難い環境である。
それ故家にいる時間というのは長かったが、家にいるからと言って何もかも良かったわけではない。
特に私が借りている部屋だ。
窓の無い部屋は私にはストレスになっていた。
食事にもお金を請求され、そうかと言って冷蔵庫なども自由には使えない。
家族は優しかったが、環境は良く無かった。
私が住んでいる間に年老いた例の犬が亡くなってしまったのもそう言う気を起こさせる原因になっていたのかもしれない。
私は日頃からこの家を出る機会伺っていた。
着いた当初に一ヶ月分のお金を払ってしまっていたので何事も無ければその時に社長に伝えるつもりであった。
しかし社長としては引越しを面倒くさそうにしていたため言いにくかった。
私の思惑が叶ったのは周りの先生に引越しの話を頻りに話していた頃であった。
その日は四月最後の週で、私の授業は奇跡的に夜だけであった。
確か雨も降っていた。
それは私が授業のある夜まで家にいたために起きたことでもあった。
家にいたのは私とホストファミリーの兄弟、そして家の使用人だけであった。
昼前に私がキッチンへ行った時だ。
そのお手伝いさんは私に何か話しかけた。
いつもだったら挨拶を交わす程度だったが、その日は状況が違った。
どこか緊迫した様子で私に何かを言っている。
この頃になると簡単な挨拶はできたが、それでもスペイン語はできないに等しかった。
必死で何かを訴えかける彼女の言うことをよく聞いていると何かお金を請求されているような気がした。
私にお金を請求される謂れはなかった。
若干の恐怖を感じたのは事実だ。
知らない国でホストファミリーがいない間にお金を払えと言われている。
お金は私にとって、いや、誰にとっても生命線だ。
私は少し待つように言うと自室に戻った。
その日、私はメロンパンを作るつもりだった。
今回で二回目であり、一回目は二次発酵までさせた上で失敗した。
今回はその反省点を踏まえて挑戦しようとしていたのだ。
キッチンには既に材料が並べられていた。
そのため一刻も早くそこへ戻りたかった。
とりあえず私はホストファミリーへメッセージを送り、そして戻ることにした。
私が小麦粉を捏ねていると再びお手伝いさんが私の元へと訪れた。
お金を請求してきている。
私は携帯電話を見せ、今ホストファミリーにメッセージを送ったと伝えた。
しかしお手伝いさんはその必要はないと訴えた。
私には理由がわからなかったので頑なにお金を渡すことを拒否した。
その時の私の推測だが、ホストファミリー以外にもお金を払う必要があるのかもしれないと思った。
家に入れるだけではなく、お手伝いさんにも渡さなければならないかもしれない。
確かに間接的ではあるものの、私の衣服を洗濯してくれているのも、時折食事やコーヒーを用意してくれているのもこのお手伝いさんである。
チップのような意味で払うのか。
しかし考え直す。
はじめに支払いの条件を決めていたためそんな約束はない。
やはり他の人の意見を聞くのが先だろう。
お手伝いさんにもそう伝えるとまた必要はないと拒否された。
このやり取りが何回かあった。
私は憤慨した。
私がスペイン語を話せないのは良くない。
しかしだからと言って話を聞く姿勢がないのは理解できない。
私が話す時には翻訳したものを見せていたからコミュニケーションが全く取れない訳ではない。
それでも私の話を聞こうとしないのはおかしい。
私は捏ねていた生地をボウルに勢いよく叩き込むと部屋に戻り、やはり勢い良く扉を閉め、鍵をした。
その後、私のしたことと言えば奥の手にとっておいた「学校への連絡」であった。
前述の通り、私が恐怖を感じたのも事実だが必要以上に怯えているように話した。
このようなことをしないと引越しできないように思えたからである。
数分後、お昼前、家に訪れたのは社長であった。
社長が来てからも私は暫く部屋に籠っていたが、ドアのノックされた手前、出て行かない訳にはいかなかった。
社長はお手伝いさんに事情を聴き、その頃にはホストファミリーも到着していた。
話を聴くに、お手伝いさんはお金を借りたかったそうだ。
わかる訳がない。
お手伝いさんのお母さんが病気のようで、少しお金が必要だったらしい。
しかし、私にはそれが理解できなかった上に、多少強引にお金を請求されたことを伝えると社長はホストファミリーと何やら話していた。
そしてその後私にこの家を出たいかと聞いてきた。
私はあえて考えた振りをしてから、「争いのあったところには落ち着いていられない」と伝えた。
流石に社長もそれを認めた。
私はそのまま社長の車の助手席に乗り込むと全ての所持品を携えて学校へ向かった。
引越しされるのが面倒なのか、社長はしきりに「引っ越したからと言って必ずしも環境がよくなる訳ではない」と言っていた。
少なくとも今よりはマシだ。
それから数時間後である。
私の新しい滞在先が決まった。
その家は本来次の先生のために用意していた家らしい。
実際早ければ一ヶ月以内に新しい方が来るかもしれないと伝えられていた。
その家に移るようだ。
そんな家があるならば私が到着した際に選択肢をくれればよかったのに。
因みに新しい先生と言うのは三人おり、一人は私と同じくらいの歳らしい。
私は大学の卒業式の後すぐにここへ来たが、二ヶ月余り遅れて来るのにはどういった理由があるのだろう。
色々考えても楽しみであった。
話しを戻すと、私の新しい滞在先と言うのは前の家からかなり南にあった。
100番道路と言う大きな通りが近くにある、前よりも賑やかな地区だ。
学校まで直線距離で言えば前の家から学校までとそう変わらなかったが、前の家は言われていたよりもずっとたくさん歩かなければならなかったため、とても毎日歩ける距離ではなかった。
途中にある橋の近くは人通りが少ないから通るなと言われていたのだ。
これを避けて行こうとするとかなりの迂回が必要だ。
その橋を通れば四十分程度で歩ける距離であったものの、迂回することによって一時間ほど要する。
通勤がそれと言うのはかなり苦痛で毎日配車アプリを使っていた。
その点今回の家からはかなり直線に近いように道が走っており、計っても三十分で歩くことができた。
その家は前に住んでいた平屋と違い、大きなマンションの一室であった。
家主は多分三十歳くらいの親切な夫婦であり、どちらもイラストレーターであった。
家の中を見て回ると独創的な絵画が飾っており、彼らの作品と彼らの友人の作品とで溢れていた。
私が与えられたのは使っていない一室であり、マンションの六階からの景色はとても良かった。
前の家とは随分と待遇が違う。
同じ金額で食事まで用意してくれるという。
球であったためとりあえず空気を入れるタイプのベッドで我慢してほしいと言われそれを使うことになったが、十分満足できるものであった。
そもそも私はそれほど寝る場所を選ばない。
寝つきが良いとは言えないものの、布団の中に頭まで潜ってしまったらそのうち寝てしまうことができた。
この家が私を満足させたことのもう一つあった。
それは猫がいたのだ。
私は猫が好きだった。
日本の実家にもいた。
この家には二匹いた。
人に慣れているブチ猫とかなり臆病な黒猫であった。
結局私がこの家を出るまでにこの黒猫を触ったのは数回だけだ。
それでも猫のいる環境はとてもいいものであった。
こうして私の引越しは終わり、問題があった点としては、移動時、スーツケースの中に所持していた蜂蜜が溢れてしまったことくらいであった。
私はそれから暫く何事もなく過ごした。
慌ただしく、忙しいだけの日々であった。
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