男装聖女と暴走天使

コトイアオイ

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2.北の街

薬師(仮)の誕生

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 並々ならぬ覚悟でドアをノックしたが、反応はなく、声をかけても返事はなかった。そのことに出鼻をくじかれた気持ちを抱いたが、めげずに2軒目の家にチャレンジする。


コンコン。



「…………だ」


私の耳には声が届かなかったのだが、その小さな返事に天使がハッと息を呑む。


「シェリマ…!今男性の声が…」


その声に私は「失礼します!」と一声添えて、ドアを開けた。


中に足を踏み入れると、小さな家の隅にぐったりと座りこんでいる男性がいた。家の中は、瓶や何かの袋が散乱している。それらを踏まないように気をつけながら、私と天使は男性の元へ近づく。


勿論、天使は人前なので翼を消して、人間を装っている。


しかし、どの道この男性の場合は翼があろうとなかろうと関係なかったかもしれない。男性の瞳は近付いてくる私達を映すことはなかったのだから。


「……こんな廃れた街に何の用だ。見ての通り、何のもてなしもできやしねぇぞ」


男性はやせ細った腕を軽く振り、帰れと合図するが、私はその腕を優しく掴む。


「何だ、変な同情なんていらねぇぞ。どうせこの目は治りなんてしねぇんだ…」


男性は飢餓に苦しんでいるが、それよりもなにも映さない己の双眸に絶望していた。突然視界が暗闇に変わるのだ、どれだけの恐怖と悲しみを感じただろう。


「…私は貴方を救いたい。いえ、救ってみせます」


 そう言って、私は持ってきた大きな鞄から水筒を取り出す。この水に治癒の力を込めよう。


水を容器に移しながら、力を込めていく。そして、その水を男性に差し出した。


「初対面の者の飲み物など信用できないかもしれませんが…騙されたと思って、この水を飲んでみて下さい」


「…何言ってんだ?それに、あんた、随分と若い嬢ちゃんじゃねぇか」


私の声から、そう判断したのだろう。元々なかった信頼度がさらに下がった気がする。   

   
「どうか、彼女の言葉を信じて下さい。僕からもお願いします」


困っている私を見て、天使が助け舟を出してくれた。天使からも頼み込まれた男性は、訝しげながらも、容器を受け取り一気に水を飲んだ。


「……普通の水だな、だが…何だか目元が暖かい…」


水を飲んだ男性は、瞼を両手で覆う。その手を上から握り、さらに力を送り込む。恐らく、これでもう大丈夫だろう。


「ゆっくり、目を開けてみてください」


私の声に素直に従った男性は、瞼を恐る恐る上げて、私の顔を今度はしっかりと認識した。
 

その目は、驚きに大きく見開かれ、みるみる涙が溢れ出す。


「あ…嘘だろ…見え、た?ぼんやりとだが…あんたの顔が見えた…!俺の家が見えたぞ!」


男性の喜ぶ姿に私も一安心して、そっと緊張の息を漏らした。しかし、1発で治すなど奇跡でしかない。そのため、男性には特製の目薬を渡しておくことにした。これを1週間、毎日3滴服用することを伝える。特製といっても、私の治癒の力を込めた水でしかないが。 


「あんた、すげぇ薬師なんだな!そんなに若いのに!そうだ、街の皆も見てやってくんねぇか?俺以外にも苦しんでるやつらがいるんだ」


男性は喜びもそのまま、興奮した様子で私の手を両手で握る。それは私の目的でもあるので、ありがたい申し出だ。 


そうして、男性に案内してもらい、この街に残った数少ない住民にも、治癒の力をそれとなく行使した。また、彼らの怪我の様子の経過を見守りつつ、荒れた土地を耕す手伝いを行った。


これは一時的な救いであって、無駄に終わるのかもしれない。だけど、私の力はこういう人達を救うためにあるのだと思う。

貴族の人は、大した怪我でなくても、私の元に訪れていた。しかし、彼らが求めていたのは珍しい力を見ることだ。私は聖女と言われながら、高貴な人達の見世物でしかなかったのだ。



北の街で、私は新たな道を歩み出した。
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