そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

文字の大きさ
180 / 365
第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~

2案

しおりを挟む
   






 ―――だが、キ・シエだけはそれでもだめだと、思っていた。
 彼は老人へ歩み寄り、深く頭を下げた。

「…頼みがありますヲーニイーア。僕を、外に出してください」
「なっ!?」
 
 驚いたのは長である老人だけではない。
 周りに居た女子供はもちろん、キ・ネカも驚きに目を見開かされる。
 キ・ネカは老人から腕を放し青年と向き合った。

「だめよ! 近くに奴らが来ているかもしれない…そんな所へ出てしまったらあなたは…!」

 飛び付き、キ・シエの腕にしがみ付くキ・ネカ。
 暗闇の中であったが、涙を流していることは容易に想像出来た。
 彼女が涙もろいことはよく知っていた。
 キ・シエは心を痛め、眉を顰める。
 しかし、だからといって彼女の涙に負けて此処に残るわけにはいかない。

「この洞穴も完全に安全であるとは言えない。奴らが見たこともない力を使ってくるやもしれない…」

 キ・シエの発言はロムの力を疑っているものともとれた。
 本来ならそれはイニムの教えに反する発言であったが、今重要なのはそこではなく。
 長は彼の失言を聞き流し、そのまま静観を続ける。

「だから、出来るだけ此処から奴らを遠ざけてこの洞穴を…避難している仲間を守りたいんだ」
「そんなことしなくたって良い!」
 
 彼は自らの命を犠牲にしてでも、仲間を―――彼女を守ろうとしていた。
 そしてそれが解っているからこそ、キ・ネカは何が何でも彼を止めようとしている。
 服袖を力強く引っ張り続け、涙ながらに彼女は訴える。

「お願い…私と一緒にいて…」

 泣き崩れ、その声は洞穴内に響き渡る。
 キ・シエはそんなキ・ネカを優しく抱き寄せた。
 互いの鼓動が聞こえるように、力強く。


 



「愛しているよ…キ・ネカ」

 そっと、囁くように呟いた。
 彼女の引く力が、徐々に弱まっていく。

「僕は君に生き残ってもらいたいんだ…これから生まれる我が子のためにも」

 彼の言葉にキ・ネカは目を丸くする。

「気付いてたの…?」

 驚きながら彼女はキ・シエと視線を交える。
 その暗闇の中でも映える、大輪の花のような真っ赤な双眸を見つめながらキ・シエは微笑む。

「なんとなくだけどね…」

 と、彼はキ・ネカの腹部へ優しく手を添える。
 まだ大きくは無いそのお腹には、二人の愛の結晶が宿っている。彼らにとってそれは何よりも尊くて守りたいものであった。

「…だからこそ行かせてくれ…大丈夫、必ず生きて帰ってくると約束するから」

 静かに、そして優しくそう語るキ・シエ。
 だがその言葉とは裏腹に、彼の双眸には強い覚悟が覗いていた。この命に代えても愛しい者たちを守ろうとする、最期の覚悟であった。
 彼女はしばらくの沈黙の後、根負けしたように小さく頷いた。

「……わかったわ…でも、必ず生きて帰って来るって約束して! 大地を監視せし父神ヘーニヤ・ネロー二に!」
「うん、約束する。大地を監視せし父神ヘーニヤ・ネローニに…」

 キ・シエはもう一度笑顔を見せた後、長の方へと視線を移した。
 老人も渋々と言った様子であったが、了承してくれたらしく静かに頷いた。

「お前の賢さは我が集落でも随一…だからこそ、無謀なことだけは考えぬように」
「わかっています」

 そう言うと老人は岩肌に両手を当て、何かを念じ始めた。
 先ほどから行われていたそれは『ロムへの祈り』と一族では呼ばれており、ロムの力を借り、意のままに操ることが出来るという御業だ。
 だが、その祈りは『ロム使い』と呼ばれる選ばれた者にしか許されておらず、この集落で『ロム使い』は長だけであった。

「絶対に生きて帰って来て!」

 低く轟く音と共に洞穴の岩戸が開き、そこから光が射し込み始める。
 朱く黄色く白くも見えるその明かりの彼方へと、キ・シエは歩き出していく。

「この子のためにも…私のためにも……お願いだから…」

 振り絞るようなキ・ネカの、か細い声が耳に届いてしまった。
 そんな彼女の方をキ・シエは振り返ることが出来なかった。
 この選択に悔いがないと言えば嘘になるからだ。
 だからこそ、キ・シエは愛する妻の顔も見ることなく、開かれた岩戸の向こうへ急ぎ飛び出て行った。
 後悔のないように。
 これが正しい選択だったと思えるように。
 そうしてキ・シエが出たことで再度、岩戸が閉じられていく中。
 その遠く洞穴の奥から、最後にキ・ネカの声が聞こえてきた。

「愛してるわ、キ・シエ!」

 






    
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。 でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。 それを証明すれば断罪回避できるはず。 幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。 チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。 処刑5秒前だから、今すぐに!

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

ひめさまはおうちにかえりたい

あかね
ファンタジー
政略結婚と言えど、これはない。帰ろう。とヴァージニアは決めた。故郷の兄に気に入らなかったら潰して帰ってこいと言われ嫁いだお姫様が、王冠を手にするまでのお話。(おうちにかえりたい編) 王冠を手に入れたあとは、魔王退治!? 因縁の女神を殴るための策とは。(聖女と魔王と魔女編) 平和な女王様生活にやってきた手紙。いまさら、迎えに来たといわれても……。お帰りはあちらです、では済まないので撃退します(幼馴染襲来編)

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

処理中です...