8分間のパピリオ

横田コネクタ

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15.エピローグ

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 あの日から6年が経った。

 僕は大学院を卒業したのち、小さな出版社に就職した。ようやく仕事に慣れてきて余裕ができたので、大型バイクの免許を取った。休みの日はひとりでツーリングをする。夜が明ける前に家を出て、下道を通り遠くの海や山を目指す。別に具体的な目的地はなく、ただ何も考えずに走るだけ。

 ドライブとかツーリングってのは音楽に似ていると思う。道程は楽譜。流れゆく景色が旋律。乗り手は指揮者、乗り物が演奏者。乗り手によって、リズムや音色が変わる。僕は決して名指揮者とは言えないけれど、誰に聴かせるわけでもないからいいだろう。

 もうあの日のことは皆の記憶から薄れている。蒲生里の外では誰も覚えちゃいない。怪物に襲われたのは蒲生里の周辺だけ。国外では都市伝説化されていて、そんなものはなかったという人もいる。日本国内でさえ、最近ではニュースや会話の話題として上がることは減った。毎年、あの日になると「何年経ちました」とキャスターが神妙な顔して告げるだけ。悲しかったけれど、そんな感情はもう数年前には抱かなくなっていた。人間の記憶なんてそんなもんだ、と諦めた。

 あの日以降、ソレウス構造体の発生はゼロになった。ここ蒲生里でも。不思議なことに怪物が身体を引き裂かれ朽ちてしばらくすると、ソレウス構造体は患者の体内から消え去った。悪性化された細胞も、正常な範囲内に回復した。いや、不思議なことではないな。役目を終えたのだから、消えたのは当然だと言える。

 あの“天災”が起きて1ヶ月後、あるレポートが公開された。『循環器系寄生細菌様自律的構造体(通称:ソレウス構造体)の発生分布と寄生虫病学的観点から考察したソレウス構造体の行動原理』。通称『ゾウシガヤ・レポート』。そこに書かれていた内容はおおよそ僕が出した結論と同じだった。ソレウス構造体にとって人間は中間宿主に過ぎないこと。いずれ人間を捕食する何かしらの終宿主が現れると予想されること。

 そのレポート内ではあの日現れた怪物の正体を、地球外から来た生物であると結論づけていた。雑司ヶ谷はソレウス構造体の出現分布の収束を天文学的な見地から考察し、はくちょう座方向にあるグリーゼ777Afと地球の間にある関係性を導き出した。さらに驚かされたのは、雑司ヶ谷が人間より高度な知的生命体の存在をほのめかしていたことだ。雑司ヶ谷はソレウス構造体が高度知的生命体のバイオテクノロジーによって生み出されたと考えていた。

 知的生命体を捕食する怪物に対抗するために生み出された寄生体。「人間の尊厳は思考にこそある」。そう言った医者がいたが、ソレウス構造体を生み出した太陽系外生命体もそう考えており、身体が動かなくとも脳が活発に機能していれば尊厳は損なわれないということらしい。確かにソレウス構造体に寄生された患者たちの大脳は異常なほどに活動していた。しかし、僕はそんなものが人間の尊厳だとは思えなかった。

 雑司ヶ谷はメキシコで交通事故に遭い、死んだ。一応事故らしいが、真相はわからない。彼は予言者として一部の“信奉者”たちに崇められていたが、それが気にくわない者たちも多々いた。

 あの日起こったことは、地球外生物との記念すべきファーストコンタクトである。しかし、奴らには知性とか、地球人への友愛とかはなかった。再び起きるかもしれない地球外からの侵害行為に備え、各国の首脳や国連は対策を講じなければならなかった。「地球外生命体からの侵攻に備える」といった名目で核武装を強化した国もある。けれど「またソレウス構造体のようなセーフティ機能が自然と現れるだろう」という楽観的な見方が大方を占め、遅々として進んでいない。「外的な敵が現れることで世界は団結する」という学者たちの考えは外れてしまった。人間はあれから何も学ぼうとしなかった。

 ソレウス構造体に寄生された患者たちは病室から動けないまま怪物たちに食われた。それによって怪物は死に絶えたわけだが。あれは必要な犠牲だったのだろうか。蒲生里に住んでたのが悪いのか。世界規模で見れば極々小さな犠牲。だが、その1人1人に人生があって、家族がいて、仲間がいて。何度となく考えてみたが結論は出なかったので、考えるのをやめた。ただ、なんでマドカが死ななきゃならなかったのかという怒りだけは、未だに消えずに残っている。

 悲しいことにマドカの記憶は薄れつつある。彼女の声を忘れ、匂いを忘れ、醸し出していたはずの雰囲気を忘れた。顔だけは写真を何度も見ているから忘れてはいない。でも僕の頭の中にあるのは、遺影と同じ笑顔のマドカ。それ以外の顔が思い出せなくなってきた。そんな自分が嫌になる。

 ヨウジロウとはたまに会っている。ヨウジロウは地元の市役所に勤めている。かなり忙しいらしい。でも年に2回くらいはあって酒を酌み交わす。彼はとうとうタバコをやめた。というかやめざるを得なかった。ようやくと言って良いのか、国がタバコを禁止した。そもそも市役所に入庁した時点でタバコを吸えるような環境ではなく、受けたくもない卒煙指導を受けさせられたらしい。それから彼女ができたそうだ。なんか複雑な表情で僕に告げた。マドカのことがあったからだろうか。別に誰もとがめやしないのになと思う。忘れられない人がいるからと生涯独り身を貫く人もいるが、そんな人は稀だ。幸せになってほしい。

 華山先輩とは没交渉状態だった。あの年に先輩は運良く卒業した。何で卒業できたのかは不思議でならない。結局、操縦研は程なくして廃部になり、部室も今は違うサークルの現役生たちの溜まり場になっているはずだ。

 卒業式の日、僕とヨウジロウはマドカの写真と一緒に会場の外で待っていた。式が終わり、晴れ着姿の卒業生たちが感慨深げにぞろぞろと出てきたが、華山先輩は出てこなかった。一応連絡を取ってみると、珍しく返信があった。「卒業式、明日じゃないの?」。まあ先輩らしいと思う。「またいつか会いましょう」というメッセージには返信がなかった。風の噂で海外にいる、とは聞いた。もう会うことは、なさそうだ。

 僕が今、手がけているのは児童書。電子書籍さえ発行部数が少ない現代において、僕は分厚い紙に写真ばかりが印刷されたヒーローものの本を作っている。なんだかんだ買う人はいるから仕事がなくなることはないとは思うけれど。巨大ロボが怪獣と戦う設定のストーリー。今を生きる、しかもあの日以降に生まれた子供達にとって、怪物は空想上の存在でしかない。実際にあの日、本やテレビの向こうで起きていたことより、もっと悲惨な出来事が起きていたことなんて彼らは知らない。大人だってそうだ。あの日起きたことの全てを知る者は、僕とヨウジロウと華山先輩だけ。

 ヒーローに憧れる子供達に罪はない。彼らの歪みのない目には憧れと興奮が浮かんでいる。ヒーロー。いつの時代も子供たちは、それを信じている。僕だってそんな子どもの1人だった。かつては。でも、僕は“いい大人”で、そんな幼年期はとうの昔に忘れてしまった。僕は今日も虚ろな目でディスプレイを眺め、1日が終わるのをただ待つ。僕が憧れていたヒーローはこんな顔してなかった。僕はそもそもヒーローではないけど。

 上司に呼ばれたので、僕はメモ帳を取り席を立つ。ディスプレイに映った勇敢なヒーローをそこに残して。
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