55 / 64
54 ベイビー・ドライバー◇-1
しおりを挟む
海を深く潜るオルキヌスから見える景色は、いつか夢で見た海中とよく似ていた。
あの、群れを持たない一頭の鯨が見ていた風景と。
色鮮やかな珊瑚礁や魚達の海は既に通り過ぎて、水面から差し込む光は遠く、行く先は何処までも暗い水底。
でも、不思議と違和感を感じなかった。
ずっと同じ夢を見ていたからもしれない。
「同じなんだ……ここがあの海なんだ……じゃあ、あの鯨もここに……?」
「◾︎◾︎◾︎◾︎……?」
「絶対そう、あの鯨はここに……いる」
オルキヌスから見えるガラス越しのような景色に、私の顔は映らない。
もし、あの鯨がここにいるのなら。
……あれは私が見ていた夢でも、ましてや私自身でもない。
「じゃあ……どうして私の夢に……」
海は答えない。ただ、そこにあっていつまでも静かなまま。
私はオルキヌスと共にただひたすら、潜航し続ける。
すると、暗いはずの深海にぼんやりとした光が見えた。
「あれが……?オルキヌス、あそこに──え?」
遠くに見えた光は、あっという間にこちらへ近づいて、私達はそれに飲み込まれた。
「ん……?どうなったの……?オルキヌス……?」
枝のような珊瑚が立ち並び、仄かな光が舞う祭壇のような場所に私は立っていた。
乗っていたはずのオルキヌスは何処にも見えない。
祭壇の外は、数えきれない程の海獣や魚達、珊瑚や貝類の泳ぐ海だった。
水の中なのに、息出来て苦しくも無い不思議場所に、私はいた。
「……ここが……アドリア?」
『そうです、マナ』
その声は、私のよく知った、フカミルの言葉だった。
『誰?私を知ってるの?』
『ええ、貴女よりずっと前から』
『え──』
見上げると、巨大な鯨が私を見ていた。
私が見ていた夢の鯨が、そこに居た。
『久しぶりです、マナ。ずっと待っていました、ここで』
鯨は静かにそう言った。
私と同じ言葉で。
◇◇◇◇◇◇◇
『大きくなりましたね』
『……鯨に言われても』
『……ああ、この姿で直接会うのは初めてでしたね』
『あの夢は、あなたが見てた景色なの?』
『そうです、私の見るアドリアの景色を、その宝石を介して貴女に伝えていたのです』
『これを……?どうやって?』
母の形見は特に変わった様子はない、いつもの暗い虹色だ。
これを使って……?
じゃあ、つまりこの鯨は……
『マレルターは知っていますよね?ラッコのような彼らは、イムラーナに乗って空を漂い、人々の儚い夢や希望を集めているのです。彼らにお願いして、私の見たものを貴女の夢へと運んでもらいました』
『……どうしてこの景色を私に……?』
『海を見せたかったのです。一人、あの庭園で眠る貴女にせめて、美しい夢を』
その言葉に……私はどうしようもないやるせなさと……憤りを覚えた。
『たった一人で、群れにも入れないような寂しい夢を……?誰一人、言葉の通じない悲しい旅の夢を……?』
『……違います、私は……一人でも、人と違う存在でも、生きていけるのだと、貴女は決して間違った存在などでは無いと……伝えたかったのです……』
『……そんなの……分かんないよ……』
言いたい言葉はいくらでもあった。
『マナ……』
『そんなの……分からないよ……綺麗なだけの夢より、少しでも話せる方が何倍も良かった……ずっと、そうしてくれた方がずっと良かった!』
だけど溢れ出すのは、こんな言葉だった。
『そう……だったのですね……』
『お父様は私のことを愛していたなんて、お兄様は言うけれど、動けないだけなら、手紙か伝言の一つくらい、くれてもいい!いくら私の為を思っていたって!私の為にやってくれたって!私にはそんなこと分からない!』
『それは……』
『私は……私は自分を石だって思うしか無かった!石は痛みを感じない!石で出来た島は涙を流さない!そう思って……そう思ってこれまでずっと……生きてきたのに……私は本当の子供ですらない……血の繋がりも無ければ人間ですらない……私の騎士は私を生かした……でも、生きていて何の意味があるというの……?生きているだけで世界が壊れていくというのに……どうして……私を生かしたのなら、最後まで一緒にいてよ……私の為って言うなら、私を置いて何処かになんか、行かないでよ!ねぇ、どうして……なんで私を置いていったの…………お母様……!』
『マナ……ごめんなさい……』
『謝られたって嬉しくないよ……私はずっと待ってた、ずっと、ずっと待ってた!返してよ……あの庭園で待った時間を!そんなに愛しているって言うなら、私を抱きしめるくらい簡単だったでしょう!』
『私たちは……マナの事想って……』
『自分勝手に思っていることが、子供に伝わる訳ない!そんなことも分からないの!?』
どうしてこんな言葉を言ってしまったのか、自分でも驚く程だった。
言いたい言葉はこんなはずじゃ無かったのに、止まらなかった。
『マナ……ごめんなさい』
『う、うぁぁ──』
水の中なのに、涙は頬を伝い、流れる。
ただ、赤子のように。
あの、群れを持たない一頭の鯨が見ていた風景と。
色鮮やかな珊瑚礁や魚達の海は既に通り過ぎて、水面から差し込む光は遠く、行く先は何処までも暗い水底。
でも、不思議と違和感を感じなかった。
ずっと同じ夢を見ていたからもしれない。
「同じなんだ……ここがあの海なんだ……じゃあ、あの鯨もここに……?」
「◾︎◾︎◾︎◾︎……?」
「絶対そう、あの鯨はここに……いる」
オルキヌスから見えるガラス越しのような景色に、私の顔は映らない。
もし、あの鯨がここにいるのなら。
……あれは私が見ていた夢でも、ましてや私自身でもない。
「じゃあ……どうして私の夢に……」
海は答えない。ただ、そこにあっていつまでも静かなまま。
私はオルキヌスと共にただひたすら、潜航し続ける。
すると、暗いはずの深海にぼんやりとした光が見えた。
「あれが……?オルキヌス、あそこに──え?」
遠くに見えた光は、あっという間にこちらへ近づいて、私達はそれに飲み込まれた。
「ん……?どうなったの……?オルキヌス……?」
枝のような珊瑚が立ち並び、仄かな光が舞う祭壇のような場所に私は立っていた。
乗っていたはずのオルキヌスは何処にも見えない。
祭壇の外は、数えきれない程の海獣や魚達、珊瑚や貝類の泳ぐ海だった。
水の中なのに、息出来て苦しくも無い不思議場所に、私はいた。
「……ここが……アドリア?」
『そうです、マナ』
その声は、私のよく知った、フカミルの言葉だった。
『誰?私を知ってるの?』
『ええ、貴女よりずっと前から』
『え──』
見上げると、巨大な鯨が私を見ていた。
私が見ていた夢の鯨が、そこに居た。
『久しぶりです、マナ。ずっと待っていました、ここで』
鯨は静かにそう言った。
私と同じ言葉で。
◇◇◇◇◇◇◇
『大きくなりましたね』
『……鯨に言われても』
『……ああ、この姿で直接会うのは初めてでしたね』
『あの夢は、あなたが見てた景色なの?』
『そうです、私の見るアドリアの景色を、その宝石を介して貴女に伝えていたのです』
『これを……?どうやって?』
母の形見は特に変わった様子はない、いつもの暗い虹色だ。
これを使って……?
じゃあ、つまりこの鯨は……
『マレルターは知っていますよね?ラッコのような彼らは、イムラーナに乗って空を漂い、人々の儚い夢や希望を集めているのです。彼らにお願いして、私の見たものを貴女の夢へと運んでもらいました』
『……どうしてこの景色を私に……?』
『海を見せたかったのです。一人、あの庭園で眠る貴女にせめて、美しい夢を』
その言葉に……私はどうしようもないやるせなさと……憤りを覚えた。
『たった一人で、群れにも入れないような寂しい夢を……?誰一人、言葉の通じない悲しい旅の夢を……?』
『……違います、私は……一人でも、人と違う存在でも、生きていけるのだと、貴女は決して間違った存在などでは無いと……伝えたかったのです……』
『……そんなの……分かんないよ……』
言いたい言葉はいくらでもあった。
『マナ……』
『そんなの……分からないよ……綺麗なだけの夢より、少しでも話せる方が何倍も良かった……ずっと、そうしてくれた方がずっと良かった!』
だけど溢れ出すのは、こんな言葉だった。
『そう……だったのですね……』
『お父様は私のことを愛していたなんて、お兄様は言うけれど、動けないだけなら、手紙か伝言の一つくらい、くれてもいい!いくら私の為を思っていたって!私の為にやってくれたって!私にはそんなこと分からない!』
『それは……』
『私は……私は自分を石だって思うしか無かった!石は痛みを感じない!石で出来た島は涙を流さない!そう思って……そう思ってこれまでずっと……生きてきたのに……私は本当の子供ですらない……血の繋がりも無ければ人間ですらない……私の騎士は私を生かした……でも、生きていて何の意味があるというの……?生きているだけで世界が壊れていくというのに……どうして……私を生かしたのなら、最後まで一緒にいてよ……私の為って言うなら、私を置いて何処かになんか、行かないでよ!ねぇ、どうして……なんで私を置いていったの…………お母様……!』
『マナ……ごめんなさい……』
『謝られたって嬉しくないよ……私はずっと待ってた、ずっと、ずっと待ってた!返してよ……あの庭園で待った時間を!そんなに愛しているって言うなら、私を抱きしめるくらい簡単だったでしょう!』
『私たちは……マナの事想って……』
『自分勝手に思っていることが、子供に伝わる訳ない!そんなことも分からないの!?』
どうしてこんな言葉を言ってしまったのか、自分でも驚く程だった。
言いたい言葉はこんなはずじゃ無かったのに、止まらなかった。
『マナ……ごめんなさい』
『う、うぁぁ──』
水の中なのに、涙は頬を伝い、流れる。
ただ、赤子のように。
0
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
お前のような地味な女は不要だと婚約破棄されたので、持て余していた聖女の力で隣国のクールな皇子様を救ったら、ベタ惚れされました
夏見ナイ
恋愛
伯爵令嬢リリアーナは、強大すぎる聖女の力を隠し「地味で無能」と虐げられてきた。婚約者の第二王子からも疎まれ、ついに夜会で「お前のような地味な女は不要だ!」と衆人の前で婚約破棄を突きつけられる。
全てを失い、あてもなく国を出た彼女が森で出会ったのは、邪悪な呪いに蝕まれ死にかけていた一人の美しい男性。彼こそが隣国エルミート帝国が誇る「氷の皇子」アシュレイだった。
持て余していた聖女の力で彼を救ったリリアーナは、「お前の力がいる」と帝国へ迎えられる。クールで無愛想なはずの皇子様が、なぜか私にだけは不器用な優しさを見せてきて、次第にその愛は甘く重い執着へと変わっていき……?
これは、不要とされた令嬢が、最高の愛を見つけて世界で一番幸せになる物語。
だから聖女はいなくなった
澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」
レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。
彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。
だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。
キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。
※7万字程度の中編です。
王家を追放された落ちこぼれ聖女は、小さな村で鍛冶屋の妻候補になります
cotonoha garden
恋愛
「聖女失格です。王家にも国にも、あなたはもう必要ありません」——そう告げられた日、リーネは王女でいることさえ許されなくなりました。
聖女としても王女としても半人前。婚約者の王太子には冷たく切り捨てられ、居場所を失った彼女がたどり着いたのは、森と鉄の匂いが混ざる辺境の小さな村。
そこで出会ったのは、無骨で無口なくせに、さりげなく怪我の手当てをしてくれる鍛冶屋ユリウス。
村の事情から「書類上の仮妻」として迎えられたリーネは、鍛冶場の雑用や村人の看病をこなしながら、少しずつ「誰かに必要とされる感覚」を取り戻していきます。
かつては「落ちこぼれ聖女」とさげすまれた力が、今度は村の子どもたちの笑顔を守るために使われる。
そんな新しい日々の中で、ぶっきらぼうな鍛冶屋の優しさや、村人たちのさりげない気遣いが、冷え切っていたリーネの心をゆっくりと溶かしていきます。
やがて、国難を前に王都から使者が訪れ、「再び聖女として戻ってこい」と告げられたとき——
リーネが選ぶのは、きらびやかな王宮か、それとも鉄音の響く小さな家か。
理不尽な追放と婚約破棄から始まる物語は、
「大切にされなかった記憶」を持つ読者に寄り添いながら、
自分で選び取った居場所と、静かであたたかな愛へとたどり着く物語です。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
「魔道具の燃料でしかない」と言われた聖女が追い出されたので、結界は消えます
七辻ゆゆ
ファンタジー
聖女ミュゼの仕事は魔道具に力を注ぐだけだ。そうして国を覆う大結界が発動している。
「ルーチェは魔道具に力を注げる上、癒やしの力まで持っている、まさに聖女だ。燃料でしかない平民のおまえとは比べようもない」
そう言われて、ミュゼは城を追い出された。
しかし城から出たことのなかったミュゼが外の世界に恐怖した結果、自力で結界を張れるようになっていた。
そしてミュゼが力を注がなくなった大結界は力を失い……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる