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不穏の風が吹く
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しおりを挟むその後もアスレイは屋敷前でティルダが帰ってくるのを待っていたが、結局彼と出会うことは出来なかった。
レンナの話では、おそらく今日は別邸に泊まったのだろうとのことだった。
ティルダは街内や領地内のあちらこちらに別邸を設けている。という話は、レンナが何処からか仕入れた情報だ。
やむを得ずアスレイは、この日は宿へと引き返すことにした。
辺りは暗くなり、街灯が灯り始めていく。
日が沈むと同時に町からは人の気配がパタリと無くなってしまう。
例の噂のせいもあるのだろうが、大人はまだ楽しめる時間だというのにこの静寂さは異常とも思えた。
そこには衛兵団の衛兵たちさえいないのだ。
この町に来た当初は落ち着きのある平和な町だと思っていたアスレイであったが、今では町全体が何かに怯え侵食されていると錯覚してしまうほどだ。
勿論、町の人々全てがそうというわけではないのだが。
「あ…」
宿への帰路でアスレイは偶然人影を見つけた。
ようやく見つけた人の姿だっただけに、思わず驚いたような声を出してしまった。
下り坂突き当りの十字路に現れたその人影は、アスレイに気付く様子もなく直ぐ横切ってしまう。
特別気にする程のことでもなかったのだが、その人は一人で歩いていた。
今のこの町で夜の一人歩きは危険だと思っていたアスレイは、自分も同等であることも忘れ、その人へ忠告すべく後を追いかけた。
急いで駆けただけあり、アスレイは直ぐにその者へと追いついた。
その人は通りから更に危険だろう薄暗い路地裏へ入ろうとしていたところだった。
「夜道の一人歩きは危ないですよ!」
と、呼びかけてから気付いたが、その者はアスレイよりも背の高い男性であった。
更には逞しい体つきに、見覚えのある茶色の短髪。
「…誰に言ってるんだ」
呆れ声で振り向く男性の顔を見て、アスレイは目を見開いた。
「あっ…カズマ…さん!」
男の姿から蘇る記憶。
間違いない、彼は数日前に出会った傭兵のカズマであった。
ティルダに雇われている身である彼と、まさかこんな所で出会うとはとアスレイは驚きを隠せなかった。
「お前は確か……」
「数日前、馬車で出会った…アスレイ・ブロードです」
カズマもまたアスレイのことを思い出したらしく、アスレイを見つめながら「ああ」と息を漏らす。
それから直ぐにその息は嘆息へと変わった。
「お前の方こそその身なりでよく『夜道は危ない』などと言えたものだな」
そう話すカズマの腰には護身用の剣が携えられている。
一方でアスレイは何ら武装のない平凡な姿。
どちらが無防備であるかは一目瞭然であった。
そこでようやく自分の危うさに気付いたアスレイは、返す言葉もなく苦笑を浮かべ、頬を掻くことしか出来なかった。
そんな彼につられたようで、カズマもまた苦笑を見せるとそれからアスレイへ言った。
「仕方ない、俺が宿まで送ってやろう」
カズマの好意を受けアスレイは、彼に宿へと送ってもらうことになった。
宿までの道のりはそれほど遠いわけではなかったが、静寂に包まれている街並みの中を二人きりで歩くというのは若干の気まずさを感じた。
ましてやカズマは顰めた顔のまま、口を開く様子がない。
しかし、このままでは流石に息苦しいと感じたアスレイは、とりあえず頭に浮かんだことを話すことにした。
「カズマさんが忠告していた意味がわかりました…知り合いになった女の子の友人が行方不明になったんです」
直後、カズマの表情が僅かに変わる。
眉間に寄っていた皺が更に寄せられ、同時に鋭い気迫を放つ。
ただ、そんな研ぎ澄まされた双眸をしているというのに、その横顔からは何故か哀愁のようなものをアスレイは感じた。
「カズマさんはどうして夜の町を歩いてたんですか…移動中って感じには見えなかったんですが…?」
不意にアスレイは尋ねた。
夜道を淡々と歩きながら、カズマは答える。
「見回りだ」
内心、やっぱりとアスレイは思う。
確証はなかったがおそらくはと、そんな予感がしていたのだ。
二人の足音が聞こえる中、静かにカズマは話を始めた。
「…以前にも話していたが、俺も知り合いだった奴がある日突然行方知れずになった」
その言葉は今なら信じられると、アスレイは頷く。
「魔女のことは前々から噂にはなっていた。俺も始めこそは昔話だと馬鹿にしていたが、知り合いが消えてからようやくそれが昔話ではないと実感した」
カズマは相変わらず冷淡な態度で端的に話しているようであった。
が、その拳が僅かに震えていたのを、アスレイは偶然見つけた。
「領主様にそのことを訴えなかったんですか?」
「当然訴えた。俺が知っている中で3人が消えていた。後で知ったが他にも似たようにある日突然消えた奴が20人近くいるということがわかった」
その事実を領主ティルダに突きつけたが、彼は失踪者の捜索に乗り出さなかった。
それどころか、彼もまたこう言ったのだと言う。
『これは紛れもない黄昏誘う魔女のせいなんだ』と。
「…奴は変わった。昔こそ領主らしくなろうと躍起になって町の一人一人へ親身になって接していたのに、今では町の外観ばかりを気にして―――」
そう言い掛けて、カズマは我に返ったように突然口を閉ざす。
しばらくとまた沈黙が続いたが、後に彼は「少し喋りすぎた」とだけ小さく呟いた。
アスレイはカズマを見遣り、再度尋ねた。
「カズマさんがこうやって見回りをしているのって、もしかして…被害者をこれ以上出さないためですか?」
アスレイと視線を交えることはなく、カズマは「そうだ」と答える。
二人の歩く速度は、次第にゆっくりと遅くなっていく。
「衛兵団が動かない以上、こうして一人で監視し歩き続けるしかない」
「一人じゃ危険ですよ」
しかし即答でカズマは「大丈夫だ」と告げる。
その目は自信に満ち溢れており、絶対に襲われないと確信しているようにも見えた。
「俺の生まれ故郷にこんな言葉がある」
と、突然そう切り出したカズマは、何処か得意げな顔をして言った。
「『今は一頭の弱い仔犬だとしても、やがてそれは大きな群れの頭犬となる』。つまり、今は独りの見回りだが、いつかそれが他の衛兵たちの心を動かし、皆で町を守ろうとする時が来る。俺はその日が来るようにやり続けていたいんだ」
彼が言った例え。それは大陸南部の山間地域でよく使われる諺であった。
他の地域では滅多に使われない台詞のため、一般的には多くの者が困惑した様子で首を傾げてしまうところだ。
が、アスレイは違った。
「え…カズマさんてもしかしてスレーズ領の生まれ?」
アスレイの言葉を聞いた途端、カズマはアスレイを見遣る。
その顔はまさかと驚いているようであった。
「今の諺はそんなに有名なものではなかったんだが…」
すると今度はアスレイが何処か誇らしげな顔をして答えた。
「俺もスレーズ領生まれなんですよ」
それを聞いた途端、カズマの足が止まった。
「そうなのか」
喜びの含まれる声。アスレイも同様に喜びで思わず顔が綻んだ。
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