またここで君と逢いたい

きおかわ ひつじ

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5章 此花美桜 3

今まで、ありがとう

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 ……あの日。
 私のせいで、お母さんは死んだ。
 車の下敷きになって火に包まれていくお母さんの姿が、私の心のどこかで何かを焼き切った。
 ——そして私は、自分の罪の重さに耐えられず、その記憶を手放すことを選んだのだ。

 今回だってほら。もうそこまで来ている。
 あの悪夢のような出来事が、私の記憶に手をかけている。
 思い出してしまったこの悪夢を封印するために、私の記憶も一緒に封印されてしまうんだ。
 
『美桜』

 真璃の声がする。
 私の大好きな人の声。
 私と何度も友達になってくれて。……多分、ずっと私の事を支えてくれてた人。
 このまま記憶を手放せば、また真璃の事を忘れてしまう。
 やっと自分の気持ちに気付けたのに、振出しに戻ってしまう。
 そんなのは嫌だ。
 
 ……嫌だけど。
 この悪夢は、あまりにも私の心を蝕み過ぎている。
 私には、これを受け入れられるほどの心の力が無い。
 ……無理だよ。これをこのまま私の中に残すのは。
 きっと私は耐えられない。
 
 真璃の声が遠くなっていく。
 真璃の顔が、真璃のいた景色が、段々ぼやけていく。
 ああ、消えてしまう。
 真璃との思い出が、また奪われてしまう。
 少しずつ、何も知らない私に戻される。

 ………………。

 ……どうしよう。
 凄く嫌だ。
 忘れたくない。
 真璃の事も、真璃への想いも。
 もう失いたくない。

 ……思い出したくない。
 事故の事を。お母さんの死を。
 あんな記憶を私の中に残していたら、私の心はどうにかなってしまう。

 相反する二つの気持ちが、ギリギリの所でせめぎ合っている。
 どうすればいい?
 私は……、どうすればいいの……?
 誰か——。

『みぃちゃん』
 
 また声がする。真璃じゃない。
 これは、——お母さんの声。

『みぃちゃん。……ごめんね』

 覚えている。お母さんの最後の言葉。
 私をかばって車の下敷きになって。
 最後の最後で、そんな事を言ったんだ。

 ……なんで、私なんかに謝るの?
 お母さんが死んじゃう原因を作った私に、どうして謝ったの?
 違うでしょ。それは私の台詞だよ。
 「ごめんなさい」は、私からお母さんに言わなきゃいけない言葉なのに。

『みぃちゃんの幸せが、お母さんの幸せなんだよ』
 
 お母さんの声が響く。
 ああ、これは。確か、私がまだ小さかった頃。
 何気ない会話の中で、お母さんが私に言ってくれた言葉。
 あの時の私は、この言葉の意味をあまり理解出来ていなかった。
 他人の幸せを自分の幸せに置き換えるという発想が、小さい頃の私には出来なかったからだ。
 
 でも、今なら少しは理解できる。 
 真璃が幸せになってくれるなら、私はなんだって差し出せる。
 だって、真璃が私の隣で笑ってくれる事が、何よりも嬉しい。
 ……いや、私の隣じゃなくたっていいんだ。
 真璃が笑ってくれるなら、とにかくなんだっていい。

 きっと、そういう事だ。人を愛するというのは。

『みぃちゃんは、将来どんな人を好きになるのかなぁ』

 これは、小学生の低学年くらいの頃。
 何かの流れで、「大切な人」についての話になった時、お母さんが言った言葉。
 あの時のお母さんは、そんな事を言いながら楽しそうに笑っていたっけ。
 多分これも、未来の私の幸せを想像して、笑っていたんだ。

 ……そう。
 お母さんは、いつも私の事を考えてくれていた。
 私の事を、一番近くで見守ってくれていた。

『みぃちゃん。……ごめんね。————』

 再び、あの言葉が聞こえた。でもなんだろう。
 まだ何か聞こえた。
 あの時。火に包まれる前に、お母さんはもう少し何か言っていた。
 
 もう見たくもないその時の映像を、もう一度再生する。
 耳を澄ませ。思い出せ。お母さんの、本当の最後の言葉を。
 
『みぃちゃん。……ごめんね。————ありがとう』

 それが。
 お母さんの、最期の言葉だ。
 お母さんはこんな私に謝って、感謝までしていた。
 
 自分の幸せは、愛する人の幸せだと思えるようになった今。
 その言葉を理解できる。
 
 ——あなたがもっと幸せになる所を、見届けてあげられなくて、ごめんね。

 ——私に沢山の幸せをくれて、ありがとう。

 きっと、それがお母さんの言葉の意味。
 私の幸せを一番に考えてくれていた、お母さんの心。
 
 ……でもね、お母さん。
 やっぱり違うよ。それは、やっぱり私の台詞だ。

 私の幸せを願ってくれて、ありがとう。
 そして。
 お母さんの言葉の本当の意味に今まで気づけなくて、ごめんなさい。

 ……お母さん。私、好きな人できたよ。
 お人形さんみたいに綺麗で、思わず感動しちゃうほど絵が上手で、こんな私と何回でも友達になってくれるほど優しい。
 真面目になるとちょっと怖くて、でも、見てると私まで楽しくなる笑顔をくれるような人。
 
 私の幸せは、その子の幸せだから。
 私の幸せを自分の幸せだと言ってくれたお母さんのためにも、自分の幸せのためにも。
 その子をこれ以上悲しませるわけにはいかないの。
 だから、この悪夢を、乗り越えなきゃ。

 ふと思った。
 もしここまで理解出来ず、決心も無いまま、この事故の記憶が私の中で生きていたら。
 きっと、私の心は壊れてしまっていただろう。
 自分の罪も、お母さんの死も。
 許せず、乗り越えられず、何も出来ないまま、多分心が砕け散っていた。
 この繰り返される記憶喪失が、多分私の心をすんでの所で守ってくれていたのだ。

 だからもしかしたらそれは、お母さんが私を守るために最後に残してくれた、愛の形だったのかもしれない。

『もう、大丈夫なの?』

 お母さんの声ではあるが。
 おそらくこれは、私自身との対話。
 
——うん。大丈夫だよ。だって、私には真璃がいるから。これからは真璃と、真璃との思い出が、私を守ってくれるから。

 だから。

——今まで、ありがとう。お母さん。


          ◆ ◆ ◆ ◆ 


「美桜……」
 声がする。
 泣きそうな声。 
 私を、呼ぶ声。

 目を開けると、白い床があった。聞こえるのは無機質で甲高い、心電計の音。
 手には、少しだけ骨ばっているけど、柔らかくて温かい感触。
 目の前のベッドに寝ている、誰かの手を握ったまま、私は白くて冷たい床にへたり込んでいた。

「美桜……っ」

 知っている。この声。この手。
 私に幸せをくれる人。
 私が幸せにしたい人。

 私の————大好きな人。

 その手を握りしめて、顔を上げる。
 足に力を入れて、ゆっくり立ち上がる。
 自然と瞳から涙が溢れる。
 そして、ベッドの上から何度も名前を呼んでくれていた、その子に伝える。
 私との約束を果たすために、頑張ってくれた、その子に。
 精一杯の感謝と、愛しさを込めて。
 
「————また、逢えたね。真璃」
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