塔の上のカミーユ~幽囚の王子は亜人の国で愛される~【本編完結】

蕾白

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第四部

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 周囲が薄暗い。もしかして刺繍をしている間にうとうとしてしまったのだろうか。
 カミーユは手元を見てやりかけの刺繍に驚いた。
 手の中の刺繍枠にかかっていたのは塔の中でよく刺していた薔薇や菊などの花を組み合わせたものだった。塔の中では生花など手に入らなかったので彩色された図鑑を参考にしていた。
 本当の薔薇の花がこんな色や形なのかもカミーユは知らなかった。
 ……あれ? わたしは子供たちのための服を作ろうとして……。どうして薔薇を……。
 顔を上げると周囲の壁は剥き出しの石で、ひんやりと冷たい。十三年間ずっと見続けてきた塔の自分の部屋だ。幼い頃に壁に書いた落書きも残っている。
 ……どういうことだろう。わたしがいた塔は取り壊されて跡形もなくなっていたはずなのに。
 思わず傍らにあったベルを鳴らす。けれどいつもならすぐに聞こえてくるはずの侍女の足音もしない。
 自分が着ているのが塔の中にいたときの窮屈なドレスだと気づいた。
「……わたしは夢を見ていたのか? 塔から出たことも全て夢だったのか?」
 確かに罪人として幽閉されていた自分には過ぎた夢だったかもしれない。
 わたしが王に立つなど、許されるはずがないのに。わたしは……。
 そして、立ちあがって姿見の前に立つ。そこに写っているのはドレスを纏った痩せた老人。白くなった髪は結われていない。きっともう結ってくれる侍女はここにはいないのだ。だってわたしがこんな老人になるころにはバルバラは……。
 急に寒さが襲いかかってきた。身体の奥から凍っていくように身動きができなくなる。一歩踏み出すことすらできないほど身体が重い。
 わたしは塔の中で一人朽ち果てていくのだと思っていた。確かに。
 だけど、あの幸せを知ったあとでは、もうそんな生き方には戻れない。
 あれが夢だったはずがない。わたしは確かにこの塔を出て……人を愛して、愛されていた。わたしのことなど興味がなかったと思っていた父上がわたしのことを愛して下さっていたと知った。
 あれがすべて夢で、本当はわたしはたった一人この塔で老いて朽ち果てて死んでいくなんて……。
 周囲が暗くなる。その闇の中で一羽の小鳥が見えた気がした。
「アレク……助けて……」
 ずっとわたしの側にいてくれると約束したのだから。

「……カミーユ?」
 目をあけると心配そうに覗き込んでくる整った顔を見てカミーユはほっとした。
「魘されていたよ? 大丈夫?」
 ここはシーニュ王宮のカミーユの私室だ。外はまだ明るくて柔らかな風が窓から入ってきていた。アレクが戻ってくるまで待っている間に刺繍をしていて眠ってしまったらしい。
 刺しかけの刺繍枠が目に入る。子供たちへの贈り物だから図案は猫にした。
「良かった……薔薇じゃない」
 そう呟いたらアレクが怪訝な顔をした。
「薔薇?」
「変な夢をみたんだ。あの塔で一人きりで老人になって死んでいく夢だった。バルバラももういなくて、他にすることがなくてひたすら薔薇の花の刺繍をやっていた。……アレクに会ったことも全部夢だったのかって思って……」
 不意に強く抱きしめられた。アレクが真顔でこちらを見つめている。
「……もう。即位してからずっと働き通しだから、疲れが溜まってない? ちゃんと僕を見て? こっちが現実でしょ?」
 身体を支えてくれる腕の力と、触れる手の温かさにカミーユは泣きそうになった。
「……怖かったんだ」
「そりゃ怖いよ。僕だって過去のボコボコにされてた時には戻りたくない」
 アレクの唇が頬に触れる。カミーユも両手をアレクの背中に回した。
「わたしはもう一人にはなりたくない」
「一人になんてしない」
 どちらからともなく顔が近づいて唇が重なった。お互いの熱を確かめ合うように強く抱き合っているうちに、悪い夢は薄れていくような気がした。
「塔にも戻りたくない」
「大丈夫。あれは僕が壊しちゃったからもうないから。同じような塔がどこかにあるなら教えて? 全部粉みじんにしてくるから」
「……そこまでしなくていいよ」
 カミーユは思わず笑ってしまった。このままではシーニュの国中の塔という塔が破壊されてしまいそうだ。
「ありがとう。アレク」
 カミーユの表情が明るくなったのを見てか、アレクはふんわりと笑った。
「愛してるよ。カミーユ。君を悲しませる塔を壊しておいてよかった」
「……愛してる。アレク。でも、破壊行為はほどほどにしてね」
 そのまま抱き合っているだけで、カミーユは身体が温かくなって、さっき夢の中で感じた寒さは消え去っていた。

「そういえば、アレク。どこに行っていたの? 午後からずっと出かけていたよね?」
「あー……実はダイモスに戻ってた」
「何か急用?」
 アレクは苦笑いを浮かべて、急といえば急だけど、と呟いた。
「カミーユはジジババという恐ろしい存在を知ってるかい? 息子はどうでもいいけど孫に貢ぎたい習性があってね……」
「え? この間帰国したときも玩具や反物を大量にいただいたのに」
 先日やっと双子をダイモスに連れて行って、国王夫妻に対面させた。二人とも双子を見てすっかり孫溺愛状態だった。
「プレゼントしたいものがあるからすぐ来いって連絡があって、何をくれたと思う?」
「?」
 アレクは複雑そうな表情で答えた。
「かなり立派な長剣を二振り」
「ありがたいけど……まだ歩き出したばかりなんだけど……」
 言葉もおぼつかない一歳児に何てものを。恐るべしジジババ……。
「まあ、サラさんもびっくりしてたからバルバラにあずけておいたよ」
「それがいいだろうね」
 カミーユがシーニュに来て二ヶ月。双子の実母サラ夫人は重圧から解放されたのが良かったのか、今は王宮で双子と元気に過ごしている。子供たちは半亜人のせいか身体能力が高くて、しばしば予想外の行動をとるので乳母たちが大騒ぎしている。
 最初は不安げだったトニとノアもお兄ちゃん気分で双子の世話を引き受けている。
 そんなほのぼのした空間に物騒な剣を置いておくわけにはいかないだろう。
「まあ、レイモンドのところに孫が生まれたらそっちに目が行くだろうし……多分もう少しの我慢だと……」
「そうだね」
 アレクの異母弟レイモンドは公爵の位を与えられて臣下に降りた。そして婚約者のマーガレット嬢ともうすぐ結婚式を挙げるのだという。マーガレット本人からカミーユに手紙が送られてきた。
 立場的に出席は難しいのでお祝いの品に青いハンカチに刺繍を施したものを添えて届けておいた。彼らも幸せになってほしい。
「だけど、カミーユは毎日忙しいんだから、ちゃんと休まないとだめだよ。明日は大事な日でしょ?」
「そうだね」
 明日はカミーユの両親の墓を訪れる予定だった。
 側妃だったため実家の墓地に埋葬された母と、罪人扱いで郊外の神殿で葬られた父。その二人を王家の陵墓に移す作業がやっと終わった。
 父の正妃だった人は子供たちとともに実家で埋葬されていたが、墓所の移動は辞退された。正妃の実家は先々代の頃から権力を振りかざして政治をほしいままにしていた。
 マルク王が民の反感を買ったのも元はと言えば彼らの暴政が原因だったのだ。
 マルク王の名誉が取り戻されたとしても当家の罪は消えないのだと、現在の当主は答えた。
 どちらにしても、名誉も罪も生きていればこそで、墓所を移すのは生者の身勝手な思いに過ぎない。けれど、カミーユは後世の人々にまで父を罪人呼ばわりされたくはなかった。
「……わたしはこのくらいしか両親に返せそうにないから、喜んでもらえるといいな」
「きっと喜んでいるよ。今までより近くで君を見守れるんだから。カミーユを応援してくれているよ」
 アレクがそう言いながらカミーユの髪を撫でる。
 取り戻せないものはたくさんある。取りこぼしてしまったものも。でもわたしにはどうすることもできない。
 塔を出てから急速に動きだした自分の時間に戸惑いはあるけれど……。
 カミーユはアレクの手に自分の手を添えた。
 ……もう戻りたくないんだ。
「わたしは、ちゃんと頑張れているだろうか」
 アレクの緑色の瞳を見つめて問いかけた。穏やかな光を湛えたそれが笑みを作る。
「もちろん。むしろ頑張りすぎて偉すぎるからどうしようかって思ってる」
「……だったら、アレクに褒めてほしい」
 今も声が聞こえる場所に誰かが控えている。だからあからさまには言えなかった。
 夢の中で冷え切って、凍えていく自分が恐ろしかった。
 だから……。
 アレクが小さく咳払いした。
「バルバラ。今日の国王陛下の予定は全部延期してくれるかな?」
 隣室に控えていたらしいバルバラがすっと入ってきた。
「かしこまりました。夕食は軽いものを後ほどお届けします」
 そう言ってバルバラは寝室に通じる扉を開いた。
「え?」
 いきなりアレクに横抱きに抱え上げられてカミーユは戸惑った。アレクより自分の方が体格が上なのに。
「無理無理。わたし重いから……」
「大丈夫大丈夫。祝福効果かもしれないけど、筋力も上がってるんだよね」
 そのままカミーユを寝室に連れて行こうとする。いくらか陽は傾いていてもまだ夕方には遠い時間だというのに。展開が速すぎる。
「え? 待って、これから?」
「あれ? 誘ったのはカミーユだよ? 国王陛下のお求めとあれば張り切っちゃうしかないよね?」
「いや、だって……」
「最近カミーユは頑張りすぎだから、強制的に休ませるようにダルトワ侯爵からも言われてたんだよね。ちょうどいいからたくさんイチャイチャしようね?」
 いつの間にそんな話が。確かに休めとは言われていたけれど。
 ……でも確かにアレクにたくさん甘やかされたいと思ったし……。
「それに一晩中くっついていたら悪い夢ももう見ないよ」
「アレク……」
 啄むようにキスされて、ああ、心配かけてしまったのか、と気づく。
「じゃあバルバラ、あとは頼んだよ」
「かしこまりました」
 二人が寝室に入ると、バルバラはそう言って扉を閉めた。

 国境警備軍の砦の奥にある白い石塔。そこには一人の哀れな姫が幽閉されている。
 先代国王の遺児にして金色の髪と紺碧の海を映した瞳を持つ美しきカミーユ姫。

 ……もうそんな姫君はどこにもいない。

 のちに、カミーユはシーニュ王国の歴史のなかで最も異色の経歴を持つ王だと語られた。王女として育てられ、成人するまでほとんど幽閉されて暮らし、隣国の王太子の伴侶となってからシーニュ王に即位した。
 在位中は両国の関係改善につとめ、亜人と人族の共存を実現した。
 息子に譲位したあとは、隣国の王を退いた伴侶とともに冒険者として活動し、そちらでも勇名を残したという。
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