【完結済】999本のひまわりを君に

こゆき

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 春の柔らかな風が、俺とカラン王子の前髪を遊ばせる。
 足元の地面にはまだ雑草や野花しか咲いていなくて、記憶の中にある花畑とは程遠い。

 そういえば、誰がここに花の種を撒いたのだろう。
 場違いにも、そんなことを考えた。

「……お前は、記憶を宿しているのだろう」

 そんな取り留めもない思考は、眼前の男の一言で霧散した。
 目を見開き、彼を凝視する。

 なぜ、それを。

 返答を返す余裕もなかったが、彼にはその沈黙が十分な答えだったらしい。
 小さく息を吐き、目を伏せた。

「──だが、彼女のことは、覚えてないのだな」
「それは、」

 それは、誰のことだ。
 きっとそう確認するべきなんだろう。
 だが、俺の脳裏には、たった一人の女性の存在しか浮かばなくて。

 ──ラーレ。

 青空の下で笑う、ラーレの姿が、鮮明に思い浮かぶ。

 最近の俺は、本当にどうかしている。
 記憶にない、けれどふとした時に浮かび上がるラーレの影に、なぜこんなにも、縋り付きたくなるのだろう。

 なぜ、手を伸ばしたくなるのだろう。

 無言になり、自然と拳を握りしめていた俺をじっと見つめていたカラン王子は、ちいさくその手を挙げた。
 それを合図に、俺の後ろに控えていたプラムが森の中へと消えていく。

 この男が護衛を外したのを、初めて見た。

 『今まで』の記憶とかけ離れたカラン王子の行動に、思わず目を瞬く。

 俺の知っている彼は、まさに冷酷非道を絵に描いたように男だった。

 自らが王の座に就くために、異母兄妹であるレリアを手中に収めようとする男。
 レリアのことを「王になるための駒」と豪語し、それを光栄と思えとのたまうような、そんな人間だったというのに。

 目の前に佇む男からは、そんな冷たさは微塵も感じることができなかった。

 何が何だかわからないが、もしかしたら。
 この男と、初めてまともな会話が出来るのではないか。

 ──もしかしたら、それが、この永遠ともいえる『やりなおし』を解決に導く手立てになるのではないか。

 そう、頭をもたげた淡い期待は。


「──俺は、彼女を殺した」


「──」

 次の瞬間、消え失せた。

 どさっ!

 ……気が付いたら、俺は、カラン王子を、押し倒していた。

「なにを、言った」

 先ほどの彼の、この男の言葉が、耳にこびりついて離れない。

 ──俺は、彼女を殺した。

 彼女とは、誰だ。
 殺した?
 俺とは。
 つまり。

「お前が、カランが、ラーレを殺したのか……!!」

 あの子は、ラーレは、足を滑らせて崖から落ちたのではないのか。
 痛みと恐怖に一人で晒され、この男の刀で切り伏せられたのか。
 それだけでは飽き足らず、遺体を弔うこともせず、崖から投げ落としたと、そういうのか。

 押し出されるように、絞り出された声は、自分のものとは思えないくらい、低く震えていた。

 ごうごうと、音が聞こえる。
 これは、きっと、俺の内側から聞こえる音だ。

「……っ」

 ぎり、と、カランの胸元を締め上げる手に、力がこもる。
 地面に押し付けた男の喉が、ひくりと震えるのが分かる。
 怖いくらいに整った顔が苦痛に歪むのに、俺の手はさらに自重を込めてその喉を締めていく。

 初めてだ。
 ──こんなにも、『殺してしまえ』という、悪魔の声が、聞こえたのは。

「っ、貴様も、ころしただろう!!」
「なにを言う、っ!!」

 だが、それもカランに腹を膝で蹴り上げられ未遂に終わる。
 もう一度つかみかかろうとして、今度は俺が地面に叩きつけられた。

 俺たちの服も、体も、あっという間に泥だらけになった。

「お前も、何度もあの子を殺しただろう、イキシア!」
「なんの、ことだ!」

 蹴り上げあい、掴みかかり、殴りあい。
 忙しなく回る視界に、プラムが駆け寄ってくるのが見えた気がした。

 懺悔のような色をおびた叫びが、茜色に染まっていく空に響いた。

「俺はあの子を殺した。俺が、俺が忘れたせいだ!」

 カランの慟哭が、耳をつんざく。

「俺のせいだ、俺が殺した! だが、だが! イキシア!」

 ──最初にラーレを忘れたのは、彼女の心を殺したのは、お前だろうが!!!

 その声は、かすかに、震えていた。

 先ほどまでの乱闘が嘘のように、俺たちの間には、静寂だけが漂っていた。
 聞こえるのは、お互いの荒い息遣いのみ。

 痛いくらいの沈黙が、考えることの邪魔をする。

 ……この男は、カランは、何を言っている?

 俺が忘れた?
 おれが、彼女を殺した?

「…………どういう、ことだ」

 お前は、何を知っている?

 絞り出した声は、あまりにも小さくて、情けないものだった。

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