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19 将軍閣下と舞踏会③
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「……いやー……閉じこめられたね」
「そうですね」
暢気な師匠の声にハルは頷いた。
外で大声が聞こえてきた途端に、会場の音楽が止んで人々がそちらに気を取られた。
その瞬間会場のあちこちで口論する声がした。どうやら揉めているのは各国の特使たちが連れてきた、国王の妃に薦めるつもりだった女性たちのようだ。
一体何事かと思っていたら、不意に周りを長身の男たちが囲んできて、背後から腕を掴まれて口を塞がれた。隣にいた師匠のバーニーも同じ状態で、別の出入り口から会場の外に引きずり出された。
そして、この部屋に放り込まれてしまった。両手を後ろで縛られて、長椅子に座らされている。
舞踏会の間、疲れて休憩を取りたかったり、ゆっくり歓談したい人のために王宮の部屋がいくつか解放されているが、どうやらその一室らしい。
「せっかくのお祝い事だっていうのに無粋なことをするものだね」
「師匠、睨まれてますよ」
室内には二人ほど見張りの男が立っているので、ハルたちの会話はカトカ語だ。
「……あの服装はプロテア人だね」
「っていうか、さっき、わざと弱いふりしましたね? 師匠」
ハルは両手首を縛っている紐が解けないかともぞもぞと動かしながら小声で言い返した。ふわふわと頼りない印象の男だが、決して弱くはないのをハルは知っている。
「いや、だって。お祝いの場だよ? あそこで暴れ回るわけにいかないでしょ。流石の僕も空気読むでしょ? まあ、相手の出方次第だけど、そろそろ本気出すよ」
どうやら舞踏会の雰囲気を壊さないように気を使ったらしい。そんな気遣いができる程度には余裕があるのなら、まだ焦らなくて大丈夫だろうか。
ハルがそう思っていると、扉が開いて数人の男が入ってきた。
真ん中にいたのは先ほど舞踏会会場で見かけたプロテアの王配クリスティアン。草臥れた薄い髪をぺったりと撫でつけていて、全体的に何となく脂っこい。
その隣に長身の鋭い目つきの男が堅い表情で立っている。
「おお、確かにローズマリーにうり二つではないか。やはり死んだというのは嘘だったのだな」
クリスティアンはにやにやしながら歩み寄ってくるが、隣にいた男がそれを制止する。
「殿下、必要以上に近づいてはいけません」
「わかっている」
それを聞いてクリスティアンは不機嫌そうに目の前の椅子にどっかりと腰を下ろした。
……あれ? この人が言いなりになる相手? 一体何者だろう。
男は長身と均整の取れた体つきをしていて、おそらく武人だろうと思われる。年齢は三十代後半くらい。厳格そうな雰囲気はパーシヴァルと似ている。
「女王陛下の愛人だよ。宰相の息子だ。しかも、王太子の乳兄弟だっていうからお盛んだよねえ」
「そうなの?」
どうやら王配が浮気してるだけじゃなく、女王にも愛人がいるらしい。しかも息子の乳兄弟とは……。
「女王の子たちも王配殿下の胤じゃないって噂だし」
……ってことはこの王配殿下って全然頼りにされてないのかな。多分女王と家柄的にふさわしいだけの人だったんだろうな……。
カトカ語で話していると、クリスティアンがこちらを睨んできた。あまり自分にとって心地いい内容ではないことに気づいたのだろう。
「……何をこそこそ話している?」
「ゴメンナサーイ、アナタノコトバ、ワカリマセーン」
バーニーがニコニコ笑いながら片言のプロテア語で言い返す。相手は舌打ちして、今度はハルの方に目を向ける。
「お前はプロテア語が話せるだろう?」
「話せることと、あなたとお話したいかは別だと思います」
にこやかにハルがプロテア語で答える。その意味が通じたらしくクリスティアンが眉を吊り上げた。
「無礼な……だが、どこまで虚勢が張れるかな。プロテアに着いたら思い知るだろうさ。……見張っておけ」
そう言い捨てるとクリスティアンはさっさと部屋を出て行った。残された見張りとそして、目つきの悪い男は小さく溜め息をつく。おそらくあの王配に手を焼いているのだろうとハルは察した。
煽れば何か情報が得られるかと思ったけど、プロテアに連れて行く気だということしかわからなかった。
男は深く一礼して流ちょうなストケシア語で話し始めた。
「……大変失礼しました。私はジョエル・レミントンと申します。ラークスパー公爵夫人。それから、そちらは……」
「僕はカトカ王国の特使バーレントだよ。プロテアはカトカに何か含むところがあるのかな? 今後のおつき合いを考えるように進言しなくてはね」
それを聞いてジョエルと名乗った男は眉を寄せた。カトカは海に浮かぶ諸島を束ねる海洋大国だ。プロテアとも交易が行われている。おそらく彼らは師匠が何者なのかわからずに連れてきたのだろう。
「巻き込んでしまい、申し訳ありません。我々はそちらのレディだけをお連れする予定でした。事が終わったらすぐに解放しますので」
「ずいぶんとプロテアは野蛮な国のようだね。誘拐とは物騒な」
「それはこちらの事情です。関わらないでいただきたい」
ジョエルは冷淡な表情でそう告げると、今度はハルを見る。
「あなたの双子の兄はどこにいるのですか? 公爵家には不在のようですが」
そりゃまあ、ここにいるからね。ハルはそう思ったけれど口にはしなかった。どうやら公爵家にも探りを入れていたらしい。
「兄も攫うつもりですか?」
「無論です。あなた方兄妹をラークスパー公爵家に置いておくわけにはいきませんから」
二人とも狙われていた?
けれど、ハルがクリスティアンと顔を合わせたのは今日が初めてだ。
もし「ハリエット」の顔を見てクリスティアンが衝動的に誘拐を企てたとしても、ハロルドまで狙うだろうか。
どうやらこのジョエルが中心になっているように見える。この誘拐を企んだのはクリスティアンではない。
……クリスティアンはハルの母親が何者なのか知らずに愛人にしようと強引に言い寄っていた。けれど、その後で素性を知ったとしたら?
クリスティアンが特使として来たのは、最初からハルと「ハリエット」を誘拐する目的で、彼がハルの母親の顔を知っているからではないだろうか。
そもそもプロテアは周辺国を唆して国王に第二妃を一斉に薦めさせるつもりだった。売り込み合戦が過熱して大騒ぎになればせっかくの祝賀の場に水を差される。
国王側が対策をしたこともあり、さらにパーシヴァルの結婚が予想外に注目されてしまったために、その作戦は決行できなかった。
さっき音楽が中断したときに、思惑が外れた苛立ちか各国の特使たちが揉め始めた。会場の外にも何か騒ぎが起きていたらしく、さっきの大声は王宮騎士団のディヴィッドの声だった。
会場の招待客の目がそちらに向いたのを見計らってプロテアが仕掛けてきた。
……たとえ警備担当でなくてもあちこちでそんな騒ぎが起きればパーシヴァルも知らぬ顔はできないだろう。パーシヴァルと引き離して、さらに客たちの目をそらす目的だったとしたら?
ハルは師匠に目配せした。彼は頷いてにこりと笑う。
「けれど、公爵夫人を誘拐してどうするの? この国では離婚は認められていない。高位貴族は王に無断で国外に出ることは許されていない。しかも夫はプロテアが一度も勝ったことがないラークスパー公爵だ。まさか実力で勝てないから嫌がらせする気なのかな?」
師匠の煽るような言葉に、ジョエルはまったく動じる様子はなかった。
「いや、そもそも誘拐したのはこの方の両親だ。彼らは女王陛下の弟君に連なる王族を勝手に国外に連れ出した。それを返していただくだけのことだ。無論女王陛下の許可のない王族の婚姻は無効だ」
ハルはその言葉に呆れてしまった。
つまりは彼らはハルをプロテア王族に迎えるつもりだというのか。
ハルの父方の祖父が女王の弟。つまり、プロテアの女王はハルの大伯母に当たるらしい。
けれど、その弟を処刑し父を追放したのも女王なのだ。どうして今さらハルを「王族」だなどど言えるのか。
「おかしなお話ですわね。私の両親はプロテア出身でしたが、ただの平民です。結婚に女王陛下の許可は要らないはずです。それに、プロテアに行くつもりはありません」
「いいえ。そうしていただきます。あなた方は女王陛下が決めた相手と結婚していただくことになっています」
勝手なことを言わないでほしい。
どうせ彼らが欲しいのはハルの中に流れるアルテア王家の血だ。それを取り込むことで旧アルテアの地を取り戻そうと考えているのだ。
だけど、パーシヴァルとの結婚まで勝手になかったことにされるのが一番納得行かなかった。
あの不器用なパーシヴァル様のことだから僕に求婚するとき、きっとかなり勇気を振り絞ったに違いない。本当に本当に大切に守ってもらったのに、あの人との時間を全部無しにされるとか、ありえない。
そもそもプロテアがアルテアの地に執着するのは、精霊の恩恵が受けられなくなったからだ。それだって自業自得なのに。
『この世界は精霊が守っているの。けれど精霊は目に見えないから、皆そのことを忘れてしまっているのよ。母さんの国では代々王家から精霊との橋渡しをする巫女が選ばれて、精霊と通じていたの。けれど、信仰が薄まったプロテアでは精霊は人々から離れていってしまったの』
『どうして信仰が薄まってしまったの?』
『精霊は怪我や病気、争い事を嫌うの。プロテアは戦争に明け暮れていて国が荒れて多くの人々が傷ついていたから、精霊は逃げていった。恩恵がなくなると人々は自分の罪を棚に上げて精霊を信じなくなっていった。その上、他国の精霊の巫女を奪おうと国を一つ滅ぼしてしまったの。それでは精霊が戻ってくるはずもないわ』
ハルの母は不思議な力を持っていて、軽微な怪我なら治すことができた。アルテアには不思議な力の持ち主が多いのだろうかと漠然と思っていたけれど、母の出自を聞いたとき母がその精霊の巫女になるはずだったのだと確信した。
巫女というからには代々女性がその地位を務めていたのではないだろうか。もしかしたら、ハティが母の次の精霊の巫女だったのかもしれない。
そう思えば母がハティを失ったことを頑なに信じようとしなかった理由もわかる。母にとってはハティは自分の後継者だったのだから。
「残念ですわね。私は強い殿方以外お断りですわ。プロテアにはパーシヴァル様より強い方なんていらっしゃらないでしょう? 卑怯な戦略を使ってもあの方に勝てなかったのですものね」
彼らがハロルドも狙っているのなら、すぐに帰国しようとはしないのではないだろうか。
それなら、今のうちに何とか居場所を伝えられないだろうか。
どう考えても、ハリエットを攫おうとする国なんてプロテア以外ないのだ。
パーシヴァル様なら、きっと気づいて動きだしているはずだ。
「確かにね。それに戦場で一騎打ちを求めて来て瞬殺された将もいたよねえ。確かプロテアの宰相閣下の末弟だったっけ」
バーニーが相手が誰だかわかっていて当てこする。
「まあ、パーシヴァル様と一騎打ちで勝てると思われたのかしら。お気の毒な方ですわ」
ハルがそう言い切ると、ジョエルが初めてさっと顔を強ばらせた。
「……あなたは私が誰なのかわかっていておっしゃっているのですか」
ハルに歩み寄ってきて、首に手を伸ばしてくる。最初はパーシヴァルと印象が似ているように思ったけれど、彼より遙かに沸点が低くて、プライドは高いらしい。
「女王陛下が決めたあなたの結婚相手は私です。他の男に手をつけられたのは業腹ですが、今後はそのような口がきけないように躾けてさしあげなくては」
ハルは身体を捩ってその手から逃れると、やっとの事で縛られた手を紐から引き抜いた。
ジョエルが不意を突かれて固まっているのを見て、びしりと指を突きつける。
「私はパーシヴァル様より弱い方なんて、お断りだと申し上げました。こちらとしても、女王陛下のお古なんてごめんですわ。それに明らかに詰め物をしてもその程度のモノで、私を満足させられるとお思いですの?」
はしたないかもしれないけれど、冷淡に相手の股間に目線を向けて言い放った。貴婦人然とそう言われたらいたたまれないだろう。それも計算のうちだ。
……久しぶりに本気で腹が立ってきた。弱い相手なら何をやってもいいと思っているのなら、自分が弱かったら何をされてもいい覚悟はあるんだよね?
隣で師匠が吹き出している。
「なんという無礼者だろうね。ジョエル・レミントン。貴様が結婚相手だと? 冗談も大概にしなさい。女王が認めようと精霊は認めないよ」
「何だと?」
自分の拘束を解いたバーニーが立ちあがると、陽炎が立ち上るほどの怒りが彼の周囲を包んでいた。
「アルテア王家は精霊の加護を受けた一族だ。この子を傷つけたら、プロテアは今度こそ滅ぶ。いや、僕が滅ぼすよ?」
「そうですね」
暢気な師匠の声にハルは頷いた。
外で大声が聞こえてきた途端に、会場の音楽が止んで人々がそちらに気を取られた。
その瞬間会場のあちこちで口論する声がした。どうやら揉めているのは各国の特使たちが連れてきた、国王の妃に薦めるつもりだった女性たちのようだ。
一体何事かと思っていたら、不意に周りを長身の男たちが囲んできて、背後から腕を掴まれて口を塞がれた。隣にいた師匠のバーニーも同じ状態で、別の出入り口から会場の外に引きずり出された。
そして、この部屋に放り込まれてしまった。両手を後ろで縛られて、長椅子に座らされている。
舞踏会の間、疲れて休憩を取りたかったり、ゆっくり歓談したい人のために王宮の部屋がいくつか解放されているが、どうやらその一室らしい。
「せっかくのお祝い事だっていうのに無粋なことをするものだね」
「師匠、睨まれてますよ」
室内には二人ほど見張りの男が立っているので、ハルたちの会話はカトカ語だ。
「……あの服装はプロテア人だね」
「っていうか、さっき、わざと弱いふりしましたね? 師匠」
ハルは両手首を縛っている紐が解けないかともぞもぞと動かしながら小声で言い返した。ふわふわと頼りない印象の男だが、決して弱くはないのをハルは知っている。
「いや、だって。お祝いの場だよ? あそこで暴れ回るわけにいかないでしょ。流石の僕も空気読むでしょ? まあ、相手の出方次第だけど、そろそろ本気出すよ」
どうやら舞踏会の雰囲気を壊さないように気を使ったらしい。そんな気遣いができる程度には余裕があるのなら、まだ焦らなくて大丈夫だろうか。
ハルがそう思っていると、扉が開いて数人の男が入ってきた。
真ん中にいたのは先ほど舞踏会会場で見かけたプロテアの王配クリスティアン。草臥れた薄い髪をぺったりと撫でつけていて、全体的に何となく脂っこい。
その隣に長身の鋭い目つきの男が堅い表情で立っている。
「おお、確かにローズマリーにうり二つではないか。やはり死んだというのは嘘だったのだな」
クリスティアンはにやにやしながら歩み寄ってくるが、隣にいた男がそれを制止する。
「殿下、必要以上に近づいてはいけません」
「わかっている」
それを聞いてクリスティアンは不機嫌そうに目の前の椅子にどっかりと腰を下ろした。
……あれ? この人が言いなりになる相手? 一体何者だろう。
男は長身と均整の取れた体つきをしていて、おそらく武人だろうと思われる。年齢は三十代後半くらい。厳格そうな雰囲気はパーシヴァルと似ている。
「女王陛下の愛人だよ。宰相の息子だ。しかも、王太子の乳兄弟だっていうからお盛んだよねえ」
「そうなの?」
どうやら王配が浮気してるだけじゃなく、女王にも愛人がいるらしい。しかも息子の乳兄弟とは……。
「女王の子たちも王配殿下の胤じゃないって噂だし」
……ってことはこの王配殿下って全然頼りにされてないのかな。多分女王と家柄的にふさわしいだけの人だったんだろうな……。
カトカ語で話していると、クリスティアンがこちらを睨んできた。あまり自分にとって心地いい内容ではないことに気づいたのだろう。
「……何をこそこそ話している?」
「ゴメンナサーイ、アナタノコトバ、ワカリマセーン」
バーニーがニコニコ笑いながら片言のプロテア語で言い返す。相手は舌打ちして、今度はハルの方に目を向ける。
「お前はプロテア語が話せるだろう?」
「話せることと、あなたとお話したいかは別だと思います」
にこやかにハルがプロテア語で答える。その意味が通じたらしくクリスティアンが眉を吊り上げた。
「無礼な……だが、どこまで虚勢が張れるかな。プロテアに着いたら思い知るだろうさ。……見張っておけ」
そう言い捨てるとクリスティアンはさっさと部屋を出て行った。残された見張りとそして、目つきの悪い男は小さく溜め息をつく。おそらくあの王配に手を焼いているのだろうとハルは察した。
煽れば何か情報が得られるかと思ったけど、プロテアに連れて行く気だということしかわからなかった。
男は深く一礼して流ちょうなストケシア語で話し始めた。
「……大変失礼しました。私はジョエル・レミントンと申します。ラークスパー公爵夫人。それから、そちらは……」
「僕はカトカ王国の特使バーレントだよ。プロテアはカトカに何か含むところがあるのかな? 今後のおつき合いを考えるように進言しなくてはね」
それを聞いてジョエルと名乗った男は眉を寄せた。カトカは海に浮かぶ諸島を束ねる海洋大国だ。プロテアとも交易が行われている。おそらく彼らは師匠が何者なのかわからずに連れてきたのだろう。
「巻き込んでしまい、申し訳ありません。我々はそちらのレディだけをお連れする予定でした。事が終わったらすぐに解放しますので」
「ずいぶんとプロテアは野蛮な国のようだね。誘拐とは物騒な」
「それはこちらの事情です。関わらないでいただきたい」
ジョエルは冷淡な表情でそう告げると、今度はハルを見る。
「あなたの双子の兄はどこにいるのですか? 公爵家には不在のようですが」
そりゃまあ、ここにいるからね。ハルはそう思ったけれど口にはしなかった。どうやら公爵家にも探りを入れていたらしい。
「兄も攫うつもりですか?」
「無論です。あなた方兄妹をラークスパー公爵家に置いておくわけにはいきませんから」
二人とも狙われていた?
けれど、ハルがクリスティアンと顔を合わせたのは今日が初めてだ。
もし「ハリエット」の顔を見てクリスティアンが衝動的に誘拐を企てたとしても、ハロルドまで狙うだろうか。
どうやらこのジョエルが中心になっているように見える。この誘拐を企んだのはクリスティアンではない。
……クリスティアンはハルの母親が何者なのか知らずに愛人にしようと強引に言い寄っていた。けれど、その後で素性を知ったとしたら?
クリスティアンが特使として来たのは、最初からハルと「ハリエット」を誘拐する目的で、彼がハルの母親の顔を知っているからではないだろうか。
そもそもプロテアは周辺国を唆して国王に第二妃を一斉に薦めさせるつもりだった。売り込み合戦が過熱して大騒ぎになればせっかくの祝賀の場に水を差される。
国王側が対策をしたこともあり、さらにパーシヴァルの結婚が予想外に注目されてしまったために、その作戦は決行できなかった。
さっき音楽が中断したときに、思惑が外れた苛立ちか各国の特使たちが揉め始めた。会場の外にも何か騒ぎが起きていたらしく、さっきの大声は王宮騎士団のディヴィッドの声だった。
会場の招待客の目がそちらに向いたのを見計らってプロテアが仕掛けてきた。
……たとえ警備担当でなくてもあちこちでそんな騒ぎが起きればパーシヴァルも知らぬ顔はできないだろう。パーシヴァルと引き離して、さらに客たちの目をそらす目的だったとしたら?
ハルは師匠に目配せした。彼は頷いてにこりと笑う。
「けれど、公爵夫人を誘拐してどうするの? この国では離婚は認められていない。高位貴族は王に無断で国外に出ることは許されていない。しかも夫はプロテアが一度も勝ったことがないラークスパー公爵だ。まさか実力で勝てないから嫌がらせする気なのかな?」
師匠の煽るような言葉に、ジョエルはまったく動じる様子はなかった。
「いや、そもそも誘拐したのはこの方の両親だ。彼らは女王陛下の弟君に連なる王族を勝手に国外に連れ出した。それを返していただくだけのことだ。無論女王陛下の許可のない王族の婚姻は無効だ」
ハルはその言葉に呆れてしまった。
つまりは彼らはハルをプロテア王族に迎えるつもりだというのか。
ハルの父方の祖父が女王の弟。つまり、プロテアの女王はハルの大伯母に当たるらしい。
けれど、その弟を処刑し父を追放したのも女王なのだ。どうして今さらハルを「王族」だなどど言えるのか。
「おかしなお話ですわね。私の両親はプロテア出身でしたが、ただの平民です。結婚に女王陛下の許可は要らないはずです。それに、プロテアに行くつもりはありません」
「いいえ。そうしていただきます。あなた方は女王陛下が決めた相手と結婚していただくことになっています」
勝手なことを言わないでほしい。
どうせ彼らが欲しいのはハルの中に流れるアルテア王家の血だ。それを取り込むことで旧アルテアの地を取り戻そうと考えているのだ。
だけど、パーシヴァルとの結婚まで勝手になかったことにされるのが一番納得行かなかった。
あの不器用なパーシヴァル様のことだから僕に求婚するとき、きっとかなり勇気を振り絞ったに違いない。本当に本当に大切に守ってもらったのに、あの人との時間を全部無しにされるとか、ありえない。
そもそもプロテアがアルテアの地に執着するのは、精霊の恩恵が受けられなくなったからだ。それだって自業自得なのに。
『この世界は精霊が守っているの。けれど精霊は目に見えないから、皆そのことを忘れてしまっているのよ。母さんの国では代々王家から精霊との橋渡しをする巫女が選ばれて、精霊と通じていたの。けれど、信仰が薄まったプロテアでは精霊は人々から離れていってしまったの』
『どうして信仰が薄まってしまったの?』
『精霊は怪我や病気、争い事を嫌うの。プロテアは戦争に明け暮れていて国が荒れて多くの人々が傷ついていたから、精霊は逃げていった。恩恵がなくなると人々は自分の罪を棚に上げて精霊を信じなくなっていった。その上、他国の精霊の巫女を奪おうと国を一つ滅ぼしてしまったの。それでは精霊が戻ってくるはずもないわ』
ハルの母は不思議な力を持っていて、軽微な怪我なら治すことができた。アルテアには不思議な力の持ち主が多いのだろうかと漠然と思っていたけれど、母の出自を聞いたとき母がその精霊の巫女になるはずだったのだと確信した。
巫女というからには代々女性がその地位を務めていたのではないだろうか。もしかしたら、ハティが母の次の精霊の巫女だったのかもしれない。
そう思えば母がハティを失ったことを頑なに信じようとしなかった理由もわかる。母にとってはハティは自分の後継者だったのだから。
「残念ですわね。私は強い殿方以外お断りですわ。プロテアにはパーシヴァル様より強い方なんていらっしゃらないでしょう? 卑怯な戦略を使ってもあの方に勝てなかったのですものね」
彼らがハロルドも狙っているのなら、すぐに帰国しようとはしないのではないだろうか。
それなら、今のうちに何とか居場所を伝えられないだろうか。
どう考えても、ハリエットを攫おうとする国なんてプロテア以外ないのだ。
パーシヴァル様なら、きっと気づいて動きだしているはずだ。
「確かにね。それに戦場で一騎打ちを求めて来て瞬殺された将もいたよねえ。確かプロテアの宰相閣下の末弟だったっけ」
バーニーが相手が誰だかわかっていて当てこする。
「まあ、パーシヴァル様と一騎打ちで勝てると思われたのかしら。お気の毒な方ですわ」
ハルがそう言い切ると、ジョエルが初めてさっと顔を強ばらせた。
「……あなたは私が誰なのかわかっていておっしゃっているのですか」
ハルに歩み寄ってきて、首に手を伸ばしてくる。最初はパーシヴァルと印象が似ているように思ったけれど、彼より遙かに沸点が低くて、プライドは高いらしい。
「女王陛下が決めたあなたの結婚相手は私です。他の男に手をつけられたのは業腹ですが、今後はそのような口がきけないように躾けてさしあげなくては」
ハルは身体を捩ってその手から逃れると、やっとの事で縛られた手を紐から引き抜いた。
ジョエルが不意を突かれて固まっているのを見て、びしりと指を突きつける。
「私はパーシヴァル様より弱い方なんて、お断りだと申し上げました。こちらとしても、女王陛下のお古なんてごめんですわ。それに明らかに詰め物をしてもその程度のモノで、私を満足させられるとお思いですの?」
はしたないかもしれないけれど、冷淡に相手の股間に目線を向けて言い放った。貴婦人然とそう言われたらいたたまれないだろう。それも計算のうちだ。
……久しぶりに本気で腹が立ってきた。弱い相手なら何をやってもいいと思っているのなら、自分が弱かったら何をされてもいい覚悟はあるんだよね?
隣で師匠が吹き出している。
「なんという無礼者だろうね。ジョエル・レミントン。貴様が結婚相手だと? 冗談も大概にしなさい。女王が認めようと精霊は認めないよ」
「何だと?」
自分の拘束を解いたバーニーが立ちあがると、陽炎が立ち上るほどの怒りが彼の周囲を包んでいた。
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