またここで君と逢いたい

きおかわ ひつじ

文字の大きさ
39 / 50
5章 此花美桜 3

今まで、ありがとう

しおりを挟む
 ……あの日。
 私のせいで、お母さんは死んだ。
 車の下敷きになって火に包まれていくお母さんの姿が、私の心のどこかで何かを焼き切った。
 ——そして私は、自分の罪の重さに耐えられず、その記憶を手放すことを選んだのだ。

 今回だってほら。もうそこまで来ている。
 あの悪夢のような出来事が、私の記憶に手をかけている。
 思い出してしまったこの悪夢を封印するために、私の記憶も一緒に封印されてしまうんだ。
 
『美桜』

 真璃の声がする。
 私の大好きな人の声。
 私と何度も友達になってくれて。……多分、ずっと私の事を支えてくれてた人。
 このまま記憶を手放せば、また真璃の事を忘れてしまう。
 やっと自分の気持ちに気付けたのに、振出しに戻ってしまう。
 そんなのは嫌だ。
 
 ……嫌だけど。
 この悪夢は、あまりにも私の心を蝕み過ぎている。
 私には、これを受け入れられるほどの心の力が無い。
 ……無理だよ。これをこのまま私の中に残すのは。
 きっと私は耐えられない。
 
 真璃の声が遠くなっていく。
 真璃の顔が、真璃のいた景色が、段々ぼやけていく。
 ああ、消えてしまう。
 真璃との思い出が、また奪われてしまう。
 少しずつ、何も知らない私に戻される。

 ………………。

 ……どうしよう。
 凄く嫌だ。
 忘れたくない。
 真璃の事も、真璃への想いも。
 もう失いたくない。

 ……思い出したくない。
 事故の事を。お母さんの死を。
 あんな記憶を私の中に残していたら、私の心はどうにかなってしまう。

 相反する二つの気持ちが、ギリギリの所でせめぎ合っている。
 どうすればいい?
 私は……、どうすればいいの……?
 誰か——。

『みぃちゃん』
 
 また声がする。真璃じゃない。
 これは、——お母さんの声。

『みぃちゃん。……ごめんね』

 覚えている。お母さんの最後の言葉。
 私をかばって車の下敷きになって。
 最後の最後で、そんな事を言ったんだ。

 ……なんで、私なんかに謝るの?
 お母さんが死んじゃう原因を作った私に、どうして謝ったの?
 違うでしょ。それは私の台詞だよ。
 「ごめんなさい」は、私からお母さんに言わなきゃいけない言葉なのに。

『みぃちゃんの幸せが、お母さんの幸せなんだよ』
 
 お母さんの声が響く。
 ああ、これは。確か、私がまだ小さかった頃。
 何気ない会話の中で、お母さんが私に言ってくれた言葉。
 あの時の私は、この言葉の意味をあまり理解出来ていなかった。
 他人の幸せを自分の幸せに置き換えるという発想が、小さい頃の私には出来なかったからだ。
 
 でも、今なら少しは理解できる。 
 真璃が幸せになってくれるなら、私はなんだって差し出せる。
 だって、真璃が私の隣で笑ってくれる事が、何よりも嬉しい。
 ……いや、私の隣じゃなくたっていいんだ。
 真璃が笑ってくれるなら、とにかくなんだっていい。

 きっと、そういう事だ。人を愛するというのは。

『みぃちゃんは、将来どんな人を好きになるのかなぁ』

 これは、小学生の低学年くらいの頃。
 何かの流れで、「大切な人」についての話になった時、お母さんが言った言葉。
 あの時のお母さんは、そんな事を言いながら楽しそうに笑っていたっけ。
 多分これも、未来の私の幸せを想像して、笑っていたんだ。

 ……そう。
 お母さんは、いつも私の事を考えてくれていた。
 私の事を、一番近くで見守ってくれていた。

『みぃちゃん。……ごめんね。————』

 再び、あの言葉が聞こえた。でもなんだろう。
 まだ何か聞こえた。
 あの時。火に包まれる前に、お母さんはもう少し何か言っていた。
 
 もう見たくもないその時の映像を、もう一度再生する。
 耳を澄ませ。思い出せ。お母さんの、本当の最後の言葉を。
 
『みぃちゃん。……ごめんね。————ありがとう』

 それが。
 お母さんの、最期の言葉だ。
 お母さんはこんな私に謝って、感謝までしていた。
 
 自分の幸せは、愛する人の幸せだと思えるようになった今。
 その言葉を理解できる。
 
 ——あなたがもっと幸せになる所を、見届けてあげられなくて、ごめんね。

 ——私に沢山の幸せをくれて、ありがとう。

 きっと、それがお母さんの言葉の意味。
 私の幸せを一番に考えてくれていた、お母さんの心。
 
 ……でもね、お母さん。
 やっぱり違うよ。それは、やっぱり私の台詞だ。

 私の幸せを願ってくれて、ありがとう。
 そして。
 お母さんの言葉の本当の意味に今まで気づけなくて、ごめんなさい。

 ……お母さん。私、好きな人できたよ。
 お人形さんみたいに綺麗で、思わず感動しちゃうほど絵が上手で、こんな私と何回でも友達になってくれるほど優しい。
 真面目になるとちょっと怖くて、でも、見てると私まで楽しくなる笑顔をくれるような人。
 
 私の幸せは、その子の幸せだから。
 私の幸せを自分の幸せだと言ってくれたお母さんのためにも、自分の幸せのためにも。
 その子をこれ以上悲しませるわけにはいかないの。
 だから、この悪夢を、乗り越えなきゃ。

 ふと思った。
 もしここまで理解出来ず、決心も無いまま、この事故の記憶が私の中で生きていたら。
 きっと、私の心は壊れてしまっていただろう。
 自分の罪も、お母さんの死も。
 許せず、乗り越えられず、何も出来ないまま、多分心が砕け散っていた。
 この繰り返される記憶喪失が、多分私の心をすんでの所で守ってくれていたのだ。

 だからもしかしたらそれは、お母さんが私を守るために最後に残してくれた、愛の形だったのかもしれない。

『もう、大丈夫なの?』

 お母さんの声ではあるが。
 おそらくこれは、私自身との対話。
 
——うん。大丈夫だよ。だって、私には真璃がいるから。これからは真璃と、真璃との思い出が、私を守ってくれるから。

 だから。

——今まで、ありがとう。お母さん。


          ◆ ◆ ◆ ◆ 


「美桜……」
 声がする。
 泣きそうな声。 
 私を、呼ぶ声。

 目を開けると、白い床があった。聞こえるのは無機質で甲高い、心電計の音。
 手には、少しだけ骨ばっているけど、柔らかくて温かい感触。
 目の前のベッドに寝ている、誰かの手を握ったまま、私は白くて冷たい床にへたり込んでいた。

「美桜……っ」

 知っている。この声。この手。
 私に幸せをくれる人。
 私が幸せにしたい人。

 私の————大好きな人。

 その手を握りしめて、顔を上げる。
 足に力を入れて、ゆっくり立ち上がる。
 自然と瞳から涙が溢れる。
 そして、ベッドの上から何度も名前を呼んでくれていた、その子に伝える。
 私との約束を果たすために、頑張ってくれた、その子に。
 精一杯の感謝と、愛しさを込めて。
 
「————また、逢えたね。真璃」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】【ママ友百合】ラテアートにハートをのせて

千鶴田ルト
恋愛
専業主婦の優菜は、夫・拓馬と娘の結と共に平穏な暮らしを送っていた。 そんな彼女の前に現れた、カフェ店員の千春。 夫婦仲は良好。別れる理由なんてどこにもない。 それでも――千春との時間は、日常の中でそっと息を潜め、やがて大きな存在へと変わっていく。 ちょっと変わったママ友不倫百合ほのぼのガールズラブ物語です。 ハッピーエンドになるのでご安心ください。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

君は恋人、でもまだ家族じゃない

山田森湖
恋愛
あらすじ 同棲して3年。 毎朝コーヒーを淹れて、彼の寝ぼけた声に微笑んで、 一緒に暮らす当たり前の幸せを噛みしめる——そのはずだった。 彼女は彼を愛している。 彼も自分を愛してくれていると信じている。 それでも、胸の奥には消えない不安がある。 「私たちは、このまま“恋人”で止まってしまうの?」 結婚の話になると、彼はいつも曖昧に笑ってごまかす。 最初は理由をつけていたのに、今では何も言わなくなった。 周囲の友人は次々と結婚し、家族を持ち始めている。 幸せそうな写真を見るたび、彼女の心には “言えない言葉”だけが増えていく。 愛している。 でも、それだけでは前に進めない。 同棲という甘い日常の裏で、 少しずつ、確かにズレ始めているふたりの未来。 このまま時間に流されるだけの恋なのか、 それとも、家族へと歩き出せる恋なのか——。 彼の寝息を聞きながら、 彼女は初めて「涙が出そうな夜」を迎えていた。

余命僅かな大富豪を看取って、円満に未亡人になるはずでした

ぜんだ 夕里
恋愛
傾きかけた家を救うため、私が結んだのはあまりにも不謹慎な契約――余命いくばくもない大富豪の辺境伯様と結婚し、彼の最期を穏やかに看取ることで莫大な遺産を相続する、というものだった。 しかし、人の死を利用して富を得るなど不正義! そう考えた私が立てたのは、前代未聞の計画。 「そうだ、遺産が残らないくらい贅沢の限りを尽くしてもらえば、すべて丸く収まるじゃない!」

完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています

オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇ 「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。 14回恋愛大賞奨励賞受賞しました! これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。 ありがとうございました! ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。 この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)

氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁

瑞原唯子
恋愛
王命により、アイザックはまだ十歳の少女を妻として娶ることになった。 彼女は生後まもなく始末されたはずの『厄災の姫』である。最近になって生存が判明したが、いまさら王家に迎え入れることも始末することもできない——悩んだ末、国王は序列一位のシェフィールド公爵家に押しつけたのだ。

処理中です...