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断罪、その後(エリック)

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「どういう事です、婚約撤回とは」
 父から聞いた言葉にエリックは眩暈がする。

 怒りでどうにかなりそうだ、ここまでの激情は経験がない。

「エリックがレナン嬢に誑かされたのではという話が、まことしやかに囁かれている。本当は二コラと婚約するところを裏切って、エリックに乗り換えたのだと」

「馬鹿げた話だ。そもそも書類は受理された。不備がないのを何度も確認し、国王陛下に直接渡したのだから、撤回何てできるはずがないのに、一体誰が」

「撤回を言ったのは国王陛下だ」
 エリックは内心で怒り狂った、だがそれを父にぶつける程愚かではない。

 冷静さを取り戻そうと、深呼吸を重ねる。

「何が、あったのですか? ステラ嬢の名誉を落とさなかった俺に、陛下は確かに感謝をしていた。なのに何故そのような事を」
 大切に思うステラをこの国から出さないように画策して、ラスタが勝手に追い出すのを防いだ。

 何故このような掌を返したような仕打ちをするのだろうか。

「どうやらそのステラ嬢が乞うたようだ。エリックと結婚したいと」
 我慢は出来なかった。

 エリックの周囲に魔力の風が吹き荒れ、温度が急激に低下し、部屋を凍らせていく。

「あの女と俺が結婚? あり得ない」
 殺してでも阻止をする。

 自分の結婚相手はレナンだ、他の者と一緒になる気はない。

「そう、あり得ない。だから魔力を抑えてくれ」
 父はステラとの結婚を強要することはなさそうだ。

 ひとまず魔力を抑える。

「この話はレナン、いえ、メイベルク侯爵家も知っているのですか?」
 考えろ。

 こんな邪魔を受けて婚姻を台無しになどさせるわけには行かない。

 誰かにレナンを渡すくらいならいっそ……。

「知っている。もちろんあちらと共に異議申し立てをした、早まるな」
 エリックの物騒な表情から察したのか、宥めるように頭を撫でられた。

「俺はもう子どもではありません。自分の行く道は自分で決めます」
 それが何を示すのか、うすうす侯爵も気づいてはいるようだ。

「生かしてやろうと思ったのに、馬鹿な女だ。レナンの好意を踏みにじる女など、生きる価値もない」
 エリックは苛立たし気に拳を握っている。

 絶対に思い通りになどさせるものか。




「あの、エリック様。一体何があったのでしょう」
 翌日、先触れも出さず、レナンの元を訪ねた。

 もう婚約者とは言えないのだけれど、それでも入れてもらえたのは、メイベルク家も、この婚約撤回が不当だと思っているからだ。

 泣き腫らしてむくんだレナンの顔を見て、エリックはたまらなく悔しく思う。

「すまない、このように悲しませてしまって」
 自分が変にステラに気を持たせてしまったから起きた事だ。

 その為に要らない心労を駆けさせてしまって、悔やんでも悔やみきれない。

「いえ、エリック様のせいではありませんから」
 ぎこちなく笑うレナンが痛々しい。

 こんな状況になってもエリックを気遣ってくれる優しい彼女を、どうして手離せるだろうか。

「いや、誤解をさせてしまったのが悪かった。俺が王太子から庇ったせいで、ステラ嬢が勘違いしたようだし」
 絶対に好きになるなどあり得ないのに。

「それを言うならわたくしがエリック様に頼んだから、このようになってしまったのですわ。こうなったらステラ様と直接お話をしてみたいと思います」
 レナンはそう言うと拳を握り、唇を引き締める。

「何の話をするんだ?」
 もしかしてだが、エリックを譲るようなことを言うのではないかと心配になる。

 ステラの為に身を引くなんてことをしそうで怖かった。

 そんな事を言われたら、これから生きていける自信がない。

「エリック様を諦めてくれるように、ですわ」
 レナンの言葉に安堵した、捨てられることはなさそうだ。

「だっていくらステラ様でも、エリック様は譲れません。わたくし、エリック様を、あ、愛していますから」
 この状況で言っていいのか、レナンは目線を外し、顔を赤らめてそう言った。

「レナン……」
 エリックの低い声がする、いつの間にか立ち上がり、側まで近づいていた。

「は、はい!」

(怖い!)
 無表情で見下ろされ、レナンは身を引こうとするが、肩を掴まれ、また逃げられないようにされてしまう。

「俺も愛している。もう限界だ。君を俺のものにしたくてしょうがない」
 隣に座ると抱き抱えられる。

「俺ももちろん愛してる。だから早く結婚したかったのに、こんなトラブルが起きるなんて。一人前に働けるまではまだだなんて言うから……くそ親父が」
 逃げられないように力を込められた。

 こうして過ごしていると婚約を撤回されたとは全く思えない。

 事実納得などしていないし、これで処罰を下されるのならば、エリックはレナンを連れてどこにでも逃げようと思った。

 幸い貯えもいくらかはあるし、自分は魔法も使える。

 この国への恩義も未練もないし、出ていくのにも躊躇いはない。

「俺とどこか別な国へ行かないか? こんな不自由で不義理で理不尽な国を捨てて」

「エリック様……」
 レナンの揺れる瞳で答えはわかっている。

 許可のなく国外へ出ることは罪となる。

 貴族である自分達が法を守らないとなれば、平民よりも罪は重くなるだろう、そして運よく逃げおおせたとしても、残っている家族や友人、そしてこの屋敷の使用人まで迷惑が掛かるし、メイベルク家もエリックのウィズフォード家も爵位剥奪となるかもしれない。

 そうして一番の被害を受けるのは領民たちだ。

 そこまでレナンはきっと考えている。

 だから断られることは目に見えていた。

「ごめんなさい」
 返事も知っていたから、どうという事はなかった。

 それでも自分を選んで欲しかったとは思うが、それではエリックの想うレナンではない。

「知っていたさ」
 辛い選択を迫ったことはわかっている。

 それでも言っておきたかった。

 レナンの気持ちを知りたいというよりは、自分の気持ちを分かって欲しかったから。

 それだけエリックは本気だ。

「婚約の撤回も正当な理由なく行われるわけがない。陛下がどのようなカードを切るか、それで今後の進退が決まる」
 二人の侯爵家が異議申し立てを行う。

 エリックもぜひ同席をしたかったが、そこは当主たちに任せるしかない。

 今のエリックでは発言を聞いてくれない可能性が高く、なし崩しに否定されて終わるだろう。


「俺達は何も悪い事はしていないし、父上がいるのならば婚約が本当の意味での白紙に戻ることはない」

「……はい」
 レナンの目から涙が零れ始める、不安で昨日も眠れずにいたのだ。

 エリックの温もりを感じて、別れることはないと言われ、レナンは安らぎを覚える。

 こうしてすぐに駆け付けてくれたのも嬉しかった、自分の事を一番に考えてくれるエリックにますます愛情が深まる。

 密着しているから、エリックの心音を感じられて心地よい。睡眠不足から思わず瞼が重くなる。

(せっかくエリック様が来てくれたのに)
 しかし人肌というのはとても安心するものだ。

 エリックはまだ離してくれそうにもないし、どうしようかと悩んでいる間にも眠気が襲ってくる。

 やがて何かをいう事もなくレナンは意識を手放してしまった。
    
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