【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第4章 炎上

1 不快な寝起き

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 7月26日

 弓削ゆげ史子ふみこは激しい倦怠感の中で目を覚ました。頭上には見慣れない板の木目があり、木目が溜まってできた二つの黒い丸が弓削を見下ろしていた。シミュラクラ現象…三つの点があれば人の顔に見えてしまうというが、頭上の丸には何か禍々しいものが上から見下している気配すら感じる。そうだ、自分はこの木目の真下になるのを嫌い、もっと端に布団を敷くようにしていたはず。足元には締め切られた障子がすぐ側の木々の葉の影の揺らめきを映し、エアコンの音をかき消す勢いで蝉の声が鳴っている。

 ガバっと身を起こし、スマホを探す。ズキンと頭が痛み、眉間を寄せて目線を落とす。視界には張り出した胸を締め付ける白いシャツ。どうやら仕事着のまま寝てしまったようだ。毛布が足下にくしゃくしゃに弾かれ、黒いスラックスの折り目も完全に伸び切っている。恐る恐るスラックスのポケットに手を入れると、硬質の四角が手に触れた。出して確認すると、ヒビの入った画面は昼前の時刻を告げていた。

 チッ!

 大きく舌打ちする。いろんな意味を込めて。寝過ごしたこと。スマホの画面が割れたこと。そもそも仕事着のまま寝てしまったこと。

 部屋を見渡すのと、一式の布団がすでに角にきちんと畳まれている。真美まみはもう起きて活動している。なぜ起こしてくれなかったと怒りが湧いた。いや、ひょっとしたら真美は自分の代わりにすでに張り込みに出てくれたのかもしれない。ここ数日、弓削班は禍津町まがつちょうの北西部に居を構えるセフィロトというコミューンの入り口で人の出入りを張っていたのだが、弓削が朝から夜、真美が夕方から夜半、そしてもう一人の班員、番場ばんばが夜中から朝までという三交代制をしいていた。

 寝泊まりには禍津町の公民館を借りていた。禍津町はローカル線の三つの駅をまたいで広がっており、公民館は一番北の山神やまがみ駅から歩いて十分くらいの所にある。斎場として使われることもあり、簡単な宿泊もできるようになっていた。弓削と真美には二階の四畳半の和室をあてがわれていたが、広縁からは小川が流れている景色も楽しめ、ちょっとした民泊に来た気分に浸れた。

 何とかキャリーバッグにクリーニングし立てのシャツとスラックスがワンセットあり、急いで着替えて下に降りる。こういう時、普段から化粧っ気のない自分は楽だと思う。どうせ今日も狭い車で公調のやつらと過ごすだけだ。最低限の化粧すら必要ない。口をすすいで顔を洗えれば充分。風呂に入っていないのだから下着も取り替える必要ない。

 それにしても昨夜は飲み過ぎた。K署の強行犯主任連中が久々に顔を合わせ、テンションが上がってしまった。そもそもここ最近の仕事がつまらないのがいけないのだ。銀髪チャラ男の顔がチラつき、顔をしかめる。あれから…みんなが退出してから、チャラ男と二人きりになった後の記憶がない。残った焼酎のボトルをガンガン飲んでいた気がするが、まさか、変なことになってないだろうな…

 吐き気がし、洗面所に駆け込むも、胃の中には吐くものが無い。えづきついでにうがいをし、顔を洗う。水が冷たくて気持ちいい。チャチャっと水で寝癖を整える。トイレも済ませ、食堂件会議室に使っている部屋に向かった。そろそろと引き戸を開けると、銀髪男の後ろ姿が目に入り、聞こえないように舌打ちをする。

「よう、おそようさん」

 弓削がおずおずと部屋に入ると、真ん中のテーブルに座ってスマホをいじっていた朝霧あさぎりが首だけ回して二やっとした笑顔を向けた。

「あ、あの、寝過ごしてしまってすみません!あと、きのう何か失礼なことは……」
「いや~きのうは大変だったよ~!まさかあんなことまでしてくれるとは」
「え…あんなこと、ですか?」

 目の前が真っ暗になる。一体何をしたというのか…?朝霧はただニヤニヤするだけで、その後を言わない。あり得ない妄想が次々と湧き上がり、嫌な汗が身体を冷やす。

「なーんてね。何杯か立て続けに飲んで、すぐに寝息を立ててたよ。ここまで連れて帰って来るの大変だったんだからね~」

 殴ってやろうかと一瞬思ったが、酔った自分を運んでくれたと思うとそれだけで感謝だ。きっとかなり手こずったことだろう。人伝に聞いた限りでは、酔った自分は相当質が悪いらしい。

「ご迷惑おかけしました!お世話をかけました」

 深々と頭を下げる。嫌味の言葉を連投される覚悟でいたが、意外に朝霧はそれから何も言わず、トンとテーブルに何かの薬瓶を置いた。

「はい。二日酔いの薬。これから出かけるからね、シャキッとして」
「え?これからですか?セフィロトの入り口ではなく?」

 ありがとうございますと、瓶に入った黒い丸薬を三粒ほど取り、口に放り込む。その薬にはウコンも入っていて、二日酔いに効く薬として知っていた。確か値段も結構するはずだ。朝霧の紳士的な振る舞いに、少しだけ好感度が上がる。とはいっても元々地の底を這っていたので少々上がったところでまだ地中なのだが。

「その前にまず報告なんだけどさ、僕らの捜査チームと、浦安うらやす係長とはタッグを組むことになったから」

 きのうの飲み会では、浦安係長が警察庁の捜査一課の捜査方針に疑問を持ち、謹慎中であっても独自で捜査を進めると宣言していた。係長だけにそんな危険なことをさせるわけにいかず、自分も同調すると言ったのだったが、もし公安調査庁も力を貸してくれるなら心強い。

「そうなんですか。それって、そちらの室長もご存知なんですか?」
「ご存知も何も、室長さまの御命令だよ。てわけで、僕らは今日からある場所の潜入捜査をすることになったから」
「ある場所…て、どんな?」
「うん、それなんだけどね、フーミンにはこれからある人の面接を受けてもらうから。早く仕度して」

 朝霧の話は端折りすぎで要領を得ない。仕度と言われてもすでに用意はできているが、浦安から弓削を気遣うメールが入っており、きのうの詫びも含めて彼に電話を一本入れることにした。今の弓削の状況を朝霧よりはちゃんと教えてくれるだろう。だが、その前に……

「あの、きのうのことなんですけど、そもそも何で朝霧さんはあの場所に来たんですか?ひょっとしてあたしに追跡装置か何か仕掛けてます?」

 一応自分の失態は謝った。次はそこを突かないと気が済まない。答えによっては今後一緒に仕事をすることも拒否らせてもらう。弓削は鼻息荒く朝霧に詰め寄る。

「え、フーミン、携帯の追跡システム知らないの?セキュリティで位置情報を知られない設定にしてなかったから、電話番号ですぐに居場所が分かったよ」
「え…セキュリティで、ですか?」

 弓削は電化製品などの説明書は全く読まないタイプだ。携帯にしても、自分のいる場所の天気やナビなどの情報は位置情報をオンにしないと取得できないので、深く考えることなくオンのままにしていた。警察学校でそういうセキュリティの講習があった気もするが、試験項目でもなかったので正直頭から抜けていた。

「だ、だからって普通人のことサーチします?プライバシーの侵害です!」
「やだなあフーミン、僕と君はバディじゃない。僕はいっつも君のこと案じてるんだよ?」

 いつもの気持ち悪いアプローチが始まり、弓削はこれ見よがしにため息をついた。この男にこれ以上何を言っても無駄だ。浦安に訴え、受け持ちを変えてもらおう。そう考えて弓削は部屋を出た。そのまま廊下伝いに玄関まで行き、ほとんどかかとのないパンプスを履いて外に出る。木陰を探し、公民館に声が届かない距離まで行くと、スマホを出して浦安の電話番号を押した。湿度が高く、まとわりついてくる空気が不快だった。

『起きたか?』
「は!きのうはすみません!ちょっと飲み過ぎてしまいました」

 ワンコールで浦安の声が聞こえ、携帯の前で何度も腰を折る。ひとしきりきのうの醜態と今日の遅刻を謝った後、今の状況を聞いた。浦安は出先だったらしく、移動してかけ直すと言い電話を切った。





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