そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第二篇 ~乙女には成れない野の花~

19連

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「早速…これを受け取って欲しい」

 そう言ってフェイケスは懐から小さな袋を取り出した。
 薄い灰色の袋を開けると、そこからペンダントが姿を見せる。

「…」

 エミレスは無言のまま、それを凝視する。
 そのペンダントは至ってシンプルな作りで、銀製のチェーンに水晶らしき石がトップにあしらわれているのみ。
 フェイケスは丁寧に止め具を外し、彼女の首へと回した。

「きつくないかな?」
「…ええ、大丈夫」

 指先よりも小さな水晶玉が彼女の胸元で淡く光る。
 決して可愛いともオシャレとも言えないペンダント。
 だがその贈り物にはぎこちないながらの温かみをエミレスは感じた。

「古臭いものでごめん…けど一族に代々伝わる家宝のものなんだ」
「えっ、それってイニムの宝…フェイケスにとっても宝物じゃ…?」

 フェイケスは無言で頷く。
 エミレスは彼の返答を待つことなく、急いでペンダントを外そうとする。

「ごめんなさいっ、そんな大事な物を私が貰うわけには―――」

 が、彼女の手をフェイケスが優しく制止する。
 静かに頭を振って、彼は答える。

「どうしても君に持っていて貰いたいんだ。これは僕の一族では晶石ロムノーロと呼ばれる稀少なものでね…かつて世界を救った女王アドレーヌ様を包む水晶石…あれと同じ石と言われているんだ」

 フェイケスと重なる手。
 しかし、そのことよりもエミレスの視線は稀少な石だという晶石ロムノーロに釘づけだった。
 優しい輝きがとても心地よく、まるで今は亡き母に抱きついているような感覚を抱く。

「それなら余計に私なんかが持っては申し訳ないわ…」

 友人なった、とはいえ出会ってまだ一月半だというのに。
 ただの話し相手でしかない自分へ渡すには素晴らし過ぎる代物だ。
 そう言ってエミレスはペンダントをもう一度、丁重に返そうとした。
 と、フェイケスはおもむろにエミレスの頬へと触れた。

「君は自分を卑下し過ぎだ」

 突然の感触と温もりに思わずエミレスは硬直してしまう。
 声にならない声。
 しかしそれが悲鳴ではないと、彼女自身は自覚している。

「君が思っている以上に、僕は君に救われたんだ…エミレスが話し相手になってくれたこの一月半、とても楽しかったんだから」

 ありがとう。
 その言葉にエミレスの心は急速にざわつき始める。
 全身の血の気が引き、自分の体温が感じられなくなる。
 まるで、別れのような彼の言葉が耳に残り続ける。

「フェイケス…それって……」

 無言のまま、視線だけは真っ直ぐにエミレスを見つめるフェイケス。
 ポツリポツリと曇天の空から雨粒が降り始めてくる。
 
「急な仕事が入ったから戻ってこいという書が届いてね…今日にも街を出て行くことになった」

 次第に雨音は激しさを増し、二人の身体を濡らしていく。
 ポタリ、と、エミレスの髪先から雫がこぼれ落ちる。

「うそ…もう、会えないの…?」

 思わず出てしまった本音。
 彼が各地を渡り歩いている商人だと聞いていたときから、解っていた事実。
 いつかは来るべき別れ。
 次に会えるのはいつになってしまうのか。
 色々な思考が頭を巡り、エミレスの呼吸は次第に浅く早まっていく。

「そんなことはない。空に天候があるように人の出会いも風任せ運任せだ」

 いつかまた、会える。
 力強い言葉で、フェイケスはそう告げる。
 と、彼は雨によって濡れていくエミレスを見兼ねて自身のコートを脱いだ。
 そしてそれを彼女の肩へと羽織らせる。

「結局濡らしてしまった…ごめん」

 謝罪と同時に顔を俯かせたフェイケス。
 彼はそれからずっと、エミレスと視線を合わせてはくれない。

「でも、あの…」

 動揺による混乱で上手く言葉が出ないエミレスは唇だけ、虚しく動かす。
 が、彼女が何かを言うよりも先に、フェイケスが踵を返してしまった。

「ごめん…もう時間だ。それじゃあ」

 あっさりとした別れの言葉。
 またいつか会えると信じているからこそなのかもしれないが、エミレスにとっては悲しみと寂しさを突き刺す刃でしかなかった。

「あっ…」
 
 エミレスの伸ばした手は虚しく空を掴む。
 フェイケスはそのまま走り去ってしまい、彼女へと振り返ることはなかった。
 行き場所を失った指先は、おもむろに自身の胸元―――贈り物のペンダントを掴む。
 コートによって幾ばくか温かくなったはずの身体。
 しかし一向に全身は冷たいままで。
 唯一、ペンダントの装飾である水晶だけが、温もりを感じた。

「フェイケス…」

 衝撃、混乱、後悔。
 様々な感情が入り乱れていく中で、エミレスは消えていった彼の背を思い浮かべ、いつまでも見送る。
 そうして最後に浮かび上がってきた一つの心残り。

「ありがとうって言えなかった…」

 雨音によってかき消されてしまうほど小さな声の大きな悔やみ。
 目頭が徐々に熱くなっていくのに、涙が流れ落ちることはなく。
 締め付けるような謎の胸痛にエミレスは暫く、その場で立ち尽くしていた。






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