孤独なお針子が拾ったのは最強のペットでした

鈴木かなえ

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㉛サミュエル視点

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 両手を縛られたナディアが幌がついた荷馬車の床に転がっている。
 エケルトから出てしばらく経った。
 アーレン殿下は、ナディアが攫われたことにもう気が付いただろうか。
 それなりに距離は稼いだので、単騎で追ってくるにしても追いつかれるまでにはまだ時間がかかるはずだ。
 馬で追ってくるなら、の話ではあるが。

「……ん……」

 ナディアが小さく声を上げて身じろぎをした。
 目覚めが近い。

 俺を見たナディアは、一番最初にどんな言葉を口にするのだろうか。
 それが知りたくて、俺は固唾をのんでその瞳が開かれるのを見つめた。
 何度か瞬きをして、その瞳の焦点を合わせながら自分の身になにが起こったのかを思い出しているようだ。
 俺の知っているきれいな菫色ではなく、魔法具で茶色になっている瞳がさまよい、それから俺の顔を見上げた。

「ナディア、」

 会いたかった。そう言ってその頬に手を伸ばそうとしたが、触れることはできなかった。

「触らないでよ!」

 ナディアが全力で拒否をしたからだ。
 その瞳は憎悪と怒りに染まり、俺を睨みつけている。

 ああ、やっぱりこうなるのか。
 甘い希望は粉々に打ち砕かれた。

「サミー!私を攫ったの!?」
「ナディア、俺は」
「私をどうするつもり!?人質にするの!?今度こそアーレンを殺すの!?そんなの許さないわ!」
「そんなことはしない!」
「あんたみたいな卑怯者の言うことなんて信じられるわけないでしょ!」
「俺は卑怯なことなど」
「現に私を攫ってるじゃないの!これが卑怯でなくてなんだというのよ!将軍様になって、頭のネジが緩んだんじゃない?」

 俺たちから距離をとって様子を伺っていた部下たちが顔色を変えるのがわかった。
 ナディアが言った、『今度こそアーレンを殺す』というところに反応したのだ。
 部下たちもアーレン殿下を敬愛しており、今回の任務もアーレン殿下に戻ってきてもらうためのものだと説明してある。
 犯罪紛いでナディアを攫ったのも、俺が説得してナディアの協力を取り付けるためだと聞かされていたのに、ナディアが激しく俺を拒絶した上に不穏極まりないことを言い出したのだ。
 今度こそということは、以前にそういったことがあったということだ。
 誰がなぜそんなことを、と疑問に思うのも、そんなことの片棒を担ぐのは嫌だと思うのも当然だ。

「あんた、私になにをしたか忘れたの?内乱罪だなんて冤罪まででっち上げておいて!アーレンがいなかったら、私はあんたが送りつけたあの男たちに凌辱されて殺されてたわ!可愛いお姫様と結婚するのに、そんなに私が邪魔だったの?それとも、私が王都にまで行って、あんたの婚約者だって言いふらすとでも思った?そんなことするわけないじゃない!」
「ち、違う、あれは手違いだったんだ」
「手違いで殺されたら、たまったもんじゃないわよ!もうお貴族様になったあんたにとっては、田舎の平民の命なんて、道端の小石程度の価値しかないんでしょうけどね!」
「そんなわけないだろ!人の命を軽んじたことなんてない!」

 貴族にはなったが、俺の根っこの部分は平民のままだ。
 きっと、これは一生このままだと思う。
 平民と道端の小石が同じに思えるはずがない。

「すまなかった!あんなことになるはずはなかったんだ!俺は、きみを王都に呼び寄せるために、迎えを送ったはずだったんだ……この八年、きみを思い出さない日は一日だってなかった。ずっと会いたかったんだ!」

 だが、俺の必死の訴えに、ナディアは嘲笑を返した。

「口先だけで甘い言葉を囁けば、私が信じるとでも思っているの?どうせならもっとまともな嘘をつきなさいよ。卑怯者なだけじゃなくて、嘘つきで、さらに頭も悪いのね。わかっていたけど、あんたってやっぱり最低。がっかりだわ。こんなのが将軍様じゃ、軍の人たちも大変でしょうね」

 ずっと聞きたかった可愛い声で罵るナディア。
 俺の知るナディアは、こんなことは言わなかった。
 ナディアをこんなに変えてしまったのは、八年の歳月か、それともアーレン殿下か。

 そう思うと堪えきれなくて再び伸ばした手は、またも激しく拒絶された。

「汚い手で触らないで!あんたなんかにいいようにされるくらいなら、舌を噛んで死んでやるわ!」

 部下たちのもの言いたげな視線が突き刺さっているのを感じる。

 この様子では、ナディアを説得して協力をとりつけるなど、どう考えても無理だ。
 それに、ナディアは将軍を酷く憎んでいる。
 軍の任務にあたっているはずなのに、これでは本当にただの人攫いのようではないか……

 そんな心の声が聞こえてくるようだった。
 
 ドン、という音が荷馬車の進行方向から響いたのはそんな時だった。

 荷馬車を牽く馬が驚いて嘶きながら後ろ足で立ち上がった。
 慌てて前方に目を向けると、地面から木の幹くらいの太さの氷の柱が生えているのが見えた。

 いや、違う。生えているのではない。
 そう理解した瞬間、同じような氷の柱が空からいくつも降ってきた。
 俺の身長の二倍くらいの長さがある柱は、荷馬車を取り囲んで閉じ込めるように規則的に地面に突き刺さっていき、瞬く間に俺たちは氷の檻の中に閉じ込められてしまった。

「氷魔法……アーレン殿下……」

 部下の一人が呟いた。

 そうだ。ついに、アーレン殿下が追いついてきたのだ。

「アーレン!助けて!私はここよ!ここにいるわ!」

 ナディアが叫ぶ。その声には、さっきまでの憎悪の響きはなく、喜びと信頼に溢れていた。

「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
 
 よく通るバリトンが降ってきた。
 この声に、戦場でどれだけ励まされたことか。
 
「アーレン殿下!」

 俺は荷馬車を飛び出した。
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