遊牧少年、シャンバラを征く

土ノ子

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天神の寵児

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 手をつないで帰ってきた幼い義兄妹が天幕の入り口に下ろされている厚い毛氈フェルトをくぐると、老女はジロリと二人を見た。

「遅い」

 二人が帰ってきた開口一番にこれであった。かと言って不機嫌なわけではなく、基本的にモージはいつでもぶっきらぼうでつっけんどんなのだ。

「早くこっちに来て手伝うんだ。さもなければ夕餉は抜きだよ」

 ほらな、とばかりにツェツェクを見て肩をすくめると彼女は困ったように笑った。
 モージが天幕の中心に据えられたかまどで土鍋を火にかけながら中身をかき回している。天幕の頂点に通された煙突の中を煙が抜けていくお蔭で天幕の中でも焦げ臭さや煙たさは無い。
 夕飯はこの辺りで『山の茶』と呼ばれる山野で採取される香草を山羊の乳で煮出したところに牛酪バターと砕いた岩塩を加えて味を調え、そこに乾酪チーズと御裾分けでもらった草原鼠タルバガンの肉がちょっと浮いている。そんなこの辺りでよく見られる煮込み料理だった。特に決まった名前はないが、具入り乳茶ヒーツティ・ツァイとも呼ばれる。
 前世二ホンと異なり、ここらで『お茶』というと水で茶葉を煮出したものは指さない。野生茶を乳で煮出したそこに牛酪バターを加える『乳茶スーティ・ツァイ』が一般的で、具材を入れて汁物スープのように食べることも多い。
 『お茶』とはつまり食事なのだ。

「美味い」
「うん」
「……ふん」

 天神に祈りを捧げた三人が一口乳茶を啜ると、三者三葉の言葉を漏らした。
 素朴で飾り気のない味付けはいっそ素っ気ない味わいだ。だがジュチはこうした素朴な味付けが嫌いではなかった。
 惜しむべくは食事の量の乏しさであろうか。山羊の乳を多めに入れてかさ増ししているが、肝心の具である乾酪と肉の量の不足はどうしようもなかった。
 元々シャンバル山脈の中央部は山間の割に降る雨が少なく、家畜たちの餌となる牧草の生えが悪い。自然と家畜たちも痩せて乳の出が悪くなり、暖かい季節の主食である『白い食べ物』も大した量ができない。厳冬に備えて幾らかは保存食に回されるから、余計に食事の量に余裕が無くなるのだ。
 苦しい部族の現状を手元の椀の中身から改めて推し量りつつ、三人は黙々と食事を口に運ぶ。他所の家はともかくモージは食事中にむやみにしゃべるのを嫌うのだ。
 やがてわずかに残っていた土鍋の中身も三人で分け合い(ツェツェクの分は少しだけ多めに取られた)、空腹を慰めると三人はかまどの中心に思い思いの体勢でくつろぎ始めた。
 夕食後は遊牧の民にとっては家族の団欒を楽しむ貴重な憩いの時間である。燃料である乾燥させた牛糞アルガルも食糧と比べれば備蓄に余裕があるから、もう少しゆっくりとおしゃべりを楽しんでも罰は当たらない。

「もう寝るかい?」
「ん……。もうちょっと眠くなるまで待つよ。目が冴えていま床に入っても眠れる気がしない」

 おそらく昼間の出来事を気遣って寝床に入るよう促してくれたのだろうが、目を瞑ると自然とあの時の興奮が蘇ってくる。もう少し心を落ち着ける時間が欲しかった。

「ならどうだい、一局?」
駒遊びシャタルかぁ。打つのは久しぶりだ」

 モージの誘いに応と返し、ジュチは天幕の片隅から遊戯に使う道具一式を引っ張り出した。
 駒遊びシャタルはチェスや将棋に似た盤上遊戯で、越冬期などに持て余す時間を潰すための良い気晴らしだった。ちなみに駒は主に家畜の骨を加工して作られる。
 モージの家にも一式置いてあり、ジュチも偶に指すことがある。お相手はもっぱらモージだが、力量は年齢相応というところだ。対してモージは部族でも中々の指し手で、越冬期に開かれる娯楽大会では上位入賞の常連だった。
 なので二人が指すと指導対局に近いやり取りになる。

「む……」
「へへん」

 だが今夜の対局の展開は普段と一風異なっていた。

新手しんてか」

 得意そうなを披露するジュチを見返し、思案気に盤面を見下ろした。しばらくの沈黙の後、モージは返しの一手をパチリと打つ。そのままパチパチと小気味よく盤上に駒を置く音がしばしの間テンポよく続いた。
 ジュチが得た見知らぬ記憶はかなり扱いが難しく、思い出そうと思っても中々思い出せるものではない。だが何かしらに取り組むとそれをキッカケに関連する知識が不意に浮かび上がってくるらしい。
 今回で言えば駒遊びシャタルを打つうちに前世で経験したチェスや将棋の定石が自然と思い浮かんだのだ。細かな駒の役割やルールに違いがあるものの、共通点は多い。応用は十分に可能だった。
 普段やりこめられてばかりのモージに一泡吹かせてやろうと勇んで手を進めていく。
 ……だが、

「む…」
「新手の連続…はいいけどね。きちんと自分の中に練れてなきゃそれはただの勇み足だよ」

 渋い顔をしたジュチが声を漏らすと、段々と形勢はモージに傾いていく。前世知識というアドバンテージを以てしても地力の差は如何ともしがたい。
 やがて数十手ほど指し運びがやり取りされると、ジュチは投了の言葉を吐き出した。
 誰も知らないことを知っている、というのは確かに強力なアドバンテージだが、それを十分に生かすだけの基礎がジュチには欠けているのだ。そのことをジュチはこのあと幾度となく痛感するのだが、その初めてはこの夜の駒遊びの一局だった。
 
「とはいえ中々面白い一局だった。しばらく夜は私に付き合いな」
「えー…」
「……真面目に付き合うなら朝餉の件、少しは考えてやろう」
「よっしゃ!」

 露骨に面倒くさいなーという気配を漂わせる少年の鼻先に報酬ニンジンをぶら下げるとわかりやすくテンションが急上昇する。欲に釣られたことを隠す気もないあからさまな変節はこのアホの子め、と憐憫と呆れの視線を向けるには十分だった。

「そういえば」

 と、遊びに使った駒を片付けながら思い出したように言葉を継いだ。

「説教のあとに、なにやら妙なことを言っていたね」

 何気ない風に出た言葉は静かに少年の後ろめたさを突いた。そっと肩を見るとそこには変わらずとぼけ顔の火蜥蜴が居座っていた。

「あ。あー、あれは…」
「まあいいよ。詳しく聞く気はない」

 何とかうまく誤魔化そうと頭を回すが、肩をすくめたモージは自分で振った話題にもかかわらず、あっさりと終わりにしてしまう。
 そのまましばしの間沈黙が流れるが。

「あんた、天神テヌン寵児いとしごを知ってるかい?」
「テヌ……なんだって?」

 ぼそりと呟かれた耳慣れぬ言葉に問い返すと、心の奥底を見通すかのように静かな視線が返された。我知らず動揺し、心持ち座った姿勢のまま重心が後ろに寄る。

「知らぬはずのことを知り、見えぬはずのものを見、常人ひととは異なる理を持って動く者のことさ。世に数多いる奇人変人の中でもひと際変わった連中でね。その魂は私たちよりもずっと天に近く、
「神に、愛されやすい……?」

 しかめっ面をしたモージの言葉になんとなく不吉なものを感じ鸚鵡返しに問いかける。

「……天神はしばしば気に入った幼子の魂を天に召して、自分のもとで仕えさせようとするのさ。特にそうした子どもはお気に入りになることが多いと聞く」
「それは」

 その天神の寵児とやらは普通の子供と比べて早逝しやすいということだろうか。心当たりのありすぎるジュチの心音が急に乱れ、まさかという思いが脳裏をよぎる。

「まあそうした子どもらは常識を知らず、尊重もしないことが多いらしい。この物騒な大地で守るべき掟も分からぬまま動き回っていれば遅かれ早かれ危険の方からやってくるってことだろう」

 だが肩をすくめたモージの言葉に緊張が解け、安堵から肩を落とす。そうした様子もモージはしっかりと目に入れていた。

「まあ、いい。私が言いたいのは一つだけだよ」

 養い子の様子に薄々察しつつも、老賢女はこれ以上藪をつつく気はなかった。無理に聞き出してお節介を焼くのは己の流儀ではないのだ。
 助けを求められれば、全力で応えればいい。それ以上は余計なお世話というものだ。

「なにかあったら、言いな。……それだけだ、寝るよ」

 そして会話を切り上げるように手を振って就寝を促す。慌ててジュチが自分の分の寝具まで移動するのを見届けると重い腰を上げてかまどの火を灰で覆い、ほのかな暗闇が天幕に満ちた。
 なおツェツェクはとうの昔に寝具の中に潜り込んで熟睡の寝息を立てている。羊の毛皮から作った寝具はとても暖かく柔らかい。冬季などは寝汗で却って身体が冷えるのを避けるために素っ裸で毛皮の山の中に潜り込む者もいるほどだ。
 昼間の疲れもあって気持ちが落ち着けば自然と眠ることが出来るだろう。

天神テヌン寵児いとしご……)

 己はソレなのだろうか。
 分からない。なにしろその言葉を知ったのも今さっきのことなのだ。そう呼ばれる彼ら彼女らはどれくらいいたのだろうか。どのようなことを成したのだろうか。
 気になって頭の中で答えの無い問いがぐるぐると回り、心臓が奇妙な高ぶりを示していた。
 これは興奮なのか、あるいは恐怖なのか。
 それすら分からず、やがて考えることに疲れた幼子は自然と寝入り、寝息を立て始めるのだった。
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