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幕末剣士、修学旅行へ

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ハッとして振り返ると、部屋の外から黒い煙が流れるようにして入ってきていた…!


…さっきまでなんともなかったのに。


「…ケホッケホッ!」


息をするだけで、苦しくて咳き込んでしまう。


早く宗治に届けないと…!


煙をかき分けるようにして部屋から出ようとするも、ほとんど前が見えないし、煙がしみて目を開けることすらできない。


そのせいで、足元にあったなにかを踏んづけてしまい、バランスを崩して派手に転んでしまった。


うつ伏せになって倒れ込んだところに布団があったから、それほど痛くはなかった。

おそらく、踏んづけてしまったのはまくらだろう。


しかし上体を起こそうとしたとき、右足に鋭い痛みが走った。


「――ッ…!!」


労るように、手が右足首に伸びる。


まくらを踏んづけた拍子に、最悪なことに足をくじいてしまったようだ。


煙が充満する部屋の中。

早く逃げないといけないのに、わたしは足首の痛みで思うように動けなかった。


せっかく桜華を取りにこれたのに――。

…これを宗治に渡すまでは。


床をはうようにして、必死に部屋の外を目指す。


「…ゲホッ!ゲホッ!」


だけど、足の痛みと息苦しさで脱出するのは困難な状況に陥っていまっていた。


ふと…視界がゆらゆらと揺れる。


あれ…、おかしいな…。

…わたし、どうしちゃったんだろう。


なんとか保っていた意識すら薄れていって、気を失おうとした――そのとき。


わずかに開いた目に映ったのは、…黒い人影。


「…びぃ!びぃっ!」


そうして、わたしの体を抱き起こしたのは……なんと宗治だった!


「…宗治……?」


朦朧とする意識の中でつぶやくと、目の前にいる宗治が大きく息を吸い込んだ。

と思ったら、耳をつんざくような大声でわたしを怒鳴りつけた。


「こんなところでなにしてんだ、お前はっ!!!!」


鼓膜が破れるかと思うような声だったから、瞬時にわたしの意識も正気に返った。


「び…、びっくりした~…」

「のんきなこと言ってる場合かっ!バカか、お前は!!死にてぇのか!」


と怒鳴ったあとに、わたしが胸に抱えていた桜華に気づく。


「…まさか。これを取りにわざわざ…?」

「だってこれ…。宗治の命よりも大切なものなんでしょ…?」


そう言って、宗治の顔を覗き込んだ。


この火事で桜華を失くしてしまったと知ったら、きっと宗治は絶望しただろう。

もしかしたら、都子姫に合わす顔がないなんて言って、立ち直れないかもしれない。


だから、なんとしてでも桜華はわたしが守らなければならなかった。


「よかった、桜華が無事で」


そんな宗治の言葉を期待していた。

――はずが。


「…バカ野郎!!そんなことのために、わざわざ命張るんじゃねぇ!」


『そんなこと』…!?


桜華を必死に守ったというのに、感謝されるどころか、なぜか罵声を浴びせられた。


「…って、こんなところで無駄話してる場合じゃなかった。とりあえず、外に出るぞっ」

「…待って。わたし、足を…」


くじいてしまったせいで、痛くて立ち上がることすらできない。


するとその瞬間、体がふわっと持ち上がった。

まるで無重力になったかのような感覚だ。


驚いて顔を上げると、すぐそばには斜め下から見える宗治の横顔が。


それで気づいた。

…なんと、わたしは宗治にお姫さま抱っこをされているということに!


あまりの恥ずかしさで、一瞬にして顔が熱くなる。


「おっ…下ろして、宗治!」

「下ろすか、バカ!しっかりつかまってろ!」


宗治はわたしを抱きかかえているというのに、迫りくる炎を飛ぶようにして軽々とかわす。

そして、あっという間に外へ飛び出したのだった。


懸命な消火活動により、火災はそれ以上広まることなく消し止められた。


その後、火災現場に無謀にも荷物を取りに行ったわたしには、消防隊員と先生たちからの説教が待っていた。


そして、火事の知らせを聞いて迎えにやってきたお父さんにもことの成り行きが伝えられ、わたしは大目玉を食らった。


だけど、怒られたのはわたしだけじゃない。


「なんで桜華を勝手に持ち出したんだ!!」


宗治も家までの帰りに、お父さんにこっぴどく怒られていた。


お父さんに頭をペコペコと下げて謝る宗治の小さく見える背中。

そこには、わたしを助け出してくれたときのヒーローのような面影はまったく感じられなくて、思わずクスッと笑ってしまった。


そういえば、あの火事で薄れていく意識の中で思ったことがあった。


取り残されたわたしを宗治が助けにきてくれたとき――。


『…びぃ!びぃっ!』

『…姫!姫っ!』


あの夢と…重なった。


あの夢は、わたしの前世の記憶。

つまり、都子姫が目にしたものだ。


あのとき、宗治は命をかけて都子姫のことを守った。

そして、そのあと宗治は亡くなった。


もしかしたら、今回だって同じ結末になっていたかもしれない。

この世で宗治が死んでしまったら、もう二度と蘇ることなんてできない。


そうなってしまったら、都子姫に再び会うこともできなくなってしまうのに――。



次の日の夜。


「宗治はバカだよ」


月明かりに照らされた御神木の桜の木を見つめながら、縁側に座っている宗治に後ろから声をかけた。


「だれがバカだって?」

「だから、宗治がだよ」


宗治が死んじゃったら、なんのためにタイムリープしてきたかわからないんだから。


すると宗治は、隣に座ったわたしに目を向けて鼻で笑う。


「なに言ってんだよ。お前だってバカだろ。火事の現場に突っ込むなんて、丸焼きにされたかったのかよ?」


その減らず口に、思わずわたしの目尻がピクリと動く。


「宗治、あんたねー…。もう少し、わたしに――」

「ありがとう」


ふと聞こえた…そんな言葉。


空耳かと思って、一瞬時間が止まったかのようにフリーズしてしまった。


「宗治…、今…なんて?」

「聞こえなかったのかよ…。桜華を守ってくれて、『ありがとう』って言ってんだよ。何度も言わせるな」


そう言って、宗治はいじけたようにプイッと反対側を向いてしまった。


…驚いた。

まさか、あのいつも失礼なことしか言わない宗治から…お礼を言われるだなんて。


想像もしていなかったから、わたしも反応に困ってしまって照れ隠しをした。


「あのとき…、本当に肝が冷えた」


顔を背ける宗治がぽつりとつぶやいた。


「…そうだよね。桜華がまだ火の中に残されたままだと知ったら――」

「そこじゃねぇよ」

「…え?」


キョトンとして顔を向けると、宗治がまっすぐにわたしを見つめていた。


「あのとき、菅さんからびぃがいないって聞いて、正直…生きた心地がしなかった」


宗治のまなざしから目をそらすことができない。


「たしかに桜華は、俺の命よりも大切なものだ。…だけど、それよりもお前の命のほうが大切に決まってんだろ」


熱い視線に、わたしの胸がドキッとする。


だけどそれは、わたしがいなくなったら宗治は元の時代へ帰れなくなるから、わたしが大切だということ…?


それとも――。
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