8分間のパピリオ

横田コネクタ

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3.ここにいていい理由

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「なに考えてるんですか……!」

 大学病院の待合室で、処置を終えたばかりの華山先輩に怒鳴ってしまった。夏風邪の少年と付き添いの母親がこちらを一瞥する。

 華山先輩はリノリウムの床の一点から目を離さないまま、静かに言った。

「……ごめん」

「次戦まであと3週間しかないんですよ? うちは先輩しか操縦者いないんですから、自覚持ってください……」

 バイクでの転倒。自損事故だった。雨に濡れた路面で滑ったらしい。バイクは投げ出された先輩を置いて滑っていって、ガードレールに衝突。バイクはお釈迦。

 怪我の診断結果は、前腕橈骨の骨折。肘から先の、親指側の骨がポキリと折れたらしい。手術するほどの怪我ではなかったが、腕には重々しいギプス。全治5週間。右腕が動かせないとなるとソレウス構造体を捕捉できない。次戦は厳しいだろう。

 頭が熱い。握った拳がヒリついていた。ヨウジロウが僕の肘を引いた。マドカが僕を睨んでいる。僕は自分がやってしまったことを察して、ヨウジロウについて病院の外に出た。華山先輩を見られなかった。冷静さを欠いた自分を恥じた。

 病院の前であることも御構い無しにヨウジロウは黙ってタバコをふかす。しばらくして病院から出てきたマドカに、もちろん、叱られた。丸眼鏡の奥が潤んでいるように見える。

「先輩はソレウスキラーのことしか考えてないんですか」

 マドカの言うことは正しい。まず仲間の怪我を心配するのが人間として当たり前だ。華山先輩だって次戦が近いことなんて分かっているし、そんな時に事故を起こしてしまったことに少なからず罪悪感があったはずだ。そんな先輩に僕は「ごめん」という3文字を言わせてしまった。その言葉を言うべきなのは僕の方だった。ひとり、病院に戻ったが、先輩はもういなかった。

 気づけば、誰もいない部室で電気もつけずに座っていた。どうやって病院から部室に戻ったのか覚えていない。雲はすっかり消え去って、窓から西日が射しこむ。その夕日に照らされた薄暗い部室をゆっくりと眺める。ここは居心地がいい。みんなの匂い(主にヨウジロウのタバコの匂いだけど)が、人懐っこい猫が甘えるように体を包んだ。

 ここが居心地がいいのは、4人の部屋だから。僕だけの部屋じゃないし、ヨウジロウのでも、マドカのものでも、華山先輩だけのものでもない。誰一人欠けちゃならない。みんなの場所。僕は、壁に貼られた、たった1つだけの僕の私物を撫でた。

 古い(と言っても10年前くらいの)『ジャイアント・アーマーズ』のポスター。“ジャイアント・アーマーズ”は巨大なロボットに乗り込んだ操縦者同士が戦う大会だった。武器の使用と操縦席への直接攻撃以外はなんでもありのバーリートゥド形式だが、使用するマシンについて厳正にルールがあって、それに基づいて製作されたものでなければならない。

 絶大な人気を誇り、4年程続いたが、ある“事故”とVRゲームの台頭によって終了。忘れ去られつつあるが、今でも根強いファンがいる。僕もそんなファンの一人だった。

 初めてテレビで“ジャイアント・アーマーズ”を観た時のことは生涯忘れることはないだろう。体高18メートルの人型ロボット。ルールの範囲で参加者が思い思いに工夫を凝らした派手な機体。アメコミのヒーローを思わせるマッシブな腕。とてつもない重さを支えつつも、機敏な動きを可能にする多脚。分厚い強化アクリルで守られたコックピットには、性別、年齢、人種は様々だが、一様に目を爛々とさせた猛者たち。

 格闘技の伝統に則った金属性のゴングが響くと、それをかき消すようにすぐさま機体と機体がぶつかる音が心臓を震わす。ビール片手の観客とピットに控えるスタッフたちが、がなる声。文字通り天高く振り投げられたアームが相手の機体を叩く。装甲と火花が弾け飛ぶ。油圧のためのどす黒いオイルが血のように吹き出し、冷却用の精製水が蒸気となって立ち昇る。砂埃の中で組み合う鉄の巨人たち。

 しばらく膠着状態が続くだろう、と誰しもが予想したその時、繰り出された強烈な右のパンチが相手の機体のど真ん中を貫く。とどめを刺された相手の機体は動けなくなり、そのまま立ち尽くす。膝から崩れ落ちたりはしない。貫かれた相手の右腕に支えられて、始めからそういうオブジェだったみたいに、2つの機体がもつれ合ったまま固まる。まるで決着の瞬間を誇示するかのように。観客の拍手と歓声が会場を包む。

 子供の頃、将来の夢は“ジャイアント・アーマーズ”の闘技者だった。でも“ジャイアント・アーマーズ”は僕の夢を叶える前に終わってしまった。闘技者の死亡事故が起きた。厳正なルールで死亡事故が起こらないよう、主催者側は配慮していたようだが、事故はいつか起きるものだから仕方ない。

 闘技者たちは、『死』なんてものは了承済みだったはずだ。命をかけた戦い。そこに誰もが惹かれていた。リング禍というのは他の格闘技でも起きる。あってはならないことだし、残された遺族や夢半ばにして亡くなった選手のことを思うとやりきれない。しかし、リング禍が起きても、その競技は続く。伝統の差だろうか。“ジャイアント・アーマーズ”は呆気なく終わってしまった。

 きっと死亡事故はただのきっかけに過ぎなかったのだ。大会を始めたアメリカの興行会社を買収したのは、ヤウラウ社だった。現在、“イントゥ・ブラッド”を主催し、ソ対機に寄付をしていると噂される巨大な中国企業。もとは商社であったが、今や多方面に手を出しており何の会社かはもはやわからない。

 気に入らない他の企業や国があったのだろう。金や利権はいつの時代も人を惑わせる。裏で色々な人々の思惑がぶつかり合って、“ジャイアント・アーマーズ”もその戦いに巻き込まれたのだ。

 僕の中の夢が1つ終わった頃、もうひとつの夢を見つけた。それがソレウスキラーだった。自分の命をかけて戦うのではなく、誰かの命のために戦う。小さな機体だけれど、大きさなんてものは相対的なもので、人体という小宇宙は僕にとって、外宇宙のそれとスケールが同じだった。

 高校生の頃、模試でどれだけ判定が振るわなくても蒲生里大にこだわったのは、操縦研があったからで、ここで諦めるようじゃ、大学入試とは比べ物にならないほど高難度の掃討実験予備試験なんて乗り越えられないと自分を鼓舞した。

 努力の甲斐あり、大学へ入学したその日、僕は操縦研の扉を叩いた。1回生の夏、先輩たちがほとんどやめた。就活や卒論、院試とみな様々な理由を挙げたが、それは建前ってやつだろう。結果が出ていなかった。次の年、要するに今年の春だけど、僕らがソ対機の選考を通ったのは、確かに僕らの努力もあったけど、それまで操縦研を守ってきた先輩たちのおかげでもある。国が行う予備試験は2代前の先輩たちが通過した。予備試験に通ると国から補助金が出る。僕らは先輩たちが残した遺産で、今日の成功を勝ち取ったのだ。

 やめていった先輩たちを責めることはできない。やめずに残った華山先輩を責めることなんて、もっとできない。華山先輩は何を考えてるのかわからない。なぜ操縦研に残ったのか。ソレウスキラーに執着するのか。先輩はすでに2回留年していて、卒業する気も就職する気もなさそうだから、暇つぶしに操縦研にいるとか? いや違うかな。よくわからない。


 部室の扉が開く音がした。管理人だろうと思い、「すみません、もう帰りますから」と言いかけて振り返ると、華山先輩が立っていた。腕のギプスはやっぱりついたままで、でもきっちり黒いコートを羽織っていた。逆光で表情が読めなかった。

「石立くん、まだいたの? 」

「……ごめんなさい!」

 頭を下げた。泣きそうだった。僕は部長だ。華山先輩みたいに操縦のセンスはないし、ヨウジロウみたいに理知的で、メカやプログラミングに詳しくないし、マドカみたいに常に明るくてみんなに気を配ったりできないけど、僕は部長。僕がここにいていい理由は、なんだ。部員のことを1番に考えられないで、部長なんて務まるわけがない。足が震えていた。

「いいんだよ、謝らなくて。頭上げてよ」

 雑多な部室の床に目を伏せたままの僕を、華山先輩が起こした。

「気にしてないよ。確かに私の責任感が足りなかった。ちょっとうまくいきすぎて浮かれてたのかも、わたし」

 先輩は笑っていた。

「必要とされてるだけ嬉しいんだよ。ここにいていい理由があるんだ、って思えるから。わたしも、みんなも、コウジが優しいこと知ってる。たまにちょっと熱くなりすぎるとこはあるけどね」

 優しいのは先輩の方だ。「陰気なキャラはヨウジロウだけでいい」なんて言いながら、左手に持っていたペットボトルを開けようとする。クリームソーダ。さっき僕が渡したやつ。

 利き手が使えないでいる先輩から取り上げ、封を開けた。先輩はクリームソーダが好きだ。いや、好きなのかは定かではないが、自販機でしか売っていないこのクリームソーダをよく飲む。一口飲んで、目を瞑る。

「わたし、次もやるから」

 次。8月9日の次戦のことか。僕は、ソ対機に次戦の辞退を伝える気でいた。その旨を先輩に伝えたが、先輩は左手で髪をかきあげ、鋭い目で僕を見つめる。

「右手で捕捉できなくたって、やれる。わたし、負ける気しないから」

 先輩の目には有無を言わせない力強さがあった。先輩は己の意思を誰かに言うことは滅多にない。だから先輩が何かを僕らに宣言するときには、それは最終通告で、絶対に曲げることはない。止めるべきだろうか。掃討実験は操縦者一人ではできない。

 でも僕らがボイコットしたところで、先輩はアクションフィールドを展開し、その真ん中で胡座をかいて待ち続けるだろう。僕らが来るまで。

「わかりました。でも無理はしないでください。それから無理だと、僕らが判断したらやめてください。それだけは……、お願いします」

 先輩は頷いた。先輩は次戦参加の意思を伝えるためにここまできたらしい。満足したようで、部室を後にしようとする。僕はひとつ聞いてみたいことがあった。先輩は病院からマドカに電話をかけてきた。いつもスマホを携帯しない先輩が、自分のスマホから。何か予感めいたものがあったのだろうか。

 その疑問を先輩に伝えたところ、先輩は背を向けたまま、固まった。しばらく続く沈黙。まずいことを聞いてしまっただろうか。先輩は左手を扉のノブにかけたまま言った。

「……もしかしたら祝勝会とかやるのかなって。連絡、あるかもって……」

 僕は声を出して笑ってしまった。やっぱり先輩の考えていることはわからない。いつもクールだけど、意外とこういうこと考えていたりする。だから僕らは先輩のことが好きなのかもしれない。先輩がこっちを振り返った。逆光だけど、少し顔が赤らんでいる気がした。

「次こそ、祝勝会やりましょう。だから絶対に勝ってください」

 先輩は何も言わずに部室を出て言ったけれど、扉の方へ向き直る時、口元が緩んだのが一瞬見えた。きっと先輩は次戦も勝つだろう。根拠のない自信だけど、疑いようのない運命のように思える。夕日は沈んだ。けれどまだ外は明るくて、太陽の余韻が僕と僕らの部室をほんのりと照らす。


 あっという間に8月9日がやってきた。あっという間とは言ったが、その間、期末試験やらレポートやら、学生らしいイベントはあったけど。先輩は利き手が使えないため、筆記試験は免除され、口頭試験を課されたらしい。結果は、聴きまい。

 試験期間でも部室へは毎日通った。もちろん、次戦の準備もあったのだけれど、“避暑”という理由も多分にあった。部室棟は基本エアコンなんてついていない。隣の山岳部は部室を物置として使っているし、そのまた隣の軽音部は音が漏れないよう締め切って、扇風機で暑さを凌いでいる。絶対に凌げていないだろうが。

 けれど僕ら操縦研の部室には、ありがたいことに、エアコンがある。掃討実験にはコンピュータが不可欠で、そうなるとオーバーヒート防止に室温の調整は死活問題。管理人に頼んで、特例でエアコンの設置を認めてもらった。これも先代の操縦研部員たちのおかげ。僕らはその文明の恩恵を受けながら、掃討実験の準備を主に行い、その合間にレポート制作や、ゲーム、漫画、BD鑑賞、仮眠などをした。あくまで合間にやっただけで、それが目的だったわけではないと、一応、言い訳をしておく。

 
 そんな快適な部室にいるヨウジロウとマドカを羨ましく思いながら、僕はまた、波根有西小の体育館にいた。前回訪れた時と比にならないほど暑い。なんで華山先輩は小学校の体育館にこだわるのだろう。大学の課外施設にも体育館はある。市内に空調の効いた運動施設もある。別に運動施設に限らなくても、地面が平らで、Wi-Fiさえ繋がっていればどこだっていい。どうせだったら、少し離れた避暑地に電車で行って、そこでちょいとばかし涼んでから、掃討実験にかかっても良いのだが。

「あれが蒲生里大のエースかい?」

 いつの間にか後ろに白髪の男が立っていた。

「そうです。今日は無理言ってすみません」

「いいんだよ。久しぶりに会えて良かったよ、コウジくん」

 橋田先生はいつの間にか母校の教頭になっていた。前回に続き、「小学校の体育館がいい」という無理難題を先輩に突きつけられたわけだが、こうして恩師と再開できたのは怪我の功名だと言える。今日は休みだったろうに、わざわざ休日出勤して体育館を開けてくれた。

「子供たちもイントゥ・ブラッドに夢中でね」

 橋田先生に悪意はなかった。しかし、やはりそのワードには少なからずアレルギーがあった。

「複雑ですね。喜んでいいのか……」

「僕たちがやっているのは“掃討実験”で、“イントゥ・ブラッド”ではない、と言いたそうだな」

 見透かされていた。体育館の中では先輩がアクションフィールドを構築している。小学生用の低いバスケットボールのゴール下にパンクタムボックスを据える。まるで木陰をみつけたようにそこに陣取ったが、バスケットボールのゴールは木ではないし、体育館内はそもそも薄暗い。

「コウジくんが掃討実験を知ったのは、“イントゥ・ブラッド”だろ?」

 橋田先生は老眼鏡を外して、体育館の中を覗いた。着実に老けはしたが、その目だけは当時と変わらない。子供の頃の僕は、ネットで“イントゥ・ブラッド”を知った。“ジャイアント・アーマーズ”が終わって、ぽっかりと空いた心の穴を埋めたのは“イントゥ・ブラッド”だった。

 元気が有り余っていて、医療技術の進歩によって「病死」とは最も遠い期間を生きていた当時の僕は、ソレウスキラーが医療実験であるなど微塵も思っていなかった。ただ、カッコいいロボットが怪物を倒す。そういうものだと思っていた。

「掃討実験に真摯に取り組んでいる人たちが、“イントゥ・ブラッド”に反感を持つのもわかる。しかし、あれがなくなったらどうなる? 人々のソレウス構造体への関心は薄れ、今まさに病気と戦っている人たちの存在も私たちの頭から消え去るだろう。お金は誰が出す? 患者とその家族か? あれだけ複雑な治療を行うのにどれだけの金と人員が必要だと思う? 君にこんなことを言うのは、釈迦に説法、だろうが」

 3週間前、体育館前のヤマモモの下で“イントゥ・ブラッド”を眺めていた少年たち。彼らは純粋な好奇心で戦いを見守っていた。いつか彼らも、その画面のそのまた向こうには、病気と戦う患者やそれを治そうとする人々がいることに気づくだろう。その中から、僕みたいに掃討実験に関わりたいと考える子供たちも出てくるかもしれない。でもやはりある種の違和感は拭えなかった。

「でも、やはり、全面的に肯定する気はありません、イントゥ・ブラッドを」

「君はそれでいい」

 橋田先生は微笑んだ。目尻にはシワが刻まれている。担任してくれていた頃の橋田先生は怖かった。このご時世に、僕らはビンタされたし、ストレートに「バカか」と罵られた。校長とはしょっちゅう喧嘩しているとの噂だったし、他の先生たちから浮いていた。でも僕ら生徒は先生のことが好きだった。僕はてっきり、管理職なんかにはならず、生涯教師としてそのキャリアを終えると思っていたが、今や白髪の目立つ老眼鏡をかけた教頭。

 僕らが卒業した後、色々あったのだろう。考え方も変わったに違いない。そんな彼に言われて、世の中、必要悪(悪までは言い過ぎかもしれないが)ってのも大事なのかな、と思う。

 左耳につけたヘッドセットに着信があった。

「こっちの準備はできました。そっちはどうですー?」

「ばっちりだよ。多分」

「少しでも華山先輩が痛がってたりしたら、止めてくださいよ! ……では武運を」

 前回の掃討実験を踏まえ、Wi-Fiで通信するヘッドセットを用意した。「コウちゃん先輩も華山先輩も電話出ないから」とマドカの発案。これで離れていても相互に情報を送れる。

 いよいよ。第2戦が始まる。
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