そして、アドレーヌは眠る。

緋島礼桜

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第三篇 ~漆黒しか映らない復讐の瞳~

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 ケモチ川に沿って上流へ進むこと半日。ヤヲたちはニンガの村へと辿り着く。
 二人の目的地であるヒュモの滝は、そこから更に半日ほど歩いた先に存在していた。
 本来ならば鬱蒼と生い茂る藪地のせいで、半日ではなくもっとずっと時間が掛かっていたはずだった。
 だがその道中、邪魔だったろう草木は悉く刈り取られており、踏み荒らされた痕跡がまるで道標のようになっていた。

「―――まさか…こんなことになっていたなんて…」
「おそらく手当たり次第に隠れ里を探したのね…しまいには火で邪魔な緑を燃やしてまで…」

 そう言ってリデは周囲の森林だっただろう場所を見渡す。
 緑豊かだったろうその森は野焼きのせいで焼け焦げてしまっており、すっかり寂しくなった山肌を晒していた。
 あれから半月以上経っているはずなのに、木々の焦げた臭いが未だ周囲から漂っているようだった。

「でも…何よりも恐ろしいのは……」

 リデはおもむろに視線を正面へと戻す。
 彼女とヤヲの眼前に広がる光景。
 そこは本来ならばヒュモの滝が清らかな水を打たせ、虹を作っていたはずの場所。
 しかし、今やそこにはそんな美しい光景はなく。
 あったのは砕かれた残骸の岩々の山と、その隙間を縫うように零れ落ちていく水。
 今目の前にあるそれは、最早お世辞にも滝と呼べるものではなくなってしまっていた。
 
「酷い……」

 想像とかけ離れたその景色に、ヤヲだけでなくリデまでもが驚愕し言葉を失った。

「…伝説のシトトーコムが」

 ようやく出たリデの声は、微かに震えていた。
 だがそれも無理は無い。彼女は道中ずっと、この滝を楽しみにしていたようなのだから。
 と、リデは静かに歩き出し、更に辺りを見渡す。
 如何ほどのものが彼女に見えているのかは分からないが、それでも感じ取れるものはあるのだろう。
 
「こんなにも簡単に…壊れるものなのか……自然は…」

 そんな彼女の一方で、ヤヲもまた目の前の光景に平常心ではいられず、思わずそう呟く。
 川辺に転がっている岩の数々は、元々滝の一部だと思われた。その証拠にその岩々には焼け焦げた苔が張り付いていた。
 緑というよりは灰色のような世界と化したその光景に、あの日ヤヲが見たものはもう何一つ残されていなかった。

「壊れるものよ、自然も…人だって……」

 と、耐え切れず目を背こうとしたヤヲに、リデの言葉が聞こえ、視線を彼女へと移す。
 彼女はいつの間にか滝だったはずの岩山に立ち、その眼下を眺めていた。
 リデが見つめる先には、崩壊したそれにも負けず下ろうとする水流が、その先に続く川があった。
 変貌してしまったこの景色の中でも、唯一この流れだけは逞しくも先に向かって進んでいた。
 そうした水の勢いは崩れた岩や砂塵、土などを流していき、やがて再び元のようにせせらぐ川へと戻していくのかもしれない。

「でも……自然だって人だって…壊れても直ることはできるわ。随分と時間と気力がいるでしょうけどね」
 
 何時に無く低い声でリデはそう呟き、岩肌から零れ落ちていたその水を掬った。
 確かに土と泥で濁った水も、いつかは再び清らかな水へと戻ることも可能だろう。
 しかし、汚れきってしまった人は、砕けてしまった人は、いなくなってしまったものは、二度と元通りにはならない。
 そう思い、ヤヲは人知れず自身の手を強く握り締めた。
 




 こうしていつまでも呆然と、目の前の光景を見ていても、何かが変わることはない。
 そう思ったヤヲはおもむろに、近くにあった岩を動かし始めた。

「何をするの?」
「ちょっと…ね」

 みんなのお墓を作ろうと思って。
 そんな嘘が彼女に通じるか通じないかは、わからない。
 だが、ヤヲはどうしても目の前の岩々を、泥を、瓦礫を、退かさずにはいられなかった。
 もしかするとこの場所の何処かに、最愛の人が、その服の端だけだとしても、紛れているかもしれないと思ったのだ。

「ねえ…その洞穴にはどのくらいの人が隠れて居たの?」

 リデがヤヲの隣へと並ぶ。
 そして、彼女も近くの石を退かし始めた。
 女性には重労働なはずだが、それを感じさせないほどに彼女の声は至極落ち着いている。

「集落自体は45人程…だが、殆どはアマゾナイトの襲撃の際に死んだ。ここに避難したのはその内の半分程度…皆女子供に老人ばかりだった…」

 今でも思い出される光景が脳裏に過る。
 暗く、湿った空間で身を寄せ合って怯えている里の子供や老人、女性たちの姿が。

「おそらくだけど…アマゾナイトの奴らはエナの力を使って洞穴を爆発させた…」
「エナを…?」

 詳しい状況は生憎とヤヲには知る由もなく。
 だが洞穴が爆発した直後に姿を見せたアマゾナイトが、そのようなことを言っていたとヤヲは記憶している。

「随分と卑劣で外道な方法を使ったようだった…」

 それも、言葉にするのも躊躇われるような方法で。
 そう言いかけてヤヲは口を噤む。
 あんな奴らのせいで、たった一つの悪意のせいで。滝も自然も人もなにもかも―――大切なもの全てを消し去ったのだ。
 動かしていたはずのヤヲの手はいつの間にか止まっており。その悔しさから、彼は振り絞るように別の言葉を吐いた。

「あんなこと…決して許されるものじゃない…」

 


 子供たちはどんな思いで騙され、そして知らずに命を落としたことだろうか。
 苦しかったろう、辛かったろう、無念だったろう、生きたかったろう。
 それに子供たちだけではない。
 女性も、老人も、長も、集落で息絶えた者たちだってそうだ。
 どれほど未練があったことか…計り知れない。
 ヤヲは拳を強く、強く握りしめる。
 掴み持ち上げていた石にヒビが入るほどに。






     
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