【完結】メゾン漆黒〜この町の鐘が鳴る時、誰かが死ぬ。

大杉巨樹

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第7章 因果

6 首無し事件の真相

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 四條畷しじょうなわては吐き捨てるように言う。

「甘いな」

 それを朝霧あさぎりはここぞとばかりに笑った。

「そりゃ、角砂糖四つも入れたら甘いっての!」

 それを聞き、四條畷はまた激しく首を振る。

「違う!コーヒーのことではない!そもそも、今はなぜ首無し事件が殺人では無いのかという説明をしている。遺体を検死した医者は何と言ってるんだ?その切断状態のことを。外部から切断したのではなく、自分から切り離したようだとは言っていないか?」

 そうだ、今回の現象ではまず目から流血が起き、それから首が伸びる。自分はまだ見たわけではないが、もし首自体が自由に飛び回れるようになるなら、K市の高層マンションで起こった池田いけだなぎさの遺体の噛まれた傷も説明できるかもしれない。妖化あやかしかした人間に噛まれたのだ。三国みくにも何者かに噛まれて死んでいた。あれもやはり同じなのか…いや、三国の部屋は密室だった。だが首が胴体を離れて動き回るなんてあり得ない現象を前提にしているのだ。密室だろうと入り込めたりするのか?そこまで考えを巡らせ、浦安うらやすはまた訳がわからなくなり、前の二人のやり取りに集中した。

「じゃあ四條畷さんは、首無し事件は自分から首が離れたので殺人ではない、そう言いたいわけだね?」

 朝霧の質問に四條畷が首肯する。

「そしてそれがホルモン異常で起こっていると?」

 その質問には、四條畷は首を横に振った。

「その見立てが甘いと言っているのだ。もしホルモン異常であるなら、それは病気と言えるだろう。それなら薬で対処する手もある。日本の医療機関も優秀だ。病気の可能性をとっくに考え、検証した結果、医療ではどうにもできないと判断し、症状の出た者を殺しまくっているのではないのか?」

 四條畷の目が獣のように細まり、幅広い口の端がいやらしく上がる。その目に見据えられ、浦安に戦慄が走った。浦安は目の前で見たのだ。水谷鈴みずたにりんが、髙瀬陽翔たかせはるとが、警察官に撃たれて死ぬところを。そして須田すだが同じように扱われることを危惧しているのだが、四條畷の言い方だとそれもすでに望みはないということになる。ジワっと嫌な汗が滲み出て、不快感に拳を握る。そんな浦安の前で、朝霧の上体が四條畷の側に前傾した。いよいよ本腰を入れるつもりなのだと、浦安は感じ取った。

「病気じゃない、としたら、四條畷さんは何だと考えてるんです?ぜひ、お教えいただきたい」

 一際丁寧になった朝霧の物言いに、四條畷は一つ、大きく首肯した。口角は上がったままだ。

「説明してやってもいいが、付いて来れるかな?説明を始める前に、まずはその前提知識を確認する必要がある。そもそも、生物とは何だ?あ、答えなくていい。またふざけたことを言われると、話す気も失せるからな」

 四條畷は朝霧に手をかざし、ストップのモーションをする。

「生物とは何か、その答えは学者によって諸説あるが、ほとんどの生物学者に共通した定義は次の三つを満たすことだ。まず、外界と膜で仕切られていること、二つ目に、代謝を行うこと、三つ目、自分の複製を作ることが出来ること。そしてそれらの生命維持活動がスムーズに行われない状態のことを、病気の状態だと考えた。病気の原因はいろいろあるが、特に人から人へと伝染する病気のことを古来から人々は恐れた。早く治さないと自分たちの種族が全滅する恐れもあるからな。そしてやっとその原因が特定されたのは1884年のことだ。感染症の原因となる微生物が特定された。今からたかだか240年前にやっとだ。まずここに一つの大前提がある。病気と医療との戦いはまだまだ始まったばかりと言っても過言ではないってことだ。医療技術で全ての病気が治せると考える医者など、思い上がりも甚だしいってことだよ」

 四條畷はそこで乾いた口を潤すように、コーヒーを二、三口啜った。顔は見えないが、朝霧は茶々を入れることなく黙って聞いている。元より浦安に口を挟める内容ではなかった。んんっと喉を鳴らし、また四條畷が話を次ぐ。

「微生物はその名の通り生物なのだが、それよりも百倍も小さいウイルスを初めて電子顕微鏡で見ることが出来たのが1938年のことだ。さすがにこれは知ってると思うが、ウイルスは生物ではない。ウイルスは生物の定義の一つ、自己増殖が出来ない。遺伝子などと同じ、塩基配列の物質なのだよ。ウイルスも病気を起こす原因となるが、その話をメカニズムまで言及すると長くなるのでここでは割愛する。ここで頭に入れて欲しいことは、ウイルスは細菌よりも百倍小さい、ということ、そして、ウイルスは遺伝子と同じ構造を持つ物質だということだ。どうだ、ここまで付いて来れてるか?」

 その質問に、朝霧が浦安の方を向く。ジト目で。正直すでに怪しくなってきてはいるが、話の腰を折りたくないので、弱々しくも頷いた。それを確認し、朝霧は四條畷に手を向ける。

「どうぞ、先を続けて下さい」

 四條畷は頷いたが、その顔からはすでに嘲るような表情は抜けていた。

「そもそもウイルスというのは本来人の体を蝕む物ではなく、その大きな役割は細胞間のコミュニケーションのために細胞の一部が飛び出たものだという考え方があり、俺もその考えに同調している。細胞間の情報伝達、その役割の中には遺伝情報の伝達も含まれる。ヒトゲノムの9%は内在性レトロウイルスの情報が入っていることが分かっているが、このレトロウイルスなる物質が遺伝子間を動き回ることによってそれは成し遂げられる。まあ話を簡単にするために、レトロウイルスとは遺伝情報担当のウイルスと思ってくれ。そして物質がウイルスとなる前段階にエクソソームという物質がある。エクソソームとは細胞から分泌される粒子で、多くのウイルスはエクソソームの進化バージョンと考えられる」

 ここでまた、四條畷が話を区切り、コーヒーを啜った。そして場の三人の様子を伺う。朝霧の首が縦に動くのを見て、浦安も頷いて見せた。四條畷もかなり話を砕いて説明してくれているのだろう、レトロウイルスやエソクソームなどという聞き慣れない単語が出て目の前にもやがかかったような感じでいるが、何とか話の腰を折らずに追おうとした。この話がどう妖化という現象に帰着するのか、それだけがずっと気になっていた。隣りの青井はと横目で見ると、彼は両手を組んでテーブルに乗せた姿勢を微動だにせず聞き入っているようだ。まるで何かを身構えるような目つきをしているが、その表情からは話の内容が分かっているのかどうかまでは読めない。

「さて、いよいよここで進化の話をしようと思う。ここからの話は今の段階ではあくまで一つの学説に過ぎないが、俺はこの説が正しいと思っている。そもそも進化とは何かということだが、それはゲノムの遺伝情報を増やしていくということと言えるだろう。生存に必要な遺伝子に対する悪影響を減らしながら、新しい機能を獲得し、変化する環境にも適応しやすくなるように良い変異をもたらす。そうやって遺伝情報を書き換えることによって起こるのが進化だ。進化が起こると、その生物の外観も大幅に変わることになる。そして、その役割を担っているのがレトロウイルスというわけだ。だがレトロウイルスは時に個体に悪い影響ももたらす。恐竜の絶滅した原因に、レトロウイルスが絡んでいるという説もあるんだ。そしてもう一つ、レトロウイルスの前段階のエクソソームも遺伝情報のやり取りには絡んでいる。いや、エクソソームよりももっと微細な粒子が、実は細胞間を常に行き来し、そのうちのいくつかは遺伝情報を書き換えたりもする。そしてそれによって激的に変化が起こる場合もある。例えば首が伸びたり、首が飛び回ったり、そんな変化ももたらすことだってあるかもしれない。俺が言いたいのは、そういうことだ」

 四條畷はそこでまた大きく口の端を上げ、コーヒーカップを持ち上げた。そしてすでにコーヒーを飲み切っていることに気づくと、青井に向けてカップを差し出す。青井は席を立ってそのカップを受け取り、キッチンに向いた。コーヒーメーカーのピッという電子音が聞こえる。それくらい、部屋の中は静まり返っていた。浦安は大きく眉を上げ、四條畷の言ったことを脳内反復させている。ついに、妖化現象について説明し切ったことだけは分かったが、正直言って頭が付いていけていない。頼みの綱の朝霧はというと、浦安の位置から表情は読めないが、喉を鳴らす様子は伺える。青井が四條畷に二杯目のコーヒーを運び、四條畷がまた角砂糖を四つ入れてかき回すまでの間、次に何を話すかをずっと考えているようだった。やがて四條畷が満足そうにコーヒーカップを口に運ぶと、やっと朝霧が動いた。朝霧は背もたれまで上体を引き、ゆっくりと右手を上げる。

「はい、先生!」

 その朝霧のおどけたような態度に四條畷は眉を潜めながらも、どうぞ、と次の言葉を促した。

「じゃあ僕から、先生のご講義に関して疑問点を指摘させてもらいまーす。まず、先生の説が正しいことを前提として、なぜ今なんです?人間にそんな激的な変化が起こる可能性があるなら、もっと以前に起こっててもいいはずですよね?」

 朝霧は四條畷に対して先生呼びになっているが、その口調には慇懃無礼な感じがこもっている。浦安は四條畷が気を悪くしてヘソを曲げないかと心配して彼の表情を伺った。
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