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第四篇 ~蘇芳に染まらない情熱の空~
94項
しおりを挟む―――某時刻、王都内。
その通りは通称『市場通り』と呼ばれ、観光客目当ての商人が様々な品を売っている。
通り自体は小さいがそこには地方から取り寄せた生鮮食品や工芸品等までもが並んでおり、王都内でも人気な市場として知られている。
そんな市場通り裏手に広がっているのが、商人たちの住宅街だ。
比較的家賃が安く、そのためあらゆる商人やそれ以外の住民たちもが犇めき合い住まう居住区。
その一角―――とあるアパートに、一人の男が近付く。
市場から離れたそこは喧騒とは打って変わって静寂としている。だがその男はより一層と人目を避けるべくコートのフードを深く被りながら、より慎重に周囲を警戒しつつ一室のドアを叩いた。
「空想は」
ノックの後、扉の向こうから聞こえてきた言葉。その男は迷わずに合言葉の答えを返す。
「無限」
すると、閉められていた扉はゆっくりと開けられる。
そこから誰かが顔を覗かせるよりも早く、訪れたその男は扉を開ける人物の肩を掴んだ。
「おい…こんな非常事態中にこんな場所へ私をわざわざ呼ぶとは…良い度胸だな―――セイラン・ルーノ」
その男に睨まれる青年、もといセイランは穏やかな笑みを浮かべて返す。
「そんな怒ることないじゃないか。それにこんな場所と言うが、君に用があるときなんて本部内で会って話す内容じゃないときだってことくらい、わかるだろ?」
「……人目を避けたいのはわかるが、貴殿の隠れ家はどうにもこうにも入り組んだところばかりに用意していて面倒なのだ。そもそも…『空想は、無限』という合言葉も何なのだ」
一息にまくし立てるその男に対し、セイランは笑顔を崩さないまま自分の胸元に軽く拳を当てて答えた。
「良く聞いてくれたね。その合言葉は何を隠そう妹が4歳のときに言った名言なんだ。その幼い歳でこんな名言が言えるのかと…涙が出るほど感動したものさ」
「はぁ…相変わらずの兄バカだということだけはわかった……」
「ジャスティン」
と、呆れ返り頭を抱えるその男、もといジャスティンだったのだが。彼は突然自分の名を呼ばれて顔を上げた。
「冗談はさておいて、だね」
「冗談だったのか」
「今日わざわざ来て貰ったのは他でもない。君にしか頼めない重要な頼みごとがあるんだ」
急に見せる真面目な視線。その表情の変化にジャスティンは静かに息を呑む。
それから彼は眼鏡を押し上げながら言った。
「ま、まあ来てしまった以上、話を聞くだけ聞いてやるがな」
「ありがとう」
その返答にセイランは微笑み、次いで部屋の奥へと案内した。
部屋の中自体は大して広いものではない。
玄関から続く通路の奥、その部屋へと案内されたジャスティンは、これまでにないほどのしかめっ面で硬直した。
「な―――っ!?」
「……あら、こんなところで出会うなんて奇遇ね…」
その室内には黒髪に黒い衣装、濃色の口紅がひときわ特徴的な青年———ソラたちが懸命に探していたあの男がいた。
室内中央のテーブル前に置かれた椅子に座るジャスティン。
その目の前の席には、何故かロゼが足を組みながら、寛いだ様子で座っていた。
だが、頬杖をつき、ため息をつくその仕草は気まずさ―――と言うよりはジャスティンに遇いたくなかったと物語っているようであった。
「何故貴殿が此処に…と、聞くのは野暮なのだろうな。何せ私と同じくこの男に踊らされている者の一人なのだろうからな」
そう言ってジャスティンはおもむろに眼鏡を外し、懐から取り出した黄色地の布切れで眼鏡を拭き始める。
二人が微妙な空気を漂わせている中、セイランは一人のんびりとお茶の準備を始めた。
「ジャスティンとロゼは既に出会っていたようで。紹介する手間が省けてなによりだよ」
「手間が省けて…とはよく言ったものだな。どうせそうなるよう、仕向けていたのだろうに」
眼鏡を掛け直したジャスティンの鋭い眼光がセイランに向けられる。
しかしそれでも動じる素振りさえせず。セイランは三人分のティーカップに紅茶を注いでいく。
「仕向ける、だなんて人聞きの悪い。俺はただそうなったらいいなあと思っていただけで―――」
と、飄々と語るセイランの手を強引に止めたのはロゼだった。
ポットを持つ彼の手を掴むと、ロゼは真っ直ぐな双眸で尋ねた。
「ふざけるのはそこまでにして。私は一刻も早く目的を果たしに行きたいのよ」
いつになく真面目なその表情に、セイランは静かに吐息を吐き出しながらロゼの手を放す。
「…とりあえず。お茶でも飲みながら各々話をしようか」
そう言ってセイランは至って平穏に、微笑んで返した。
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