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13.そもそもヒーローとは
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滑車のウインチが音を立て始めると、さっきまで競うように鳴いていた野鳥の声が途切れた。砂利を噛みながら、2体のロボットを乗せた台が倉庫の外へせり出す。日光を浴びて装甲が輝いた。
とにかくでかい。暗がりで眠っていたにしては手入れが行き届いており、埃や汚れは見当たらない。僕の背丈より高い6本の多脚のうちの1本に触れた。走行用の足とは別に、鈍色の長い棒がその影に隠れている。上下にピストンするこの支柱が地面を穿ち、高速パンチを繰り出すそうとする巨体を支えるのだ。
見上げたところで、人間ならそこにあるはずの“顔”はない。代わりに強化アクリルで包まれた操縦席がある。水族館の水槽に用いられるような分厚いアクリル。たった3点にのみ設置された防御層が心許ないが、華山リナはこのマシンで数々の対戦相手を撃破して来た。17戦無敗。ジャイアント・アーマーズにおける伝説。この伝説が塗り替えられることは金輪際、ない。
「乗ってみるか、と言いたいが時間がない」
華山リナは機体の最終チェックを済ませるとボルダリングでもするように操縦席を軽快によじ登った。
「2人ともここに隠れてなさい。……大丈夫。私が死んでも食い止める」
キーを差し込むと操縦席のドアが跳ね上がった。こちらを一瞥し手を振ると、操縦席に乗り込む。ドアが閉まる。アクリル越しにリナが目を瞑り深呼吸するのが見えた。リナの右手が動いた。
2つの爆音が辺りの木々を震わせた。1つはJ・ウォリアが起動し、油圧ピストンの関節を軋ませながら起立する音。もう1つは派手なドラムとエレキギターの音。そしてボーカルのシャウト。古臭く、男臭いロックンロール。
太陽を遮るほど背の高い機体を逆光の中見上げると、操縦席の中で華山リナが笑っていた。かつてテレビで見たあの“闘技者”の表情。
「……Rainbowの“Long Live Rock 'N' Roll”だ」
ヨウジロウが呟く。ぽかん、としている僕に「この曲の名前」と言った。聴いたこともない。ヨウジロウの知識幅の広さに驚く僕なんか御構い無しに、J・ウォリアが器用に多脚を動かしてケヤキの林へ突っ込んで行った。地面が揺れる。突然の闖入者に慌てた鳥たちが飛び立つ。
「コウジ、車の免許は?」
ヨウジロウが吸い殻を踏みつけながら言った。
「原付しか持ってないけど」
「俺もペーパードライバーだけどな。……仕方ねーか」
そういうとヨウジロウが僕らをここまで連れてきたワンボックスの運転席のドアを開けた。
「ここにずっと隠れてるつもりはないだろ、お前も」
ヨウジロウが差したままだったキーを回した。
来た道を戻る。ヨウジロウの運転は非常に危なっかしい。蛇行する道路など無視して、最短距離を突っ切って行ったJ・ウォリアに追いつかんと、下手なくせにアクセルを踏みつける。左右に振られた車体がひっくり返る寸前で持ち直す、ということを繰り返す。怪物にやられる前に事故で死にそうだ。
森を抜け、大学のキャンパス裏の貯水池の側を過ぎ、大通りに繋がる交差点を右折する。背の高い針葉樹に阻まれていた視界が、突如開けた。ヨウジロウが急ブレーキをかけた。わずか20メートル先で2つの巨大な物体が組み合っていた。
有機物で構成された巨獣と無機物で構成された巨人。怪物の腕がバネみたいに伸び縮みし、機体を叩こうとする。しかし、そもそも接近戦に特化したジャイアント・アーマー。怪物の身体に組みつき、怪物の腕は虚しく宙を切るだけ。怪物は長い尻尾をJ・ウォリアの多脚に巻きつけると、へし折って重心を崩そうと試みる。その作戦も無駄だった。アスファルトを物ともせず打ち下ろされた鉄柱。十数トンある巨体から繰り出されるパンチを支える杭の堅牢さには、怪物も打つ手がない。
万策尽きた怪物が大口を開け、操縦席に狙いを定めた。強化アクリルを牙が貫こうとする。しかし、虚しく滑るだけ。ただ肉をついばみ、咀嚼するだけに進化したと思われる怪物の細かい牙は、抜群の透明度を誇る美しい球面に傷1つ、つけることはできない。その中でリナが大口を開けて笑っていた。瞳が妖しく光る。
勝負は一瞬だった。怪物の、3度目となる口吻を用いた攻撃。悪あがき。そのタイミングを見逃さず、J・ウォリアの両手が怪物の上顎と下顎を掴んだ。渇いた音が響く。J・ウォリアが怪物の口を裂いた。裂け目からドブ色の長い舌が漏れ出す。僕らと同じ色の鮮血が吹き出した。首元を伝った血が道路に降り注ぎ、ゴミをさらって流れていく。怪物が痙攣を始め、やがて動きを止めた。投げ出された身体が地に落ち、その衝撃で僕の内臓が震えた。
圧巻。J・ウォリアは勝利の余韻に浸ることなく、道路の先を振り返った。仲間が殺されたことを察したのか、怪物がもう1体、坂を駆け上がってくる。次なる敵に照準を合わせ走り出したJ・ウォリアを僕らは追う。怪物の血でタイヤが空回りする。走りだした車の後ろには赤い轍が伸び、それを辿った終着点には築山みたいにでかい怪物の死体が転がっていた。
2体目。怪物とJ・ウォリアが正対する。怪物の咆哮が合図であったかのように、同時に動き出す。だが、狭いフィールドで戦うよう設計されていたジャイアント・アーマーは、長距離移動のツケが来たのかわずかに動き出しが遅れた。
その隙を怪物は見逃さない。組み合うかと思われた両者だったが、怪物は距離を取りつつその長いリーチを活かしパンチを繰り出す。3つの関節を持つ腕が予測不能な軌道を描き、機体を叩いた。鞭のようにしなった腕。J・ウォリアの右胸部の装甲が落ちた。インナーの薄い装甲が露わになる。この灰色の装甲が破られるとマシン内部は丸出しになり、即急所となる。機体そのものの防御の弱さはゲーム性を優先したジャイアント・アーマーの欠点でもある。
華山リナは諦めていない。至って冷静だった。向かってくる一方の腕を捕捉した。両手でしっかりとホールドすると、へし折らんとばかりに力を加える。だが、正体不明であり、その身体構造もわからない怪物の内骨格は頑丈だった。無理だ。折れない。怪物は怯むことなく、もう一方の腕を振るい、機体の腹を叩いた。複数の装甲が崩れ落ち、地面で跳ねた。インナー装甲も落ち、内部構造が露わになる。合金の骨組み、電気制御の配線、局所バッテリー。油圧ピストンが損傷したのか、ドス黒いオイルが垂れる。J・ウォリアは諦めていない。しかし、形勢は不利。まずい。
怪物が血のように吹き出すオイルに気づいた。冷却水も漏れ出し、立ち上る水蒸気が2つの巨体を包む。怪物が鎌首をもたげた。節くれだった脚をバタつかせる。振動で車が小刻みに上下動した。その動きが止まり、怪物が重心を固定した。操縦席内部でリナが歯をくいしばる。怪物の頭が腹に向かって伸びようとした。万事休すか。J・ウォリアでも倒せないというのか。
僕が死を覚悟し、車内のシートに沈んだ時。大きな影が車の上を通った。と思うと地面が揺れる。目の前のアスファルトに穴が開く。フロントガラスの向こうで、怪物へ猛進していく、黒い巨人の姿を見た。あの鉄工所後で、J・ウォリアに寄り添うように眠っていた黒い試験機。J・ウォリアと同じ設計図から生まれた双子の片割れ。一瞬見えた操縦席の中に、華山先輩がいた。
黒い試験機の左腕が、天高く振り上げられた怪物の首に向かっていく。勝利を確信し、よもや敵がもう1体参戦してくることなど予想だにしていない怪物は、全く気づいていない。猛スピードで前進する巨体の重みが、怪物の首、一点に集中した。ーーラリアット。怪物の断末魔が聞こえたが、声帯が潰されたことでそれはすぐさま止んだ。リナの機体から怪物の腕が離れる。ひっくり返った怪物が背中から地面に倒れた。
2体のJ・ウォリアは追撃に備え、ファイティングポーズを保ったまま、しばらく静止していたが、敵がもう生き絶えたことを確認すると、巨人たちはゆっくりと向き合い、ハイタッチした。金属同士がぶつかり、高い音が響く。どちらともなく。こちらから操縦席は見えなかったが、2人の表情は分かる気がした。
「マドカに見せてやりたいな、これ」
ヨウジロウが言った。複雑な表情。マドカのことを思い出したり、思い出さないようにしたり。その繰り返しに加え、眼前の非現実的な出来事。脳みそがパンクしてもおかしくない。僕だってそうだった。僕は吹き出した汗とともにシートにへばりついていた身体を起こす。
「でもマドカだったら、『ナナカ先輩、そんな物騒なものから早く降りてくださいー!』って言うな、多分」
僕がそう言うと、「間違いない」とヨウジロウは笑った。アクセルを蒸し、市街地へ向かう2体の巨人を追う。
蒲生里大学病院は壊滅していた。建物は崩れ落ち、救急車両は潰れ、血に染まったベッドが散らばっていた。ソレウス構造体に寄生され動けなくなった人々が真っ先に餌食になったのだろう。病院やソ対機のスタッフが無事なのかは定かではなかった。ベイリー所長や佐藤主任の顔が浮かぶ。どうか逃げのびていてほしいと思いながら、荒れ果てた敷地の側を通り過ぎる。
市街地に入った頃、不気味で甲高い声が響いた。2体のジャイアント・アーマーの向こうに怪物が居た。乗り捨てられた車が連なっているため、それ以上進めない。車から降りる。危険だとは思わなかった。異常な現実を処理するため脳内に分泌された大量のアドレナリンと、果敢に立ち向かう2体の巨人への“信頼”のお陰か。ヨウジロウと2人、躊躇することなく車を捨てて走り出す。離れていたが、怪物の口から何か丸いものが落ちるのが見えた。今は全くもってありがたくないシュミラクラ現象で、遠くからでもそれがなんであるかはわかった。人間の頭。
ひっくり返った大型バスの影から戦いを見守る。2対1。数では分がある。電柱など子供に見えるほど大きな3つの物体が動き出す。リナが乗ったJ・ウォリアは行く手を阻む自動車や瓦礫を蹴散らし、踏みつけながら走る。一方、先輩の乗った漆黒の試験機は器用に隙間を縫いながら走る。同じ機体、そして姉妹であっても、操縦のタイプが違った。当たり前か。
当たり前じゃないことが1つある。華山先輩がジャイアント・アーマーを苦もなく操っていること。僕らの世代はみんな、ジャイアント・アーマーの操縦ができる、と思い込んでいる。“ジャイアント・アーマーズ”が全盛期だった頃、どのゲームセンターにも体験ゲーム機が置いてあった。1回300円。本物と同じ規格で作られたコックピット内部に、裸眼で体験可能の3Dスクリーン。
僕も少ない小遣いのほとんどをこのゲームに貢いだ。中学生だった当時、僕は蒲生里の外れにあるゲーセンでいつも2位だった。1位はいつも同じやつ。しかもそいつは全国ランクでも上位で、とても敵わなかった。遠すぎて、その背中さえ拝めないほど。
操作方法が同じだからといって、実物を操縦できるわけではない。高度な人工知能が制御し、相互に連動する多脚によって上下動は最小限に抑えられるが、常人が耐えられるような生易しいものではない。加えて機体の上半身を動かすことで生まれるG。それにヴァーチャルとは異なり、目の前に立つ相手のロボットは本物で、撃たれれば死の危険だってある。
そして敵機のコックピットには生身の人間が乗っている。ゲームなら誤ってコックピットを叩いても、ポイントが減点されるだけだ。でも実戦では、人殺しになり得る。心身ともに体験ゲームと実戦では、全く異なるのだ。
少年の頃の悔しい思い出。僕のいつも上にいたあいつ。何回挑んでも超えられなかった猛者。この期に及んで初めて気づく。あれは華山先輩だったのか。ーーハンドルネーム、“パピリオ”。どうりで勝てないわけだ。実機をこれだけ正確無比に操縦できるものにとって、ヴァーチャルゲームなど朝飯前だ。
その黒い“パピリオ”が、今、眼前で怪物と戦っている。怪物は敵から一定の距離を保つべく、ジリジリと後退する。太い尻尾に当たって5階建の鉄筋コンクリートの建物がもろくも崩れ去る。しかし、巨大といえどせいぜい20メートルほどの体高。その体高の倍はある大きなビルが退路を塞いだ。流石に崩してしまうと、瓦礫の下敷きになってしまうことを察したのか、怪物の尻尾は元気がなくなる。2体のジャイアント・アーマーと対峙する怪物。リナと先輩は同時に突進を始める。
だが、ここで怪物が予想外の動きを見せた。太く長い尻尾を地面に突き立てた。その尻尾を支柱として、身体を持ち上げる。アスファルトが盛り上がってヒビが入ったが、地盤はすんでのところで崩壊せず、怪物は器用に身体を起こした。地面を這っていた腹部が露わになる。汚い白。血管が浮き出していて、分厚いはずの皮膚が風に揺れるカーテンのようにうねっていた。高さは30メートルを優に超える。長い両腕を伸ばしたその姿は、十字架にはりつけられたキリストのようだった。
一旦加速がついたJ・ウォリアは止まれない。異変を察し急ブレーキをかけるも、慣性に任せ前進する。怪物の尻尾を支えていた地面にとうとう限界がきた。地面が波打つ。怪物の身体が前へ傾いだ。その落下地点には不運にもJ・ウォリアが位置していた。
一瞬の出来事。リナの機体が方向転換を試みるも、遅すぎた。怪物の身体が激しく地面を叩く。敵に立ち向かう2人を鼓舞するように流れていたロックンロールが、途絶えた。舞い上がった砂埃で周りが見えない。そのベールの向こうで黒い影が立ち尽くしている。視界がひらけたが、さっきまでいたはずの葡萄色の機体は確認できない。リナが乗ったJ・ウォリアは怪物の巨体によって粉砕されてしまった。
リナは死んだ。怪物の下敷きになり、その残骸さえ確認できない。あまりに呆気ない最期。ヒーローは死なないと思っていたが、現実はそうではなかった。絶望感で胃が冷たくなる。側に立っていた黒い試験機は間一髪、難を逃れていた。もう華山先輩には戦ってほしくなかった。死んでしまう。そう思った。
だが、肉親を目の前で失った先輩の頭から“冷静さ”が消滅した。コックピットの中の先輩が叫んでいた。アクリルに阻まれ、声は聞こえない。でも聞こえないはずのその声が僕の頭の中で共鳴する。
ーーもうやめてくれ。そう叫んだが、先輩には届かない。
とにかくでかい。暗がりで眠っていたにしては手入れが行き届いており、埃や汚れは見当たらない。僕の背丈より高い6本の多脚のうちの1本に触れた。走行用の足とは別に、鈍色の長い棒がその影に隠れている。上下にピストンするこの支柱が地面を穿ち、高速パンチを繰り出すそうとする巨体を支えるのだ。
見上げたところで、人間ならそこにあるはずの“顔”はない。代わりに強化アクリルで包まれた操縦席がある。水族館の水槽に用いられるような分厚いアクリル。たった3点にのみ設置された防御層が心許ないが、華山リナはこのマシンで数々の対戦相手を撃破して来た。17戦無敗。ジャイアント・アーマーズにおける伝説。この伝説が塗り替えられることは金輪際、ない。
「乗ってみるか、と言いたいが時間がない」
華山リナは機体の最終チェックを済ませるとボルダリングでもするように操縦席を軽快によじ登った。
「2人ともここに隠れてなさい。……大丈夫。私が死んでも食い止める」
キーを差し込むと操縦席のドアが跳ね上がった。こちらを一瞥し手を振ると、操縦席に乗り込む。ドアが閉まる。アクリル越しにリナが目を瞑り深呼吸するのが見えた。リナの右手が動いた。
2つの爆音が辺りの木々を震わせた。1つはJ・ウォリアが起動し、油圧ピストンの関節を軋ませながら起立する音。もう1つは派手なドラムとエレキギターの音。そしてボーカルのシャウト。古臭く、男臭いロックンロール。
太陽を遮るほど背の高い機体を逆光の中見上げると、操縦席の中で華山リナが笑っていた。かつてテレビで見たあの“闘技者”の表情。
「……Rainbowの“Long Live Rock 'N' Roll”だ」
ヨウジロウが呟く。ぽかん、としている僕に「この曲の名前」と言った。聴いたこともない。ヨウジロウの知識幅の広さに驚く僕なんか御構い無しに、J・ウォリアが器用に多脚を動かしてケヤキの林へ突っ込んで行った。地面が揺れる。突然の闖入者に慌てた鳥たちが飛び立つ。
「コウジ、車の免許は?」
ヨウジロウが吸い殻を踏みつけながら言った。
「原付しか持ってないけど」
「俺もペーパードライバーだけどな。……仕方ねーか」
そういうとヨウジロウが僕らをここまで連れてきたワンボックスの運転席のドアを開けた。
「ここにずっと隠れてるつもりはないだろ、お前も」
ヨウジロウが差したままだったキーを回した。
来た道を戻る。ヨウジロウの運転は非常に危なっかしい。蛇行する道路など無視して、最短距離を突っ切って行ったJ・ウォリアに追いつかんと、下手なくせにアクセルを踏みつける。左右に振られた車体がひっくり返る寸前で持ち直す、ということを繰り返す。怪物にやられる前に事故で死にそうだ。
森を抜け、大学のキャンパス裏の貯水池の側を過ぎ、大通りに繋がる交差点を右折する。背の高い針葉樹に阻まれていた視界が、突如開けた。ヨウジロウが急ブレーキをかけた。わずか20メートル先で2つの巨大な物体が組み合っていた。
有機物で構成された巨獣と無機物で構成された巨人。怪物の腕がバネみたいに伸び縮みし、機体を叩こうとする。しかし、そもそも接近戦に特化したジャイアント・アーマー。怪物の身体に組みつき、怪物の腕は虚しく宙を切るだけ。怪物は長い尻尾をJ・ウォリアの多脚に巻きつけると、へし折って重心を崩そうと試みる。その作戦も無駄だった。アスファルトを物ともせず打ち下ろされた鉄柱。十数トンある巨体から繰り出されるパンチを支える杭の堅牢さには、怪物も打つ手がない。
万策尽きた怪物が大口を開け、操縦席に狙いを定めた。強化アクリルを牙が貫こうとする。しかし、虚しく滑るだけ。ただ肉をついばみ、咀嚼するだけに進化したと思われる怪物の細かい牙は、抜群の透明度を誇る美しい球面に傷1つ、つけることはできない。その中でリナが大口を開けて笑っていた。瞳が妖しく光る。
勝負は一瞬だった。怪物の、3度目となる口吻を用いた攻撃。悪あがき。そのタイミングを見逃さず、J・ウォリアの両手が怪物の上顎と下顎を掴んだ。渇いた音が響く。J・ウォリアが怪物の口を裂いた。裂け目からドブ色の長い舌が漏れ出す。僕らと同じ色の鮮血が吹き出した。首元を伝った血が道路に降り注ぎ、ゴミをさらって流れていく。怪物が痙攣を始め、やがて動きを止めた。投げ出された身体が地に落ち、その衝撃で僕の内臓が震えた。
圧巻。J・ウォリアは勝利の余韻に浸ることなく、道路の先を振り返った。仲間が殺されたことを察したのか、怪物がもう1体、坂を駆け上がってくる。次なる敵に照準を合わせ走り出したJ・ウォリアを僕らは追う。怪物の血でタイヤが空回りする。走りだした車の後ろには赤い轍が伸び、それを辿った終着点には築山みたいにでかい怪物の死体が転がっていた。
2体目。怪物とJ・ウォリアが正対する。怪物の咆哮が合図であったかのように、同時に動き出す。だが、狭いフィールドで戦うよう設計されていたジャイアント・アーマーは、長距離移動のツケが来たのかわずかに動き出しが遅れた。
その隙を怪物は見逃さない。組み合うかと思われた両者だったが、怪物は距離を取りつつその長いリーチを活かしパンチを繰り出す。3つの関節を持つ腕が予測不能な軌道を描き、機体を叩いた。鞭のようにしなった腕。J・ウォリアの右胸部の装甲が落ちた。インナーの薄い装甲が露わになる。この灰色の装甲が破られるとマシン内部は丸出しになり、即急所となる。機体そのものの防御の弱さはゲーム性を優先したジャイアント・アーマーの欠点でもある。
華山リナは諦めていない。至って冷静だった。向かってくる一方の腕を捕捉した。両手でしっかりとホールドすると、へし折らんとばかりに力を加える。だが、正体不明であり、その身体構造もわからない怪物の内骨格は頑丈だった。無理だ。折れない。怪物は怯むことなく、もう一方の腕を振るい、機体の腹を叩いた。複数の装甲が崩れ落ち、地面で跳ねた。インナー装甲も落ち、内部構造が露わになる。合金の骨組み、電気制御の配線、局所バッテリー。油圧ピストンが損傷したのか、ドス黒いオイルが垂れる。J・ウォリアは諦めていない。しかし、形勢は不利。まずい。
怪物が血のように吹き出すオイルに気づいた。冷却水も漏れ出し、立ち上る水蒸気が2つの巨体を包む。怪物が鎌首をもたげた。節くれだった脚をバタつかせる。振動で車が小刻みに上下動した。その動きが止まり、怪物が重心を固定した。操縦席内部でリナが歯をくいしばる。怪物の頭が腹に向かって伸びようとした。万事休すか。J・ウォリアでも倒せないというのか。
僕が死を覚悟し、車内のシートに沈んだ時。大きな影が車の上を通った。と思うと地面が揺れる。目の前のアスファルトに穴が開く。フロントガラスの向こうで、怪物へ猛進していく、黒い巨人の姿を見た。あの鉄工所後で、J・ウォリアに寄り添うように眠っていた黒い試験機。J・ウォリアと同じ設計図から生まれた双子の片割れ。一瞬見えた操縦席の中に、華山先輩がいた。
黒い試験機の左腕が、天高く振り上げられた怪物の首に向かっていく。勝利を確信し、よもや敵がもう1体参戦してくることなど予想だにしていない怪物は、全く気づいていない。猛スピードで前進する巨体の重みが、怪物の首、一点に集中した。ーーラリアット。怪物の断末魔が聞こえたが、声帯が潰されたことでそれはすぐさま止んだ。リナの機体から怪物の腕が離れる。ひっくり返った怪物が背中から地面に倒れた。
2体のJ・ウォリアは追撃に備え、ファイティングポーズを保ったまま、しばらく静止していたが、敵がもう生き絶えたことを確認すると、巨人たちはゆっくりと向き合い、ハイタッチした。金属同士がぶつかり、高い音が響く。どちらともなく。こちらから操縦席は見えなかったが、2人の表情は分かる気がした。
「マドカに見せてやりたいな、これ」
ヨウジロウが言った。複雑な表情。マドカのことを思い出したり、思い出さないようにしたり。その繰り返しに加え、眼前の非現実的な出来事。脳みそがパンクしてもおかしくない。僕だってそうだった。僕は吹き出した汗とともにシートにへばりついていた身体を起こす。
「でもマドカだったら、『ナナカ先輩、そんな物騒なものから早く降りてくださいー!』って言うな、多分」
僕がそう言うと、「間違いない」とヨウジロウは笑った。アクセルを蒸し、市街地へ向かう2体の巨人を追う。
蒲生里大学病院は壊滅していた。建物は崩れ落ち、救急車両は潰れ、血に染まったベッドが散らばっていた。ソレウス構造体に寄生され動けなくなった人々が真っ先に餌食になったのだろう。病院やソ対機のスタッフが無事なのかは定かではなかった。ベイリー所長や佐藤主任の顔が浮かぶ。どうか逃げのびていてほしいと思いながら、荒れ果てた敷地の側を通り過ぎる。
市街地に入った頃、不気味で甲高い声が響いた。2体のジャイアント・アーマーの向こうに怪物が居た。乗り捨てられた車が連なっているため、それ以上進めない。車から降りる。危険だとは思わなかった。異常な現実を処理するため脳内に分泌された大量のアドレナリンと、果敢に立ち向かう2体の巨人への“信頼”のお陰か。ヨウジロウと2人、躊躇することなく車を捨てて走り出す。離れていたが、怪物の口から何か丸いものが落ちるのが見えた。今は全くもってありがたくないシュミラクラ現象で、遠くからでもそれがなんであるかはわかった。人間の頭。
ひっくり返った大型バスの影から戦いを見守る。2対1。数では分がある。電柱など子供に見えるほど大きな3つの物体が動き出す。リナが乗ったJ・ウォリアは行く手を阻む自動車や瓦礫を蹴散らし、踏みつけながら走る。一方、先輩の乗った漆黒の試験機は器用に隙間を縫いながら走る。同じ機体、そして姉妹であっても、操縦のタイプが違った。当たり前か。
当たり前じゃないことが1つある。華山先輩がジャイアント・アーマーを苦もなく操っていること。僕らの世代はみんな、ジャイアント・アーマーの操縦ができる、と思い込んでいる。“ジャイアント・アーマーズ”が全盛期だった頃、どのゲームセンターにも体験ゲーム機が置いてあった。1回300円。本物と同じ規格で作られたコックピット内部に、裸眼で体験可能の3Dスクリーン。
僕も少ない小遣いのほとんどをこのゲームに貢いだ。中学生だった当時、僕は蒲生里の外れにあるゲーセンでいつも2位だった。1位はいつも同じやつ。しかもそいつは全国ランクでも上位で、とても敵わなかった。遠すぎて、その背中さえ拝めないほど。
操作方法が同じだからといって、実物を操縦できるわけではない。高度な人工知能が制御し、相互に連動する多脚によって上下動は最小限に抑えられるが、常人が耐えられるような生易しいものではない。加えて機体の上半身を動かすことで生まれるG。それにヴァーチャルとは異なり、目の前に立つ相手のロボットは本物で、撃たれれば死の危険だってある。
そして敵機のコックピットには生身の人間が乗っている。ゲームなら誤ってコックピットを叩いても、ポイントが減点されるだけだ。でも実戦では、人殺しになり得る。心身ともに体験ゲームと実戦では、全く異なるのだ。
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その黒い“パピリオ”が、今、眼前で怪物と戦っている。怪物は敵から一定の距離を保つべく、ジリジリと後退する。太い尻尾に当たって5階建の鉄筋コンクリートの建物がもろくも崩れ去る。しかし、巨大といえどせいぜい20メートルほどの体高。その体高の倍はある大きなビルが退路を塞いだ。流石に崩してしまうと、瓦礫の下敷きになってしまうことを察したのか、怪物の尻尾は元気がなくなる。2体のジャイアント・アーマーと対峙する怪物。リナと先輩は同時に突進を始める。
だが、ここで怪物が予想外の動きを見せた。太く長い尻尾を地面に突き立てた。その尻尾を支柱として、身体を持ち上げる。アスファルトが盛り上がってヒビが入ったが、地盤はすんでのところで崩壊せず、怪物は器用に身体を起こした。地面を這っていた腹部が露わになる。汚い白。血管が浮き出していて、分厚いはずの皮膚が風に揺れるカーテンのようにうねっていた。高さは30メートルを優に超える。長い両腕を伸ばしたその姿は、十字架にはりつけられたキリストのようだった。
一旦加速がついたJ・ウォリアは止まれない。異変を察し急ブレーキをかけるも、慣性に任せ前進する。怪物の尻尾を支えていた地面にとうとう限界がきた。地面が波打つ。怪物の身体が前へ傾いだ。その落下地点には不運にもJ・ウォリアが位置していた。
一瞬の出来事。リナの機体が方向転換を試みるも、遅すぎた。怪物の身体が激しく地面を叩く。敵に立ち向かう2人を鼓舞するように流れていたロックンロールが、途絶えた。舞い上がった砂埃で周りが見えない。そのベールの向こうで黒い影が立ち尽くしている。視界がひらけたが、さっきまでいたはずの葡萄色の機体は確認できない。リナが乗ったJ・ウォリアは怪物の巨体によって粉砕されてしまった。
リナは死んだ。怪物の下敷きになり、その残骸さえ確認できない。あまりに呆気ない最期。ヒーローは死なないと思っていたが、現実はそうではなかった。絶望感で胃が冷たくなる。側に立っていた黒い試験機は間一髪、難を逃れていた。もう華山先輩には戦ってほしくなかった。死んでしまう。そう思った。
だが、肉親を目の前で失った先輩の頭から“冷静さ”が消滅した。コックピットの中の先輩が叫んでいた。アクリルに阻まれ、声は聞こえない。でも聞こえないはずのその声が僕の頭の中で共鳴する。
ーーもうやめてくれ。そう叫んだが、先輩には届かない。
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でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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