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ビター・メモリー“甘くも苦い、傷ついた日々の痕”
2.痛みを抱えて生きるということ
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環は手元のトレーに置かれたチョコケーキを見つめていた。
俺は言葉をかけるのをためらい、ただ黙って環の様子を見守る。
「俺……昔、大きな夢持ってたんだ。パティシエとして、誰もが認める存在になりたくて――」
環はゆっくりと顔を上げ、俺の目をじっと見据えた。
「でも……3年前、信じてた人に裏切られて。全部、失ったんだ」
その言葉が、空気を一気に重くした。
普段の穏やかなカフェの雰囲気に、冷たく張り詰めた静寂が混ざる。
「信じてた人って……?」
俺が静かに尋ねると、環は小さく息をついた。
「俺の恋人で、同時にパートナーとして働いてた人。信用してた分、裏切られた痛みはでかくて……」
「……そう……だよね」
思わず声が震える。俺にも、思い出したくない過去がある。
クズ恋人に振り回された日々、職場での理不尽、毒家族。
環の言葉に、自分の傷と重なる部分があるのを感じた。
「……でも、お菓子を作っていると、少しだけ救われるんだ」
環は静かに手を伸ばし、チョコケーキの一つを指先で軽く押さえる。
「チョコを溶かして、混ぜて、焼き上げる――その瞬間だけは、過去のことを忘れられるから」
環の声には、過去の傷を抱えたまま前を向こうとする決意と、それでも消えない哀しみが混ざっていた。
「……聞いてくれてありがとう。話せて、少し楽になった気がする」
チョコの香り、焼き上がったケーキの温かさ――それは、壊れた過去を抱えた彼にとって、小さな希望のように思えた。
「……環くん、大丈夫だよ。無理に話さなくてもいいけど、もし話したくなったら、俺、聞くから」
カフェを出ると、午後の光が街を淡く照らしていた。
職場に戻って仕事をこなす間も、どうしても意識はあのカフェと環の姿に向いていた。
仕事を終え、スーパーで食材を買い込み、マンションに戻る。
キッチンに立ち、手を動かしながらも、心の片隅ではカフェでの出来事が鮮明に思い返されていた。
信じていた人に裏切られ、すべてを失ったその痛みが、いまも確かに彼の中にある。
俺は心の中で自然と思った。
同じように傷ついた者同士なら、少しずつでも歩み寄れるかもしれない、と。
トマトを炒め、煮込み料理を仕上げる。
香りが部屋に広がるたびに、少しずつ心が落ち着いていく。
夕飯の準備を終え、ソファで一息ついたところで、玄関の扉が開く音がした。拓実が帰ってきたらしい。
「おかえり」
「おう、ただいま。夕飯作ってくれてたんだな。ありがとう」
「ああ。ちょっと頑張ってみた」
テーブルに並んだ料理を前に、拓実は箸を手に取る。
「いただきます」
「いただきます」
一口食べた瞬間、ふと思い出したことを口にする。
「そうだ、今日取材帰りに、潔さんのカフェに寄ったんだ」
「ばあちゃん、いた?」
「いや、今日は潔さんはいなかったよ。あ、それでさ、新しいスタッフの子がいて……すごく真面目で、ケーキを作る姿が真剣で、味も……」
俺が話す内容に、拓実は軽く微笑んだ。
どうやら、環がただの店員ではないことを察したらしい。
「それにしても、そんなすごい子がばあちゃんのカフェにいるなんてな」
「うん……ちょっと複雑な事情があるみたいなんだ」
それ以上は言わなかった。
環の過去は重く、簡単に語れるものではない。
今はただ、彼がスイーツを作る姿を見て、少しでも前を向けるように――心の奥でそっと願った。
――夜。
風呂上がりにリビングへ戻ると、カウンターに置いた結婚指輪が淡く光を反射していた。
拓実の温もりと、約束のすべてが込められた指輪――なのに、胸の奥に不安が広がる。
環のあの真剣な目、震える指先……。
信じていた人に裏切られ、すべてを失ったって言ってたな。
もし、拓実が俺を裏切ったら……?
絶対にありえないはずなのに、頭の中で否定する声と、余計な想像が交互に浮かんで、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……拓実は、俺を裏切ったりしないよな」
小さな声でつぶやくと、ソファにいた拓実はすぐに振り返り、柔らかく微笑む。
「当たり前じゃん。なんで急にそんなこと考えるんだよ」
その穏やかな声に、少しだけ胸が緩む。けれど、思わず俯いたまま言葉を濁す。
「……いい。なんでもない」
拓実はすぐに立ち上がり、俺の肩に手を回した。
「それじゃ余計、心配になるだろ」
その腕の温もりに、思わず体が自然に寄る。小さく息をつくと、拓実はくすっと笑い、指で髪を撫でながら耳元で囁く。
「あー、これは不安にさせた俺が悪いな」
「……何言ってんだよ。ちがうって」
「とにかく信じろよな。ほんとお前、こういうところ、すげえ可愛いよな」
頬が熱くなる。思わず笑い返すと、拓実はそっと抱きしめる。
肩や腕が触れ合うだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
不安で震えた気持ちが、拓実の腕の中で少しずつ溶けていく。
「……拓実……」
「俺はずっとお前の側にいるから」
胸の奥に残る不安も、過去の痛みも、今は拓実の愛情に押し流されて、ふわりと消えていくようだった。
俺は言葉をかけるのをためらい、ただ黙って環の様子を見守る。
「俺……昔、大きな夢持ってたんだ。パティシエとして、誰もが認める存在になりたくて――」
環はゆっくりと顔を上げ、俺の目をじっと見据えた。
「でも……3年前、信じてた人に裏切られて。全部、失ったんだ」
その言葉が、空気を一気に重くした。
普段の穏やかなカフェの雰囲気に、冷たく張り詰めた静寂が混ざる。
「信じてた人って……?」
俺が静かに尋ねると、環は小さく息をついた。
「俺の恋人で、同時にパートナーとして働いてた人。信用してた分、裏切られた痛みはでかくて……」
「……そう……だよね」
思わず声が震える。俺にも、思い出したくない過去がある。
クズ恋人に振り回された日々、職場での理不尽、毒家族。
環の言葉に、自分の傷と重なる部分があるのを感じた。
「……でも、お菓子を作っていると、少しだけ救われるんだ」
環は静かに手を伸ばし、チョコケーキの一つを指先で軽く押さえる。
「チョコを溶かして、混ぜて、焼き上げる――その瞬間だけは、過去のことを忘れられるから」
環の声には、過去の傷を抱えたまま前を向こうとする決意と、それでも消えない哀しみが混ざっていた。
「……聞いてくれてありがとう。話せて、少し楽になった気がする」
チョコの香り、焼き上がったケーキの温かさ――それは、壊れた過去を抱えた彼にとって、小さな希望のように思えた。
「……環くん、大丈夫だよ。無理に話さなくてもいいけど、もし話したくなったら、俺、聞くから」
カフェを出ると、午後の光が街を淡く照らしていた。
職場に戻って仕事をこなす間も、どうしても意識はあのカフェと環の姿に向いていた。
仕事を終え、スーパーで食材を買い込み、マンションに戻る。
キッチンに立ち、手を動かしながらも、心の片隅ではカフェでの出来事が鮮明に思い返されていた。
信じていた人に裏切られ、すべてを失ったその痛みが、いまも確かに彼の中にある。
俺は心の中で自然と思った。
同じように傷ついた者同士なら、少しずつでも歩み寄れるかもしれない、と。
トマトを炒め、煮込み料理を仕上げる。
香りが部屋に広がるたびに、少しずつ心が落ち着いていく。
夕飯の準備を終え、ソファで一息ついたところで、玄関の扉が開く音がした。拓実が帰ってきたらしい。
「おかえり」
「おう、ただいま。夕飯作ってくれてたんだな。ありがとう」
「ああ。ちょっと頑張ってみた」
テーブルに並んだ料理を前に、拓実は箸を手に取る。
「いただきます」
「いただきます」
一口食べた瞬間、ふと思い出したことを口にする。
「そうだ、今日取材帰りに、潔さんのカフェに寄ったんだ」
「ばあちゃん、いた?」
「いや、今日は潔さんはいなかったよ。あ、それでさ、新しいスタッフの子がいて……すごく真面目で、ケーキを作る姿が真剣で、味も……」
俺が話す内容に、拓実は軽く微笑んだ。
どうやら、環がただの店員ではないことを察したらしい。
「それにしても、そんなすごい子がばあちゃんのカフェにいるなんてな」
「うん……ちょっと複雑な事情があるみたいなんだ」
それ以上は言わなかった。
環の過去は重く、簡単に語れるものではない。
今はただ、彼がスイーツを作る姿を見て、少しでも前を向けるように――心の奥でそっと願った。
――夜。
風呂上がりにリビングへ戻ると、カウンターに置いた結婚指輪が淡く光を反射していた。
拓実の温もりと、約束のすべてが込められた指輪――なのに、胸の奥に不安が広がる。
環のあの真剣な目、震える指先……。
信じていた人に裏切られ、すべてを失ったって言ってたな。
もし、拓実が俺を裏切ったら……?
絶対にありえないはずなのに、頭の中で否定する声と、余計な想像が交互に浮かんで、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……拓実は、俺を裏切ったりしないよな」
小さな声でつぶやくと、ソファにいた拓実はすぐに振り返り、柔らかく微笑む。
「当たり前じゃん。なんで急にそんなこと考えるんだよ」
その穏やかな声に、少しだけ胸が緩む。けれど、思わず俯いたまま言葉を濁す。
「……いい。なんでもない」
拓実はすぐに立ち上がり、俺の肩に手を回した。
「それじゃ余計、心配になるだろ」
その腕の温もりに、思わず体が自然に寄る。小さく息をつくと、拓実はくすっと笑い、指で髪を撫でながら耳元で囁く。
「あー、これは不安にさせた俺が悪いな」
「……何言ってんだよ。ちがうって」
「とにかく信じろよな。ほんとお前、こういうところ、すげえ可愛いよな」
頬が熱くなる。思わず笑い返すと、拓実はそっと抱きしめる。
肩や腕が触れ合うだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。
不安で震えた気持ちが、拓実の腕の中で少しずつ溶けていく。
「……拓実……」
「俺はずっとお前の側にいるから」
胸の奥に残る不安も、過去の痛みも、今は拓実の愛情に押し流されて、ふわりと消えていくようだった。
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