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12 観察飲み会と世界のビール
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今日はみんなで繁華街のビアホールまで飲みにやってきた。
メンバーは四人。
いのりと神楽坂くん、それに茉莉と私だ。
何故こんな面子になったのかというと、いのりや神楽坂くんを参考にして小説に登場させるとの思い付きを茉莉に話してみたところ、とにかく自分も一度神楽坂くんに合わせろと彼女から言われた為である。
「どうもぉ。アマリリス出版、文芸編集部の囃子茉莉ですー」
「こ、これはどうもです。株式会社サンコー開発の、か、神楽坂悠と言います」
初対面の二人が名刺交換をしている。
「神楽坂くん、でいいかしら? 貴方、いのりちゃんと同じ会社の新卒なんだって? じゃああたしの方が少しお姉さんかしら」
「あ、はい。に、二十二です」
「こぉら、そんなに硬くならない。今日はプライベートな飲み会なんだから、あんまり身構えずにお互い楽しみましょう」
「す、すみません……」
なんだか異業種交流会、……というか合コンみたいなノリが目の前で展開されていた。
「じゃ、また後でね」
彼との会話を終えた茉莉が、私の所にやってきて小声で耳打ちしてくる。
「可愛い男の子じゃない。ちょっとあがり症かもしれないけど」
多分それは茉莉の出来る女オーラに気圧されたせいだと思う。
この担当編集は少しつり目がちな美人で、いつでもパンツスーツをパリッと着こなしているものだから、新社会人の男の子なんかは気遅れしてしまうのだろう。
「それより環。貴女のあげてきた企画書、読んだわよ。いい感じだと思う。……いえ、ぶっちゃけると個人的にはかなりツボよ。読んでみたいわ」
「ホントに⁉︎」
茉莉がここまでストレートに絶賛してくれるのは珍しい。
手応えを感じる。
「あとはキャラの性格なんかだけど、いのりちゃんや神楽坂くんをモデルにするつもりなんでしょう?」
「ええ。まったく同じにはしないと思うけど」
「それはそうと二人にはちゃんと許可を取った?」
「それは大丈夫」
いのりも神楽坂くんも、登場人物のモデルになって欲しいとお願いしたところ、二つ返事で了承してくれた。
神楽坂くんなんて自分が『グラスホッパーがぁる』に登場できるなんて、と感激していたくらいだ。
「じゃあそろそろ店に向かいましょうか。あたしも今日の飲み会で二人の事を観察しているから、相談しあってキャラ付けしていきましょうか」
「ええ、お願い」
私たちは予約してあるお店に向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カランコロンとベルを鳴らしながらドアの内側に踏み入り、木造りの店内を見回す。
店はモダン建築の洋風な内装で、天井が高く開放感がある。
このお店は世界中の様々なビールが気軽に楽しめるビアホールで、ドイツで開催される世界最大のビールの祭典『オクトーバーフェスト』をテーマにしているらしい。
平日にも関わらず、店内は仕事帰りのサラリーマンなんかで繁盛していた。
「いらっしゃいませ。ご予約の囃子様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
四名テーブルに案内される。
茉莉と私が並んで椅子に座ろうとすると、いのりが声を上げた。
「あっ、お姉ちゃんの隣は、神楽坂くんがいいんじゃないかな?」
「え? そうなの?」
茉莉が私を見てきた。
ぶんぶんと横に首を振って返す。
そう言えば鈍感な我が妹は、何を思ったか神楽坂くんと私がカップルとしていい感じだと思っているのだ。
「そうだよね、神楽坂くん。ね? ね?」
「い、いや俺は……」
「えへへ。遠慮しないでいいんだってばぁ。ほら、神楽坂くん! お姉ちゃんの隣りに座っちゃいなよぉ!」
「だ、だから俺は……! そうじゃなくて……!」
「もうっ、照れ屋さんなんだからぁ。そうだ。茉莉さんからも言ってあげて下さい」
いのりは神楽坂くんの背中をぐいぐい押しながら、茉莉に向けて片目をパチパチしてアイコンタクトしている。
困惑する茉莉。
神楽坂くんは白目をむいて、なすがままだ。
なんて不憫な……。
「いいから座るわよ。茉莉はこっち!」
私はストンと席に腰を下ろし、スーツの裾をぐいっと引いて茉莉を隣りに座らせた。
いのりがぷくぅっと頬を膨らませる。
「もうっ。お姉ちゃんってばぁ」
「これでいいんです。いのり、あんたは余計な気を回すのやめなさい!」
「ぶぅ……」
茉莉がにやにやしながら、こちらを見てきた。
「なぁに? 面白そうなことになってるじゃない。こんなのあたし聞いてないわよぉ?」
「からかわないでよ。えっとね……」
私は茉莉の二の腕を掴み、こちらに引っ張った。
耳元に口を寄せて、小声で呟く。
「いのりってば、神楽坂くんが私狙いだなんてとんでもない勘違いしちゃってるの」
「ぷふっ……! 何それぇ。あはは!」
「笑い事じゃないわよ、もう! 神楽坂くんが好きなのはいのりであって私じゃないの。私だってそんな気ないし」
むしろ神楽坂くんは良い子みたいだし、彼の恋路を応援してあげようと思ってるくらいなのだ。
「えぇー? ほんとにぃ? そんな事言って、相談に乗るうちにいつの間にか……とか?」
「ないわよ!」
ほんとに茉莉ってば。
これは絶対、私の事もお酒の肴にしようとしている顔である。
でもそうはいかない。
肴になるのはあくまでいのりと神楽坂くんの可愛いらしい関係で、私はそれを楽しみにしているんだから。
◇
ビールが運ばれてきた。
私が注文したのは『ヒューガルデン・ホワイト』という、ベルギーのビールである。
これは原料に占める小麦の割合を多くして醸造されたいわゆる白ビールで、琥珀色のビールに淡い乳白色の混ぜたような色合いをしている。
材料にオレンジピールやコリアンダーが用いられており、フルーティーな飲み味と微かにスパイシーな刺激が共存した美味しいビールなのだ。
「みんな、頼んだビールは来たわね」
茉莉の確認に三人揃って頷いた。
「それじゃあ乾杯しましょう」
分厚い透明ガラスのジョッキを持ち上げて、底の部分をぶつけ合う。
いのりは赤みがかったフルーツビール。
神楽坂くんはレーベンブロイの陶器製のジョッキ。
茉莉は私も飲んだ事のない銘柄の黒ビールを注文していた。
カン、カン、カンと軽快な音が鳴る。
店内のそこかしこから、私たちがビールを掲げるのに合わせて「乾杯!」との声が聞こえてきた。
ホールスタッフさん達の掛け声だったみたいだけれど、こういう演出をされるとやっぱり気分も盛り上がる。
わずかに高揚した気持ちで掲げたジョッキに唇を添えると、柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐるのを感じた。
そのままぐいっと傾ける。
舌先に感じるピリリとした刺激と甘み。
口内に流れ込んできたヒューガルデン・ホワイトは苦みが少なく、その軽い飲み口も相まってゴクゴクと飲めてしまう。
「んく、んく、んく……、ぷはぁ」
三分の一ほどを一気に喉の奥へと流し込んでから、私はジョッキをタンッとテーブルに置いた。
キレが良く、余韻を残さないさっぱりとした後味。
久しぶりに飲んだけど、やっぱり美味しいビールだ。
「……ぅぅ」
変な声がした。
「酸っぱぁい。ううう……」
どうやらこれは、いのりの呟きだったらしい。
声を掛けてみる。
「どうしたの、いのり?」
「あ、お姉ちゃん。えっとね。わたしが頼んだこのビール、凄く酸っぱくて……」
「ああ、セントルイスね。それ酸っぱいわよねぇ」
セントルイスはヒューガルデンと同じくベルギーのビールなのだけれども、味わいはまったく異なる。
野生の酵母を自然発酵させたランビックというカテゴリーに属するこのフルーツビールは、熟成された甘味はさておき、とにかく酸味が強いのだ。
慣れないと飲むのが少々厳しいのかもしれない。
「じゃ、じゃあさ!」
神楽坂くんが割り込んできた。
「じゃあ宵宮さ。お、俺のビールと交換しないか? レーベンブロイ。苦味はあるけど多分、それよりは飲みやすいんじゃないかな?」
うわぁ……。
私は声に出さずに唸った。
これは大胆な発言だ。
口をつけた後でグラスを交換しようだなんて、神楽坂くん思ったより攻めるなぁ。
というか最近の子って、これくらい平気なんだろうか。
いや私だって彼と四歳しか違わないんだけど。
「うふふ。ねぇ環ぃ。なんか面白いわね」
茉莉が隣から小声で囁いてきた。
その顔はにやにやしていて、なんとも下世話な表情である。
もしかして、私も今似たような顔をしているのだろうか。
「んー。レーベンブロイかぁ。それも美味しそうだけど……。それよりお姉ちゃん」
「ほ、ほえ? な、なに?」
いきなり話を振られてついどもってしまう。
ニヤついているのがバレたか?
「そのお姉ちゃんのビール、飲みやすそう。白ビールっていうの? お願いー。交換してくれないかなぁ?」
「あ、ああ。そういう話ね。別に構わないわよ」
「えへへ。やったぁ」
「え? お、俺は……?」
神楽坂くんがスルーされてがっくり肩を落としす。
憐れを誘うその姿を視界の隅にいれながら、私は自分のジョッキといのりとグラスを交換した。
受け取ったビールを眺める。
ワインのように赤い。
これはきっと、木苺を自然発酵させたことによる赤みなのだろう。
グラスを持ち上げ、鼻先に近付けるとフルーツビールらしい甘く爽やかな香りが漂ってきた。
ぐいっと傾ける。
薄い泡の奥から発泡感の控えめなビールが口内に流れ込んできた。
舌先に感じる甘さ。
けれどもそれは直ぐに爆発的に口内に広まった酸味に上書きされていく。
「んーっ! 酸っぱい!」
舌の側面から頬の内側にかけて、まるで痛感を刺激するかの様な鋭い酸っぱさが走り抜けていく。
しかし熟成されたその酸味が落ち着いた頃、口に残った後味は驚くほどまろやかで爽快だ。
「んく、んく、……はぁぁ」
ゴクゴクと飲んでからグラスを置く。
これは特徴的で飲む人を選ぶけれど、とても美味しいビールだと思う。
見ればいのりもジョッキを傾けていた。
「んく、んく、……ぷはぁぁ。うん! 美味しい! わたしにはこっちの方があってるのかも」
「そう? なら交換して良かったわ」
◇
ビールを煽り、各種の豪快な肉料理に舌鼓を打つ。
オーダーしたメニューは『薄切り炙りローストビーフ』に『極太グリルソーセージ盛り合わせ』に『肉厚Tボーンステーキ』。
どれもボリュームたっぷりでビールと相性ばっちり、がっつりとお腹に溜まる肉料理である。
炙りローストビーフにソースを絡め、粒マスタードをたっぷりと乗せてから頬張る。
ツンと鼻を突き抜けていく刺激。
ぐにっと噛むと、甘辛いソースと肉の旨みが口の中で混ざり合い何とも言えない美味しさだ。
追加注文したビールをぐいっと流し込んで、全部まとめて喉の奥に流し込んでいく。
「ふぅ。美味し」
満足気な息をついてから、私はいのりたちにそれとなく話を振ってみる。
「そういえばさ。いのりと神楽坂くんは、会社ではどんな感じなわけ?」
「……? どんなって、普通だよ? あ、でも最近はよく話すようになったよねー」
いのりが隣を向いて、神楽坂くんに笑顔を向けた。
「ああ、そ、そうだよな」
「うんうん。なんか神楽坂くん、わたしによく話しかけてくれるんだ。お昼にも誘ってくれるし。だからわたし、ちゃんとお姉ちゃんの話を聞かせてあげてるんだよ?」
「ごふっ……! けほっ、けほっ……」
ビールが気道に入って咳き込んでしまった。
「わ、私の話ぃ⁉︎ なんでよ⁉︎」
「もうっ。さっきからお姉ちゃんは鈍感だなぁ。それはわたしの口からは言えないよ。……ね?」
いのりが神楽坂にウィンクをしてみせる。
けれども神楽坂くんは、また白目をむいてしまっていた。
そんな私たちを眺めながら、茉莉は終始にやにやしっぱなしだった。
◇
「いのりに神楽坂くん、ちょっと離席するけど、すぐ戻るからごめんね。茉莉は一緒にいいかしら」
茉莉を連れて離席する。
店の隅の人気のない場所まで移動した。
「どうしたのよ、環。仕事の話?」
「いえ、ある意味では仕事の話だけど、それより少しくらいあの子達を二人きりにしてあげようと思ってね」
「なるほど」
「それで茉莉。実際に神楽坂くんを見た感じはどうかしら。作中の『神宮寺くん』はどうしたらいいと思う?」
「もうそのままでいいんじゃないかしら。可愛い子じゃない。きっと受けるわよぉ。あっ、そうだ」
茉莉が良い事を思い付いたとばかりに、ポンっと手を打った。
「みのりに勘違いさせましょう。神宮寺くんはお姉ちゃんである貴子が好きなんだって。うん、これはいいわよ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それだと今のいのりの勘違いそのままじゃない!」
「そうよぉ? 何か問題あるかしら?」
考えてみる。
確かに貴子がみのりと神宮寺くんの恋路を観察するだけよりも、貴子も巻き込まれた方がお話としては面白いかもしれない。
いや、でもいくら何でもそれは……。
「ぐぬぬ……」
思わず唸る。
小説家として質の良い作品に仕上げたいと思う私と、素の自分が葛藤する。
茉莉がぽんと肩に手を置いてきた。
「いのりちゃんや神宮寺くんの恋路をネタにするのに、自分だけはネタにしたくないってのはどうなのぉ?」
またにやにやしている。
絶対この子は状況を楽しんでいるだけに違いないのに、言っていることは正論なのが悔しい。
私はがくりと肩を落とした。
「……わかったわよ。その線で書くわ」
「ふふふ。了解っ」
茉莉は何とも楽しそうである。
はぁぁ……。
結局私も、酒の肴の仲間入りかぁ……。
「じゃあそろそろ戻りましょうか。企画書は明日にでも纏めてメールしてくれれば良いわ。それから企画会議に回すから」
「はいはい……」
私は項垂れたまま、返事をした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
後日、茉莉から電話が掛かってきた。
「おめでとう環。企画会議、通ったわよ」
「ほ、ほんと⁉︎」
「もちろん、本当よ。それでスケジュールなんだけど、初稿は――」
こうしてグラスホッパーがぁる、二巻の執筆が始まった。
メンバーは四人。
いのりと神楽坂くん、それに茉莉と私だ。
何故こんな面子になったのかというと、いのりや神楽坂くんを参考にして小説に登場させるとの思い付きを茉莉に話してみたところ、とにかく自分も一度神楽坂くんに合わせろと彼女から言われた為である。
「どうもぉ。アマリリス出版、文芸編集部の囃子茉莉ですー」
「こ、これはどうもです。株式会社サンコー開発の、か、神楽坂悠と言います」
初対面の二人が名刺交換をしている。
「神楽坂くん、でいいかしら? 貴方、いのりちゃんと同じ会社の新卒なんだって? じゃああたしの方が少しお姉さんかしら」
「あ、はい。に、二十二です」
「こぉら、そんなに硬くならない。今日はプライベートな飲み会なんだから、あんまり身構えずにお互い楽しみましょう」
「す、すみません……」
なんだか異業種交流会、……というか合コンみたいなノリが目の前で展開されていた。
「じゃ、また後でね」
彼との会話を終えた茉莉が、私の所にやってきて小声で耳打ちしてくる。
「可愛い男の子じゃない。ちょっとあがり症かもしれないけど」
多分それは茉莉の出来る女オーラに気圧されたせいだと思う。
この担当編集は少しつり目がちな美人で、いつでもパンツスーツをパリッと着こなしているものだから、新社会人の男の子なんかは気遅れしてしまうのだろう。
「それより環。貴女のあげてきた企画書、読んだわよ。いい感じだと思う。……いえ、ぶっちゃけると個人的にはかなりツボよ。読んでみたいわ」
「ホントに⁉︎」
茉莉がここまでストレートに絶賛してくれるのは珍しい。
手応えを感じる。
「あとはキャラの性格なんかだけど、いのりちゃんや神楽坂くんをモデルにするつもりなんでしょう?」
「ええ。まったく同じにはしないと思うけど」
「それはそうと二人にはちゃんと許可を取った?」
「それは大丈夫」
いのりも神楽坂くんも、登場人物のモデルになって欲しいとお願いしたところ、二つ返事で了承してくれた。
神楽坂くんなんて自分が『グラスホッパーがぁる』に登場できるなんて、と感激していたくらいだ。
「じゃあそろそろ店に向かいましょうか。あたしも今日の飲み会で二人の事を観察しているから、相談しあってキャラ付けしていきましょうか」
「ええ、お願い」
私たちは予約してあるお店に向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カランコロンとベルを鳴らしながらドアの内側に踏み入り、木造りの店内を見回す。
店はモダン建築の洋風な内装で、天井が高く開放感がある。
このお店は世界中の様々なビールが気軽に楽しめるビアホールで、ドイツで開催される世界最大のビールの祭典『オクトーバーフェスト』をテーマにしているらしい。
平日にも関わらず、店内は仕事帰りのサラリーマンなんかで繁盛していた。
「いらっしゃいませ。ご予約の囃子様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
四名テーブルに案内される。
茉莉と私が並んで椅子に座ろうとすると、いのりが声を上げた。
「あっ、お姉ちゃんの隣は、神楽坂くんがいいんじゃないかな?」
「え? そうなの?」
茉莉が私を見てきた。
ぶんぶんと横に首を振って返す。
そう言えば鈍感な我が妹は、何を思ったか神楽坂くんと私がカップルとしていい感じだと思っているのだ。
「そうだよね、神楽坂くん。ね? ね?」
「い、いや俺は……」
「えへへ。遠慮しないでいいんだってばぁ。ほら、神楽坂くん! お姉ちゃんの隣りに座っちゃいなよぉ!」
「だ、だから俺は……! そうじゃなくて……!」
「もうっ、照れ屋さんなんだからぁ。そうだ。茉莉さんからも言ってあげて下さい」
いのりは神楽坂くんの背中をぐいぐい押しながら、茉莉に向けて片目をパチパチしてアイコンタクトしている。
困惑する茉莉。
神楽坂くんは白目をむいて、なすがままだ。
なんて不憫な……。
「いいから座るわよ。茉莉はこっち!」
私はストンと席に腰を下ろし、スーツの裾をぐいっと引いて茉莉を隣りに座らせた。
いのりがぷくぅっと頬を膨らませる。
「もうっ。お姉ちゃんってばぁ」
「これでいいんです。いのり、あんたは余計な気を回すのやめなさい!」
「ぶぅ……」
茉莉がにやにやしながら、こちらを見てきた。
「なぁに? 面白そうなことになってるじゃない。こんなのあたし聞いてないわよぉ?」
「からかわないでよ。えっとね……」
私は茉莉の二の腕を掴み、こちらに引っ張った。
耳元に口を寄せて、小声で呟く。
「いのりってば、神楽坂くんが私狙いだなんてとんでもない勘違いしちゃってるの」
「ぷふっ……! 何それぇ。あはは!」
「笑い事じゃないわよ、もう! 神楽坂くんが好きなのはいのりであって私じゃないの。私だってそんな気ないし」
むしろ神楽坂くんは良い子みたいだし、彼の恋路を応援してあげようと思ってるくらいなのだ。
「えぇー? ほんとにぃ? そんな事言って、相談に乗るうちにいつの間にか……とか?」
「ないわよ!」
ほんとに茉莉ってば。
これは絶対、私の事もお酒の肴にしようとしている顔である。
でもそうはいかない。
肴になるのはあくまでいのりと神楽坂くんの可愛いらしい関係で、私はそれを楽しみにしているんだから。
◇
ビールが運ばれてきた。
私が注文したのは『ヒューガルデン・ホワイト』という、ベルギーのビールである。
これは原料に占める小麦の割合を多くして醸造されたいわゆる白ビールで、琥珀色のビールに淡い乳白色の混ぜたような色合いをしている。
材料にオレンジピールやコリアンダーが用いられており、フルーティーな飲み味と微かにスパイシーな刺激が共存した美味しいビールなのだ。
「みんな、頼んだビールは来たわね」
茉莉の確認に三人揃って頷いた。
「それじゃあ乾杯しましょう」
分厚い透明ガラスのジョッキを持ち上げて、底の部分をぶつけ合う。
いのりは赤みがかったフルーツビール。
神楽坂くんはレーベンブロイの陶器製のジョッキ。
茉莉は私も飲んだ事のない銘柄の黒ビールを注文していた。
カン、カン、カンと軽快な音が鳴る。
店内のそこかしこから、私たちがビールを掲げるのに合わせて「乾杯!」との声が聞こえてきた。
ホールスタッフさん達の掛け声だったみたいだけれど、こういう演出をされるとやっぱり気分も盛り上がる。
わずかに高揚した気持ちで掲げたジョッキに唇を添えると、柑橘系の爽やかな香りが鼻腔をくすぐるのを感じた。
そのままぐいっと傾ける。
舌先に感じるピリリとした刺激と甘み。
口内に流れ込んできたヒューガルデン・ホワイトは苦みが少なく、その軽い飲み口も相まってゴクゴクと飲めてしまう。
「んく、んく、んく……、ぷはぁ」
三分の一ほどを一気に喉の奥へと流し込んでから、私はジョッキをタンッとテーブルに置いた。
キレが良く、余韻を残さないさっぱりとした後味。
久しぶりに飲んだけど、やっぱり美味しいビールだ。
「……ぅぅ」
変な声がした。
「酸っぱぁい。ううう……」
どうやらこれは、いのりの呟きだったらしい。
声を掛けてみる。
「どうしたの、いのり?」
「あ、お姉ちゃん。えっとね。わたしが頼んだこのビール、凄く酸っぱくて……」
「ああ、セントルイスね。それ酸っぱいわよねぇ」
セントルイスはヒューガルデンと同じくベルギーのビールなのだけれども、味わいはまったく異なる。
野生の酵母を自然発酵させたランビックというカテゴリーに属するこのフルーツビールは、熟成された甘味はさておき、とにかく酸味が強いのだ。
慣れないと飲むのが少々厳しいのかもしれない。
「じゃ、じゃあさ!」
神楽坂くんが割り込んできた。
「じゃあ宵宮さ。お、俺のビールと交換しないか? レーベンブロイ。苦味はあるけど多分、それよりは飲みやすいんじゃないかな?」
うわぁ……。
私は声に出さずに唸った。
これは大胆な発言だ。
口をつけた後でグラスを交換しようだなんて、神楽坂くん思ったより攻めるなぁ。
というか最近の子って、これくらい平気なんだろうか。
いや私だって彼と四歳しか違わないんだけど。
「うふふ。ねぇ環ぃ。なんか面白いわね」
茉莉が隣から小声で囁いてきた。
その顔はにやにやしていて、なんとも下世話な表情である。
もしかして、私も今似たような顔をしているのだろうか。
「んー。レーベンブロイかぁ。それも美味しそうだけど……。それよりお姉ちゃん」
「ほ、ほえ? な、なに?」
いきなり話を振られてついどもってしまう。
ニヤついているのがバレたか?
「そのお姉ちゃんのビール、飲みやすそう。白ビールっていうの? お願いー。交換してくれないかなぁ?」
「あ、ああ。そういう話ね。別に構わないわよ」
「えへへ。やったぁ」
「え? お、俺は……?」
神楽坂くんがスルーされてがっくり肩を落としす。
憐れを誘うその姿を視界の隅にいれながら、私は自分のジョッキといのりとグラスを交換した。
受け取ったビールを眺める。
ワインのように赤い。
これはきっと、木苺を自然発酵させたことによる赤みなのだろう。
グラスを持ち上げ、鼻先に近付けるとフルーツビールらしい甘く爽やかな香りが漂ってきた。
ぐいっと傾ける。
薄い泡の奥から発泡感の控えめなビールが口内に流れ込んできた。
舌先に感じる甘さ。
けれどもそれは直ぐに爆発的に口内に広まった酸味に上書きされていく。
「んーっ! 酸っぱい!」
舌の側面から頬の内側にかけて、まるで痛感を刺激するかの様な鋭い酸っぱさが走り抜けていく。
しかし熟成されたその酸味が落ち着いた頃、口に残った後味は驚くほどまろやかで爽快だ。
「んく、んく、……はぁぁ」
ゴクゴクと飲んでからグラスを置く。
これは特徴的で飲む人を選ぶけれど、とても美味しいビールだと思う。
見ればいのりもジョッキを傾けていた。
「んく、んく、……ぷはぁぁ。うん! 美味しい! わたしにはこっちの方があってるのかも」
「そう? なら交換して良かったわ」
◇
ビールを煽り、各種の豪快な肉料理に舌鼓を打つ。
オーダーしたメニューは『薄切り炙りローストビーフ』に『極太グリルソーセージ盛り合わせ』に『肉厚Tボーンステーキ』。
どれもボリュームたっぷりでビールと相性ばっちり、がっつりとお腹に溜まる肉料理である。
炙りローストビーフにソースを絡め、粒マスタードをたっぷりと乗せてから頬張る。
ツンと鼻を突き抜けていく刺激。
ぐにっと噛むと、甘辛いソースと肉の旨みが口の中で混ざり合い何とも言えない美味しさだ。
追加注文したビールをぐいっと流し込んで、全部まとめて喉の奥に流し込んでいく。
「ふぅ。美味し」
満足気な息をついてから、私はいのりたちにそれとなく話を振ってみる。
「そういえばさ。いのりと神楽坂くんは、会社ではどんな感じなわけ?」
「……? どんなって、普通だよ? あ、でも最近はよく話すようになったよねー」
いのりが隣を向いて、神楽坂くんに笑顔を向けた。
「ああ、そ、そうだよな」
「うんうん。なんか神楽坂くん、わたしによく話しかけてくれるんだ。お昼にも誘ってくれるし。だからわたし、ちゃんとお姉ちゃんの話を聞かせてあげてるんだよ?」
「ごふっ……! けほっ、けほっ……」
ビールが気道に入って咳き込んでしまった。
「わ、私の話ぃ⁉︎ なんでよ⁉︎」
「もうっ。さっきからお姉ちゃんは鈍感だなぁ。それはわたしの口からは言えないよ。……ね?」
いのりが神楽坂にウィンクをしてみせる。
けれども神楽坂くんは、また白目をむいてしまっていた。
そんな私たちを眺めながら、茉莉は終始にやにやしっぱなしだった。
◇
「いのりに神楽坂くん、ちょっと離席するけど、すぐ戻るからごめんね。茉莉は一緒にいいかしら」
茉莉を連れて離席する。
店の隅の人気のない場所まで移動した。
「どうしたのよ、環。仕事の話?」
「いえ、ある意味では仕事の話だけど、それより少しくらいあの子達を二人きりにしてあげようと思ってね」
「なるほど」
「それで茉莉。実際に神楽坂くんを見た感じはどうかしら。作中の『神宮寺くん』はどうしたらいいと思う?」
「もうそのままでいいんじゃないかしら。可愛い子じゃない。きっと受けるわよぉ。あっ、そうだ」
茉莉が良い事を思い付いたとばかりに、ポンっと手を打った。
「みのりに勘違いさせましょう。神宮寺くんはお姉ちゃんである貴子が好きなんだって。うん、これはいいわよ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! それだと今のいのりの勘違いそのままじゃない!」
「そうよぉ? 何か問題あるかしら?」
考えてみる。
確かに貴子がみのりと神宮寺くんの恋路を観察するだけよりも、貴子も巻き込まれた方がお話としては面白いかもしれない。
いや、でもいくら何でもそれは……。
「ぐぬぬ……」
思わず唸る。
小説家として質の良い作品に仕上げたいと思う私と、素の自分が葛藤する。
茉莉がぽんと肩に手を置いてきた。
「いのりちゃんや神宮寺くんの恋路をネタにするのに、自分だけはネタにしたくないってのはどうなのぉ?」
またにやにやしている。
絶対この子は状況を楽しんでいるだけに違いないのに、言っていることは正論なのが悔しい。
私はがくりと肩を落とした。
「……わかったわよ。その線で書くわ」
「ふふふ。了解っ」
茉莉は何とも楽しそうである。
はぁぁ……。
結局私も、酒の肴の仲間入りかぁ……。
「じゃあそろそろ戻りましょうか。企画書は明日にでも纏めてメールしてくれれば良いわ。それから企画会議に回すから」
「はいはい……」
私は項垂れたまま、返事をした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
後日、茉莉から電話が掛かってきた。
「おめでとう環。企画会議、通ったわよ」
「ほ、ほんと⁉︎」
「もちろん、本当よ。それでスケジュールなんだけど、初稿は――」
こうしてグラスホッパーがぁる、二巻の執筆が始まった。
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