2 / 15
2.夕立
しおりを挟む「なんでナナカ先輩、来ないんですかー!」
マドカが布団の剥がれたコタツの天板を叩く。部室の外は豪雨だった。振り始める前に大学にたどり着けたのは、日頃の行いが良いからだと思おう。ヨウジロウはくわえタバコで、黙々とデバイスの点検を行なっている。
部室は散らかれるだけ散らかっている。ビバ、エントロピー、である。ハイスペックのコンピュータが3台、大きなディスプレイが6つ、陽の目を見なかったデバイスの試作機たち、専門書からレポート、業界紙の山。それから部員各々の趣味の物たち。マドカが持ち込んだ漫画、化粧品、ファッション雑誌、ゲーセンの景品。ヨウジロウのアメコミフィギュア、プラモデル。ナナカ先輩の飲みかけのクリームソーダのペットボトル、赤いジャージ。
僕のものはといえば、壁に貼られたポスターが1枚だけ。
「僕に言われたってさあ……。あの人、自由だからさあ……」
「祝勝会とかしたかったのに!」
喚くマドカに対し、3つ目のフィールドのパンクタムボックスを弄っていたヨウジロウが「祝勝会の前に反省会だろ」と呟く。マドカは気付いていないのか、はたまた無視しているのか、大きめの丸いメガネ越しにスマホを睨む。
華山先輩にメッセージを送ったところで、無意味だ。あの人はスマホを携帯しない。先輩のスマホはどうせ鎖で繋がれた番犬みたいに、充電ケーブルに接続されたままワンルームの床に伏せている。多分目覚ましにしか使っていない。鳴っても起きないだろうが。
僕はディスプレイを眺める。本日のデータが表示されたタグには目もくれず、ニュースサイトを立ち上げた。本日のトピックに目当てのものを見つける。
『蒲生里大学ソ操研、ソレウス体掃討に成功〈NEW〉』
記事の内容はお堅くて、薄い。タイトルを引き延ばした内容しかないから薄いのも当たり前だ。唯一、読みがいがあるのは記事の最後にある、「これまで日本チームでソレウス構造体掃討実験に参加したのは、株式会社アルタ、鞠崎技研の2社であったが、いずれも失敗に終わっていた。大学の同好会が成功させたのは世界的にも異例で、専門家からも賞賛の声が上がった。」という部分か。正直かなり有頂天だった。
ここまでの道のりは長かった。創部5年目でようやく掴んだ掃討実験参加資格。創部時は世間的な注目度の高さと目新しさもあって部員は30人ほどいたらしいが、今の部室の状況を見てもらえば分かる通り、メンバーは4人だけ。華山ナナカ、野見山ヨウジロウ、一ノ瀬マドカ、そして石立コウジ。以上。それだけ“やりがいのない”同好会なのだ。
もちろん僕らはそう思っていないから残っているのだし、とてつもない倍率(ライバルは世界中にいて、しかも大企業が主だ)を突きつけられても諦めず、嫌になるほどの、実験、試操縦、シミュレーション、ソ対機の試験、面接、選考を耐えることができた。何がここまで僕らを突き動かしたのかはわからない。でもその努力は無駄でなかったと、今日ようやく実感することができたのだ。嬉しくないはずがない。
僕はニュースサイトを閉じ、『イントゥ・ブラッド』のページを開いた。あまり好きなページではない。でも今日くらいは訪問したってバチは当たるまい。
ニュースサイトとは対照的に派手なレイアウト。文字はもちろん、写真に動画まで掲載されている。
『日本から飛来した“パピリオ”が、大会最速記録を叩き出す!』
以下、本文である。
『7月26日に行われた「ソレウス構造体掃討実験」で初参加の日本チームが1分21秒の大会最速記録でソレウス体の掃討に成功した。ターゲットの仮想ヴィジュアルは“アゲハ蝶”、華麗なフットワークでソレウス体の4本の触手をかわし、隙をついてライトアームで補足すると、すかさずニードルを突き刺した。
これまでの最速記録はアメリカの「ジャクソン・ブラザーズ」が記録した1分58秒であったが、大幅に更新した。「蒲生里大学ソレウスキラー操縦研究会」は日本の大学生たちで構成されたチームで今回が初参加。事前のデータの乏しさもあり、下馬評こそ低かったが、想定外の好記録を叩き出した。
これについて「ジャクソン・ブラザーズ」の兄・アーノルド・ジャクソン氏は「今回は運も味方した。彼らが戦ったソレウス体は馬鹿のひとつ覚えみたいに接近攻撃を仕掛けるだけで、インテリジェンスを感じなかった。もし僕らがあの個体と戦っていれば1分以内にかたをつけられただろう」と語った。
今回の掃討作戦成功により、2戦の契約延長の権利を得たことになる。次戦は8月9日、日本時間の14時頃に行われる予定。』
ジャクソン兄弟の負け惜しみに苦笑しつつも、現実に引き戻された。そう、3週間後には2度目の掃討実験参加が迫っている。あまり浮かれている場合ではないかもしれない。しかも期末試験期間のすぐ後。どうも聞くところによると、学生の本分は勉強らしい。僕はそうは思ってないけど。
「うわっ……。えーー!!」
マドカが飛び上がった。メガネと胸部が揺れる。ヨウジロウが「またか」と睨んだ。最近、ヨウジロウはコンタクトに変えたらしく、それまでメガネで辛うじて和らいでいた陰気な目に、磨きがかかっている。苛立っているのか、セブンスターにまた火をつけた。その素早さだけは華山先輩に勝るかも。
「コウちゃん先輩、メールボックスやばいですよ……」
マドカからタブレットを受け取る。研究会のアドレス宛に大量の取材依頼が来ていた。見たことのある大手新聞社からテレビ局、聞いたこともないフリージャーナリストまで。操縦研のメールボックスを普段圧迫しているのは、ソ対機からのメールと迷惑メールくらいなもので異例といえる。ここまでの反響を思ってもみなかった。
その時、ノックもなしに部室の扉が開いた。管理人の登場を予想したのか、ヨウジロウがタバコを隠す。親に隠れてタバコを吸う高校生みたいに。しかし、予想に反して扉の向こうに立っていたのは、華山先輩より背が高く、マドカより痩せていて、ヨウジロウより髪が乱れた男だった。
「とりあえずおめでとうと言いたい」
長い腕を差し出しながら、30代前半の白衣の男が入ってきた。僕はその差し出された手を握った。冷たい手と思いのほか強い力。心からの祝福を細い目に浮かべた彼は順番に部員と握手を交わした。胸元にぶら下がった名札が所在なさげに揺れる。
「柳田ミツハル」。操縦研の顧問である。
「おめでたいんだが、いろいろ面倒なことがあるよね。なんで勝っちゃったの」
「……面倒なことですか?」
「そりゃ2連戦が控えてるし、どうせ君らは勝っちゃうだろうから、しばらくは忙しいだろうし。しかも取材のオファーがやばい。大学事務局への電話がすごいよ。なんか僕が怒られたんだけど。意味わかんない。……かえりたい」
そう言いながらも口元は笑みを浮かべている。
「もう記者がそこまで来てるわけだが、大学側としては構内には入れたくないんだと。だから、外でやってくれってさ。というわけで、みんな表、出ろ」
まだ雨が降っているというのに、外だと。マドカが電光石火の勢いで化粧ポーチを取り出し、手鏡を見ながら目元を弄りだした。いつまで経ってもマドカの準備は終わりそうになかったので、「いつも通りかわいいから大丈夫」となだめすかし(ヨウジロウも頷く)、傘をさして大学の正面門へ向かった。
こんなことになるならスーツでも着てきたのにと思う。僕はいかにも大学生といった出で立ち。七分袖のシャツにベージュのチノパン(全部ユニクロ)、ニューバランスのスニーカー。サンダルじゃなかっただけよしとしよう。
雨は小振りになってはいたがまだ傘は必要で、夏の熱気と相まって肌にまとわりついて来る。雨水が菓子の包み紙をさらって、鉄格子の排水口へ流れていった。
正面門の外にはビデオカメラや一眼を構えた記者が20人ほどいた。悪いことをしたわけでもないのに居心地が悪い。僕らが門を出た途端、フラッシュが瞬く。
「部長の石立です。今回は初参加ではありましたが、無事成果をあげることができ、安堵しています」
と言い終える間も無く、矢継ぎ早に質問が飛び出す。何人かが同時に質問した挙句、最初の質問権を得たのはテレビで見たことのある女子アナウンサーだった。
「イントゥ・ブラッド大会、最速記録おめでとうございます」
相手が心から賞賛しているというのは伝わった。しかし、僕らが(お世辞にも煌びやかではない)青春をかけて取り組んだのは、“ソレウス構造体掃討実験”であって“イントゥ・ブラッド”ではない。そこを褒められても、素直に喜べない。動揺してしまい何も言葉を発せずにいた部長の僕を察し、マドカが答える。
「ありがとうございます。ですが皆さんにご理解いただきたいのは、“イントゥ・ブラッド”はソ対機が公に認めている大会ではありません。ですので、“イントゥ・ブラッド”に関する質問はご遠慮いただきたいと……」
「ソタイキ……?」
女子アナウンサーがそう呟いたのち、質問がピタリと止んだ。傘を雨が叩く音だけが聞こえる。僕は愕然とした。彼らはソレウス構造体掃討実験について何も知らない。
確かに“イントゥ・ブラッド”は掃討実験の周知に貢献している。しかし、僕らが行なっていることの本質は、そこには存在しない。過剰な演出と煽りでエンタメ化されたあの大会には、今まさに病気と闘っている患者や日夜研究を続けるソ対機のスタッフ、そして僕らチームの努力の形跡を認めることはできない。世間的な理解というものはこの程度なのだろうか。
集ったマスコミたちは何か質問しようにもできず、かといってこんな地方まで出向いておきながら、手ぶらで帰るわけにもいかないようで、お互い無言の膠着状態が続く。何事か、と眺める学生たちの視線が突き刺さる。靴が湿って冷たくなってきた。
「操縦者の華山ナナカは、今日は不在ですか」
唐突に声が聞こえたが、その発信源はわからない。雨が打ち付ける音の間を縫ったように、その声は空間に響いた。なぜ華山先輩の名前を知っている。記者たちが顔を見合わせ、その声の主を探し出した。やがて1番後ろに立っていた男に皆の視線が集まる。
「華山はいないんですか?」
その男は髭面でハンチングを被っており、初対面ならば歳は30半ば、と皆が判断するだろう。しかし、僕は彼の年齢が華山先輩の1つ上の24歳で、かつて蒲生里大の操縦研に在籍していたという事実を知っている。
「雑司ヶ谷さん、操縦者の情報は公開されてないです。その辺の常識はわかってらっしゃるはずですが」
「ああ、すまんね。失敬、失敬」
男は雨の中、傘もささずに立っていた。雑司ヶ谷キミヒコ。自称フリーライター。華山先輩とは面識はあるらしいが、僕らが入学する前に自主退学したため、直接お世話になった経験はない。しかしこのところ、操縦研に何かと接触しようとする。何が目的なのかはわからない。
華山先輩は雑司ヶ谷に会いたがらない。先輩が部室に前にも増して足を運ばなくなったのは、彼のせいもあるのかもしれない。偉大なOBだろうが、彼と会話をする気はない。
質問をする気のないマスコミとニヤニヤと不気味な表情のフリーライターを残して、僕らは部室に戻った。さっきまでの浮かれた気分はとうに失せていた。毎日のように通る部室棟までの道のりは色彩を欠いたように思われ、水を吸った靴が重い。
“イントゥ・ブラッド”は、ソレウス構造体掃討実験をエンタメ化して金を稼ごうとする団体、もしくはその大会の名称である。ソレウス体掃討実験の資料映像を手に入れ、インターネット上で公開。その試合結果にベットさせることでギャンブル化している。どこから手に入れているのかはわからない。でもソ対機内に密通者がいるに決まっている。
ソ対機の研究費・維持費を半分以上寄付しているのは“イントゥ・ブラッド”を主催しているヤウラウ社であると、もっぱらの噂だ。人の生命がかかった医療実験をエンタメ化することに多くの批判が集まっているし、僕らもそれが正義であるとは思っていないけれど、寄付の件、そして実験の周知に多大な貢献をしているから、全面的な批判はできなかった。
いくら人の生命がかかったことであったとしても、人はそれを知りたがらない。もし自分や大切な人が病にかかったならば話は別だろうが。例えばガン。ガンという病があることは誰でも知っている。ではそれをどうやって治療するのか? 致死率は? 前兆となる症状は? 寛解する確率は? これらを正確に答えられる人がどれだけいるだろう。“コバルト60大量遠隔照射装置”というワードを聞いたところで、「SFの専門用語かな」と思う人が大半だろう。
ソレウス構造体についても同じことが言える。ソレウス構造体に寄生されても、致死率は数%だ。だんだんと身体は動かなくなるが、死ぬことはない。僕は生殺しの状態で病室に横たわることしかできず、寿命を待つなんてことは死ぬよりも残酷なことだと思うのだけれど、やっぱり“死”というものに比べるとその恐怖はいくらか薄いようだ。
部室に戻る頃、雨が止んだ。タイミングが悪すぎる。今日はお祭りになるはずだったのに。神様は僕らに嫉妬しているのか。
「わあ! ナナカ先輩から着信来てた!」
部室の卓上に置いていたスマホを見て、マドカが小躍りしている。普段スマホを持ち歩かない華山先輩からの着信。僕には嫌な予感しかしない。マドカが嬉々とした表情でリダイヤルをする。
「先輩! 今どこですか?」
瞬時にマドカの表情が曇る。声のトーンが落ちる。やめてくれ。マドカはいつも笑っていてくれ。頼むから。今日はこれ以上、イベントはいらない。しかし、通話を終えたマドカの口から、本日最後のイベント、それも最悪のイベント開催のお知らせが告げられる。
「ナナカ先輩、バイクで事故って、今、蒲生里大病院って……」
部室の窓から眺める空は、重い灰色で今にも落ちて来そうだった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる