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断罪の時間

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「ステラ=ブランシェ! 私はここでそなたとの婚約破棄を宣言する!」
高らかに宣言したのはこの国の王太子だ。

金髪碧眼、整った顔立ち、王族に相応しい堂々とした立居振る舞い、その隣には婚約者ではない男爵令嬢がいる。

その目はうるうると涙ぐみ、キュッと王太子の腕にしがみついていた。

この卒業パーティという、人が物凄く集まるところで王太子はなんやかんやと理由付けをして、婚約者のステラがどれだけ酷い女なのかを熱弁している。

それを後ろから冷めた目で見ているエリックは、一応この王太子を支える令息の一人。

人から氷の侯爵令息と言われるほど表情は常に冷めていて、冷静沈着、声を荒げることもない。

いち取り巻きに過ぎないのだが、別に好きでなったわけではない。

宰相の息子ということで将来の王太子を支えるという名目でお守り、もといお付きになっただけだ。

この断罪を行うことは知っていたし、国王にも止めるよう進言していた。

何で止めなかったかは不明だが、王太子にもやんわりとやめるように伝えたが聞く耳持たずだったので、諦めた。

そもそもエリックは本気で止めようと思ってなかった、面倒くさい。

人を見定めたり、裏も見ない愚鈍な王太子など、早々に廃嫡したほうがいいと考えた。

皆の公正な判断に委ねようと、自分は後から責められないように、最低限手を回すだけだった。


かわいそうなのは吊るし上げられてるステラだ。

公爵令嬢らしく、何を言われても取り乱すこともなく無表情で聞いてはいるが、有る事無い事言われ握られた手はフルフルと揺れている。

王太子の取り巻き達も血気盛んに証言しているが、それが後でどんな事になるのか知ってるのかと内心で結末にほくそ笑んでいた。

「エリック、お前も黙ってないで言いたいことを言え!」

「私でございますか」
意識を他所に飛ばしてたら、王太子より発言の許可が出た。

「エリック様…、あなたもステラ様の行いを目にしておりましたよね。ぜひ証言してください」
男爵令嬢、リナの媚びるようにこちらを見る目がうっとおしい。

気軽に名前を呼ぶなとエリックは苛立った。

エリックはサラリと茶色の髪を靡かせ、その緑の目はステラを射抜く。

彼女は公爵家、エリックは侯爵家。

あちらの方が爵位は上だ。

エリックはちらりと観衆の方に目をやり、口の端を少しだけ動かした。

ほんの僅かな目配せを行う。

「王太子ラスタ様より発言の許可を得た為、この度のことについて証言させて頂きます」
優雅にステラに向かい礼をする。

ステラの表情は強張っており、涙を必死に耐えていた。

「まずはステラ様、とんだ茶番に付き合わせてしまい申し訳ございません。あなた様は王太子妃候補としての立ち居振る舞いしかなされておりません。断じて非道な振る舞いを行っていないことを私が証言致します」

「えっ?」

「エリック?!」
ステラと王太子がそれぞれ驚きの声を上げた。

エリックが口にしたのはステラの冤罪を匂わすものだ。

「そもそも再三ステラ様より言われてますよね。リナ嬢はラスタ様の婚約者ではありません、なのに隣にいてベタベタベタベタと触れるものですから、ステラ様が苦言を呈するのは当たり前です。それなのにそれを苛めというのは、些か教養が足りないとしか思えませんね」
するするとエリックからは侮蔑の言葉が出てくる。

味方だと勝手に誤解し、証言を許したラスタは目を丸くし、その後目尻を吊り上げて怒り出した。

「エリック、リナへのその言い方はなんだ!」

「失礼。本音が漏れましたが、要するにリナ嬢の振る舞いは貴族としては有りえないのです。学校は確かに身分の上下をつけないと言っていますが、だからといって何でも許すわけではないのですよ。浮かれたあなた方以外は皆わかることです。そして、ステラ様がリナ嬢に構う暇など無いのもわかっているはずですよ」
学業に加え、大変な王太子妃教育を受けていたのだ。

他にも令嬢同士の付き合いとか、茶会、パーティへの参加、そのドレス作りなど一分一秒が惜しい状況であった。

「自分の仕事を放棄してきたラスタ様にはわからないでしょうが」
氷の笑みと称されるエリックの笑みだ。

蔑みが目に見えてわかる。

「この……! エリック、お前は不敬罪だ! 衛兵、即刻こいつを連れて行け!」

「私はあなたが言うから証言したのです、真に断罪されるのは誰かと言うことを。ステラ様はリナ嬢を陥れてなどいません、その証拠も証人もありますよ」
衛兵が来るより早く、エリックの学友であるニコラが手を上げた。

片方の手には書類の束。

ニコラはひょろっとした長身の男性だ。

エリックと同じクラスの伯爵令息である。

「証言の為失礼いたします。こちら、ラスタ様とリナ様の証言を元に聞き込みをした結果です。例えばリナ様がステラ様に裏庭に呼び出された時間、ステラ様は次の授業の予習を行っていました。裏庭どころか、教室からも出ておりません」
ペラリと、次の書類めくる。

「リナ様が移動教室で一人廊下を歩いている際に、泥水を掛けられたとのことですが、その時ステラ様はダニー教諭と次回の外交先であるパレス国について、情報を聞いておりました。ダニー教諭はパレス出身であるためです。他にもいっぱいありますが」

「そんなの嘘ですわ! 全部デタラメです!」
リナのキンキン声に耳鳴りがしそうだが、涼しい顔でエリックが言う。

「証人もいらっしゃいますよ」
エリックが促すと数人の令嬢が前に歩み出てくれた。

「彼女たちは高位貴族です、嘘の証言などするはずありません」
彼女たちの目つきは鋭い。

「ステラ様がそのような事をするはずありませんわ」

「そもそもリナ様とはクラスも違うし、離れております。そのような事は出来ません」
彼女たちの証言を退けるということは、その背景の貴族たちを否定すること。

いかに王族とはいえ複数の貴族の、ましてや高位の爵位を持つものを敵に回しては、政治への影響が大きすぎる。

「ありがとうございます……」
ステラは令嬢方の証言についに涙が出た。

味方などいないと思っていたのだ。

事実、彼女らは友人ではない。

密かに作られていたステラのファンクラブの者だ。

彼女のためならばと、この場での証言を引き受けてくれた。

完璧な公爵令嬢であるステラを応援する者は存外多い。






リナを平民の星とし味方をしていた者たちも、これを聞いてなりを潜めている。

いずれは彼女たちの下に就くことが決まっているのだ、ここで高位貴族に嫌われなどしたら将来が危ない。

「私は本当に、ステラ様に……」
リナの大きな瞳からは大粒の涙が溢れた。

慌ててラスタがハンカチを取り出し、リナに渡す。

「……そういう行いが、ステラ様を傷つけたのですよ」
未だリナの味方をするなんて、呆れた王太子だ。

エリックの声音が更に低くなる。

「このような場を断罪に選ぶべきではなかった。婚約破棄をしたかったのなら、陛下のいる正式な場で進言をすれば良かったのです。今更遅いですがね」
エリックを中心に空気が冷えこむ。

「ラスタ様。あなたがステラ様の言葉に耳を傾け、真実を見さえすればこんな愚行在りえなかった。最初の段階で道を間違えなければ、何人もの善良な女性がそこの悪女により陥れられる事はなかったはずだ」
威圧感、殺気、エリックの怒気は膨らむ。

「リナ嬢、俺のみならずお前は婚約者のいる令息共にも声を掛けていたな。そんなに必死で、王太子一人では満足できなかったか?」
エリックは、関係を持っていたのはラスタだけではないと、言った。

「傾国の女なのだろうな、靡いた者も悪いが。フォスター、ログウェル、ハサン、お前らもラスタ様と同じ婚約破棄になるだろう」
自分と同じようにラスタ付きとなった令息達に視線を向けた。

「先程のリナ嬢を庇う証言を嘘だと覆すにはもう遅い。出会った頃はマシだったのに、いつの間にそこまで墜ちたか」
嘘の証言をしたことは今後の信用に関わる。

もはや出世道には乗れないだろう。

せめて被害を被る婚約者達が少しでも有利になるよう、不貞の証拠を彼女らに送ろうと考えていた。

慰謝料の上乗せに使ってもらいたい。

「エリック……! このままおめおめと国にいられると思うなよ!」
王太子の怒号だ。

エリックにはどこ吹く風だが。

「そうですね、このままなら私はこの国にいられません。どこか他国へ行くのもいいですね」

「それは王家にとって困る。宰相殿にもまだまだお世話になるのでな」
さらりと言ったその言葉を止めたのは、ラスタの父である国王陛下だった。

「父上何故ここに?」

「ラスタよ、エリックが言うことは真実なのだろう。これ以上恥をさらすな」
卒業式典には出席したが、その後のパーティには参加しないはずの国王が現れたのだ。

パーティは卒業前の自由なものだから、堅苦しい雰囲気にならないよう、王族や重臣は卒業式典で退出する習いだ。

ラスタは馬車が出たのをきちんと確認してから、断罪を始めたのに。

「逐一エリックは報告を上げていくれていた。まさか我が息子が、と信じられないうちに今日になってしまった。ステラ嬢には申し訳ない事をしてしまったな、これからについては王家がバックアップすると約束しよう」

「陛下、そのようなもったいなきお言葉、私には分不相応です……そもそも私がラスタ様を諌められなかったことで、このようなことになり、申し訳ありません」
ステラは終始頭を下げている。

国王は嘆息した。

この令嬢に非があるとは、今までの話からしても思えない。

「ラスタ。お前がしたことは取り返しのつかない事だ、周りを見ろ」

「あっ……」
突き刺さるは周囲の絶対零度の目。

皆に届いたのはエリックの証言だ。

「言い分は後で聞こう、衛兵この二人を連れて行け」
まだ文句を喚き散らす二人は、衛兵に引っ立てられ連れて行かれた。

「エリックご苦労であった、ステラ嬢にもこの詫びは後日改めて行わせてほしい。皆の者、折角のパーティを愚息が大変失礼した。後で皆に王家から詫びの品を届けよう」







帰り支度をするステラを見送ろうと、エリックもパーティ会場の外へ出て、彼女を追う。

「ありがとうございます、エリック様。私の無実を証言して頂いて」

「礼など不要です、私がラスタ様を止められなかった事こそが悪いのですから。今日のことは犬にでも噛まれたのだと思って、お忘れ下さい。あなたは悪くないと公衆もわかってくれますから」
エリックとステラは今二人っきりだ。

先程の鬱憤を晴らすためか、自由にエリックは発言する。

「そもそもラスタ様にステラ様は勿体のうございました。あなた様の美貌と頭脳なら、どこの令息からもお声がかかるでしょう。この場にいた誰もがあなたの瑕疵だとは思わないはずです。この場にいないものについては、陛下が必ずや証言してくれるはずです」

「まぁ」
さらりとラスタを下げる発言にステラは少しだけ笑った。

「ファンクラブが出来るほどステラ様は魅力的な女性なのですよ、自信をお持ちください」
ステラの頬は赤く染まる。

「エリック様、本当にありがとうございます。思えばあなたはずっと私を支えてくれていましたね。ラスタ様がリナ様と仲良くなり始めた頃、婚約解消を勧めてくれたり、ラスタ様と話をする機会を設けてくれたりと、数々の事をしてくれたのに、私はその機会を活かせませんでした」

「愛する人を疑うことはとても辛かったと思います、乙女心を充分に理解していなかった私も、言葉が足りませんでした」
非は自分にあるのだとエリックは重ねて言う。

「ラスタ様を止められなかったのは私達お付きの責任ですから、もうステラ様は気になさらないでください。あなたは笑顔の方が素敵ですよ」
エリックの褒め言葉にますます顔を赤くする。

「エリック様が私の婚約者であったら良かったのに……」

「……光栄ですが、今のあなたはまだ書類上ラスタ様の婚約者のはずです。お言葉に気をつけて下さい」
二人っきりという事が、ステラを饒舌にさせる。

パーティ会場の音楽が遠くに聞こえた。

「いえ、今日を逃せば私はエリック様と話をする機会がなくなりますわ。私のためにここまで尽力して頂き、不敬罪に問われることを恐れもせず証言して頂きました。あなたの立場が危うくなることも恐れず、そこまでして頂いたあなたのことを私はー」

「そこまでで結構、ブランシェ公爵令嬢」
エリックの鋭い叱責がステラを貫いた。

「それ以上は言ってはいけません、あなたの立場がございます」
紡がれるであろう、告白の言葉を遮ったのはエリックだ。

恥じらいや戸惑いの声ではない。
拒絶の声音で。

「あなたの相手は私ではありません。私はあなたが立ち直り、前を向ければそれでいい。好意などございません」
きっぱりと言い切る。

ステラに芽生えた恋心を刈り取るようにはっきりと。

「世迷い言は胸にしまい込んでください、口に出さねばそれはなかったことになる。さぁ、今宵はもうお屋敷へお帰りください、ゆるりと時を過ごせば傷心の心も瘉えることでしょう」
話は終わりだと、エリックはステラを馬車へ案内する。

「あなたは令嬢たちの憧れの方です。また社交界でお会いする時は、聡明で麗しいお姿をお見せください。私の婚約者もそれを望んでおります」
ステラの顔が絶望で彩られた。

エリックがここまで動いていてくれたのは、ステラのためではない。

名も知らぬエリックの婚約者の為だと理解した。

「お休みなさいステラ様。良い夢を」
馬車を見送り、パーティ会場へ向かって踵を返した。







先程ステラと話していた場所まで戻ってくる。

「レナン、ニコラ。終わったぞ」
名前を呼ばれ、隠れていた二人がこちらに寄ってきた。

エリックは直様近づいてきた銀髪の令嬢を抱きしめた。

「疲れた、本当に疲れた」
氷の侯爵令息と言われたエリックはレナンの背に手を回し、髪や首筋に顔を埋め、自身の婚約者を愛でていく。

「僕も頑張りましたよ、エリック様」
気弱なニコラが勇気を持って慰労の言葉を欲した。

「ご苦労だった」
その一言だけしかエリックは言わなかった。

「無理を言ってごめんなさい、ステラ様が傷つくのが辛くて……でもいくらラスタ様に抗議文を送っても、全く返事がなかったものだから心配で」

「他の男の名を出さないでくれ」
特に最低男の名を今は聞きたくない。

レナンの額にキスをし、ひと房取った髪にもキスを落とす。

レナン=スフォリア侯爵令嬢は、エリックの婚約者だ。

女性にしてはやや背が高い。

鼻筋の通ったすっとした顔立ちの美人だ。

彼女はファンクラブに入るほどステラを尊敬している。

「王太子の決断は揺るがず断罪は止められなかったが、ステラ様の名誉は保てただろう。国王からも支援するとい言質を取れたし、立ち直れるかどうかはステラ様次第だな」

「そうね……ぜひ前のように穏やかに過ごせることと、良い人が見つかるよう幸せを願うわ」
レナンは手を合わせ祈る。

最後に思いっきり止めを刺したのはエリックだが。

そこはレナンとニコラの見ていないところでなされた会話、二人の知る由はない。

パーティ会場を出てすぐの会話は二人も聞いていた。

だからあの時エリックは強引に告白を止めた。

レナンに聞かせたくなかったからだ。

レナンから頼まれなければ、レナンがこの国に居なければ、エリックにとってはどうでもいい案件だった。

愚かな王太子と、それを止められない能力の足りない王太子妃候補もどうでも良い。

何かあればレナンを連れて他国へ行こうとすら思っていたからだ。


誤算だったのは、ステラを焚き付けすぎたこと。

最後に気持ち良く帰ってもらえるよう、励ましすぎたことで勘違いさせてしまったことは悔やまれる。

レナンの好きなステラとして、社交界に出ることは二度とないだろう。

エリックに好意をもった時点で、排除するべき敵になってしまったからだ。

ステラよりレナンの方が立場が下の為、何かされるより先に牽制に出てしまった。

「きっといつかまた優雅な笑顔を見せてくれるはずだ。俺たちはその時を待とう」

「えぇそうね。ステラ様が戻ってきた時の為に、わたくし達は社交界を整えておかなきゃ」
純粋なレナンはステラが婚約破棄の傷心から立ち直り、社交界に戻ってきたら、満面の笑みで迎えに行くだろう。

ただレナンの隣にはエリックがいる。

その時までどれだけエリックへの思いが断ち切れているか、気になるところだ。

レナンを傷つけるもの、悲しませるものは排除するだけだと改めて決意をし、レナンの腰に手を回す。

「頑張ったご褒美が欲しい、君からキスをしてくれ」
レナンの顔が真っ赤になった。

その様子さえ愛おしい。

ニコラがいるなんてすっかり忘れて、うっとりとレナンだけを見つめてしまう。

氷の侯爵令息など呼ばれているのが嘘のように、エリックはレナンの前で様々な表情を見せていた。

彼女のために屈むと恥ずかしがりながらも頬にキスをして応じてくれた。

エリックの髪がレナンに掛かる。

「髪色も戻すかな」
王太子付きと言われた時からエリックは髪を茶色に染めていた。

王太子の立場を喰わないよう目立たぬ髪色にしたが、どうせあの恥知らずは廃嫡だ。

もういいだろう。

「エリックならどちらも似合うわ。でも戻したら他の方にも知られてしまうかしら、エリックがこんなに素敵だなんて」
エリックの元の髪色は王族に引け目を取らない程、きれいな金色をしている。

ヤキモチを妬くレナンが可愛くて、思わず抱き上げてしまった。

「エリック?!」

「君が可愛過ぎるのが悪い、俺のものだと皆にも知らしめないと」

「誰も氷の侯爵令息から取りませんよ」
ニコラのポツリと呟いた独白にエリックは驚いていた。

「ニコラ、まだいたのか」

「酷すぎます!」
ニコラが涙を流し、エリックの後をついていく。

「エリックおろして。恥ずかしい」

「駄目だ、君を皆にお披露目しなきゃな」
エリックとレナンの婚約は水面下で行われた。

王太子のお付きの婚約者という事で、レナンが万が一にもトラブルに巻き込まれないようにと伏せていた。

その間、数度しかなかったとはいえニコラにエスコートを任せるのは歯痒かったが。

「ようやく肩の荷が降りたんだ、パーティを楽しもうか」
堂々とレナンの婚約者を名乗れること、これからはエスコートを出来ることを喜ばしく思う。



今日一番の笑顔を見せたのはエリックかもしれない。
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