そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~

4案

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「ぐあぁあああっ!!!」

 激しい痛みにキ・シエは声を荒げた。
 紅い鮮血は彼の左肩から止め処なく溢れ出る。
 キ・シエは激痛の余りその場に倒れてしまった。

「ネフ族の男は脆弱だ。腕一本取られたくらいで断末魔を上げるか……」

 女性軍人はそう言うと、足元に転がったを掴み上げてみせる。
 は先ほどまでキ・シエの左腕だったものだ。

「これで、断末魔を…上げない…人が、いるな…ら…是非とも見せてもらいたい、ですよ……」

 圧倒的不利な状況であるが、それでもキ・シエは必死に悪態を吐き、女性軍人を睨む。
 黒煙と黄昏、鮮血を浴びた女性軍人のその姿は、まるでおとぎ話に出る怪物そのものだと、キ・シエは思う。

「…皮肉を返す元気はあるようだな。そんなネフ族は貴殿が初めてだ」

 そう言って笑う女性軍人。
 その微笑すら今のキ・シエには恐怖を増長させるものでしかない。
 
(まだ駄目だ…もっとここから遠くへ逃げなければ……キ・ネカたちの…ためにも…!)

 奥歯を食いしばり、キ・シエは体を起こそうとした。
 が、思うように力が入らず、立ち上がれそうにない。
 身体の末端から冷えていく感覚が、眩暈のような感覚が、彼を襲う。
 それでも決死の思いでもがき抗うキ・シエ。
 しかしそんな彼へ、無情な顔で女性軍人が近付いてくる。
 彼女が構えるその夕焼けに輝く紅い剣が目に入ってしまえば、キ・シエは覚悟を決めた。

(……ここまでか…)

 




 ―――しかし。
 女性軍人は布きれを取り出すとその剣に付いた血液をふき取り、鞘に戻した。
 布きれは宙を舞い、地面へ捨てられる。
 そうして、何もなかったかのように女性軍人は踵を返した。

「……なぜっ!?」

 キ・シエは痛みを堪え、思わず叫んだ。
 叫ばずにはいられなかった。

「何故、止めを刺さない…のですか…!?」

 彼は知っていた。
 彼らは知っていた。
 という虚言と真相を。

「知っているんですよ! 貴女方は…我らイニムを国外追放すると言っておきながら…実際は我らの命を奪い尽くし…根絶やしにしようとしているんだと!」

 メイビン宣言という御触れが出た時代当初は、言葉通りにネフ族を国外追放としていたのかもしれない。が、今では捕えたネフ族は老若男女関係なく、即処断されているという。それが里の中にいても聞こえてきた噂だった。
 そうして、現にこの隠れ里の状況が何よりの証拠だった。
 見知った顔は全て亡骸となっており、生きて捕えられている者など一人もいないようだった。

「だったら…僕も同じようにすれば良い! 仲間も何もかも失った僕には…もう何もないのだから!」

 その言葉は咄嗟に出た嘘だった。
 失いたくない大切なものは、まだ生きて残されている。
 だからこそ、キ・シエは『全て失った』と嘘を吐き、この里にはもう何もないのだと思わせたかった。
 自分の他にはもう誰も、生存者はいないと彼女に仄めかしたかった。




「……もう、それは望まない…」

 だが。それでも、女性軍人は何故かキ・シエに止めを刺そうとしない。
 彼女の呟いた言葉は生憎と周囲の騒音によってキ・シエの耳には届かなかった。
 と、彼女は軍服を翻し、そのまま彼の前より去ろうとする。
 


 このままでは他の生存者を探されてしまう。
 キ・ネカたちを見つけてしまう。それだけは許されない。
 何が何でも彼女を引き留めなくてはならない。
 そう思うものの、キ・シエの意識は徐々に朦朧としてきていた。
 呼吸だけで精一杯となり、未だ止まない激痛に上手く声も出せなくなる。

「ま、待って―――」

 と、そのときだった。
 刹那だけ、キ・シエはロムによる空気の変化を感じた。
 そんな能力が彼に備わっていた、わけではないのだが。
 それでも彼は感じたのだ。
 チリチリと肌に突き刺さるような、淀んだ空気の変化を。
 
 



 ―――ドオォン。
 その轟音は突然、脈絡もなく鳴り響いた。
 大きな物体が、崩壊するような、爆発するような音だった。

「なっ…何事だッ!?」

 それから間もなくして、その爆発による粉塵と爆風が二人のもとへ届く。
 爆風に煽られた女性軍人は思わず両腕で身構え、轟音のした方を向く。
 キ・シエも同じくその方角へと視線を向けたが、彼の場合、その表情は違った。

「……キ・ネカ…?」

 爆発らしき轟音のした方向には、キ・ネカたちが避難していた洞穴があった。
 偶然であってくれと。
 まさか、そうではないと願い祈るキ・シエ。
 だが、次の瞬間。
 晴れているはずの暮れなずむ空から、雨が降った。
 鮮血を流す程の雨―――それは水飛沫だった。
 爆発によって崩壊した滝の、それが爆ぜた飛沫だった。

「まさか…キ・ネカ……キ・ネカ…」

 朦朧としていたはずの意識は鮮明に戻り、代わりに全身の痛みが忘れられていく。
 信じたくはない憶測だったが、しかしキ・シエは嫌でも感じ取っていた。
 あの洞穴に何かあったのだと。
 キ・ネカたちの身に何か起こったのだと。
 それから最悪の想定が頭を過った瞬間、キ・シエは声を上げた。

「キ・ネカアアアァーーーっ!!!」








    
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