25階。このふざけたゲームを終わらせて

緋島礼桜

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残り10時間30分26秒

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 ギンジロウとクルミは今、そろって正座していた。
 こんな場所で、とも思ったが、二人にとって大事な話のときはいつもそうしているのだろう。
 ただ奇妙なのは、ギンジロウが床に正座しているのに対し、クルミはなぜか椅子の上で正座していることだ。これではどちらが上なのか下なのか、さっぱり分からない。

「……クルミさん、これは一体どういうことなんですか?」

 本来なら立場は絶対に上であるはずのギンジロウが、弱々しく問いかける。
 一方のクルミは、ふんぞり返って鼻で笑った。

「ちょっとホスト遊びをしていただけでしょ。別にあなたのお金に手をつけたわけでもないし、悪いことでもないんだもの。文句ないでしょ?」

 反省の色は一切なし。むしろ自分を正当化しようとしている。
 だとすれば、この正座に何の意味があるのか――。
 ……というより、俺たちは本当にこの場に立ち会っていていいのだろうか。

「かつての名女優が今やホスト遊びざんまい……これは高く売れそうだな」

 不謹慎にパシャパシャとカメラのシャッターを切るシガを、クルミは射抜くように睨みつける。

「見世物じゃないわ!」
「す、すみません……」

 なぜかギンジロウが代わって頭を下げていた。

「あのー、ちょっといいっすか?」

 と、ここで挙手したのはシンヤだった。

「クルミさん、”夫にはちゃんと説明してあって理解してもらってる”って前に言ってたっすよね。だから俺、スゲー包容力ある旦那さんだなって感心してたんすけど……実は言ってなかったんすか?」

 余計なことを言ったのでは、と気まずそうなシンヤ。
 なるほど、だからあれほどポロポロ喋っていたのかと俺も納得する。
 するとクルミは急に表情を変えて叫んだ。

「そんなことないの! 悪いのは私! 強がって嘘ついちゃっただけなの、ごめんなさい!」

 正座もやめ、シンヤにすがりつくクルミ。その姿はもはや名女優ではなく、一人の恋する女性だった。

「寂しい女って思われたくなくて……でも本当は寂しかったの。ごめんなさい、ウコンくん!」

 その訴えはまるで一本のドラマを見ているようで。これが本心なのか演技なのか、俺には分からない。
 ただ、俳優志望の俺としては、少しだけ尊敬すら覚えてしまう。

「謝る必要ないっすよ。俺の方こそ”姫を気持ちよくさせる”のが仕事なのに、逆に苦しめちゃって……ごめん」

 自然に頭を撫でる仕草は、さすがホストだと感心する。
 あれほどヒステリックだったクルミを、こうも簡単に宥められるとは――まさに手練れだ。

「……そういうわけで、私は彼が必要な存在なの。だから、あなたも理解してくれるわよね?」

 それは要するに、ホスト遊びを認めろ。ということか。

「いくらなんでもそれは……」

 可哀想じゃないか。俺は思わずそう言いかけたのだが。

「他人事に口を挟まないで!」

 とクルミに一蹴され、黙り込むしかなかった。



「——そうですね」

 しばらく沈黙していたギンジロウが、ようやく重い口を開いた。
 受け入れてしまうのか……気弱な性格だし仕方ないのか、と俺は息を呑む。

「丁度いい機会です」

 そう言ってギンジロウが取り出したのは、一枚の紙だった。
 俺は身を乗り出して用紙を眺める。

「それって、もしかして……離婚届ですか?」

 その紙に誰より目を丸くしたのはクルミだ。

「え……え……?」
「銀婚式の記念で出すのは、と躊躇っていましたが……今なら吹っ切れます。これを機に離婚させてください」

 深々と頭を下げるギンジロウ。その姿に先ほどまでの気弱さはない。

「だって……あなた、私のこと大好きだって……」
「はい」
「今でもずっと好きだって言ってくれてたじゃない!」
「はい。これまでも、今も、これからも。クルミさんの自由奔放さも、気高さも、全部ずっと大好きです」

 じゃあ、なぜ離婚なのかとクルミは固まる。
 動揺する彼女を、ギンジロウは真っ直ぐに見つめた。

「今の私じゃあ、クルミさんを支えられなくなりました。昔はあなたに振り回されるのも楽しかった。ですが……この歳では、もう耐えられる自信がなくなってしまったんです」

 だから、別れてください――ギンジロウのそれは、懇願にも近い声だった。

「いやよ! 私を射止めたとき言ったじゃない! 一生面倒見るって!」

 子供のようにかぶりを振って叫ぶクルミ。
 だがやがて、自分の稚さに気付いたのか、静かに頷いた。

「……わかった。この騒動が終わったら、書いてあげるわ」

 そう言って彼女はシンヤの腕を引っ張る。

「ウコンくん、少しだけ付き合ってくれない……?」
「いいっすよ。その代わり、次に店来たときはシャンパン入れてくださいっすね」

 二人はそう言い合いながら去っていった。



 残されたギンジロウは、俺たちへ苦笑いを浮かべた。

「……すみません。お見苦しいところを」
「いえ、その……俺が言うのもなんですが、本当に良かったんですか?」

 俺の視線が、つい彼の手にある離婚届へと向かう。

「正直、良かったかどうかは分かりません。後で間違いだったと後悔するかもしれません。でも……」

 今にも泣き出しそうな笑顔のまま、それでも彼は気丈に振る舞った。

「それでも、この選択に後悔はないと、私は確信していますので」

 そう言ってもう一度頭を下げ、ギンジロウはクルミたちとは別方向へ去っていった。



 ――ワガママなクルミと別れられて良かったじゃないか、と傍目には見える。
 だがギンジロウの横顔には、そんな単純なものではない思いが浮かんでいた。
 きっとそこには、二人にしか分からない複雑ながあったのかもしれない。

「後悔のない選択、か……」

 俺は、誰に言うでもなく小さく呟いた。


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