31 / 61
㉛サミュエル視点
しおりを挟む
両手を縛られたナディアが幌がついた荷馬車の床に転がっている。
エケルトから出てしばらく経った。
アーレン殿下は、ナディアが攫われたことにもう気が付いただろうか。
それなりに距離は稼いだので、単騎で追ってくるにしても追いつかれるまでにはまだ時間がかかるはずだ。
馬で追ってくるなら、の話ではあるが。
「……ん……」
ナディアが小さく声を上げて身じろぎをした。
目覚めが近い。
俺を見たナディアは、一番最初にどんな言葉を口にするのだろうか。
それが知りたくて、俺は固唾をのんでその瞳が開かれるのを見つめた。
何度か瞬きをして、その瞳の焦点を合わせながら自分の身になにが起こったのかを思い出しているようだ。
俺の知っているきれいな菫色ではなく、魔法具で茶色になっている瞳がさまよい、それから俺の顔を見上げた。
「ナディア、」
会いたかった。そう言ってその頬に手を伸ばそうとしたが、触れることはできなかった。
「触らないでよ!」
ナディアが全力で拒否をしたからだ。
その瞳は憎悪と怒りに染まり、俺を睨みつけている。
ああ、やっぱりこうなるのか。
甘い希望は粉々に打ち砕かれた。
「サミー!私を攫ったの!?」
「ナディア、俺は」
「私をどうするつもり!?人質にするの!?今度こそアーレンを殺すの!?そんなの許さないわ!」
「そんなことはしない!」
「あんたみたいな卑怯者の言うことなんて信じられるわけないでしょ!」
「俺は卑怯なことなど」
「現に私を攫ってるじゃないの!これが卑怯でなくてなんだというのよ!将軍様になって、頭のネジが緩んだんじゃない?」
俺たちから距離をとって様子を伺っていた部下たちが顔色を変えるのがわかった。
ナディアが言った、『今度こそアーレンを殺す』というところに反応したのだ。
部下たちもアーレン殿下を敬愛しており、今回の任務もアーレン殿下に戻ってきてもらうためのものだと説明してある。
犯罪紛いでナディアを攫ったのも、俺が説得してナディアの協力を取り付けるためだと聞かされていたのに、ナディアが激しく俺を拒絶した上に不穏極まりないことを言い出したのだ。
今度こそということは、以前にそういったことがあったということだ。
誰がなぜそんなことを、と疑問に思うのも、そんなことの片棒を担ぐのは嫌だと思うのも当然だ。
「あんた、私になにをしたか忘れたの?内乱罪だなんて冤罪まででっち上げておいて!アーレンがいなかったら、私はあんたが送りつけたあの男たちに凌辱されて殺されてたわ!可愛いお姫様と結婚するのに、そんなに私が邪魔だったの?それとも、私が王都にまで行って、あんたの婚約者だって言いふらすとでも思った?そんなことするわけないじゃない!」
「ち、違う、あれは手違いだったんだ」
「手違いで殺されたら、たまったもんじゃないわよ!もうお貴族様になったあんたにとっては、田舎の平民の命なんて、道端の小石程度の価値しかないんでしょうけどね!」
「そんなわけないだろ!人の命を軽んじたことなんてない!」
貴族にはなったが、俺の根っこの部分は平民のままだ。
きっと、これは一生このままだと思う。
平民と道端の小石が同じに思えるはずがない。
「すまなかった!あんなことになるはずはなかったんだ!俺は、きみを王都に呼び寄せるために、迎えを送ったはずだったんだ……この八年、きみを思い出さない日は一日だってなかった。ずっと会いたかったんだ!」
だが、俺の必死の訴えに、ナディアは嘲笑を返した。
「口先だけで甘い言葉を囁けば、私が信じるとでも思っているの?どうせならもっとまともな嘘をつきなさいよ。卑怯者なだけじゃなくて、嘘つきで、さらに頭も悪いのね。わかっていたけど、あんたってやっぱり最低。がっかりだわ。こんなのが将軍様じゃ、軍の人たちも大変でしょうね」
ずっと聞きたかった可愛い声で罵るナディア。
俺の知るナディアは、こんなことは言わなかった。
ナディアをこんなに変えてしまったのは、八年の歳月か、それともアーレン殿下か。
そう思うと堪えきれなくて再び伸ばした手は、またも激しく拒絶された。
「汚い手で触らないで!あんたなんかにいいようにされるくらいなら、舌を噛んで死んでやるわ!」
部下たちのもの言いたげな視線が突き刺さっているのを感じる。
この様子では、ナディアを説得して協力をとりつけるなど、どう考えても無理だ。
それに、ナディアは将軍を酷く憎んでいる。
軍の任務にあたっているはずなのに、これでは本当にただの人攫いのようではないか……
そんな心の声が聞こえてくるようだった。
ドン、という音が荷馬車の進行方向から響いたのはそんな時だった。
荷馬車を牽く馬が驚いて嘶きながら後ろ足で立ち上がった。
慌てて前方に目を向けると、地面から木の幹くらいの太さの氷の柱が生えているのが見えた。
いや、違う。生えているのではない。
そう理解した瞬間、同じような氷の柱が空からいくつも降ってきた。
俺の身長の二倍くらいの長さがある柱は、荷馬車を取り囲んで閉じ込めるように規則的に地面に突き刺さっていき、瞬く間に俺たちは氷の檻の中に閉じ込められてしまった。
「氷魔法……アーレン殿下……」
部下の一人が呟いた。
そうだ。ついに、アーレン殿下が追いついてきたのだ。
「アーレン!助けて!私はここよ!ここにいるわ!」
ナディアが叫ぶ。その声には、さっきまでの憎悪の響きはなく、喜びと信頼に溢れていた。
「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
よく通るバリトンが降ってきた。
この声に、戦場でどれだけ励まされたことか。
「アーレン殿下!」
俺は荷馬車を飛び出した。
エケルトから出てしばらく経った。
アーレン殿下は、ナディアが攫われたことにもう気が付いただろうか。
それなりに距離は稼いだので、単騎で追ってくるにしても追いつかれるまでにはまだ時間がかかるはずだ。
馬で追ってくるなら、の話ではあるが。
「……ん……」
ナディアが小さく声を上げて身じろぎをした。
目覚めが近い。
俺を見たナディアは、一番最初にどんな言葉を口にするのだろうか。
それが知りたくて、俺は固唾をのんでその瞳が開かれるのを見つめた。
何度か瞬きをして、その瞳の焦点を合わせながら自分の身になにが起こったのかを思い出しているようだ。
俺の知っているきれいな菫色ではなく、魔法具で茶色になっている瞳がさまよい、それから俺の顔を見上げた。
「ナディア、」
会いたかった。そう言ってその頬に手を伸ばそうとしたが、触れることはできなかった。
「触らないでよ!」
ナディアが全力で拒否をしたからだ。
その瞳は憎悪と怒りに染まり、俺を睨みつけている。
ああ、やっぱりこうなるのか。
甘い希望は粉々に打ち砕かれた。
「サミー!私を攫ったの!?」
「ナディア、俺は」
「私をどうするつもり!?人質にするの!?今度こそアーレンを殺すの!?そんなの許さないわ!」
「そんなことはしない!」
「あんたみたいな卑怯者の言うことなんて信じられるわけないでしょ!」
「俺は卑怯なことなど」
「現に私を攫ってるじゃないの!これが卑怯でなくてなんだというのよ!将軍様になって、頭のネジが緩んだんじゃない?」
俺たちから距離をとって様子を伺っていた部下たちが顔色を変えるのがわかった。
ナディアが言った、『今度こそアーレンを殺す』というところに反応したのだ。
部下たちもアーレン殿下を敬愛しており、今回の任務もアーレン殿下に戻ってきてもらうためのものだと説明してある。
犯罪紛いでナディアを攫ったのも、俺が説得してナディアの協力を取り付けるためだと聞かされていたのに、ナディアが激しく俺を拒絶した上に不穏極まりないことを言い出したのだ。
今度こそということは、以前にそういったことがあったということだ。
誰がなぜそんなことを、と疑問に思うのも、そんなことの片棒を担ぐのは嫌だと思うのも当然だ。
「あんた、私になにをしたか忘れたの?内乱罪だなんて冤罪まででっち上げておいて!アーレンがいなかったら、私はあんたが送りつけたあの男たちに凌辱されて殺されてたわ!可愛いお姫様と結婚するのに、そんなに私が邪魔だったの?それとも、私が王都にまで行って、あんたの婚約者だって言いふらすとでも思った?そんなことするわけないじゃない!」
「ち、違う、あれは手違いだったんだ」
「手違いで殺されたら、たまったもんじゃないわよ!もうお貴族様になったあんたにとっては、田舎の平民の命なんて、道端の小石程度の価値しかないんでしょうけどね!」
「そんなわけないだろ!人の命を軽んじたことなんてない!」
貴族にはなったが、俺の根っこの部分は平民のままだ。
きっと、これは一生このままだと思う。
平民と道端の小石が同じに思えるはずがない。
「すまなかった!あんなことになるはずはなかったんだ!俺は、きみを王都に呼び寄せるために、迎えを送ったはずだったんだ……この八年、きみを思い出さない日は一日だってなかった。ずっと会いたかったんだ!」
だが、俺の必死の訴えに、ナディアは嘲笑を返した。
「口先だけで甘い言葉を囁けば、私が信じるとでも思っているの?どうせならもっとまともな嘘をつきなさいよ。卑怯者なだけじゃなくて、嘘つきで、さらに頭も悪いのね。わかっていたけど、あんたってやっぱり最低。がっかりだわ。こんなのが将軍様じゃ、軍の人たちも大変でしょうね」
ずっと聞きたかった可愛い声で罵るナディア。
俺の知るナディアは、こんなことは言わなかった。
ナディアをこんなに変えてしまったのは、八年の歳月か、それともアーレン殿下か。
そう思うと堪えきれなくて再び伸ばした手は、またも激しく拒絶された。
「汚い手で触らないで!あんたなんかにいいようにされるくらいなら、舌を噛んで死んでやるわ!」
部下たちのもの言いたげな視線が突き刺さっているのを感じる。
この様子では、ナディアを説得して協力をとりつけるなど、どう考えても無理だ。
それに、ナディアは将軍を酷く憎んでいる。
軍の任務にあたっているはずなのに、これでは本当にただの人攫いのようではないか……
そんな心の声が聞こえてくるようだった。
ドン、という音が荷馬車の進行方向から響いたのはそんな時だった。
荷馬車を牽く馬が驚いて嘶きながら後ろ足で立ち上がった。
慌てて前方に目を向けると、地面から木の幹くらいの太さの氷の柱が生えているのが見えた。
いや、違う。生えているのではない。
そう理解した瞬間、同じような氷の柱が空からいくつも降ってきた。
俺の身長の二倍くらいの長さがある柱は、荷馬車を取り囲んで閉じ込めるように規則的に地面に突き刺さっていき、瞬く間に俺たちは氷の檻の中に閉じ込められてしまった。
「氷魔法……アーレン殿下……」
部下の一人が呟いた。
そうだ。ついに、アーレン殿下が追いついてきたのだ。
「アーレン!助けて!私はここよ!ここにいるわ!」
ナディアが叫ぶ。その声には、さっきまでの憎悪の響きはなく、喜びと信頼に溢れていた。
「遅くなってすまない。もう大丈夫だ」
よく通るバリトンが降ってきた。
この声に、戦場でどれだけ励まされたことか。
「アーレン殿下!」
俺は荷馬車を飛び出した。
89
あなたにおすすめの小説
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
冷酷な王の過剰な純愛
魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、
離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。
マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。
そこへ王都から使者がやってくる。
使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。
王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。
マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。
・エブリスタでも掲載中です
・18禁シーンについては「※」をつけます
・作家になろう、エブリスタで連載しております
ぼっち異世界生活が嫌なので、人型ゴーレムを作ったら過度に執着されて困っています!
寺原しんまる
恋愛
「魔力が無いのに「魔女」と名乗るルーチェとマスター命の人型ゴーレムのお話」
星花は中学の入学式に向かう途中で交通事故に遭う。車が身体に当たったはずが、無傷で富士山の樹海のような場所に横たわっていた。そこが異世界だと理解した星花は、ジオンという魔法使いに拾われてルーチェと名付けられる。ルーチェが18歳になった時にジオンが他界。一人が寂しく不安になり、ルーチェは禁断の魔術で人型ゴーレムを作成してしまう。初めは無垢な状態のゴーレムだったが、スポンジのように知識を吸収し、あっという間に成人男性と同じ一般的な知識を手に入れた。ゴーレムの燃料はマスターの体液。最初は血を与えていたが、ルーチェが貧血になった為に代わりにキスで体液を与え出す。キスだと燃料としては薄いので常にキスをしないといけない。もっと濃厚な燃料を望むゴーレムは、燃料の受け取り方を次第にエスカレートさせていき、ルーチェに対する異常な執着をみせるのだった。
転生したら地味ダサ令嬢でしたが王子様に助けられて何故か執着されました
古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
皆様の応援のおかげでHOT女性向けランキング第7位獲得しました。
前世病弱だったニーナは転生したら周りから地味でダサいとバカにされる令嬢(もっとも平民)になっていた。「王女様とか公爵令嬢に転生したかった」と祖母に愚痴ったら叱られた。そんなニーナが祖母が死んで冒険者崩れに襲われた時に助けてくれたのが、ウィルと呼ばれる貴公子だった。
恋に落ちたニーナだが、平民の自分が二度と会うことはないだろうと思ったのも、束の間。魔法が使えることがバレて、晴れて貴族がいっぱいいる王立学園に入ることに!
しかし、そこにはウィルはいなかったけれど、何故か生徒会長ら高位貴族に絡まれて学園生活を送ることに……
見た目は地味ダサ、でも、行動力はピカ一の地味ダサ令嬢の巻き起こす波乱万丈学園恋愛物語の始まりです!?
小説家になろうでも公開しています。
第9回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作品
乙女ゲームの世界に転移したら、推しではない王子に溺愛されています
砂月美乃
恋愛
繭(まゆ)、26歳。気がついたら、乙女ゲームのヒロイン、フェリシア(17歳)になっていた。そして横には、超絶イケメン王子のリュシアンが……。推しでもないリュシアンに、ひょんなことからベタベタにに溺愛されまくることになるお話です。
「ヒミツの恋愛遊戯」シリーズその①、リュシアン編です。
ムーンライトノベルズさんにも投稿しています。
山に捨てられた元伯爵令嬢、隣国の王弟殿下に拾われる
しおの
恋愛
家族に虐げられてきた伯爵令嬢セリーヌは
ある日勘当され、山に捨てられますが逞しく自給自足生活。前世の記憶やチートな能力でのんびりスローライフを満喫していたら、
王弟殿下と出会いました。
なんでわたしがこんな目に……
R18 性的描写あり。※マークつけてます。
38話完結
2/25日で終わる予定になっております。
たくさんの方に読んでいただいているようで驚いております。
この作品に限らず私は書きたいものを書きたいように書いておりますので、色々ご都合主義多めです。
バリバリの理系ですので文章は壊滅的ですが、雰囲気を楽しんでいただければ幸いです。
読んでいただきありがとうございます!
番外編5話 掲載開始 2/28
【番外編完結】聖女のお仕事は竜神様のお手当てです。
豆丸
恋愛
竜神都市アーガストに三人の聖女が召喚されました。バツイチ社会人が竜神のお手当てをしてさっくり日本に帰るつもりだったのに、竜の神官二人に溺愛されて帰れなくなっちゃう話。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる