聖なる剣と氷の王冠

紫夕

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ムンライ

第一章二話

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 水の都──シーマの外れにある鬱蒼と茂った森の奥地に、ゼルスの村がある。その名も、ムンライという。
 ムンライの村主であり、シーマ歴代最高の騎士と謳われたダルスが絶命してから早くも五年の月日が過ぎようとしていた。
 ゼルスにとって、それは永久の刻にも刹那の刻にも感じる時間だった。あまりにも、色々なことが起きすぎたのだ。シーマがユルドミアを攻め行ってから数年が経過した頃──ダルスが処刑された。シーマの王子、エルネストの命令だった。ダルスが生涯敬服していた王子によって命を奪われたとあって、ムンライの人々は一同会してシーマ城へと詰問状を叩きつけに向かった。
 城の者曰く、ダルスは現国王バエオスの謀反を企てており、騎士の忠義に反した行いをした報いとのことだった。ゼルスは怒りのあまり、危うく城の仲介人の男を締め殺しかけた。ダルスは確かに、バエオスを暗君だと見ていた。しかし、かつては命を賭して守護していた主であり、ここ数年バエオスに半疑を抱いていたのも、全てはシーマの未来のためであった。
 まして王子のエルネストについては、ダルスという男はいついかなる時にも味方となって仕える忠実な家臣であったはず。
 ダルスの訃報を城からの手紙で受け取った時、ゼルスは目を疑ったものだ。ゼルスが将来、騎士となってエルネストに仕えることがダルスの願いであり、ゼルスの夢であった。親子二代の夢が、一瞬にして潰えたのだ。
 ダルス亡き後、ゼルスはムンライの村主として日々を送っていた。騎士となる夢は遠い昔のことで、今やこの戦で不安定な情勢の中、ムンライを守ることだけに躍起になっていた。
「村主様!」
「村主様、大変です!」
 ゼルスは今しがた、声を荒げて門戸を叩く音に目を覚ました。ゼルスが眠りに落ちたのは明け方だ。そして壁の隙間からは煌々と日差しが溢れている。低く唸った後、「入れ」と壁に向かって命じた。
 立て付けの悪い板を貼り付けただけの扉が、慌ただしく開かれるとそこには良く似た顔の少年達が並んでいた。ゼルスは眉間を軽く揉む。
「今日はどうした。ノルカ、ソルカ」
 ノルカとソルカは揃って顔を見合わせると自慢げな笑みを浮かべて、手の中にあるものを広げて見せた。
「ゼルス義兄さん、どうこれ?」
「こんなの見たことないでしょう?」
 ゼルスは、目を瞠った。
 兄弟が手に握りしめていたのは、精巧な作りの指輪だった。それも、王家の紋章が刻み込まれている。
「……お前達、これをどこで」
「どこだと思う?」と、ノルカが尋ねた。
「当ててみてよ。そしたらこれをあげるよ。ゼルス義兄さん、最近デルカ姉さんと上手くいってないだろう。許嫁なら指輪くらい贈ってあげたらどうなの?」と、ソルカは指輪をゼルスに手渡した。紅玉の中に浮かび上がる紋章は、やはりゼルスの記憶と一致した。
「……これは、ユルドミアの…………」
「外れ」
「僕らがユルドミアで拾い物が出来る訳ないでしょう?」
「そうではない!お前達、これをどこで拾った⁉︎」
 ゼルスの怒声に、兄弟が肩を跳ね上げた。ただならぬゼルスの剣幕に、二人の顔は青褪めるばかりでゼルスは指輪を握り締めたまま、小屋の入り口へと向かおうと立ち上がる。置き去りにされた赤子の様な顔で怯えたソルカが、「どこへいくの?」とゼルスの腕を掴んだ。兄弟に構っている暇などなかった。ソルカの腕を払いのけると、ゼルスは走った。当てなどないが、とにかく村の周辺に、不審な影を探す。
 しかし、ゼルスの予想に反してムンライで暮らす人々の他に、見知らぬ顔は見つからなかった。木々に覆われるようなムンライの村は、外敵からは見つかりにくい。シーマ国の中でも、無事にこの村まで辿り着ける者は数少ないくらいだ。
 まして、他国の者がこの地に足を踏み入れるなど、尚のこと容易ではないことは分かっていたはずだが。それでも、ゼルスの胸から不吉な予感は消えなかった。
 手の中にあるのは、確かにユルドミアの紋章指輪だった。どうしてそんなものを、双子の兄弟が手に入れることが出来たのか。ゼルスは考えた。風で騒つく木々の音がゼルスの思考の邪魔をする。
 そこで、ゼルスは勘付いた。背後から、何者かの気配がする。
「誰だ!」
「きゃ……っ!」
 振り向きざまに取った腕は、折れそうなほどに細かった。見れば、小麦色に焼けた肌によく似合う大きな眼がこちらを睨んでいる。
「……デルカ」
「離してゼルス兄さま。痛い」
 咄嗟に掴んだ腕を離せば、微かにデルカの肌にゼルスの握った手の跡が残っていた。近頃、デルカとは喧嘩ばかりだった。忙しない毎日のせいで婚礼の儀も挙げられておらず、今は一緒に暮らしてもいない。
 最後に夜を共にしたのも、恐らく半年程前にもなるだろう。ダルスが死んで、ゼルスがもっぱらムンライのことばかり気にしていたせいもあり、ゼルスからも分かるくらいに、デルカの愛は冷め始めていた。
「どうして、こんな処にいるんだ。危ないだろう」
「別に、理由なんてないわよ。ただ、ノルカとソルカがゼルス兄さまを怒らせたって落ち込んで帰ってきたから」
 弟想いのデルカは、心配だったのだろう。またしてもゼルスへの不満を募らせていたらしい。冷たい声が、ゼルスを責めているようだ。
「俺のせいだったか。すまない。村へ戻ろう。そろそろ陽も落ちる」
「……ええ」
 デルカの腰に、そっと手を回した。細い腰を支えて、不安定な木々の根っこを避けながら歩く。不意に、デルカがゼルスの顔を覗き込んだ。目鼻立ちの整った顔からは、既に子どもの頃のあどけなさは残っておらず、美しい女の顔へと変わっていた。ゼルスは思わず息を呑んだ。立ち止まる。黒く艶のある髪は、彼女の美しさを引き立て、魅力的に映った。
 顔に掛かった一筋の髪を、デルカの小ぶりな耳にかけるとゼルスはデルカに顔を寄せた。
「待って」
「………………何故だ」
 デルカは、ゼルスの腕の中から逃れると、ゼルスの左手を掴んで開かせた。
「これは何?」
「それは……駄目だ」
「すごく素敵。どうしてこんな上等な指輪を兄さまが?」
 デルカの小さな掌に、ユルドミアの紋章指輪があった。木漏れ日から光を反射して輝くそれは、不気味なほどに美しく輝いている。
「ノルカとソルカが言ってたの。ゼルス兄さまが怒った理由は分からないけど、きっと素敵な物を姉様に贈ってくれると思うって。だから、追いかけてあげてって」
「それは……それとは別の物を贈ろう。今度、探してくる」
「探してくるって……森の中に咲いてる花だとか、動物の角や牙のこと?そんなの私は要らない。これがいいの。とっても綺麗」
 デルカは、昔からゼルスの贈り物を好まなかった。美しいものは好きだが、香りの良い野花や丁寧にやすりをかけて飾りにした動物の角や牙は、嫌いだった。
 ムンライで暮らす女達が喜ぶ贈り物に、何一つとしてデルカは喜ぶことはなかった。しかし初めて、ゼルスの手にした物に、デルカは笑顔を見せている。
「ねえゼルス兄さま。私のこと愛してる?」デルカは笑みを深めた。ゼルスを惑わす魅力的な瞳は、綺麗な半月に細められている。
「ああ、凄く」ゼルスは頷いた。
「それなら、この指に、この指輪を嵌めてくれる?」もはやデルカの言葉に逆らうことは出来なかった。ゼルスは、その指輪がどうか模倣品で、落とし主が見つからないことを願った。長く伸びた指に、ぴったりと収まったその指輪はデルカにとてもよく似合っていた。
「綺麗、とても綺麗ね。兄さま、嬉しい」
 左手を宙に翳しながら、嬉々としてそれを眺めるデルカの横顔は愛らしく、美しかった。くるりと木々の中を回るデルカは、森に迷い込んだ姫のようで危うさを感じた。思わず、デルカの腕をとった。
「……なあに?」
「デルカ───」
 デルカはゆっくりと瞼を閉じた。今度は、止められなかった。久しぶりに感じるデルカの唇は、ただ、柔らかかった。

 


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