それでもお前を愛と呼びたい

甲池幸

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それでもお前を愛と呼びたい

思考こそ、すべて。

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 校内を慣れないざわめきが満たしている。高等部の三年生にとっては最後となる、この時期の学内コンテストは派手に広告を打って学外からも観覧者を募るのが通例だ。今回も例にもれず、美術科生の保護者をはじめとして、稀代の天才『森純太』の絵を一目見ようと、多くの人が学園を訪れていた。
(ほんっとに、このクソ忙しい日に、なにやってんだ、あの馬鹿は)
 多くの来校者であふれる校内を早足で歩きながら、樋口は心の中で毒づいた。もちろん、表情はにこやかな笑顔のままだ。隣に森でもいれば「わーあ、嘘くさーい!」と野次を飛ばしただろうが、あいにく彼は、この式典の参加者。今は外部との接触ができないよう、美術科教師の厳重な監視のもと、控室に押し込まれている。
(クソ。森のやつ、面倒ごと全部僕に押し付けやがって)
 森が控室に入る直前のことだ。生徒会として、朝の入場列を整理していた樋口のもとに、森がやってきた。いつもの笑顔も、へんてこな髪型も封印して、至極真面目な表情を浮かべて。
『朝、唯希の様子が変だった。たぶん、羽化のせい。だから半分は僕のせいだけど、いや、八割は終一のせい。でも、僕らには何もできないから、君が話を聞いてあげて』
 一方的に告げられた言葉の中で、樋口に理解できたのは二点だけだった。朝見の様子がどこかおかしいこと。それから、それを慰めるのをなぜか頼まれてしまったこと。あとの言葉は、本当に、ひとつも、意味が分からなかった。
『なんで俺? 見ての通り忙しいんだけど』
『君しかいないから』
 なんで僕? と再度、今度は苛立ちも込めて返そうとして、でも、ここ数日の朝見の様子が頭を過る。確かに、ここ数日はずっと様子が変だった。いつもは学内コンテストが近づくと、追い詰められたひな鳥にうきうきと喜び勇んで餌を運んでいるのに、ずっと寮にこもりきりだったし、何度か、夜中に廊下で蹲っているのも見かけた。心配じゃない、と言えば、少し嘘になる。けれど。
『生徒会長がこの状況で抜けられるわけないでしょう』
 今は、学外の人間も招いての式典の真っ最中だ。生徒会長が私情を優先していい状況じゃない。
『なにしてんだ、樋口』
 ぐっと腕を引かれる。普段は目も合わせようとしないくせに、こういうときは躊躇いなく触れてくる。そういうところが好きで、同時に厄介だ。黄色が強い明るい色の瞳が視界に映って、樋口の唇が勝手にその人を呼んだ。
『清水』
 清水は樋口の目を見て、それから森に視線を移した。
『唯希関係? なんかあったの?』
 こいつ、ほんと。僕の気持ちにはまるで気づかない鈍感赤ちゃんの癖に、なんでこういうとこは話が早いんだよ。
『ここんとこ様子が変だったんだよ、朝見。だから、森が俺に面倒見てろって。で、俺は生徒会の仕事あるし、朝見はわりとどうでもいいし、無理って断ってたとこ』
『行ってきていいぜ。ここは、俺がどうにかするし』
『はあ? 何を言ってるか分かってる? 無理に決まってるでしょう』
『心配じゃねえっていうわりに、眉間に皺、寄ってんぞ。お客さんが怖がる。さっさと行って、無事確かめて戻ってくりゃあいいだろ。時間稼ぎくらいは出来る』
 とん、と清水のまるい指先が樋口の眉間を叩く。
(普段は僕のこと、なんにも見えてないくせに。なんでそういうとこは分かるかな、ほんと)
 むっと尖りかけた唇を引き延ばして、森に視線を向ける。たぶん、二人とも同じものを思い返していた。真夜中過ぎの廊下で、蹲って嗚咽をかみ殺す、朝見の姿。痛そうで、苦しそうで。まあ、だからって別に、声をかけるような間柄じゃ、ないけれど。
『分かった』
 ――わかったって、言ったはいいものの、あいつどこに居るわけ?
 まさか、在校生を迷子放送で呼び出すわけにもいかず、樋口は普段より人の多い校内をしらみつぶしに探していく。封鎖されている教室にわざわざ入るやつじゃない。かといって、道場にも、体育館にもいなかった。特別棟はたぶんない。人波に逆らって、校舎の端を目指す。外へと向かう待機列から横に逸れ、本校舎の二階へと続く階段を上っていく。順に教室をのぞいて、次の階へ。最上階にある朝見の教室にも、樋口たちのクラスにも、彼の姿はない。
(あとは……)
 まさかと思いながら、普段は施錠されている学年倉庫室の扉に手をかける。するりと、抵抗なく扉が開いて。その部屋の奥、ほこりっぽい段ボールに埋まるようにして、そいつは蹲っていた。
「朝見」
 声をかけると、涙で濡れた瞳が樋口をとらえる。こぼす相手を待っていたように、朝見の口から言葉が落ちた。
「おれは、あいつが好きだから甘やかしたいんじゃなくて。あいつが、よわいから、甘やかせるから好きなだけだった」
 馬鹿なの?
 思わず口から出かかった暴言を、樋口はぐっと飲み込む。暗い部屋の片隅で頭を抱えて縮こまる悪友は、いつもよりずっと弱々しかった。
「あいつの蛹になってるつもりで、ただ、よわってるあいつが、どこにも行けないように、囲いこんでただけで。おれがいないほうが、あいつ、しあわせだったのに」
 胸のうちを吐露する言葉が続く。懺悔みたいだと思った。神様の前で、許しを乞うて罪を告白する。そういう光景に似ていた。別に、こいつは悪いことなんて、ひとつもしていないのに。
「俺はずっと……」
 震えた声が途絶える。自分の醜さを自覚して、傷ついて、ぼろぼろで。六年、同じ寮で過ごしてきた友人のそんな姿を見ても、樋口の頭に浮かぶのは冷めた感想だけだった。
(馬鹿だなぁ、こいつ)
 だって、そんなの、悪いことじゃないのに。
 まあ尤も、朝見と中山の話に限って言えば、弱いから好きになる、なんてロジックは成立しない。中山は、弱さを隠すのが上手くて、あいつのことが好きで好きでたまらなくて、それこそ一日中見つめているようなやつじゃないと絶対に、その綻びに気づくことができない。樋口が中山に弱い所があると知っているのも、朝見が特別甘やかしているから、そういうところがあるんだろうな、と思っているだけだ。そのくらい、仮面が分厚くて、精巧なやつ。
 だから、先に『好き』がないと、絶対に、弱さは見えてこない。
 まあ、そんなの別にどっちが先でもいいと思っているから、説明なんてしてやらないけど。というか、どう見ても相思相愛、二人の世界なのに、こんな風にこじれているのが正直言ってむかつく。
(ほんと。こっちは、全人類友達! みたいな馬鹿相手に、どうにか爪痕残そうと苦心してんのに、超うざい)
 だから、さっさとくっついてしまえ。馬鹿野郎。
「弱い所を好きになって、なにか悪いの?」
 樋口の言葉に朝見はさらに体を丸めた。ただでさえ小さいのに、そうしていると本当に、幼い子供みたいだ。
「弱いところが可哀想で、それが可愛く見えて、何が問題なわけ? 相手のこと見下してるから?」
 唯希の小柄だけれど、決して細くはない肩が、びくりと揺れる。
「ハッ、馬鹿言うなよ。……朝見さぁ、今まで他人を見上げたこと、ないでしょ」
 そこそこ器用で、なんでも出来る性質だから。というよりも、一般的な『頑張る』より、こいつの持っている『頑張る』の基準が高い。それも、おそろしく。だから、大抵のことは『頑張れば』出来るようになると思っている。だから、他人を尊敬していない。できない。だって、誰がどれだけすごいことをしていようと『自分も頑張れば、そのくらい出来るしな』と思ってしまうから。
 そして、さらに厄介なことに、こいつは、大抵のことが本当に『頑張る』だけで出来てしまう。
(ほんっと、むかつく)
 そんなやつが、いったい今更、何をそんなに縮こまっているのか。
 傲慢さに怯えきっているのか。
 その傲慢さは、誇るべきものじゃない。でも、そんな風に醜いところとして切り捨てるべきものでもないはずだ。だってそれは、こいつが、こいつの人生を生きるなかで、今までずっと、その高い基準の『頑張る』を満たし続けてきた証明だから。
(捨てるなよ。目を逸らすなよ。……僕らは、そうじゃないだろ)
 苛立ちのまま、同じ寮に振り分けられた同胞を睨みつける。
「いまさら、何を良い子ぶってんのか知らないけど、」
 朝見が勢いよく顔をあげる。図星をつかれて怒った人間の顔だ。ぐっと胸倉をつかんで、その顔を覗き込む。
縁木ぼくらの寮に、いい子ちゃんなんて、いるわけないだろ」
 だって僕らは、生まれたかたちのままでは、なりたいものに手が届かない。それでも、理想も、夢も、欲しいものも、何も諦められないから。
 だから、手が届く方法を考える。考えて、試して、絶望して、また考えて。そうやって、思考で、生まれたときのかたちすら捻じ曲げて、醜さすら武器に変えて、無理やり、欲しいものを手に入れる。そういうやつばかりの寮だ。朝見だって、普段は自分の性根の悪さに打ちのめされたりはしないだろう。
 生まれたかたちのままで、ただ手を伸ばすだけで、欲しいものが手に入るやつらとは違うと、もう知っている。
 それでも、そんな分かり切ったことで、いまさら、こんなに傷ついているのは。
(ほんとに中山のこと好きだね、朝見は)
 彼の幸せを本気で望んでいるからだ。それでも、どうしようもなく、中山が好きだからだ。
 醜い自分が傍に居ちゃいけないと理性が叫ぶ。同時に、それでも手放せないと心が悲鳴を上げる。
 体と心がぐちゃぐちゃのばらばらで、だから、動けない。
「思考こそ、すべて。それが、僕らの誇るべき寮訓だよ」
 考え続けろ。欲しいと思うものを、理想の自分で手に入れるために、何ができるのか。何をすれば、世界でいちばん愛おしくて、幸せになって欲しいひとの隣で、恥じることなく立っていられるのか。
 思考こそ、すべて。
 そこに、限界はない。頭の中でなら、どんな夢も叶う。どんな夢への道だって、絶対に見つけられる。見つけたなら後は、歩き出すだけでいい。だから、僕らはどれだけ不可能な夢だって、諦める必要がない。
「思考停止で蹲って諦めるなんて、脳みそに筋肉が詰まった馬鹿のやることだよ、朝見」
 朝見は呆然と樋口を見上げる。涙で濡れた、丸い瞳だ。友人の泣き顔じゃ、胸がときめきもしないけど。ほんの少しだけ、胸が痛かった。
 まっすぐで、素直で、ただ生きているだけで誰かを幸せにしたり、誰かの傍に居られたり。そういう人間にはなれないと、もう知っている。そういう人間に生まれたかったと嘆く気持ちは、樋口にも痛いほどよくわかる。
 それでも、そういう風に生まれなかったから、仕方ないよねなんて言って、好きなひとの隣を諦めることのは愚かだ。そもそも、そんな風に物分かりよく諦められるはずがない。諦められるなら、こいつはきっと、今ここで泣いていない。欲深くて、綺麗なものに憧れていて、自分の形を痛いほど知っていて――そのくせ、諦めが悪い。
 なんて、生きるのがしんどそうなやつだろう。
「……おまえ、性格わるすぎだろ……」
「同級生相手に『かわいそう』なんて感想を抱くやつに言われたくないよ」
「樋口の同類って、なんかやだな」
「馬鹿言わないでくれるかな。この俺と同じカテゴリーに収まれるやつなんて地球上にひとりだって存在するわけないでしょ」
さとるでも?」
 にやりと、口角の片側をあげて朝見が笑う。そういう、性格の悪さを全面に出した顔ができるなら、もう大丈夫だろう。ものすごく鬱陶しくて苛立たしいけれど、泣いている顔よりは、少しだけマシだ。
「……清水は、僕なんかのずっと上にいるから」
 だからまだ、隣には立てない。
 手を伸ばして触れることも、好きだと言うことも、まだしない。
 あいつに誇れる、自分じゃないから。
 呆けた顔で見つめられて、樋口はぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「なに。」
「いや。お前、聡のこと諦めてんの?」
「今の話の、どこでそう思うわけ? 諦めてるわけないでしょ」
「え、だって、告白する気ないんだろ。もう、卒業も近いのに」
「まだ、しないってだけ。どうせ一生傍にいるんだから、長期戦でいい」
「その間に、聡がほかの奴と添い遂げてたら?」
「奪い取るに決まってるでしょ」
「最低野郎かよ」
「僕の瞳に映る朝見が?」
「お前だわ、馬鹿」
 朝見が涙を拭って立ち上がる。手を貸すようなお優しい友情は、生憎、樋口と朝見の間には存在しなかった。だから、朝見はひとりで教室を出ていく。樋口も別に、その背をわざわざ見送ることはしない。ただ、ほんの気まぐれで視線を向けると、ちょうど、肩越しに朝見が振り返ったところだった。
「お前にこういうこと言うの、ほんと寒気がすんだけど」
「じゃあ言わないでくれる? 僕も聞いたら吐くかもしれないから」
「よし。今の聞いて俄然言う気になったわ」
 ほんと最悪の性格してるな。
「……ありがとな」
 ぞわり。背筋を悪寒が走る。思わず自分の二の腕を抱いた樋口の前で、同じように朝見が肩をすくめた。
「すげー後悔してる、今」
「だから言ったのに。てか、早く行きなよ。あんまりうかうかしてると、それこそ森に盗られるよ」
「ねーよ。どうせ、俺が取り戻すから」
 朝見も大概、性格悪いよね。くるりと樋口に背を向けた朝見に、心の中でだけ声をかける。別に、それを悪いことだとは思わない。でも、決して、良いことには括れない。だって、そこで開きなるのは、思考を止めた、馬鹿のやることだから。
(ま。あいつは別の意味で馬鹿だけど)
 愚直で、馬鹿で、諦めが悪い。
 そんな性格をしているくせに、自分を器用だと思っているなんて。
 本当に、救いようのない、大馬鹿者だ。
「頑張れ、朝見」
 どうか、よく似た同胞の夢が叶いますように。遠ざかる姿に、祈りを投げて。樋口はくるりと、朝見に背を向けた。
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