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「おかえり、ナディア」
「ただいま、アーレン!」
家に帰ると、アーレンは薬草を数本束ねて紐で縛ったものを天井の梁に吊るしているところだった。
こうして乾燥させると薬効が長持ちするのだ。
私は椅子に乗らないと届かない天井の梁に、アーレンは手を伸ばしただけで届いてしまう。
最初は長く鋭い爪の扱いに苦労していたアーレンだが、今ではすっかり慣れたようで器用になんでもこなすようになった。
私はリュックとバスケットから次々と町で買ってきたものを取り出してテーブルに並べていった。
「チーズ、ベーコン、塩、砂糖、パン……それから、葡萄酒!アーレンが採ってきてくれた薬草が思ったより高く売れたから、今日は奮発してみたの」
自分でお酒を買ったのは、実はこれが初めてだった。
もうとっくに大人なんだけど、さらに大人になったような気がしてワクワクした。
「葡萄酒か!いいな!」
アーレンは破顔して私から葡萄酒が入った瓶を受け取った。
それから、はっとしたように悲しい顔になった。
「ナディア……こんなにたくさん、重かっただろう。すまない、俺が手伝えたらいいんだが……」
アーレンだったらこれの五倍くらいの荷物を余裕で運ぶことができるだろう。
私は笑って首を振った。
「いいのよ、気にしないで。慣れてるから。それより、晩御飯にしましょう!いい匂いがするけど、なにを作ってくれたの?」
「鹿肉と茸のスープだ。この前教えてもらったハーブも入れてみた。美味しくできたと思う。あと、畑の野菜でサラダも作ってみた」
「わぁ!ありがとう!お腹ペコペコなの!すぐに準備するね!」
私が買ってきたパンをスライスする間に、アーレンはスープとサラダを器によそってカトラリーまで出してくれた。
簡単な食前のお祈りをして、今夜も私たちは向かい合って食卓を囲んだ。
アーレンが作ってくれたスープもサラダもとても美味しくて、私はお腹いっぱいになるまで食べた。
食後はアーレンが食器を片づけてくれている間に、私は奥の寝室で桶に汲んだ水で身を清め、寝間着に着替える。
寝室の扉が閉まっている時はアーレンは寝室に入らない、というのは私とアーレンが一番最初の決めた共同生活の掟だった。
ちなみに、これはアーレンから提案されたもので、当然ながら今まで一度も破られたことはない。
その後は床に胡坐をかくアーレンの膝に座って、漆黒の羽を撫でながらの癒しタイムだ。
いつもならお茶を淹れるところだけど、今日は葡萄酒をカップに注いである。
「ほらナディア、こういう時は、乾杯と言うんだ」
「あ、知ってる!カップを軽くぶつけあうのよね?」
乾杯!とカップをカチンとぶつけ、それから恐る恐る葡萄酒を一口含んだ。
美味しい……のかな?少し渋いような?酸っぱいような……これがお酒の味?
微妙な顔をする私をアレーンが覗き込んだ。
「もしかして、酒を飲むのは初めてか?」
「うん。葡萄からできてるのに、甘くないのね」
私が少し眉間に皺を寄せて首を傾げると、アーレンは笑った。
「葡萄酒はだいたいこんなものだ。種類によっては甘いのもあるが」
「そう……葡萄の甘みはどこに行っちゃったのかしら」
もう一口飲んでみた。
うーん……やっぱり、美味しいとも思えない。
「ねぇ、アーレン。これ、美味しい?」
「俺は美味しいと思うぞ」
「おばあちゃんがね、お酒は大人になったら美味しく感じるものだって言ってたの。だから、大人になってから飲むのをすごく楽しみにしてたんだけど……私、まだ子供なのかな?もう二十三歳なのに」
「そんなことはない。きみはもう大人だよ。まだ慣れてないだけだ。俺も、最初に酒を飲んだ時は、美味しいとは思えなかった」
「アーレンが最初にお酒を飲んだのは、何歳の時?」
「十三歳くらいだったと思う。あの時はこれよりもっと強い酒を無理やり注がれて、俺も意地になって一気に飲み干して、フラフラになってしまった。翌日は二日酔いで死ぬかと思ったよ」
落ち着いた大人の男性であるアーレンにも、そんな若くて無鉄砲なころがあったのだと思うと、なんだか不思議だ。
「二日酔いって、どんな感じなの?」
「頭が痛くなったり、吐き気が止まらなかったりするんだ。とにかく、最悪だ。病気でもないから薬もない」
アーレンは秀麗な顔を顰めながら教えてくれた。きっと、自分の経験を思い出しているのだろう。
「じゃあ、酔っぱらうってどんな感じ?」
「そうだな……頭の中がふわっとするというか……判断力が落ちるというか。人によるが、笑いだしたり泣き出したりする場合もある。他にも、踊りだしたり歌いだしたり、突然眠ったり、質の悪いのだと服を脱ぎたがるのもいたな。あれは迷惑だった……」
酔っぱらうって、そんなことになるの!?と目を丸くした私を金色の瞳が観察するように見下ろした。
「それで、初めて酒を飲んでみて、どうだ?酔っぱらったような感じはあるか?」
「うーん、よくわからないわ」
「最初は限界がわからないから、飲みすぎてしまうことがよくあるんだ。少しでもおかしいと思ったら、それ以上は無理をしないことだ」
「うん、わかった!」
と、元気よく返事をしたということまでは覚えているのに。
気が付いたら私はまたアーレンの腕の中に抱えられたまま朝を迎えてしまっていた。
「おはよう、ナディア」
身じろぎして目を開くと、穏やかなバリトンが上から降ってきた。
眠りに落ちる前になにがあったのか、必死に記憶を探って……葡萄酒を飲んで気分がよくなったことしか思い出せない。
あのまま心地いいアーレンの膝の上で眠ってしまったようだ。
「お、おはようございます……」
申し訳なくて恥ずかしくて、なぜか敬語で返事をして、それからはっと体を見下ろした。
……寝間着は昨日自分で着た時のままだった。
ほっと胸を撫でおろすと、漆黒の翼がさらりと私の頬に触れた。
「大丈夫だ。なにもしてないから」
「私、酔っても服を脱いだりしなかったのね。よかった……」
「……」
なにか言いたげな顔で口を噤んだアーレンに、私は首を傾げた。
「もしかして、私、なにかやらかした?」
「いや、やらかしてはいない。やらかしてはいないが……外では絶対に酒を飲まないと約束してくれ」
「え?どうして?」
「ナディアが酒に弱いからだ。二日酔いになりたくないだろう?」
二日酔い……頭痛と、吐き気がするんだっけ。
確かに、それは嫌だ。
「俺の呪いが解けたら、葡萄酒以外の酒もたくさん飲ませてやるから。女性が好む甘い果実酒なんかもある。だから、俺がいないところでは酒を飲むな。いいな?」
金色の瞳がいつになく真剣な色を湛えて圧をかけてくるので、私は反射的に頷いた。
よくわからないけど、きっとなにかやらかしたんだろうな……
アーレンの言う通り、お酒には手を出すのはやめようと思った。
それにしても。
アーレンは、『呪いが解けたら』と言った。
呪いが解ける糸口が見つかったのだろう。
アーレンがこんなにも私に優しいのは、私がアーレンを匿ってあげているからだ。
呪いが解けて元の姿に戻ったら、もうそんな必要もなくなる。
サミーと同じだ。アーレンもここを去り、二度と戻ってこない。
アーレンは本来、こんなところにいるような身分の人ではないのだろうから。
そして、私はまた一人になるのだ。
柔らかな漆黒の羽、きれいな金色の瞳、耳に心地いいバリトン、包み込むような優しさ。
大きな手で髪を撫でてくれて、甘えて胸に顔を埋めるとそっと抱きしめてくれる。
その全てを失うことを考えると胸がズキンと痛んだ。
最初からわかっていたことなのに。
そうなるように仕向けたのは、私自身なのに。
「ただいま、アーレン!」
家に帰ると、アーレンは薬草を数本束ねて紐で縛ったものを天井の梁に吊るしているところだった。
こうして乾燥させると薬効が長持ちするのだ。
私は椅子に乗らないと届かない天井の梁に、アーレンは手を伸ばしただけで届いてしまう。
最初は長く鋭い爪の扱いに苦労していたアーレンだが、今ではすっかり慣れたようで器用になんでもこなすようになった。
私はリュックとバスケットから次々と町で買ってきたものを取り出してテーブルに並べていった。
「チーズ、ベーコン、塩、砂糖、パン……それから、葡萄酒!アーレンが採ってきてくれた薬草が思ったより高く売れたから、今日は奮発してみたの」
自分でお酒を買ったのは、実はこれが初めてだった。
もうとっくに大人なんだけど、さらに大人になったような気がしてワクワクした。
「葡萄酒か!いいな!」
アーレンは破顔して私から葡萄酒が入った瓶を受け取った。
それから、はっとしたように悲しい顔になった。
「ナディア……こんなにたくさん、重かっただろう。すまない、俺が手伝えたらいいんだが……」
アーレンだったらこれの五倍くらいの荷物を余裕で運ぶことができるだろう。
私は笑って首を振った。
「いいのよ、気にしないで。慣れてるから。それより、晩御飯にしましょう!いい匂いがするけど、なにを作ってくれたの?」
「鹿肉と茸のスープだ。この前教えてもらったハーブも入れてみた。美味しくできたと思う。あと、畑の野菜でサラダも作ってみた」
「わぁ!ありがとう!お腹ペコペコなの!すぐに準備するね!」
私が買ってきたパンをスライスする間に、アーレンはスープとサラダを器によそってカトラリーまで出してくれた。
簡単な食前のお祈りをして、今夜も私たちは向かい合って食卓を囲んだ。
アーレンが作ってくれたスープもサラダもとても美味しくて、私はお腹いっぱいになるまで食べた。
食後はアーレンが食器を片づけてくれている間に、私は奥の寝室で桶に汲んだ水で身を清め、寝間着に着替える。
寝室の扉が閉まっている時はアーレンは寝室に入らない、というのは私とアーレンが一番最初の決めた共同生活の掟だった。
ちなみに、これはアーレンから提案されたもので、当然ながら今まで一度も破られたことはない。
その後は床に胡坐をかくアーレンの膝に座って、漆黒の羽を撫でながらの癒しタイムだ。
いつもならお茶を淹れるところだけど、今日は葡萄酒をカップに注いである。
「ほらナディア、こういう時は、乾杯と言うんだ」
「あ、知ってる!カップを軽くぶつけあうのよね?」
乾杯!とカップをカチンとぶつけ、それから恐る恐る葡萄酒を一口含んだ。
美味しい……のかな?少し渋いような?酸っぱいような……これがお酒の味?
微妙な顔をする私をアレーンが覗き込んだ。
「もしかして、酒を飲むのは初めてか?」
「うん。葡萄からできてるのに、甘くないのね」
私が少し眉間に皺を寄せて首を傾げると、アーレンは笑った。
「葡萄酒はだいたいこんなものだ。種類によっては甘いのもあるが」
「そう……葡萄の甘みはどこに行っちゃったのかしら」
もう一口飲んでみた。
うーん……やっぱり、美味しいとも思えない。
「ねぇ、アーレン。これ、美味しい?」
「俺は美味しいと思うぞ」
「おばあちゃんがね、お酒は大人になったら美味しく感じるものだって言ってたの。だから、大人になってから飲むのをすごく楽しみにしてたんだけど……私、まだ子供なのかな?もう二十三歳なのに」
「そんなことはない。きみはもう大人だよ。まだ慣れてないだけだ。俺も、最初に酒を飲んだ時は、美味しいとは思えなかった」
「アーレンが最初にお酒を飲んだのは、何歳の時?」
「十三歳くらいだったと思う。あの時はこれよりもっと強い酒を無理やり注がれて、俺も意地になって一気に飲み干して、フラフラになってしまった。翌日は二日酔いで死ぬかと思ったよ」
落ち着いた大人の男性であるアーレンにも、そんな若くて無鉄砲なころがあったのだと思うと、なんだか不思議だ。
「二日酔いって、どんな感じなの?」
「頭が痛くなったり、吐き気が止まらなかったりするんだ。とにかく、最悪だ。病気でもないから薬もない」
アーレンは秀麗な顔を顰めながら教えてくれた。きっと、自分の経験を思い出しているのだろう。
「じゃあ、酔っぱらうってどんな感じ?」
「そうだな……頭の中がふわっとするというか……判断力が落ちるというか。人によるが、笑いだしたり泣き出したりする場合もある。他にも、踊りだしたり歌いだしたり、突然眠ったり、質の悪いのだと服を脱ぎたがるのもいたな。あれは迷惑だった……」
酔っぱらうって、そんなことになるの!?と目を丸くした私を金色の瞳が観察するように見下ろした。
「それで、初めて酒を飲んでみて、どうだ?酔っぱらったような感じはあるか?」
「うーん、よくわからないわ」
「最初は限界がわからないから、飲みすぎてしまうことがよくあるんだ。少しでもおかしいと思ったら、それ以上は無理をしないことだ」
「うん、わかった!」
と、元気よく返事をしたということまでは覚えているのに。
気が付いたら私はまたアーレンの腕の中に抱えられたまま朝を迎えてしまっていた。
「おはよう、ナディア」
身じろぎして目を開くと、穏やかなバリトンが上から降ってきた。
眠りに落ちる前になにがあったのか、必死に記憶を探って……葡萄酒を飲んで気分がよくなったことしか思い出せない。
あのまま心地いいアーレンの膝の上で眠ってしまったようだ。
「お、おはようございます……」
申し訳なくて恥ずかしくて、なぜか敬語で返事をして、それからはっと体を見下ろした。
……寝間着は昨日自分で着た時のままだった。
ほっと胸を撫でおろすと、漆黒の翼がさらりと私の頬に触れた。
「大丈夫だ。なにもしてないから」
「私、酔っても服を脱いだりしなかったのね。よかった……」
「……」
なにか言いたげな顔で口を噤んだアーレンに、私は首を傾げた。
「もしかして、私、なにかやらかした?」
「いや、やらかしてはいない。やらかしてはいないが……外では絶対に酒を飲まないと約束してくれ」
「え?どうして?」
「ナディアが酒に弱いからだ。二日酔いになりたくないだろう?」
二日酔い……頭痛と、吐き気がするんだっけ。
確かに、それは嫌だ。
「俺の呪いが解けたら、葡萄酒以外の酒もたくさん飲ませてやるから。女性が好む甘い果実酒なんかもある。だから、俺がいないところでは酒を飲むな。いいな?」
金色の瞳がいつになく真剣な色を湛えて圧をかけてくるので、私は反射的に頷いた。
よくわからないけど、きっとなにかやらかしたんだろうな……
アーレンの言う通り、お酒には手を出すのはやめようと思った。
それにしても。
アーレンは、『呪いが解けたら』と言った。
呪いが解ける糸口が見つかったのだろう。
アーレンがこんなにも私に優しいのは、私がアーレンを匿ってあげているからだ。
呪いが解けて元の姿に戻ったら、もうそんな必要もなくなる。
サミーと同じだ。アーレンもここを去り、二度と戻ってこない。
アーレンは本来、こんなところにいるような身分の人ではないのだろうから。
そして、私はまた一人になるのだ。
柔らかな漆黒の羽、きれいな金色の瞳、耳に心地いいバリトン、包み込むような優しさ。
大きな手で髪を撫でてくれて、甘えて胸に顔を埋めるとそっと抱きしめてくれる。
その全てを失うことを考えると胸がズキンと痛んだ。
最初からわかっていたことなのに。
そうなるように仕向けたのは、私自身なのに。
応援ありがとうございます!
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