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5.世の中知らないことの方が多い
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僕は住んでいるアパートの近くにある24時間営業のファミレスにいた。
2人がけのテーブルの向かいに座っているのは雑司ヶ谷キミヒコ。今日も彼は無精髭に黒のワークキャップ。他の部員にこの光景を見られたくないなと思いながら、チーズハンバーグ定食を食べていた。なぜこの男とサシで飯を食っているかを説明するには1時間前に時を遡る必要がある。
盆の帰省を済ませて帰ってきた、ちょうどその日。祖父母からの“盆玉”に少し膨れた財布を嬉しく思いながら、最寄駅を降りた。西日が眩しい夕方。盆を過ぎた夕焼け空の色相は、赤味がかっていて、早くも秋の雰囲気を感じさせていた。
東口を出ると、ロータリーを囲むように広がる公園のベンチに、見覚えのある男が座っていた。
「やあ、石立くん。第2戦、お見事だった」
競馬新聞を畳みながら、馴れ馴れしく握手を求めてくる。疲れたので帰らせてくれ、という意味の僕の言葉を無視して雑司ヶ谷は続けた。
「いやあ、お祝いというか何というか、君に渡したいものがあってね」
雑司ヶ谷や擦れてボロボロになった合皮のセカンドバッグを開くと、中から日に焼けた紙の束を取り出した。どんな餌にも釣られることはないと高を括っていた僕だったが、それを目にした瞬間、考えが変わった。
「J・ウォリアの設計図なんだけどさ。君、ジャイアント・アーマーズ好きだろ?」
J・ウォリア! ジャイアント・アーマーズで1、2を争う人気を誇った、日本生まれのロボット。ジャイアント・アーマーズの最盛期を支え、そして、ジャイアント・アーマーズを終わらせるきっかけとなった機体。ファンなら誰しも憧れる伝説のロボット、その設計図が目の前にあった。
僕は「決して設計図に釣られたわけではないから」と、ツンデレみたいなことを言いながら、雑司ヶ谷に連れられてファミレスに向かった。そういう訳である。我ながら意志が弱い。カラスが嘲笑うようにひと鳴きして、西の方へ飛んで行った。
雑司ヶ谷はナポリタンを音を立てながら食べる。ケチャップが飛び散る。ペーパーナプキンを2、3枚掴み取り、口を拭った。僕はケチャップが飛んでこないように細心の注意を払いながら、設計図を眺めていた。
本当に美しい。ルールの範囲内ギリギリまで軽量化した機体。コックピットの強化アクリルなんて、他の機体より10センチは薄い。操縦者は死ぬ気だったのではと思うほど。
「華山もジャイアント・アーマーズ、好きなはずだぞ。いや好き“だった”。今は知らんが」
華山先輩の話題が出たので、僕は前から気になっていたことを聞いた。
「雑司ヶ谷さんと華山先輩って仲悪いんですか」
目の前の男には別に嫌われてもいいと思っていたから、オブラートなんかには包まない。雑司ヶ谷は一度、目を丸くした後、笑い出した。
「まあ、あっちは俺のこと嫌いだろうな。殴られたし」
華山先輩が殴ったのか。意外な気もするし、当然な気もする。雑司ヶ谷が伝票をちらりと眺めて戻す。
「俺が悪かったのさ。操縦研にいた頃の俺は、ちーとばかし“拗らせて”いてね。ある日、俺はソレウス構造体について大胆な仮説を唱えた。『ソレウス構造体は陰謀だ!』ってね」
店内には軽快なジャズが流れていた。ピアノの連弾。雑司ヶ谷はチョコレートパフェを注文した。
「ソレウス構造体ってのを、その目で見たことあるか? 俺は見たことがなかった。われわれ一般ピーポーが見ているのは、結局、実験の参加者が作った仮想ヴィジュアルに過ぎない。それに世界各地にソ対機の支部があるが、おかしいと思わんか? ソ対機の支部の場所を世界地図にプロットしていくと、不思議なことにほぼ等間隔に存在している。世界中に病気が蔓延しているから? いや違う。人口が少ない地域だろうと、地球儀を覆う幾何学模様みたいに、必ずあのでかい建物が立っている」
それについては確かに前々から疑問に思っていた。ウイルスによる感染症などは、ある一地域で発生したものが、人間の移動によって拡散する。まるで震源地から揺れが伝播するみたいに。しかし、ソレウス構造体は世界中で同時多発的に発見された。まるでその背後に何がしかの意思があるように。
「だから俺はソレウス構造体なんてのは世界規模の陰謀だって言ったんだ。仮想敵を用意することで、戦争を無くそうとしてるなんてね。そしたら、黙って聞いてた華山がこっちに歩いてきて、右ストレートよ。俺は床に伸びた」
僕はアクションフィールド内で右手を空に突き出す華山先輩の姿を思い出す。あの右を喰らうのは、例え頑丈なヘッドギアを付けていてもごめんだった。
「華山が全面的に正しい。俺は大学辞めた後、ソレウス構造体について調べた。その中で、実際に寄生されて寝たきりの患者や、その家族や友人たちに会ってきた。不運にも亡くなった人もいる。ソ対機にも接触した。大抵は門前払いだが、あの建物の中には確かに死ぬ気で研究している奴らがいた。そして、ソレウス構造体を顕微鏡で見た。ーーなに、案外簡単に見れるもんさ。ただ今まで本気で見る気がなかったから、見たことがなかっただけで。ちゃんと調べれば、展示してる場所なんてごまんとある」
届いたチョコレートパフェにがっつく雑司ヶ谷。食うか、と勧められたが、男と間接キスする気にはならなかったので丁重にお断りする。この男は意外にも、ソレウス構造体と真摯に向き合っている。少し彼への見方が変わりつつあった。
あっという間にパフェを平らげた雑司ヶ谷は、食後のコーヒーを美味そうに飲んで、目を瞑った。しばらく続く沈黙。店内に流れていたナット・アダレイの“Work Song”が終わった、そのタイミングを待っていたように、雑司ヶ谷が口を開く。
「J・ウォリアの操縦者だった“RINA”は、華山ナナカの姉だ」
僕は危うくドリンクバーのグラスを落としかけた。“RINA”が華山先輩の姉ーー。
「少し前に、彼女たちのチームもソ対機の試験をパスした。1ヶ月半後に初回実験だそうだ」
脳みそが混線して呆然としている僕を置いたまま、雑司ヶ谷は伝票を取ると立ち去る。ごちそうさま、の一言も、設計図を返すこともできず、僕はしばらくファミレスの硬い椅子に座っていた。
あれから数日が経った。僕とヨウジロウ、それから華山先輩の3人は東京の郊外にある、白い大きな建物の前にいた。ソ対機の日本支部である。雑司ヶ谷から聞いた話を、僕は華山先輩に確認できずにいた。聞けるわけがない。第一、華山先輩の姉が、あのRINAだったからといって何の関係がある。
例えば僕の叔父は少し名の知れた大学教授だけれど、それを知人に言ったことはない。別にその人のパーソナリティを決めるのは、家系や親族ではないと僕は思っている。だから聞く必要もなかった。ちょっと気にはなったけど。
僕らの住む地方から東京までは、もちろん飛行機で来たのだけれど料金はソ対機持ちだから、ちょっとした旅行気分でやってきた。残念ながらマドカは厄介な夏風邪を引いたみたいで来れなかった。蒲生里大操縦研で唯一、まともなコミュニケーションを取れるうちの対外交渉担当が不在なのは少し不安ではあったが。
「お久しぶりです。わざわざ遠いところ、申し訳ない」
威圧感のある建物の正面玄関で、30代半ばの小柄な女性が僕らを迎える。会うのは半年ぶりだろうか。ソレウス構造体対策機構日本支部主任研究員、佐藤アミ。第一印象は可愛らしい女性だけれど、そう思って話しかけると怪我をする。
「先日の掃討実験だけど、あれはダメよ。シリコン伸び切っちゃってさ。だるだる」
睨まれた。きっとマドカがもう少し歳をとると、こんな感じかなと思う。僕らは短い世間話を済ませて、試験をクリアした際にもらったIDカードを取り出し、入場ゲートにかざした。
「……おっかしいな」
先に通過した僕と華山先輩が振り返る。ヨウジロウがゲートの向こうでモタモタしていた。どうやらカードが反応しないらしい。
「ああ、たまにあるのよ。これ使いなさい」
佐藤主任がゲストカードを渡す。ピッと、高い音がしてゲートが開いた。
何時来ても、この建物には圧倒される。20メートルほどの吹き抜け。天井はガラス張りで、残暑とはなんだろう、と思わせるほど鋭い日光が射し込む。しかし、中は心地よい温度に保たれていて、行き交う研究者たちが羽織っている白衣も暑苦しく思われない。華山先輩の黒いコートは流石に場違いだが。僕らはまず、最上階にある所長室に案内された。ネームプレートには“デイビッド・ベイリー”とある。
「コングラッチュレーション!」
テンションがやけに高いこのアメリカ出身の初老の男が、ここの長である。パールゴールドの艶やかな髪に、すらりとした体型。見てくれが良いくせに3枚目を好んで演じたがるこの男は、いわゆる“天才”で、16歳でウィスコンシン大学マディソン校に入学し、22歳で生物学分野で博士号をとった。ソレウス構造体の発見者の一人であるクリック博士に師事し、ソレウス構造体に関する研究において、彼の右に出るものはいない。純粋な好奇心から工学分野にも関心があり、ソレウスキラーの設計にも携わったらしい。挙げればキリがないほどの伝説がある。
「ナナカさん! 君は素晴らしい! ところでこのドラキュラ伯爵みたいなコートに意味はあるのかい?」
華山先輩は呆れた様子で「楽なので」と言った。ベイリー所長は“楽”という言葉の意味するところを考察し始め、それは機能的な意味で楽なのか、コーディネートを考えずに済むという意味で楽なのか、と問いただす。
華山先輩が虚に天井を眺め始めたところで、佐藤主任が業を煮やした。
「所長、あなたはコートの話をしたくて呼んだんですか。帰らせますよ、彼ら」
佐藤主任は柔らかい表情で語りかけたが、目が笑っていなかった。ベイリー所長はそんなことは日常茶飯事なようで、全く臆することなく、ニヤニヤしながらシンプルな黒のデスクチェアに腰掛けた。
「コウジさん、前回のソレウス構造体の挙動についてどう思う?」
唐突に質問を投げかけられて戸惑った。ベイリー所長は机に置いてあった木製のパズルを手に取り、弄りながら僕に微笑みかける。
「やはり、何かしらの知性があるのではないかと。ソレウスキラーが平面上しか移動できないことを学習し、血管内フィールドの上部で8分間しのぐつもりだった」
ベイリー所長は僕から目を逸らさず、パズルをこねくり回す。
「うん。ではソレウス構造体はどこでそれを学習した?」
ベイリー所長の言う通りだ。ソレウス構造体の掃討実験は数多く行われている。しかし、あの個体はソレウスキラーに遭遇したのはあの日が初めてだったはずだ。ソレウス構造体の生態や生殖メカニズムがわかっていないため断言はできないが、あの個体が“ソレウスキラーの傾向とその対策”を学習する機会はなかったはず。
「ソレウス構造体は集団的知性を持っているのではないだろうか」
集団的知性ーー。ベイリー所長がパズルを机上に放った。いつの間にか完成している。手元も見ずに完成させた様子を見ると、一瞥しただけで状態を記憶し、解法を思いついていたようだ。流石である。
「集団的知性というのは語弊があるな。ネットワークといった方が正しい。ソレウス構造体の発生分布は世界中に散らばっていて、不思議なことに等間隔になっている。まるで人工衛星みたいにね。もしかしたら彼らはある種のネットワークを持っていて、相互に情報を送りあっているのかもしれない。例えばアミラルβ線で」
確かにそう考えると前回戦ったソレウス構造体の挙動を納得できる。これまでソレウスキラーと対峙した経験を、ネットワークを通じて他の個体と共有していたと考えると、学習していたとする考えを説明できた。
「でももっと不思議なのは、最近、ソレウス構造体の発生分布に偏りが生じてきてるんだ」
佐藤主任が珍しく焦りを隠さず、ベイリー所長をたしなめた。まだ公には発表していない情報だったらしい。
「別にいいだろう? このくらいのことは教えてあげたって。お土産だよ、遠いところ来てくれたんだから。なぜ偏りが生じてきたのか? さっきの説を元に考えるならば、ネットワークの穴が生じてくるわけで、それは彼らにとってメリットなんかない。不思議だね」
不思議だと言う割には楽しそうだった。自分の考えも及ばない“謎”ってやつが好きでたまらないみたいだ。佐藤主任にさっきのパズルを渡して「もっと難しいのを頼むよ」と言った。“パズル選び”という業務外の仕事を押し付けられ、佐藤主任の顔は引きつる。
「次会う時までの宿題だ。採点してあげるから、また来てね。もちろんお金は出すよ」
ベイリー所長は大袈裟に手を振りながら、所長室を去る僕らを見送った。パズルを握りつぶす佐藤主任に連れられて、僕らは“特別処置室”の前へ。2重扉を抜けると、ガラス張りで中が望めるエリアにたどり着く。見学エリアには、僕ら以外にも数人のゲストがいた。
中では今、まさに掃討実験が始まろうとしていた。広い真っ白な処置室の真ん中に物々しい器具たちに囲まれた患者が横たわっている。周りには医者や看護師、ソ対機のスタッフが15人ほど。アミラルβ線を放射する機械が患者の右腕を覆うように設置され、皮膚からはコードが伸びていて、また別の機械に繋がっている。見えはしないが、毛細血管内に展開されているフィールドでは、体長20マイクロメートルのソレウスキラーが始動の時を待っている。
予定の開始時刻を回った。スクリーンには、どこかの操縦者チームが構築した仮想フィールドのヴィジュアルがリアルタイムで投影されてはいたが、処置室内の人々は誰ひとり見ていない。みな患者と自分の仕事に集中している。しばらく静かな時間が流れて、ようやくソレウス構造体が血管内フィールドに到達したらしい。バイオシールドが展開される。ソレウスキラーが動き出す。
その時、見学エリアに1人の女性が入ってきた。ソ対機のスタッフに連れられてきたその人は、長身で銀の短髪。色素の薄い瞳が猛禽のように光っている。僕はその人を知っていた。子供の頃、テレビで観たことがある。
今、眼前に立つ女より少し幼さを残していたその操縦者は、18歳という若さで「ジャイアント・アーマーズ」に参戦。初回ラウンド12秒KOの鮮烈デビュー。同大会の人気を支え、そして、終焉へと追いやった張本人。
「……ナナカ」
その女が呟いた。振り返った華山先輩の顔がみるみる青ざめていった。おそらくこの状況を理解できているのは、当事者の2人を除けば僕ひとりだろう。けれど、華山先輩が見せた表情の意味まではわからない。
先輩はしばらく突っ立ったままだったが、突然、針で突かれたように見学エリアを飛び出す。ヨウジロウも佐藤主任も驚きを隠せない。
彼女が華山リナか。雑司ヶ谷が言ったことを思い出す。華山先輩には姉がいる。僕は見学エリアを後にし、先輩の後を追った。
2人がけのテーブルの向かいに座っているのは雑司ヶ谷キミヒコ。今日も彼は無精髭に黒のワークキャップ。他の部員にこの光景を見られたくないなと思いながら、チーズハンバーグ定食を食べていた。なぜこの男とサシで飯を食っているかを説明するには1時間前に時を遡る必要がある。
盆の帰省を済ませて帰ってきた、ちょうどその日。祖父母からの“盆玉”に少し膨れた財布を嬉しく思いながら、最寄駅を降りた。西日が眩しい夕方。盆を過ぎた夕焼け空の色相は、赤味がかっていて、早くも秋の雰囲気を感じさせていた。
東口を出ると、ロータリーを囲むように広がる公園のベンチに、見覚えのある男が座っていた。
「やあ、石立くん。第2戦、お見事だった」
競馬新聞を畳みながら、馴れ馴れしく握手を求めてくる。疲れたので帰らせてくれ、という意味の僕の言葉を無視して雑司ヶ谷は続けた。
「いやあ、お祝いというか何というか、君に渡したいものがあってね」
雑司ヶ谷や擦れてボロボロになった合皮のセカンドバッグを開くと、中から日に焼けた紙の束を取り出した。どんな餌にも釣られることはないと高を括っていた僕だったが、それを目にした瞬間、考えが変わった。
「J・ウォリアの設計図なんだけどさ。君、ジャイアント・アーマーズ好きだろ?」
J・ウォリア! ジャイアント・アーマーズで1、2を争う人気を誇った、日本生まれのロボット。ジャイアント・アーマーズの最盛期を支え、そして、ジャイアント・アーマーズを終わらせるきっかけとなった機体。ファンなら誰しも憧れる伝説のロボット、その設計図が目の前にあった。
僕は「決して設計図に釣られたわけではないから」と、ツンデレみたいなことを言いながら、雑司ヶ谷に連れられてファミレスに向かった。そういう訳である。我ながら意志が弱い。カラスが嘲笑うようにひと鳴きして、西の方へ飛んで行った。
雑司ヶ谷はナポリタンを音を立てながら食べる。ケチャップが飛び散る。ペーパーナプキンを2、3枚掴み取り、口を拭った。僕はケチャップが飛んでこないように細心の注意を払いながら、設計図を眺めていた。
本当に美しい。ルールの範囲内ギリギリまで軽量化した機体。コックピットの強化アクリルなんて、他の機体より10センチは薄い。操縦者は死ぬ気だったのではと思うほど。
「華山もジャイアント・アーマーズ、好きなはずだぞ。いや好き“だった”。今は知らんが」
華山先輩の話題が出たので、僕は前から気になっていたことを聞いた。
「雑司ヶ谷さんと華山先輩って仲悪いんですか」
目の前の男には別に嫌われてもいいと思っていたから、オブラートなんかには包まない。雑司ヶ谷は一度、目を丸くした後、笑い出した。
「まあ、あっちは俺のこと嫌いだろうな。殴られたし」
華山先輩が殴ったのか。意外な気もするし、当然な気もする。雑司ヶ谷が伝票をちらりと眺めて戻す。
「俺が悪かったのさ。操縦研にいた頃の俺は、ちーとばかし“拗らせて”いてね。ある日、俺はソレウス構造体について大胆な仮説を唱えた。『ソレウス構造体は陰謀だ!』ってね」
店内には軽快なジャズが流れていた。ピアノの連弾。雑司ヶ谷はチョコレートパフェを注文した。
「ソレウス構造体ってのを、その目で見たことあるか? 俺は見たことがなかった。われわれ一般ピーポーが見ているのは、結局、実験の参加者が作った仮想ヴィジュアルに過ぎない。それに世界各地にソ対機の支部があるが、おかしいと思わんか? ソ対機の支部の場所を世界地図にプロットしていくと、不思議なことにほぼ等間隔に存在している。世界中に病気が蔓延しているから? いや違う。人口が少ない地域だろうと、地球儀を覆う幾何学模様みたいに、必ずあのでかい建物が立っている」
それについては確かに前々から疑問に思っていた。ウイルスによる感染症などは、ある一地域で発生したものが、人間の移動によって拡散する。まるで震源地から揺れが伝播するみたいに。しかし、ソレウス構造体は世界中で同時多発的に発見された。まるでその背後に何がしかの意思があるように。
「だから俺はソレウス構造体なんてのは世界規模の陰謀だって言ったんだ。仮想敵を用意することで、戦争を無くそうとしてるなんてね。そしたら、黙って聞いてた華山がこっちに歩いてきて、右ストレートよ。俺は床に伸びた」
僕はアクションフィールド内で右手を空に突き出す華山先輩の姿を思い出す。あの右を喰らうのは、例え頑丈なヘッドギアを付けていてもごめんだった。
「華山が全面的に正しい。俺は大学辞めた後、ソレウス構造体について調べた。その中で、実際に寄生されて寝たきりの患者や、その家族や友人たちに会ってきた。不運にも亡くなった人もいる。ソ対機にも接触した。大抵は門前払いだが、あの建物の中には確かに死ぬ気で研究している奴らがいた。そして、ソレウス構造体を顕微鏡で見た。ーーなに、案外簡単に見れるもんさ。ただ今まで本気で見る気がなかったから、見たことがなかっただけで。ちゃんと調べれば、展示してる場所なんてごまんとある」
届いたチョコレートパフェにがっつく雑司ヶ谷。食うか、と勧められたが、男と間接キスする気にはならなかったので丁重にお断りする。この男は意外にも、ソレウス構造体と真摯に向き合っている。少し彼への見方が変わりつつあった。
あっという間にパフェを平らげた雑司ヶ谷は、食後のコーヒーを美味そうに飲んで、目を瞑った。しばらく続く沈黙。店内に流れていたナット・アダレイの“Work Song”が終わった、そのタイミングを待っていたように、雑司ヶ谷が口を開く。
「J・ウォリアの操縦者だった“RINA”は、華山ナナカの姉だ」
僕は危うくドリンクバーのグラスを落としかけた。“RINA”が華山先輩の姉ーー。
「少し前に、彼女たちのチームもソ対機の試験をパスした。1ヶ月半後に初回実験だそうだ」
脳みそが混線して呆然としている僕を置いたまま、雑司ヶ谷は伝票を取ると立ち去る。ごちそうさま、の一言も、設計図を返すこともできず、僕はしばらくファミレスの硬い椅子に座っていた。
あれから数日が経った。僕とヨウジロウ、それから華山先輩の3人は東京の郊外にある、白い大きな建物の前にいた。ソ対機の日本支部である。雑司ヶ谷から聞いた話を、僕は華山先輩に確認できずにいた。聞けるわけがない。第一、華山先輩の姉が、あのRINAだったからといって何の関係がある。
例えば僕の叔父は少し名の知れた大学教授だけれど、それを知人に言ったことはない。別にその人のパーソナリティを決めるのは、家系や親族ではないと僕は思っている。だから聞く必要もなかった。ちょっと気にはなったけど。
僕らの住む地方から東京までは、もちろん飛行機で来たのだけれど料金はソ対機持ちだから、ちょっとした旅行気分でやってきた。残念ながらマドカは厄介な夏風邪を引いたみたいで来れなかった。蒲生里大操縦研で唯一、まともなコミュニケーションを取れるうちの対外交渉担当が不在なのは少し不安ではあったが。
「お久しぶりです。わざわざ遠いところ、申し訳ない」
威圧感のある建物の正面玄関で、30代半ばの小柄な女性が僕らを迎える。会うのは半年ぶりだろうか。ソレウス構造体対策機構日本支部主任研究員、佐藤アミ。第一印象は可愛らしい女性だけれど、そう思って話しかけると怪我をする。
「先日の掃討実験だけど、あれはダメよ。シリコン伸び切っちゃってさ。だるだる」
睨まれた。きっとマドカがもう少し歳をとると、こんな感じかなと思う。僕らは短い世間話を済ませて、試験をクリアした際にもらったIDカードを取り出し、入場ゲートにかざした。
「……おっかしいな」
先に通過した僕と華山先輩が振り返る。ヨウジロウがゲートの向こうでモタモタしていた。どうやらカードが反応しないらしい。
「ああ、たまにあるのよ。これ使いなさい」
佐藤主任がゲストカードを渡す。ピッと、高い音がしてゲートが開いた。
何時来ても、この建物には圧倒される。20メートルほどの吹き抜け。天井はガラス張りで、残暑とはなんだろう、と思わせるほど鋭い日光が射し込む。しかし、中は心地よい温度に保たれていて、行き交う研究者たちが羽織っている白衣も暑苦しく思われない。華山先輩の黒いコートは流石に場違いだが。僕らはまず、最上階にある所長室に案内された。ネームプレートには“デイビッド・ベイリー”とある。
「コングラッチュレーション!」
テンションがやけに高いこのアメリカ出身の初老の男が、ここの長である。パールゴールドの艶やかな髪に、すらりとした体型。見てくれが良いくせに3枚目を好んで演じたがるこの男は、いわゆる“天才”で、16歳でウィスコンシン大学マディソン校に入学し、22歳で生物学分野で博士号をとった。ソレウス構造体の発見者の一人であるクリック博士に師事し、ソレウス構造体に関する研究において、彼の右に出るものはいない。純粋な好奇心から工学分野にも関心があり、ソレウスキラーの設計にも携わったらしい。挙げればキリがないほどの伝説がある。
「ナナカさん! 君は素晴らしい! ところでこのドラキュラ伯爵みたいなコートに意味はあるのかい?」
華山先輩は呆れた様子で「楽なので」と言った。ベイリー所長は“楽”という言葉の意味するところを考察し始め、それは機能的な意味で楽なのか、コーディネートを考えずに済むという意味で楽なのか、と問いただす。
華山先輩が虚に天井を眺め始めたところで、佐藤主任が業を煮やした。
「所長、あなたはコートの話をしたくて呼んだんですか。帰らせますよ、彼ら」
佐藤主任は柔らかい表情で語りかけたが、目が笑っていなかった。ベイリー所長はそんなことは日常茶飯事なようで、全く臆することなく、ニヤニヤしながらシンプルな黒のデスクチェアに腰掛けた。
「コウジさん、前回のソレウス構造体の挙動についてどう思う?」
唐突に質問を投げかけられて戸惑った。ベイリー所長は机に置いてあった木製のパズルを手に取り、弄りながら僕に微笑みかける。
「やはり、何かしらの知性があるのではないかと。ソレウスキラーが平面上しか移動できないことを学習し、血管内フィールドの上部で8分間しのぐつもりだった」
ベイリー所長は僕から目を逸らさず、パズルをこねくり回す。
「うん。ではソレウス構造体はどこでそれを学習した?」
ベイリー所長の言う通りだ。ソレウス構造体の掃討実験は数多く行われている。しかし、あの個体はソレウスキラーに遭遇したのはあの日が初めてだったはずだ。ソレウス構造体の生態や生殖メカニズムがわかっていないため断言はできないが、あの個体が“ソレウスキラーの傾向とその対策”を学習する機会はなかったはず。
「ソレウス構造体は集団的知性を持っているのではないだろうか」
集団的知性ーー。ベイリー所長がパズルを机上に放った。いつの間にか完成している。手元も見ずに完成させた様子を見ると、一瞥しただけで状態を記憶し、解法を思いついていたようだ。流石である。
「集団的知性というのは語弊があるな。ネットワークといった方が正しい。ソレウス構造体の発生分布は世界中に散らばっていて、不思議なことに等間隔になっている。まるで人工衛星みたいにね。もしかしたら彼らはある種のネットワークを持っていて、相互に情報を送りあっているのかもしれない。例えばアミラルβ線で」
確かにそう考えると前回戦ったソレウス構造体の挙動を納得できる。これまでソレウスキラーと対峙した経験を、ネットワークを通じて他の個体と共有していたと考えると、学習していたとする考えを説明できた。
「でももっと不思議なのは、最近、ソレウス構造体の発生分布に偏りが生じてきてるんだ」
佐藤主任が珍しく焦りを隠さず、ベイリー所長をたしなめた。まだ公には発表していない情報だったらしい。
「別にいいだろう? このくらいのことは教えてあげたって。お土産だよ、遠いところ来てくれたんだから。なぜ偏りが生じてきたのか? さっきの説を元に考えるならば、ネットワークの穴が生じてくるわけで、それは彼らにとってメリットなんかない。不思議だね」
不思議だと言う割には楽しそうだった。自分の考えも及ばない“謎”ってやつが好きでたまらないみたいだ。佐藤主任にさっきのパズルを渡して「もっと難しいのを頼むよ」と言った。“パズル選び”という業務外の仕事を押し付けられ、佐藤主任の顔は引きつる。
「次会う時までの宿題だ。採点してあげるから、また来てね。もちろんお金は出すよ」
ベイリー所長は大袈裟に手を振りながら、所長室を去る僕らを見送った。パズルを握りつぶす佐藤主任に連れられて、僕らは“特別処置室”の前へ。2重扉を抜けると、ガラス張りで中が望めるエリアにたどり着く。見学エリアには、僕ら以外にも数人のゲストがいた。
中では今、まさに掃討実験が始まろうとしていた。広い真っ白な処置室の真ん中に物々しい器具たちに囲まれた患者が横たわっている。周りには医者や看護師、ソ対機のスタッフが15人ほど。アミラルβ線を放射する機械が患者の右腕を覆うように設置され、皮膚からはコードが伸びていて、また別の機械に繋がっている。見えはしないが、毛細血管内に展開されているフィールドでは、体長20マイクロメートルのソレウスキラーが始動の時を待っている。
予定の開始時刻を回った。スクリーンには、どこかの操縦者チームが構築した仮想フィールドのヴィジュアルがリアルタイムで投影されてはいたが、処置室内の人々は誰ひとり見ていない。みな患者と自分の仕事に集中している。しばらく静かな時間が流れて、ようやくソレウス構造体が血管内フィールドに到達したらしい。バイオシールドが展開される。ソレウスキラーが動き出す。
その時、見学エリアに1人の女性が入ってきた。ソ対機のスタッフに連れられてきたその人は、長身で銀の短髪。色素の薄い瞳が猛禽のように光っている。僕はその人を知っていた。子供の頃、テレビで観たことがある。
今、眼前に立つ女より少し幼さを残していたその操縦者は、18歳という若さで「ジャイアント・アーマーズ」に参戦。初回ラウンド12秒KOの鮮烈デビュー。同大会の人気を支え、そして、終焉へと追いやった張本人。
「……ナナカ」
その女が呟いた。振り返った華山先輩の顔がみるみる青ざめていった。おそらくこの状況を理解できているのは、当事者の2人を除けば僕ひとりだろう。けれど、華山先輩が見せた表情の意味まではわからない。
先輩はしばらく突っ立ったままだったが、突然、針で突かれたように見学エリアを飛び出す。ヨウジロウも佐藤主任も驚きを隠せない。
彼女が華山リナか。雑司ヶ谷が言ったことを思い出す。華山先輩には姉がいる。僕は見学エリアを後にし、先輩の後を追った。
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でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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