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妖精猫は少女と出会った

その4

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 ステージの奥、その分厚い真っ赤なカーテンをくぐり抜けていくとそこは木造の廊下が続いていた。
 隅には何かの荷物が並べられていて。それらを眺めつつ、妖精猫ケットシーは廊下にいくつか並ぶ扉の中から、その部屋を見つけた。そこには『アサガオの部屋』と丁寧にネームプレートが掛けられていた。

「アサガオちゃん、ぼくだけど…良いかな…?」

 器の昼食を零さないよう大切に持ちながら、妖精猫ケットシーは扉をノックする。
 すると扉はすぐに開き、そこから驚いた様子でいるアサガオが顔を覗かせた。

「どうして…ここに来てるの?」
「ハリボテに頼まれて昼食を持ってきたんだよ」

 そう言って妖精猫ケットシーは昼食をアサガオへと見せる。それはアサガオが大好物にしている干し肉入りのスープパスタだった。

「…ありがとう、それじゃあ」
「にゃにゃ、ちょっと待って!」

 昼食を受け取ったアサガオはすぐに扉を閉めようとした。それを見た妖精猫ケットシーは慌ててその扉を掴んで止める。

「ぼくは、ぼくはね…君とお話しがしたいんだ。いや、隣に並ぶだけでも良いんだ。お願い、絶対に余計なことはしないから! 隣にいちゃあ迷惑かな…」

 両手を合わせて、頭も尻尾も下げて。お願いする妖精猫ケットシー
 アサガオは困ってしまい、しばらく迷っていたものの。悩んだ末に「いいよ」と妖精猫ケットシーを部屋の中へ入れてくれた。

「ありがとう! にゃあにゃあ、とてもうれしいよ!」
「何にもない部屋だけどね…」

 アサガオの言葉通り、部屋の中にはベッドが1つ置かれているだけで他にはテーブルも椅子も、タンスも何の家具も置かれてはいなかった。
 いつも着ていた衣装もベッドの上に数枚、畳まれて置かれているだけだ。

「なんで何も置いてないのかな? 本や花瓶もないなんてつまんないじゃないか。あ、それともハリボテが置いてくれないとか。それだったらぼくがハリボテに説得して置いてもらうように―――」
「違うの。わたしが…何も置きたくなかっただけ、だから…」

 そう言ってアサガオは器を持ったままベッドの上に座る。その様子を見て妖精猫ケットシーも続くように彼女の隣にちょこんと座った。

「……いただきます」

 もくもくと食事を始めるアサガオ。ていねいに、小さな口を動かして。それを妖精猫ケットシーはじっと、だまって見つめていた。
 そんな視線が気になったアサガオは食事の手を止めてしまう。

「にゃにゃ? どうかしたの? もしかしてお腹痛いとか…?」

 心配そうに、純粋な眼差しを向ける妖精猫ケットシー
 アサガオは何も言わず頭を左右に振る。

「な、なんでもない……」

 そう言ってアサガオは再度、ゆっくりと口に料理を運ぶ。
 しかし、そのうちにポツリとアサガオは小さな声で語り始めた。

「……わたしのお父さんがね、いつも色んなものを投げてきたの」
「アサガオちゃんにはお父さんがいたの?」
「うん…お父さんもお母さんもいたよ」

 アサガオはゆっくりと、静かに、自分の思い出を話す。



 アサガオのお父さんはいつも小さなアサガオをいじめていた。
 アサガオがミスをしたら。自分がイライラすることがあったら。嫌なことがあったら。何かあったらすぐにアサガオへ八つ当たりしていた。
 花瓶も投げてきた。お皿も投げてきた。椅子も投げたしテーブルさえも投げつけてきた。
 アサガオはそれが痛くて怖くていつも泣いていた。いつも沢山の傷を作っていた。
 そんなアサガオを見て、お母さんは我が子を助けてくれることは一度たりともなかった。
 それどころかお母さんはアサガオへいつも酷い言葉を浴びせた。




「…全部お前が悪いんだとか、お前がトロいからだとか、この髪が銀色なのが気持ち悪いから、とか…」

 そう言いながらアサガオの瞳からはぽたりぽたりと涙が、真下の料理の中へこぼれ落ちていく。
 彼女の話を聞いている妖精猫ケットシーは大きな目を瞬かせながら、だまって見つめ続ける。

「だから家具を見ると…そのときの怖かったこと思い出しちゃうから…置きたくない……」

 と、突然声を出して泣き始めてしまうアサガオ。食べかけの料理を膝の上に置いたまま、アサガオは流れ落ちる涙を拭う。
 そんな彼女を見つめたまま、妖精猫ケットシーは言った。

「……ぼくはお父さんもお母さんもいたことがないし、そんな怖い思いもしたこともないから、アサガオちゃんの気持ちはよくわからないよ…ごめんね」

 そう言って小さく頭を下げる妖精猫ケットシー
 だが彼は突然ベッドに立ち上がるとアサガオの頭を優しく撫でた。びくりと、思わずおどろいてしまうアサガオ。

「にゃにゃ、ごめんなさい」

 と言ってから妖精猫ケットシーはもう一度、さっきよりも優しく優しく、爪を立てないようアサガオの頭を撫でる。

「あのね、けれどね、ぼくも毛色が気持ち悪いと言われたことがあるよ」
「妖精猫さんも…?」

 涙を拭いながらアサガオは尋ねる。
 妖精猫ケットシーは大きく頷いた。

「茶トラ模様の妖精猫ケットシーなんて滅多にいないんだ。だからそういう風に言われたときは、やっぱりちょっと悲しかったかな」

 そう言いながら妖精猫ケットシーは悲しい顔でだらんと尻尾を垂らす。
 が、すぐにその尻尾はぴんと高く揺れ動いた。

「だけどね、そのことをハリボテに話したら『珍しいことは悪いことじゃないし、お前に似合ってるんだから堂々としてろ』って、ぼくの毛並みを撫でてくれたんだ。ぼくはそう言ってくれてとても嬉しくて、悲しかった気持ちはすぐに消えちゃった!」

 アサガオの頭を撫でたまま、妖精猫ケットシーはにんまりと、満面の笑みを見せる。

「だから、だからね。ぼくもアサガオちゃんに同じことをしようと思ったんだ。何も気にしなくって良いよって。アサガオちゃんは何も悪くないしトロくもないし気持ち悪くもないんだって、ぼくが証明してあげるよ。だってぼくはアサガオちゃんの友達だからね」

 ていねいに髪を撫でる妖精猫ケットシーの温もりが、優しさが、アサガオに伝わっていく。彼女はぐすりと涙を流したまま言った。

「わたし…悪くないの、かな…?」
「全然悪くない! かわいいし声はキレイだし歌は美しいし髪だってほら、こんなにとてもステキだよ。ハリボテだってそう思ってるし、酒場で歌を聞いてくれているお客さんもみんなみんな、そう思ってるよ」

 だからもっと、自分に自信を持っていいんだよ。
 真っ直ぐな妖精猫ケットシーの言葉と瞳に、アサガオは恥ずかしそうに顔を俯かせる。

「…ありがとう」

 それから少しして、小さな声で言った。
 彼女の小さなお礼を耳にした妖精猫ケットシーは胸をどんと叩いて答えた。

「どういたしまして!」


 

 


    
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