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第二話 噂話と先輩
しおりを挟む俺がこの隼杉高校に入学した頃には、既に2年の黒野真白は、校内でも有名な先輩だった。容姿端麗、品行方正、文武両道エトセトラ───数ある褒め言葉を集約した人間が彼だ。
入学早々、先輩の逸話はたくさん聞いてきた。性別云々は関係なく無自覚のうちに人を誑し込み、告白する前に失恋させる。勿論、先輩に非がある訳ではない。勝手に好きになって、あまりのライバルの多さに勝手に自滅していくのだ。
そもそも、そこまでモテているのならば既に彼女の一人や二人はいるだろうと俺は思った。
しかし、聞けば聞くほど彼はタチが悪い。情報通のクラスの女子曰く、今まで誰一人として先輩の彼女を名乗る者は出てきていないという。勿論、男も。
だからこそ皆、諦めがつかないで彼に恋をしてしまうのだ。
普通の人間なら、彼の恋人になった暁には周囲にマウントを取りたくて仕方がないだろう。
余程出来た恋人がいるか、そもそも恋愛に興味がないのか。ライバルからの目を気にして、告白の絶対数が少ないのはあるだろうが、月に数回は心臓に毛の生えた強者達が現れる。
───曰く、彼の告白のお断りの常套句はこうだ。
《俺のことが好きなの?どこを好きになってくれたんだろう……。けど嬉しいよ》
《ほ、本当?……それじゃあ!》
《でも、ごめんなさい。今は部活が楽しくて、他のことに時間を割く余裕がないんだ。きっと君を退屈させてしまうと思う》
《私/俺は気にしない!》
《ううん、それじゃあ俺が気にしてしまうんだ。大事な人を悲しませたくないからね》
《…………でも、好きなんです》
《それには応えてあげられない……けど、友達にはなってくれる?君のこと、よく知らないし》
《……は、はい!喜んで!》
と、ここまでが大体の流れらしい。どのように告白したとしても、同じようなルートを辿るらしく、いっそ彼の常套句を壊す者が現れないかと皆が期待している。
俺も彼の噂を聞いた時には、本当にそんな人間が存在するのかと、友人になったばかりの中須賀を引っ張って、先輩のクラスを覗きに行ったくらいだ。
その時は、教室の廊下の前に女子が溢れかえっていて顔を見ることは叶わなかったけど。
まあいつか廊下とかですれ違うだろう、なんて思っていたら、なんとその日中に先輩と顔を合わせることになった。
その日、俺は部活見学という期間をすっ飛ばして入部届を朝一で担任に提出していた。もちろん陸上部だ。
意気揚々とグラウンドに向かえば、入部を歓迎した先輩やコーチがタータンの白線に沿って、新入部員の俺達を歓迎していた。
意外にも強豪と名高い陸上部のコーチは、優しそうなおじいちゃんだった───ってことは、どうでも良くなるくらいに、俺はある一人の先輩に目を奪われた。
多分その時目を奪われたのは俺だけじゃないだろう。白線に横並びになっている先輩達の中に、明らかに空気の違う人がいた。雑誌のモデルも逃げ出すくらいに、程よい筋肉がついた均整の取れた体。思わず手を伸ばしてしまいたくなる、美しい造形の顔。透けるような髪。
はっとした時には、俺の自己紹介の順番が回って来ていた。
「あっ、えっと。ひがし中学から来ました。小嵐司です!全国大会では結果は残せませんでしたが、運良くこの高校に拾ってもらえました。この高校は見る目があります。これからの成長に期待のルーキーとしてこの部を引っ張っていける存在になります!よろしくお願いします!」
俺の挨拶は、ウケた。それもかなり。何事も初めが肝心で滑り出し上々。ツッコミの嵐を受けたが、俺の視線は、例の先輩に釘付けだった。彼も笑っていた。嬉しい。なんて名前の先輩だろう。絶対に仲良くなりたい。
新入部員全員の挨拶が終われば、次は先輩達の番だった。流れ作業のような自己紹介に、俺の意識は右から左だった。ただ、ずっと先輩から目を離すことが出来なかった。
最後に先輩の番が回って来た時、初めて先輩が俺の視線に気付いた。見すぎたかな、と視線を自分の足元に落とす。
「二年の、黒野真白です。俺も中学の全国大会は結果が残せなかったから、小嵐くんみたいに期待のエースとして頑張っているところです。よろしくお願いします」
「…………えっ?」
「ふふっ……ふふふ」
先輩は自分の自己紹介にツボっていた。意外にも笑い上戸の人かもしれない。って、あれ?
「黒野、真白先輩……?」
思わず口に出していた。まさに、今日俺が顔を拝みに行こうと思っていた彼がその人だったからだ。
「はい。黒野です」
先輩は、もしかして知り合いだったかな?と首を傾げている。残念ながら初対面だった俺は、噂で彼の話を聞いたというわけにもいかず、曖昧に濁すしかなかった。
「あー……いや、すみません。凄く綺麗な先輩だなって思って思わず名前復唱しちゃいました」
「え?」
先輩は目を丸くした。何を口走ってるんだろう俺は。顔を赤くして先輩から目線を逸らすと、再び先輩の笑い声がした。顔を上げれば、他の先輩達も一様に笑っている。
「あ、あの……」
「あははははは!分かる分かる!黒野の顔見たら大体の人間がそう思うから!」
「そうそう!でもこいつはやめとけよ。噂よりも性格歪んでるから!」
「ひどいな。後輩に嘘を教えるのは良くないよ。小嵐くん、俺と一緒に仲良くこの部のエースを争おうね」
「ほら、もう好戦的だぞ」
真白先輩の肩に腕をかけて、仲良さげに笑っている男は俺を見ながらも目が笑っていなかった。何となく、察した。ああ、この部の人たちも大方この先輩に魅了されているんだな。噂は本当だったのか、と思った。
俺はもう一度「黒野先輩」と口にした。今度は、しっかりと彼を呼んだ。
真白先輩は「ん?」と揶揄うような目で俺を見る。何かもっと面白いことを言ってくれるのかと、期待しているような目だ。
「俺、先輩と勝負したいです。俺が勝ったら、俺と友達になってください」
「え、友達に?」
「はい。先輩後輩って関係じゃなく、純粋に先輩と友達になりたいです」
入部早々何を言ってるんだ。と、いよいよ変なやつ認定されそうだったが、どうでも良かった。とにかく先輩と親しくなりたい。そして、今先輩の肩に馴れ馴れしく腕を乗っけて笑っている男の位置に俺が立ちたい。
これは完全なる一目惚れだ。恋とかじゃない。この感情は憧れだ。
───先輩は、息を切らしながら笑って言った。
「いいよ、勝負しようか」
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