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第90話 戦の前に(エリック)

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「どうしてあのような場でわたくしを置いていくと言ったのですか」
部屋に戻るとレナンは怒りをエリックにぶつけた。

王太子があのような場でそう言えば、誰も反対など出来ない。

いくらレナンが嫌だと言ってもそもも戦いの経験もない、魔法も最近習い始めた王女など、連れて行きたいという方があり得ないから妥当なものだ。

寧ろ他の王女も本当ならば待たせておきたいものだが。

「あそこで明言すれば皆も止めると思ったからな。それにレナンは王子妃じゃなく王太子妃だ。その違いもあるから、余計に引き止めたいだろう」
他の王女よりもレナンは重要度が高い。

戦力としての期待値か低いのもあるので、危険な所にいつまでも残しておきたくないというのは皆の総意だ。

ミューズの回復魔法はロキの特訓という名の実戦にて飛躍的に向上しているし、マオは兄仕込みの戦闘技術で人を傷つけるのにためらいもなく動ける。

エリックがわざわざ言わなくても、誰かから止められる可能性は充分あった。

「それならば、エリック様たちだって王族ですし、何も第一線に殿下達皆が行かなくてもいいのではないですか」
いくら大国相手とはいえ、王子達皆が戦に出るのはどうかとと、不貞腐れた顔で言う。

自分ばかり国で待つとは除け者のようで嫌だ。

「国王である父がここに残るからな。それに俺達が行ったほうが早く終わらせられるだろうし、国の為に力を尽くすのだと幼い頃から兄弟の中でも約束している」
父の国を守りたい思いと、母の国を豊かにしたい思いに共感していた。

エリックを筆頭に三兄弟はそれぞれの特性を生かし、国を守り抜くと誓う。

心に根強くあるのは、家族が大事だという思いだ。

「今はまた新たに守るべき存在が増えた、だからより早く終わらせねばな」
妻が出来た事で、それぞれの心持ちもこの短期間で変化している。

「今は死ぬのが怖いし、生きて帰ってきたいという強い思いがある。ずっと側に居たいという気持ちもあるが、それよりも予測のつかない事態が起きて、レナンを失うほうが恐ろしい。ならば刺し違えてもいいから、敵のせん滅をしてくる」

「そのような事言わないでください」
エリックが死ぬことなど考えたくはない。

「すまない、充分に気を付けるから」
レナンを抱きしめ、温もりを感じる。

「絶対にダメです。そんな事になりそうならば、わたくしは絶対に一人でアドガルムに帰ってきません」
どんなに足手まといになったとしても、一人になるのは嫌。

「随分と我儘を言うようになったな」
来た時から感情豊かではあったが、日が経つに連れて、どんどん言いたいことを伝えてくれるようになった。

この国に、そして自分への信頼感が増している事が感じられてとても喜ばしい。

「あなたが甘やかすからですよ」
レナンは不機嫌そうに言う。

その表情すら愛おしい。

負の感情も隠さず表してくれるとは、心の距離が縮まっているという事だ

「甘やかすから、勘違いしてしまうのです。こうして我が儘を言っても許されてしまうって錯覚しちゃう。本当に従わせたいならば、もっと強気に命じてください」
すっかりアドガルムの生活に慣れてしまった。

怒られることも、冷たく扱われる事もここではない。

エリックも最初は脅すような事を言っていたが、今ではそのような事もない。

言動には多少気をつけ他の男性の事とか側室についてさえ言わなければ、何でも相談した方が寧ろ機嫌が良くなっている。

今だって困った様子はあるものの、戦場で側に居たいと言っても怒りはしない。

「これ以上強引に言ったら、嫌われてしまいそうだからどうしたらいいか」
困ったという口ぶりで言われてしまう。

「俺の代わりはいるが、君の代わりはいない。自分を大事にしておくれ」

「いえ、逆ですよね?」
どう考えても王太子の身分のエリックの方が大事だ。

「わたくしなんて力はないし泣き虫だし、我が儘ですよ?」

「どれも可愛いものじゃないか。我儘どころか素直過ぎて、俺よりもよほど城内の者達に大事にされているし」

「でもエリック様がいないとこれからのアドガルムは立ちいかなくなります、次の王になるのはあなたでしょう?」

「弟もいるし、王弟殿下もいる。それに君のお腹に跡継ぎがいるかもしれないし」
顔を真っ赤にし、レナンは硬直する。

求められる回数は確かに増えていて、医師による体調の確認も以前より細かくなっている。

世継ぎへの期待が高まっていて、周囲もソワソワしているのは薄々わかっていた。

「レナンは国のためにも大事な女性だ、次代へ繋ぐ為にもな」
いつか会えるだろう我が子を思い、レナンのお腹を撫でる。

「もしも、授からなかったら?」
レナンはそれが不安で仕方なかった。

寵愛をひとり占め出来るのは嬉しいが側室がいないのはやはり心配であった。

自分一人で背負うにはあまりにも重い役割。

仕事は頑張れば何とかなるが、子は授かりものだから、必ず産める、とはどうしても言えない。

「その時はその時でいい。俺はレナンとの子どもしか欲しくない」

「ですが、それでは皆が納得しないでしょう」
他国から来た自分が王太子妃になると言う事で、貴族の令嬢達からの風当たりの強さがあった。

今は落ち着いているが、戦も終わり、懐妊もしなかったら、再びその問題は浮上するだろう。

「レナンは心配性だな。まだここに来て一年も経ってないし、この情勢だ。気持ちの負荷も大きくて出来にくいのもあるだろう。それにどんな事があろうと俺は君を手放さない」
養子をとるという手もあるし、弟達も結婚してるから、二人のどちらかに子が出来れば次の王太子になってもらうという手もある。

自分の子でなければ嫌だ、という拘りはない。

「レナンとでなければ俺は子どもを持ちたいとは思わなかったよ。そんな愛しい人だから、安全な場所で待っていて欲しいんだ」
あくまでも優しい口調だからこそ、涙が出そうになる。

エリックが何でここまで言ってくれるのかはわからない。

子どもがいらないとは、王太子としての仕事の放棄につながるのではないか。

レナンの身の安全や気持ちに拘り続けては、彼の立場を危うくさせてしまうだろうに。

この人に比べたら、自分は価値のない女だ。

(この力を利用したいとも思わないのかしら)
どう使うかはわからないが、人を生き返らせる力を持つとロキに言われた。

エリックもそれを聞いていて尚、死地に赴くのは自分だけと言い、対死霊術師戦後はレナンの同行を反対している。

本来であれば側に置き、死にそうになったらレナンの寿命を使ってでも、生きたいと願っていいはずなのに。

聡いこの人がその事に気づいていないわけがない。

「わかりました、でも無事に帰ってきてくださいね。そうじゃなければわたくしもエリック様の後を追いかけますからね」
もうレナンの目からは涙が出てしまっている。

最悪の結果まで考えが先走ってしまったからだ。

「そんな事にならないように善処するよ」
鼻を啜り、泣きじゃくってしまうレナンは本当に感情豊かだ。

涙を拭ってあげ、落ち着くまで体を摩ってあげる。

(このように素直に表現できるようになってみたいものだ)
レナンの素直さが羨ましくて、眩しくて、見てると温かな気持ちになる。

死ぬことが怖くなったのも人への執着が強くなったのも、レナンと出会ってからだ。

人として歩み出せた気すらしてくる。

だから、ヴァルファル帝国に負けるわけにはいかないのだ。

ようやく手にしたこの幸福はいかなる手を用いてでも、守っていかなければならない。
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