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真実と対峙する夜へ

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 空が茜色へと変わった頃。
 宿内にて暇を持て余していたアスレイは、ようやくその時が来たかと支度を始める。
 それともしもの可能性を考慮し、テーブルにはネールへの書置きを残し、部屋を出て行く。
 宿の外に出ると、そこでは既にレンナが待ちくたびれたと言った顔付きで仁王立ちしていた。

「おっそい! もう夕方だってのに何やってんの!」
「まあ、そんな焦らなくても―――」
「そうこうしている間に街から逃げ出してたら、これまでのことが無意味になるんだよ!」

『逃げ出してたら』という単語を出されては返す言葉も浮かばず、アスレイは苦笑するしかない。

「それじゃ早く行くよ!」

 踵を返し、高らかに拳を突き上げて見せながら歩き出すレンナ。
 気付けば完全に主導権は彼女に握られた状態となっていた。こうなると一体何が目的なのかわからなくなるなと、アスレイは無意識に吐息を洩らす。
 そんな彼の思いもつゆ知らず、さっさと先陣を切って進んでいく彼女の背を見つめ、アスレイもまた遅れながら歩き出した。

(待ってて、ルーテル、カズマ…!)

 決意に眉を顰めて、アスレイたちは急ぎ目的地へと向かって行った。







 アスレイたちが向かった目的地―――その別邸は町より少し外れた場所にあった。
 街を囲う外壁の中にあるとは言え、街並みから離れた草原に建つ屋敷は、哀愁にも似た雰囲気を醸し出している。木造の大きな建物は何処か古めかしく、レンナによるとこの屋敷は元々前領主の住まいであったという話だ。
 しかし領主が現在のティルダに変わったと同時に、彼はその住処をこの場所から丘上の公園内へと移したのだという。
 今となっては立地による不便さも相まって、別邸とは名ばかりの空き家も同然なのだとレンナは語る。
 だが彼女の話とは裏腹に、暮れなずむ空によって紅く照らされている別邸には明かりが付いていた。

「間違いなく此処に居るみたいね」

 草陰に隠れながらレンナがそう言う。
 その横顔は恐怖や不安というよりは好奇心に胸躍っているようであり、そんな彼女の姿にアスレイは逆に不安を抱いてしまう。

「本当に大丈夫かな…」
「それ今さらここで言う台詞ぅ? ったくもー、なっさけないなあ」

 異様にテンションの高いレンナは睨みつけるような眼差しをアスレイに向ける。そんな煽るような視線を受けてしまっては、おめおめ引き下がることなど許されるはずもなく。
 ならばこれ以上の弱音は言うまいと自身の心に誓いつつ、アスレイは至って冷静に尋ねる。

「でももし中にまだ見張りや警備の兵たちがいたら危ないよ。むやみに飛び込まないで、まずは様子を見といた方が良いんじゃ…?」

 するとレンナは指先を左右に振って見せながら笑顔で答える。

「大丈夫! あたしの予想じゃ町の外へ逃げるため、日が暮れるのと同時に黒幕の方から勝手に外へ出てきてくれるはずだから」

 そう言うと再び彼女は視線を正面の―――屋敷の方へと移す。
 いつなく楽し気、というよりは興奮気味なレンナを見つめながらアスレイはため息を洩らした。

(…もしかしてレンナ、推理小説でよく見る犯人に迫る瞬間の高揚感みたいなのになっているのかな?)

 もしも面白半分で挑んでいるのならば、その結果手痛い目に遭わなければ良いのだけれどと、一抹の不安を抱かずにはいられない。
 と、そんな後ろ向きな考えばかりしているアスレイに、レンナが突如声を上げた。

「ほら、出てきた! あたしの予想通りでしょ!」

 彼女の言葉を聞き、アスレイは屋敷の入口を凝視する。
 確かに、そこには屋敷から出てくる人の姿が見受けられた。
 その者たちは屋敷横に止めてあった馬車へいそいそと乗り込もうとしている。

「ほらほら、早く今行かないと馬車が出発したら追いつけなくなるってば!」

 そう言うとレンナは急げとばかりにアスレイの腕を強引に引っ張り出す。覚悟はしていたが、いざそのときだと意識すると、湧き上がってくる臆病風に彼の足は硬直してしまう。
 だが彼女の言う通り此処で彼らを見逃してしまえば、後を追いかけることはもう不可能となる。
 今此処で出て行かなくては、黒幕―――彼に何も説得出来ずに終わってしまう。
 アスレイはぐっと息を呑み込み胸元に手を乗せる。
 そして、迷いを振り払うよう一気に駆け出していった。
 屋敷向こう、夕暮れの空にて。ゆっくりと太陽が沈んでいく。





 手綱を叩かれ、馬車を引く馬がゆっくりと動き出そうとしている。
 まさに出発しようとするその直前で、アスレイは馬車の行く手を遮るように飛び出していった。

「待ってください!」

 周囲には生温かい風が吹き抜けていく。

「…なんの用でしょうか?」

 御者の役を務めていた黒髪の少女がアスレイへと尋ねる。
 その双眸は冷たく、そして暗い。

「話があるんです。出て来てください」

 アスレイの呼びかけに馬車の中の人物は答えようとしない。しかしそれで彼は諦めるつもりはない。

「急用なのです。其処を退いて頂けませんか?」
「事件に気付いて怯えている町の人たちを残して出て行くような急用なんてあるの?」
「…無礼です…謝ってください!」

 普段は侍女として寡黙に静観している彼女が、いつになくアスレイの言葉に反応する。いつもよりも過剰に、感情的に怒りを表している。
 と、両者一歩も譲らない中、ようやく馬車内に居た彼が重い口を開いた。




「…こんな所までよく来たものだね」

 馬車のドアが静かに開き、そこから姿を現した男。
 彼は至って平静で穏やかな態度で、しかしその双眸には突き刺さるような冷たい気迫を宿して、言った。

「僕をかの魔女から守ってくれようと、わざわざ来てくれた……という訳ではないみたいだけど、一体どうしたと言うのかな?」

 アスレイは颯爽とした風貌で登場した彼と対峙し、臆する事なく指を差し叫んだ。

「魔女なんていませんよ。いるのは魔女という架空の存在を利用して、本来守るべき町の人たちを次々と浚っていた……この事件の首謀者だけだ!」

 そうしてアスレイの指は目前の彼―――ティルダ・キャンスケットへと向けられた。



 犯人だと告げられたティルダは一瞬目を大きくさせるが、直ぐに破願して返す。

「魔女がいるいないという話しはともかく…このキャンスケット領領主である僕を犯人呼ばわりとは…面白いこと言うんだね、君…確かアスレイくん、だったかな?」

 微笑みを浮かべるティルダ。しかしその眼は一切笑っていない。恐ろしいほど真っ直ぐに、冷たく鋭くアスレイを見つめ続けている。
 その領主由縁の気迫に思わず怖気づきそうになるが、アスレイは負けじと気を張り、話しを続ける。

「冗談なんかじゃない。本気で本当に俺は貴方を犯人だと確信しているんだ」

 強い眼光がぶつかり合う。
 と、物音立てず御者台を下りた侍女ユリは、無表情のまま一歩、アスレイへ近付こうとする。
 だがその行為を遮るように、ティルダが口を開いた。

「…良いだろう、君の言い分を聞こうじゃないか」

 余裕たっぷりと言った態度と微笑。しかしその心中は決して穏やかではないはずとアスレイは思う。
 アスレイが何を確信し、こうも断言しているのか、彼は知りたくてたまらないはず。
 そして同時にアスレイもまた、心中穏やかではいられなかった。
 自分の知り得ている情報、証拠をどうティルダに突き付け、罪を認めさせ、自首するまで追い詰めていくか。慎重に言葉を選び、責めていく必要があった。

(大丈夫、恐れることは何もないはずだ)

 そう信じながらアスレイは、ポケットの奥にしまってある証拠を握り締める。
 それから、ゆっくりと深呼吸をし、静かに説明を始めた。






   
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