孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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「アーレン……私のこと知っていたのね」
「ああ、話に聞いていた」
「私の、刺繍のことも……知ってて、それで、私のところに来たのね」

 アーレンの胸を押して腕の中から逃れようとしたけど、逞しい腕は私を捉えたままびくともしなかった。

「否定はしないが、最後まで聞いてほしい。お願いだから」

 アーレンの声に懇願する響きが混ざって、私は抵抗するのを諦めた。
 どちらにしろ、私の力がアーレンに敵うはずがないのだ。

「俺は刺繍のことを秘密にすると誓った。サミュエルにも、絶対に口外するなと言い渡した。あいつはいつか、故郷に残した恋人を迎えに行くんだろうと思っていた。そんなことがあってから、俺はあいつに故郷のことを話すように話題を振るようになった。あいつも、懐かしいって言いながら、いろんなことを話してくれた。鍛冶職人として修行したこととか、森に木の実を採りに行ったこととか、恋人のこととか。羨ましかったよ……俺が持っていないものを、あいつは全て持っているように思えたんだ」

 私から見たら、サミーが持っていたものなんてほんの少しだけだった。
 アーレンはそれすらも持っていなかったのだろうか。王子様なのに?

「羨ましくて……いつか、ナディアに会いたいと思うようになった。利用しようというのではなくて、あいつの話に出てくる優しい恋人に、ただ会ってみたかったんだ。おかしな話だが、会えばそれだけで、俺の心に空いた穴が少しだけでも埋まるような気がしてた」

 サミー……いったい、アーレンに何を話したのだろう。
 私たちは特別なことはない、ごく普通の恋人だったはずなのに。
 いつも優しく紳士なアーレンは、そんなにも寂しい人だったのだろうか。

「この呪いにかかった時……最初に思い浮かんだのは、きみのことだった。きみなら、きっとこんな俺でも受け入れてくれるんじゃないかと、そんな希望を抱いてしまった。それでなくても、せめて一目、きみを見ることができたらと、そう思って必死で逃げて……気がついたら、きみが目の前にいた。艶やかな茶色い髪と、澄んだ菫色の瞳で……一目で、サミュエルが話していた恋人だとわかった。それなのに、俺は……一瞬で恋に落ちてしまった」

 え?今、なんて言ったの?

「そんなつもりじゃなかった。俺はただきみに、ほんの少しだけでもいいから、俺のことも救ってほしかったんだ……それさえ叶えば、あとはもう思い残すこともないと、どこかで野垂れ死にしても構わないと……だから、本当は、きみの家の中で目が覚めた直後に、俺は出ていくべきだった。でも、できなかった。きみがとても傷ついていたから……あいつと妹のブリジットの婚約が発表されたのは数日前のことだったから、それが原因だろうと思い当たった。こんな姿になった俺を、きみは全く怖がらず、親切にしてくれた。だから、今なら俺でもきみの側にいることが許されるのではないかと……側にさえいられるなら、ペットでもなんでもよかった。壊れそうになっていたきみを、一人にしたくなかった。それと同じくらい、俺も一人になりたくなかった。ただ、きみの側にいたかった。きみが弱っているところにつけこんででも」

 私は、初めて聞いたアーレンの胸の内に、どう言葉を返していいのかわからなかった。
 私はアーレンを匿い寝床を提供し、アーレンは私に食料と癒しを提供してくれる。
 そんな持ちつ持たれつの関係だとしか思っていなかった。
 特別な感情が心の中に芽生えているのは、私だけだと思っていた。

「ナディア、見てくれ」

 アーレンが私の目の前に手をかざした。
 その手にはいつものように鋭く長い金色の爪はなく、普通の人のと変わらない手になっていた。

「爪が……!」
「ああ。手だけ、元に戻せるようになった。だから、前よりもナディアに触れることができるようになったんだ」

 アーレンの手が私の頬に触れた。

「呪いが、少しだけ解けかけている。これは、きみが貸してくれた毛布のおかげだ。そうだろう?」

 私は頷いた。
 アーレンは毎晩、私が最初の日のかけてあげた毛布に包まって眠っている。

「あの毛布は……おばあちゃんのだったの。おばあちゃんの体が痛いのが良くなりますように、病気に罹りませんように、悪いものを寄せつけませんようにって……たくさんお祈りしながら刺繍をしたの。サミーに持たせた衣類と同じくらいに。だから……」
 
 だから、あの毛布を使い続けていたら、いつかアーレンの呪いも解けると思って貸していたのだ。

「きみが普段、お針子の仕事として刺している刺繍には、特に力はない。だが、心から祈りながら刺した刺繍には、きみが望んだような加護が宿る。きみは、そんな祝福を授けられている。そうだな?」

 私は再び頷いた。
 私の持っている祝福は、正にアーレンが指摘した通りのものだ。

 祝福とは、血筋に関係なく、ごく稀に得られるものだと言われている。
 これは魔法とは無関係で、魔力がなくても使うことができる。
 どんな祝福がいつだれに与えられるか、というのはだれにもわからない。
 祝福には様々な種類があり、雨を降らせることができるとか、動物と会話ができるとか、そういうわかりやすいものもあれば、人より少し傷が治るのが早い、といったわかりにくいものもある。
 私の場合は、おばあちゃんに刺繍を教えてもらって初めて祝福を持っていることがわかった。
 それがわかったのも、偶然おばあちゃんが魔法使いだったからだ。
 もしおばあちゃんがいなかったら、私が一度も刺繍をすることなく人生を終えていたら、この祝福のことは知らないままだっただろう。
 
「私の祝福のことを知っているのは、おばあちゃんと私だけ。絶対にだれにも言ってはいけないって、おばあちゃんに何度も念を押されたわ」
「サミュエルも知らないようだったな」
「サミーは、少しお調子者なところがあるから、三十歳くらいになって、落ち着いた大人になるまで秘密にしろって言われたの」
「そうか……おばあ様は賢明だったな。きみの能力は、とてつもない富を生み出すことができる。このことがだれかに知られたら、間違いなくきみの身に危険が及ぶ。俺もこれがきみじゃなかったら、強引にでも国で保護しようとしただろう」

 私は、アーレンの金色の瞳を見上げた。

「それで?私の祝福を知ったアーレンは、私をどうするの?」

 不安でいっぱいな私に、アーレンは微笑んで首を振った。

「どうもしないよ。今まで通りだ。もちろん、俺が側にいることをきみが許してくれるなら、だが」 

 私はぱちぱちと瞬きをしてアーレンを見つめた。

「それでいいの?」
「俺は、きみの祝福を利用したいわけじゃない。きみが側にいさせてくれるのなら、ずっとこのままの姿でも構わない。きみがいれば、俺は他になにもいらない」
「呪いが解けてほしいって、思わないの?」
「それよりもきみのことが大事なんだ。きみは、もしこの呪いが解けたら、俺がきみを置いて出ていくって思っていたんじゃないか?」

 私は、少し気まずい気分で頷いた。

「もし呪いが解けたら、俺が最初にすることは、きみの願いを叶えてあげることだ。俺としては、美味しいものをたくさん食べさせて、きみに似合うドレスを着せて、美しい景色を見せてあげたい。海に行くのもいいな。もちろん、遠くに行ったりせずに、あの家でずっと二人で暮らしてもいい。きみを笑顔にするために、俺はなんだってするよ。きみを置いていったりしない」

 海……いつか見てみたいって、以前にアーレンに話したことがあった。
 メルカトと森しか知らない私には夢物語だと思っていたが、アーレンはそれを叶えると言ってくれている。
 そんなことを言ってくれたのは、アーレンが初めてだった。

「じゃあ……ずっと側にいてほしいって言ったら、そうしてくれるの?」
「もちろんだ。むしろ、そう言ってくれたら、俺はとても嬉しい」
「私を、一人にしない?」
「しないよ。きみがいない生活など、俺にはもう耐えられない」
「でも……アーレンは、王子様なんでしょ?私なんかと、いてもいいの?」
「王子としての俺はもう死んでる。殺されたんだ。正直なところ、こうなって清々したよ。王宮での生活は息がつまるものだった。ナディアと暮らし始めてそれに気がついた。もうあんな生活には戻れない」

 アーレン王子が死んだことになっているのは間違いない。だって、新聞にも載っているくらいなのだから。

「ナディア……俺はきみが好きだ。ずっと、一緒にいたい。ペットでもなんでもいいから、側にいさせてほしい。俺にはきみだけなんだ。きみがいないと、俺は生きていけない」

 金色の瞳の真摯な光は、私の心の奥底まで届くようだった。

「アーレン……」

 私は両手を伸ばしてその秀麗な頬を包み、引き寄せるようにしてそっと口づけた。

 もうずっと前から、私はこうしたかったのだ。
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