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真実と対峙する夜へ

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 衛兵団の彼らから得られなかったその『遺留品』。があれば犯人を突き止めることが可能であると推測していたアスレイ。
 しかしその算段が叶わず。ならばどうやって犯人を問い詰めようかと、彼は頭を抱えながら歩いていた。
 夕日も山向こうへと沈んでしまい街灯の明かりが灯り始めている。
 カズマの一件もあり、現在アスレイの歩いている大通りには人の姿が全くない。異常な静けさの中でアスレイの足音だけが響き渡っている。



 しかし、そんな事も気にせずアスレイは考え事をしたまま宿へと向かっていた。
 人気がないということもあり、彼は完全に無防備状態であった。隙だらけだった。
 だからこそ、次の瞬間に彼へ人影が迫ってきても。
 アスレイは驚くどころか、咄嗟に反応することさえも出来なかった。




「―――っな!?」

 驚愕に悲鳴が出たのは突然現れた人影に首を掴まれた後だった。
 背後から突如飛び掛かってきたその人物は、アスレイに姿を見られないよう、そのまま彼の背に跨った。
 うつ伏せに倒れたアスレイの右手は後ろ背に押さえつけられ拘束されてしまい、左手も自身の胸元で押しつぶす形となって身動きが取れない。
 と、抵抗する間も与えられず。襲い掛かってきた人物の腕がアスレイの喉を圧迫させるよう締め付ける。

「だ、だれ…だッ…!」

 アスレイの顔は青白くなっていき、息苦しさから体は悶え始める。
 だがアスレイの抵抗に動じる様子もなく、拘束を振り解けない。
 むしろこれ以上動こうにも余計に酸素を奪い、アスレイを苦しめる。

「邪魔だ。消えろ」

 そう、低い声がアスレイの背後から聞こえてきた。
 誰だと返そうにも、彼の意識は徐々に遠のき始めていく。
 命の危険を感じ、心臓が高鳴る。



 こんなとき脳裏に過るのが走馬灯なんだろうかと、アスレイは何故か冷静にそんなことを考えてしまう。
 予想通り、脳裏では懐かしい光景が浮かび始めていく。
 あの頃のあの場所のあの記憶。
 様々な思い出が、一気に過っていき、そして誰かの声が聞こえてきた。








「―――アスレイッッ!!」




 懐かしい声が叫んでいるような気がして。アスレイの意識が蘇る。
 と、その瞬間だ。
 背中が軽くなる感触。
 絞められた首は解放され、アスレイは急いで呼吸をしつつ、同時に何度もむせ返る。

「がはっ…は、あ…はぁ…!」

 思うように力が入らず、ぐったりと地面に倒れる。
 それでもアスレイは冷静に努め、力を振り絞りながら周囲を見渡す。

「大丈夫か…?」

 と、いつもの冷淡な、しかし何処か焦りも含まれている声が聞こえてきたのは、それから間もなくのことだ。
 見上げればそこには此方へと駆け寄って来るネールの姿があった。

「ああ、何とか…」

 彼女の姿を確認するなり、アスレイは安堵に自然と笑みを零す。
 若干の酸欠状態であるが無理やり上体を起こした彼はネールの視線が自分に向いていないことに気付き、同じ視線の先を見つめた。
 二人の見つめる先には、街灯の当たらない暗がりに紛れた、人影。
 ネールの魔道具―――否、魔術によって吹き飛ばされたその者は、着地すると同時に此方へと振り返っていた。
 全身黒ずくめの衣装を纏い、顔をも隠すべく黒い布を巻いている。
 唯一見える双眸は、憎しみに満ちた鋭い眼光をアスレイに向けていた。

「動じる素振りもない、か。かなりの手練れのようだ」

 そう告げるネールもまた、沈着冷静な様子でいる。
 未だ跪いたままのアスレイを守るように立つネールは、襲撃してきた人物を鋭く睨み返す。

「まだ彼を襲うつもりならば、私が相手になろう」

 ネールはそう言うと自身の右手を前方へと突き出し身構える。
 すると襲撃者は不利と判断したのか突進してくることもなく、そのまま闇の中へ姿を消した。








「完全に逃げたようだな」

 そう言ってネールは踵を返し、アスレイへと手を差し伸べる。
 アスレイはネールの手を掴むと、ゆっくり体を起こした。首元には絞められた際の違和感が残っており思わず眉間に皺が寄ってしまう。

「何だったんだ…今のは…?」

 辺りはいつの間にか静寂が取り戻され、先ほどと変わらない無音の夜道が続く。
 だが、つい先ほど確かに彼は此処で襲われ命を狙われた。今頃になってアスレイは恐怖に襲われ顔を青ざめる。

「…あの様子から察して君の口封じに来たといったところだろう。だがもう奴の気配はない。心配する必要はない」

 いつになく優しく穏やかなネールの言葉が安心感を与えてくれて、今のアスレイにとってはとてもありがたかった。
 むしろ彼女だったから良かったと、内心思う。これがもしケビンやレンナだったら、アスレイはただただ恐怖に竦み上がっていたか、もしくは無理やり気張って見栄を張っていたかもしれない。
 相手がネールであったからこそ。そのいつも冷たく辛辣ながらにも、絶対に真実を告げてくれるからこそ。こうして心の底から安堵出来ているのかもしれないとアスレイは感じた。




「―――あいつの正体については、深く詮索する必要はないんだろうな…」

 アスレイは未だ拭えない違和感に首筋近くを何度も摩りながら、襲撃者が消えた方向を見やる。よく見るとそこは先日レンナと共に通ったあの裏通りであった。
 と、アスレイが目を細めていると隣にネールが並び、おもむろに言う。

「襲撃者の正体は間違いなく今回の連続失踪事件に関係している者だ。玄人らしくない焦りも感じられたからな」
「じゃあ…犯人を追い詰めたとき、また襲われたりしちゃうのかな」

 そうポツリと洩らすアスレイ。

「君がその犯人を追い詰める覚悟があるならな…」

 するとネールはそう言って口元に微笑を浮かべる。
 そんな彼女を見つめながらアスレイはふと、今更な質問を投げかける。

「ところで…何で君は此処にいるんだ?」

 周囲にケビンの姿はないというのに、このように物騒な夜道を一人で歩くべきではない。
 疑心の眼差しを浮かべるアスレイへ、ネールは変わらず微笑を見せたまま答えた。

「偶然通りかかっただけだ」

 直後、アスレイは嘘だと確信する。
 こんな出来過ぎな偶然―――と言ってもかなりギリギリの登場であったが―――があるとは思えない。
 しかし助けて貰ったことは事実であり、彼女自体についてを疑っているわけでもない。この偶然についても、これ以上は深く詮索しないでおこうと決め、アスレイは軽く吐息を洩らす。

「じゃあその偶然と君のお陰で助かったってわけだね。ありがとう」

 そう言ってアスレイもまた笑みを浮かべて、ネールを見つめた。






   
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