【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

文字の大きさ
146 / 208
第3部 他殺か心中か

帳場が立つ

しおりを挟む
 車のナンバーと所持していた免許証から、男の名前が割り出された。宮本みやもと拓也たくや、28歳。死亡推定時刻は夜中の3時頃ということで、車がが大川に突っ込んだ4時とは隔たりがある。そこは姫野ひめの係長の見立て通りだった。

 女性の身元は傍らに置かれたバッグの中に財布があり、そこから出てきた学生証から絹川きぬかわ萌未めぐみ、20歳と推定された。

 あと現場の不審点としては、男の手に中に名刺が握られていたこと。「椎原涼平」と書かれた、北新地のクラブの名刺だ。何故そんな物を握っていたのか、まるでこれが殺人事件であることを示唆しているように見えた。

 だが、検視官の見立ては違った。

「おそらく、女性が男性を道連れにした無理心中でしょう。その方向でお願いします」

 大きな事件性は無いという検視官の判断に、姫野係長が大きく反発する。

「はあ?それはまだ断定出来ないのでは?大体、男の死亡推定時刻が早過ぎません?司法解剖した方がええんちゃいますか?」

 係長のこの言葉に、倉持くらもち検視官はあからさまに黒縁眼鏡がかかっている眉根を寄せた。倉持検視官は階級が警視で、近々警視正に上がると噂されている典型的なキャリア組だ。気を悪くしたように見えるのは、格下の姫野に異を唱えられたからか…。

「いいですか?西天満にしてんま署の方はどうか知りませんが、府警本部ではこの年の瀬も凶悪事件が目白押しになっています。今いたずらに事件を増やす訳にはいかんのです」
「そんなこと知ったこっちゃないですね。現場に不審な点があれば徹底的に調べ上げる、それが捜査の基本ちゃいます?警察本部の事情よりも、目の前の仏さんをはよ成仏させてやる、それが大切ちゃいますかねえ?事件が多発して捜査員が割けない言うなら、私らだけでもやりますよ?どうなんです?」

 姫野係長に熱く詰め寄られ、倉持検視官は身体をのけ反らせた。柳沢やなぎさわの心情的にはやや乱暴だが係長の言い分の方が正しいように思える。

「まあまあ、まずはご遺体を署まで運びませんか?それから、取り敢えず女性の方の家は近くですので、そちらの方に向かってみるべきかと。係長、現場の指揮をお願いします」

 丸山まるやま主任が割って入り、そやな、と係長もひとまず感情を抑えた。

「ほな、丸さん、柳沢、ご遺体を署まで運んだら女性の方の住んでるマンションに行ってきてくれるか?」
「は、分かりました!」
「あ、はい!」
「何や、柳沢、その間の抜けた返事は?しっかりせい!」

 いつも通り姫野係長にどやされ、柳沢らはご遺体を丁寧に車から毛布に包み、捜査車両へと移した。

「倉持検視官も一度署まで来て、もう一度しっかり検分してみて下さい。すぐ帰らんとって下さいよ」
「わ、分かった」

 ワゴン車の後部スペースに二つの遺体を乗せ、柳沢は別車両で来た検視官と別れて署へと車を発進させた。署に着くと遺体を霊安室に安置し、心斎橋にある絹川のマンションへと向かった。





 予め絹川萌未を警察のデータベースに照らし合わせると、彼女の住むマンションで二年前に同居の女性が自殺しているのが分かった。そして今回の事件、何かきな臭い匂いがすると丸山が呟くのを、柳沢も不穏な気持ちで聞いた。

 管理人に現在は萌未が一人暮らしなのを確認し、部屋の鍵を開けてもらう。扉を開けるとすぐ前に若い男が立っていて、柳沢はギョッとした。こちらも驚いたが、向こうも驚いているようだった。

 手帳を見せて刑事だと告げると、まずはここが絹川萌未の部屋であることを確認する。そして相手の男に身分証の提示を求めると、男は部屋から自分の名刺を取ってきて見せた。その名刺を見て、柳沢は目が丸くなる。隣りの丸山を見ると彼の眉も上がっている。そう、彼の名刺には……椎原涼平……男の遺体が握っていた名刺と同じ名前が書かれていたのだ。

椎原しいはら涼平りょうへいさん…でよろしかったですか?」
「はい…」
「絹川さんとはどういうご関係でしょうか?」
「あの…萌未と一緒にこの部屋に住んでいます」

 柳沢はこの時点で気分が高揚していた。目の前の男は事件に明らかに関係している。重要人物に早々と出会え、幸先良く感じられた。


 だがこの後、椎原がとんでもない事実をぶちまけ、柳沢の早期帰宅が絶望的になることを、この時はまだ知らなかった。




 遺体を確認して欲しいと頼み、何とか椎原を警察署まで連れ出す。

「こちらです」

 霊安室の女性の方の顔にかけられたベールを捲くり、その顔を覗き込んだ椎原はそれ以上開かないくらい目を見開いてあからさまに驚いた顔をした。そして、遺体の横に崩れ落ちた。

「そんなあああああっ!」

 椎原の絶叫が部屋に響く。そこにいた皆がそんな椎原に注目した。彼の次の言葉を待ったが、彼はずっと嗚咽していて、言葉を発せられる状況ではなかった。

 柳沢は彼に近づき、肩に手を乗せる。

「絹川萌未さんで間違いないですか?」

 イエス、言葉を発せられなくても、そうジェスチャーするだけでいいようにと慮ってそう聞いた。だが、椎原の口をついて出た言葉は刑事たちの予期したものと違った。

「ち、違います!め、めぐっうっ…萌未と違うっっ」

 え、何て言った!?そんな反応がそこにいた捜査員たちに広がる。

「だ、誰ですか!?この人は誰ですか!?」

 柳沢の声にも緊迫感が増す。だが元々薄い顔色を一層青ざめさせて震える椎原から発された言葉は何を言っているかはっきり判別出来ず、仕方がないのでしばらく椎原の様子が落ち着くまで見守った。そして、彼の感情の波がやっと収まり出した頃、柳沢はハンカチを彼に渡しながら、今度は声のトーンを落としてゆっくりと聞いた。

「この女性をご存知なんですね?一体誰ですか?」
「みかです。ふじわら…みか…」

 目の焦点は定まらず、声もかなり掠れていたが、今度ははっきりと聞き取れた。その場にいた全員がその全く予期していなかった女性の名前に耳を疑った。

「おいっ、帳場が立つぞ!帳場を立たせるんや!」

 部屋の中が慌ただしくなり、その場にいた誰かが叫んでいた。



 帳場………



 大阪府警の捜査員も加わり、大掛かりな捜査本部が設けられるということだ。柳沢が刑事になってから初めての帳場で、それは刑事に憧れていた彼に取って心浮き立つことのはずだったが、この日はその状況に悲嘆してしまった。



 ごめん、あきら……



 心の中で、彼女のあきらに謝った。

 それから…取調室に連れ出した椎原は、目の焦点を遠いところに合わせて固まっている。柳沢もしばらく同じように放心していたが、やがて立ち上がると、取り敢えず、署の来客スペースまで出て彼女に電話を入れた。

「ごめん、あきら。今日は帰れなくなってもた」
『そう…しょうがないね。しんちゃん、声が疲れてるみたい。大丈夫?』
「うん……何とか。あきらに会えなくてちょっとショックやけどね。ほんまに、ごめんやで」
『そんな、謝らんといてよ。しんちゃんのお仕事、私も応援してるから。それにまたいつでも会えるやない。そうや!家に帰る時は連絡して?何か精のつくもん作って持っていくから』
「そう?いっつも悪いなあ」
『ううん、お仕事頑張ってね。あ、でも身体壊しちゃダメよ』
「うん、ありがとう。あ、そうや、あきら?」
『うん、何?』
「メリークリスマス!」
『うん。メリークリスマス、やね。ほんなら、連絡待ってるね』
「うん。帰る時、必ず連絡する」

 本当は今日の日を有給を取って楽しみにしてくれ、ずっと待っててくれただろうに、それよりも自分の身体を気遣ってくれるあきらに、狂おしいほどの愛しさを感じた。

 そして今すぐにでも彼女を抱きしめたい気持ちを押し殺し、大部屋のコーヒーメーカーから二つのカップにコーヒーを入れると、それを持って取調室に戻る。


 さ、仕事仕事!


 そう声を張って独りごち、今度はしっかりとした足取りで、柳沢は取調室に向かった。






しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜

遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった! 木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。 「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」 そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

処理中です...